二日目の特典は、肩こりに効きます
【前回までの人物】
・結城晴斗:異世界へ来た初日をベルカで過ごす青年。疾風の靴を持ち、風見亭の一人部屋に泊まることを決めた。次の支援は初回受領から二十四時間後。
・ルカ・フェリス:自分の旅費を稼ぐ剣士。晴斗と呼び方を近づけ、翌朝会えば一緒に食事をしようと誘った。
・サンナ:風見亭の女将。食事と宿泊を別料金で案内し、晴斗へ部屋を貸した。
目が覚めた瞬間、今日は仕事が休みだったかと考えた。
それから、天井の梁を見た。
知らない木の節。窓の隙間から入る光。階下で、誰かが椅子を引いている。
会社へ行くために、急いで服を選ぶ朝ではなかった。
「……そうか。今日は、会社じゃないんだ」
声にすると、少しだけ胸の奥が空いた。
戻れないことを、一晩で全部受け入れたわけではない。
それでも今朝の俺は、ベルカの宿で起きて、昨日知り合った人と朝飯を食べるかもしれない。
その予定を、嬉しいと思っていた。
机の上で、水筒が窓の光を受けていた。
昨夜は宿の水を足して、携帯食を一食食べた。残りは一食。味の薄い固焼きのパンは、ゆっくり噛むと穀物の甘さがしたが、向かいから笑ってくれる人はいなかった。
昼飯のパンが沈んだ方が、食べた記憶はよく残っている。
俺は靴を履いた。
足首を回し、立ってみる。昨日の脚のだるさは薄くなっていた。掌にも裂けた所はない。これなら、宿の階段で初日より遅く歩く旅人にはならずに済みそうだ。
袖を上げて、手首の表示を見た。
まだ、次の支援は来ていない。
「まだか。……起きたら届く、じゃないんだよな」
分かっていたことを、つい確かめてしまう。
最初に受け取った時刻から二十四時間。寝る前に二回見ても、朝に念入りに顔を洗っても、その約束は変わらなかった。
*
風見亭の食堂には、焼いた玉葱の甘い匂いがしていた。
ルカは窓際で、鞘の留め具を確かめていた。
赤茶色の髪の結び目が、昨日より少し高い。顔を上げると、口元がすぐ笑う形になった。
「おはよう、ハルト。ちゃんと寝られた?」
ルカが向かいの椅子を軽く引いた。俺は鞄を降ろしながら頷く。
「ぐっすり。寝台が動かないだけで、あんなに違うんだな」
「荷車と比べられて、寝台も喜んでるよ」
彼女は鞘の留め具を閉じて笑った。
椅子の背へ鞄の紐を掛けると、肩が楽になった。
普通の鞄でも、降ろせばこうなる。
旅の荷物についての、とても大事な発見だった。
「ルカは、今日も仕事?」
俺が訊くと、彼女は鞘を腰へ戻した。
「午前は、昨日の報酬を受け取って、刃の手入れを頼んで。それから次を探すつもり。だから今は、ゆっくり食べる方の時間」
「また、この町で?」
「南行きの護衛があれば、そっちがいいな。試合のある町へ近づけるし。急いで出るわけじゃないけどね」
ルカの朝にも、自分の予定があった。
俺が何をするか決まるまで、ずっと椅子を温めている人ではない。
サンナが水差しを持ってきた。
赤い前掛けに小さな粉の跡がある。
「朝は、パンと玉葱の汁で四枚。卵を足すなら二枚増し。今日は、どっちにする?」
「パンと汁で、お願いします。……玉葱ですか、この匂い」
水差しを置いたサンナへ、俺は銅貨を四枚差し出した。
銀貨三枚と銅貨四十四枚から、銅貨四十枚へ。
卵を永遠に諦めたわけではない。今朝はまず、ここの普通を食べてみたかった。
ルカは、自分の皿には卵を足した。
「……卵、でかいな。二枚で、あんなに増えるのか」
俺が皿を見ていると、ルカは匙を持ち上げた。
「半分にしようか?」
「いや、分けてほしくて言ったんじゃ」
「分かってる。でも、目がずっとこっちだった」
ルカは自分の皿を指して、肩を揺らした。
俺は抗議する代わりに、来たばかりの汁を飲んだ。
熱い。
玉葱の端が甘く、底の方に少しだけ胡椒のような刺激がある。
ルカがパンを手でちぎり、汁の上へ載せる。
「ほら、ひと口分ずつ。沈む前に食べるの」
ルカが匙ですくい上げるのを見て、俺もパンを小さくちぎった。
「なるほど。昨日の俺に教えてやりたい」
「いまの弟子は、覚えがいいね」
今度のパンは、ちゃんと匙に乗った。
*
最後のひとかけを食べたとき、手首が温かくなった。
熱い器に触れたのかと思い、指を離す。
袖の下に、淡い光があった。
次の支援を選択できます。
俺は、思わず笑っていた。
昨日だけの、特別な出来事ではなかったのだ。
この世界で一晩寝たあとも、約束は続いていた。
「来た?」
ルカが、小声で聞いた。
「うん。靴をもらったのと同じ、旅の支援。次も来るって聞いてたんだけど……来たな、本当に」
俺が手首をさすると、ルカの声も少し弾んだ。
「よかったね。朝から気にしてた?」
「ああ。顔を洗うついでに、三回くらい。……来るって、聞いてはいたんだけどな」
彼女は頷き、俺がまだ器を持っていることを指した。
中身を飲み切ってから、サンナに断って中庭の空いた所へ移る。
人の食事の横で、何が出てくるかも分からない選択をするのは落ち着かなかった。
ルカは庭への戸に寄りかかった。
「見てても、いい?」
「もちろん。何が出るか、俺もまだ知らないから、先に読むよ。……変なのだったら、笑っていいからな」
彼女の靴先が、俺の正面から少し外へ動いた。
昨日、剣で獣を受けた人は、危ないか分からない物の前へ、好奇心だけで顔を寄せないらしい。
俺もそれを見習い、空いた机へ腕を置いた。
三つの候補が、順に出た。
旅人の外套。
火守りの鍋。
収納鞄。
最初の二つは、昨日も迷った物だった。
雨と寒暖を和らげる外套と、一度温めた料理を冷めにくくする鍋。今朝は、どちらの有り難みも昨日より分かる。
だが、三つ目を読むと、俺はすぐ自分の肩へ手をやっていた。
収納できる物の総重量は、百キロまで。
中に入れた荷の重さは、持ち手へそのまま掛からない。
「……百キロ」
口に出して、ルカを見る。
彼女は両手を広げた。
「私は入らないよ。先に言っとくけど」
ルカは片足を引き、冗談めかして身構えた。俺は慌てて首を振る。
「入れる相談なんかしてないだろ!」
「うん。いま、百キロって言いながら私を見たから」
残念ながら、説明の続きも、彼女の味方だった。
生きている動物や植物は、収納できない。
口を通る大きさの物だけ。無理に押しても、入口が荷物の形に合わせて裂けたり広がったりはしない。
容量を越えた物を、途中まで飲み込んで潰す機能もない。
俺は、肩掛け鞄の膨らみを見た。
毛布。替え靴。地図。水筒。最後の携帯食。
全部、これからも自分で運ぶつもりだった。
「これだ。肩の荷が軽くなるなら、今日はこれがいい」
今朝の俺は、かなり迷わずに言えた。
*
選ぶと、机の上へ鞄が現れた。
濃い青の、蓋つきの肩掛けだった。
大きさは、宿へ持ってきた物と大差ない。触ると柔らかく、縫い目は指先に少し硬い。空の状態なら、普通に持ち上がる重さだった。
「収納鞄って、もっとこう……口があって、荷物を食べるのかと」
俺が蓋を持ち上げると、ルカは上から覗いて眉を上げた。
「それ、毎朝ごはんをあげないとだめなやつ?」
「自分の飯も怪しいのに、鞄まで養いたくないな」
「私も。おやつまで取られたら困る」
ルカが笑った。
俺は説明を最後まで読み、先に水筒を机の端へ置いた。
中の時間が止まるわけではない。
熱い物は熱いまま入って、危険な物は危険なまま残る。爆発や毒を無害にする場所としては、使えない。
離れた荷物を呼び込むことも出来ず、自分で口へ入れ、自分で口から出す。
「冷たい飲み物は、店で買うしかないか」
説明を読み上げると、ルカが庭の向こうの通りへ顔を向けた。荷車の車輪が鳴っている。
「荷車も、まだ要るね。百キロなんて、すぐ超える荷もあるし」
「馬も入らないって書いてある」
「馬は喜ぶよ。さっきの私と同じで」
俺は、一番間違えにくそうな物を選んだ。
折り畳んだ毛布だ。
鞄の口は、広げても両手の間に収まる程度だった。毛布を小さく折り直す。途中で引っ掛かったので、押し込まずに一度戻した。
今度は端が通り、そのまま底へ沈む。
肩へ掛けた。
軽い。
毛布一枚ぶんの差なのに、首の付け根が、今まで持っていた重さをはっきり教えてくれた。
「ハルト、にやけてる」
肩紐を持ち上げていた俺は、ルカを見た。
「そんなに?」
「うん。便利な道具を見つけて、早く使いたくてたまらない顔」
そうかもしれなかった。
前の仕事では、積める量と置く順を、よく考えていた。今はそれを、自分の明日を楽にするために考えている。
俺は、毛布を取り出して確かめた。
見えない底を掻き回す必要はなく、出す物を思い浮かべて口へ手を入れると、指に端が触れた。遠くの物が出てきたのではない。さっき自分で入れた、一枚だけの毛布だった。
畳んだ癖も、藁の細い屑も、そのままだった。
*
水筒の栓を締め直し、横にしても漏れないことを確かめた。
替え靴は布で包む。
地図は折ったまま、湿った物と別にする。
収納の魔法があっても、泥と飲み水を一緒に扱っていい理由はなかった。
「魔法の鞄なのに、荷造りは丁寧だね」
ルカが、俺の手元を見ていた。
「泥水の味がするパンは、俺が嫌だからな」
水筒を包み直して答えると、ルカは口元を緩めた。
「それは嫌だ。……じゃあ、美味しい物も、泥のつかない包みに入れないとね。そういう荷造り、私も好き」
昨日も似たようなことを言われた。
二度目でも、返事が少し遅れた。
俺は、最後の携帯食を入れた。
財布はまだ普通の鞄の内側へ残す。買うたびに見えない所から出すより、今は、自分で数えて使う方が落ち着いた。
「ルカの物も、預かって運べそうだ。持ち主が違ったら駄目とは、書いてないから。小さい物で試す?」
口にしてから、彼女の剣へ目をやった。
「剣は、腰にあった方がいいか」
ルカは柄へ掌を乗せた。
「うん。必要なときに、ハルトの鞄を開けてたら間に合わないもの」
彼女は革の袋から、小さな手入れ布の包みを出した。
「これで、試してもいい? 鞄の中で勝手に磨いてはくれないんでしょう」
「残念ながら、そこまでの説明は無かった」
受け取ると、油の匂いがした。
俺はその包みだけを入れ、すぐ出して彼女へ返した。
ルカは口をほどき、中身を見てから頷く。
「うん、油の匂いも、そのまま。便利だね。これ、旅の途中で欲しくなるな」
何でも預けるという約束には、ならなかった。
その代わり、一つずつ試せる相手がいるのが嬉しかった。
*
サンナが、庭へ顔を出した。
「二人とも、そこの机を少し寄せてくれる? 掃除が終わったら、粉を通したいんだよ」
俺たちは、慌てて場所を空けた。
机を持ち上げるのは、二人がかりで普通にやった。疾風の靴で家具を引きずる必要はなかったし、収納鞄の口へ机を押し込むのも違った。
店の奥から、粉の袋が一つ出てきた。
サンナが肩へ載せかける。
俺はサンナの載せかけた袋を指した。
「サンナさん、その袋、運ばせてもらえますか。新しい鞄を試したくて。ちゃんと出せるところも、先に見てもらいます」
説明を聞いたサンナは、すぐには渡さなかった。
鞄の口を見て、自分の袋の結び目を押さえる。
「出したいときに、出せるんだろうね? 今日の昼の粉なんだから、鞄の夕飯にされたら困るよ」
サンナの手は、まだ袋から離れなかった。俺は鞄を台の上へ開く。
「はい。ここで一度、元へ戻します。見てもらってから、運ばせてください」
袋に書かれていた重さは、二十キロだった。
両腕で持つと、膝に力が要る。口へ入れるところまでは、自分の腕で支えなければならなかった。
ルカが袋の下を支え、サンナが結び目を引っ掛けないよう向きを変える。
入った。
肩紐を掛け直した瞬間、笑いが出た。
毛布のときとは違う。さっき腕に感じた重さが、まるで無くなっている。
足を一歩出す。二歩目も、普通に出せる。
「軽い……。さっきまで、あんなに重かったのに」
俺が肩紐を持ち上げると、ルカはこらえていた笑いを漏らした。
「うん。今の顔、さっきよりもっと分かりやすい」
俺たちは、いったん袋を元の場所へ出した。
サンナが粉の袋を抱き直し、口がほどけていないことを確かめる。布についた粉の白さも、さっきと変わらなかった。
「じゃあ、台所の台まで頼める?」
「はい」
次は、出す先の台を先に空けた。
軽く運べても、出た先で粉は二十キロに戻る。指の上へ落としたくはない。
サンナに袋を支えてもらい、台へ置く。
布が天板へ触れる、どすんという音がした。
階段のない短い道だった。
それでも、俺の肩は、昨日の町へ来たときより軽かった。
「助かったよ」
サンナが、粉の袋を奥へ寄せる。
「そんな顔で粉を運んでくれた人は、初めてだよ。今日はお試しね。仕事で頼むなら、幾つ運ぶかと賃金は、先に相談しよう」
俺は頷いた。
いきなり運び屋として雇われたわけではないし、宿代がただになる話でもなかった。
でも、自分に出来ることが一つ、実際の荷物の形で分かった。
粉の袋を出した鞄の口へ、俺はもう一度手を入れた。
毛布も替え靴も、自分の入れた分は残っている。粉の袋だけが出て、宿の物と俺の物が、ちゃんと分かれていた。
ルカの手入れ布も、もう彼女の腰の袋へ戻っている。
「忘れ物?」
ルカが覗き込もうとして、俺は鞄の口を少し持ち上げた。
「いや、俺の毛布まで置いてきてないかと思って。軽すぎて、何を入れたか忘れそうになるな」
ルカは、なるほど、と言って自分の鞘へ触れた。
剣がある位置を、いつも確かめている人の仕草だった。
俺も、青い鞄の肩紐を、一度短くした。
軽くても、ぶらぶら脚に当たるなら歩きにくい。次の町へ持っていく物は、こういうふうに、自分の物になっていくのかもしれなかった。
*
庭へ戻ると、ルカが俺の鞄を見た。
「それなら、旅の帰りに、土産を増やせるね」
俺はルカを見返した。
「仕事より先に、土産の心配?」
「だって、仕事に使えるかは、いま分かったでしょう。次は、お菓子を何個増やせるかも考えようよ」
俺は、青い鞄の蓋を閉じた。
昨日までは、持っていく物を減らすために考えていた。
今は、どこかで見つけた美味い物を、もう一つ買って帰れる。
冷めるし、傷む。何でも持って歩けるわけではない。
だからこそ、いつ誰と食べるかを考えるのが、少し楽しそうだった。
「昨日、うまいものを教えるって約束しただろ。これなら、持って帰って渡せるな」
ルカの茶色の目が、少し細くなった。
「……覚えてたんだ」
ルカは鞄から俺へ目を戻した。軽口を待っていた俺は、その声が柔らかくなった分だけ、返事を選んだ。
「忘れないよ。俺も、何を勧めようか考えてたし」
「そっか。……それ、嬉しいな」
俺は、今度はちゃんと彼女を見て笑えた。
新しい特典は一つだけ。
速く走れる靴と、軽く運べる鞄。
それでも、昨日より行ってみたい場所が増えていた。
戸の向こうから、焼けた油の匂いが来た。
サンナが厨房へ向かって、昼の仕込みに入るよ、と声を掛ける。
その奥から、知らない女の声が、明るく返った。
「こっちの鍋、もう空いてます!」
ルカが、そちらを見た。
「今日の昼、時間が合ったら、またここに来ない?」
俺は青い鞄へ手を置いた。
今のところ、それほど荷物は入っていない。
俺はルカへ頷いた。
「来る。土産にする前に、俺が食べて覚えないとな」




