今日の特典で、川風の食卓を作ります
【人物のおさらい】
・ハルト:毎朝一つの特典を選ぶ旅人。虹の海を目指す。
・ルカ:剣と勝負、食事を楽しむ仲間。
・ミア:実践書を作りたい魔術師。自分で習った火と、借りた水の力を使い分ける。
・ロッタ:各地の料理を学びたい料理人。自分の鍋を持っている。
知らない天井の下で目を覚ました。
低い梁。窓の隙間の、いつもとは違う鳥の声。隣の寝台から、毛布をはねる音がする。
「おはよう。答え、分かった?」
ルカが言った。
俺は寝ぼけた顔のまま、彼女を見た。赤茶の髪が、片側だけ頬へ貼り付いている。
「何の?」
「いびき」
「ああ。俺、寝てた」
「私も。じゃあ、今日も不明」
彼女はあっさり言い、先に窓を開けた。
朝の川風が、部屋の空気を外へ押す。台の上へ置いた紙が、ふわりと持ち上がった。
俺は寝台から手を伸ばし、紙を押さえた。昨日みんなで選んだ、川沿いの道の図だった。
十二日目の特典は、顔を洗って戻る頃に届いた。
受け取れる時刻が来たことを、淡い文字が知らせる。今日も、三つの候補から一つだ。
雨音だけを小さくする耳飾り。荷の表へ一枚だけ目印を付ける札。それから、風よけの輪。
最後の文字を読んでいる間、ルカが自分の靴へ足を入れた。
「風を、切るの?」
「切らない。こっちへ入ってくる自然の風を、弱める方」
俺は条件を声へ出して読んだ。
置いた場所を中心に、半径二メートル。二十分、一日に一度。風を弱めるだけで、雨も石も、魔物の攻撃も止めない。輪は動かせず、止めても残り時間を後で使い直すことはできない。
「じゃあ、飛んで来たパンは止められない」
「パンを飛ばす予定ある?」
「風があるから、聞いた」
ルカは笑い、俺は窓から川の方を見た。
守らなければ死ぬ場面のためだけに、毎朝の特典を選ばなくてもいい。今日は、川のそばで落ち着いて昼を食べたい。
俺が風よけの輪を選ぶと、掌へ薄い青い輪が現れた。
剣の飾りにするには大きく、鍋敷きには頼りない。けれど、今日の川道を、少し好きになれる形だった。
*
食堂では、ミアさんが両手で椀を持っていた。
ロッタさんは、自分の鍋の乾きを見終えてから席へ着く。狼耳の先へ、朝日が透けていた。
灰色の編み髪を揺らし、女主人がパンを置く。
「朝は四銅。昨日の分へ、入ってないからね」
「はい。お願いします」
俺は自分の四銅を出した。ほかの三人も、それぞれ自分の分を払う。
昨夜の宿と夕食の二十六銅は、もう払った分だ。今日は今日の財布から減る。
ルカがパンを割ると、まだ温かな中から白い湯気が出た。
「今日、風をよけられるんだって」
彼女が言い、ミアさんが俺の輪へ目を向けた。
「火を守るのにも、使えそうですね」
「火は作れませんが、風が弱ければ。昼に試してみましょう」
「それなら、火は私が。昼に使える場所があれば」
彼女の返事が、少し速くなった。
魔法を習った人が、自分の火を使える場所を楽しみにする。その顔を見ると、俺も新しい道具を見せびらかすだけで終わりたくなくなった。
女主人へ、材料屋の場所をもう一度聞いた。
橋へ出る角、桶の並ぶ方。昨夜と同じ答えでも、今は窓の向こうに朝の人通りが見える。
「鍋の革の輪も、見てもらおうと思って」
ロッタさんが言った。
「見てもらうだけなら、先にそう言って。買う前に、値もね」
「はい。今日は、お客として」
女主人が笑い、空いた椀を取った。
彼女へ昨日の報告の紙がどうなったかを、仕事の途中で全部尋ねはしなかった。入口の連絡札の所に紙はもうない。それだけで、番所が見た、魔物がいなくなった、と先へ進めない。
俺たちは鍵を返し、荷を背負った。
昨夜、自分で戻って来た宿を、今朝は自分の足で出ていく。
*
材料屋の前には、確かに桶が三つ並んでいた。
根の付いた苗ではなく、洗った道具と、乾かしている籠の桶だった。
焦げ茶の短い髪の店主が、藍の前掛けへ手を拭く。こちらの鍋を見て、最初に持ち手へ目を寄せた。
「修繕の相談ですか。それとも、中へ入れる物?」
「両方です。でも、先に、持ち手の輪を」
ロッタさんは、自分で鍋を台へ置いた。
俺が緑の荷まとめ帯を外すのを待ち、割れた革の輪を示す。便利な帯でまとまるからといって、持ち手の傷が消えてはいない。
店主は、残っている革を触る前に、彼女へ顔を上げた。
「ここへ手を入れて持つ方ですね。鍋を全部吊るす物ではなく」
「はい。熱い時は、布も使います」
「なら、この幅。輪だけ十銅です。今ここで、取り替えられる形」
ロッタさんは値札を見て、頷いた。
安いからではなく、自分の鍋を自分で選んで直す顔だった。
新しい革を通す間、ルカは道の先を覗いていた。
橋の上へ、洗った布を載せた籠が運ばれている。風で布の端が踊り、運ぶ人が片手で押さえた。
「川、結構、吹いてる」
「輪、朝から使っちゃおうか」
俺が言うと、彼女は首を振る。
「まだ歩くよ。あれ、持って歩けないんでしょ」
「そうだった」
「鍋も、人も、ちゃんと運べてる。昼に、私たちが座ろう」
言い方がはっきりしていて、俺は少し笑った。
新しい力を手に入れると、見つけた不便を片端から消したくなる。でも今、この町の人が運べている籠を止めて、俺の力を披露し始めたら、橋の通り道まで塞いでしまう。
ロッタさんが、新しい輪へ指を入れた。
店主へ十銅を払い、古い革も包んで持つ。使えなかった所を、今日の鍋から外せた。
「それと、川薄荷を見たいです。昨夜、宿の煮込みへ入っていて」
店主の顔が、少し明るくなった。
「育ててる方の葉ですね。乾いた小包なら六銅。匂いを見てからでいいですよ」
籠の蓋が開いた。
湯気の中にあった昨夜の匂いが、乾いた葉から、もっと細く立つ。
ロッタさんは鼻先へ近づけ、目を細めた。すぐ好きだと言ったあと、使う量を聞く。
店主は小さな匙と、見本の器を出した。似た葉の自己採取や、薬の代わりにする話にはならなかった。
料理の材料として売られた六銅の包みが、彼女の鞄へ入る。
「昨日は、名前だけだったんです」
通りへ出てから彼女が言った。
「今日は、鍋へ入る物になりました」
俺は鍋の新しい革を見た。旅の一晩で増える物は、地図の丸だけではなかった。
*
川沿いの道は、短い坂道より長かった。
水の上を、白い鳥が低く飛ぶ。昨日の灰色の魔物を見た場所とは別の道でも、草が揺れるたび、ルカの目は一度そこへ行った。
何でも大丈夫になった旅ではない。
それでも、彼女がすぐ剣を抜かない時、俺も、景色を見ていいのだと分かる。
ミアさんは歩きながらノートを開かず、止まった場所で川の曲がりを書いた。ロッタさんは帯で留めた鍋の位置を、途中で一度だけ直す。
俺は、昨日より荷をまとめる手が早くなったことを、少しだけ自慢した。
「じゃあ、次はほどく競争」
ルカが言う。
「鍋を落としたら、俺が負け?」
「落とす前に負けて。ロッタの鍋が困る」
ロッタさんが、笑いながら頷いた。
昼前に見つけた休み場は、川から少し上がった土手だった。
石の炉があり、傍らの札は、火を消して灰を戻すよう書かれている。周りの草は刈られ、桶の置ける平らな石もあった。
俺たちは風の来る方と、荷を置く方を見た。
新しい輪を出す前に、ルカが外套の端を押さえる。川風は冷たいが、強い突風ではない。
「ここ、使いたい」
俺が言うと、三人とも頷いた。
「端まで入るように、座りましょう」
ミアさんが炉と輪の置場を見た。
半径二メートルの円の中へ、四人と荷と小さな炉が入る。輪を置く場所を決め、俺は起動した。
青い線が、一度だけ地面へ薄く広がった。
風の音が、消えたわけではなかった。
川の水音も、向こうの葦の擦れる音も聞こえる。
だが、頬へ当たっていた冷たさが、急に柔らかくなった。炉へ置いた薄い紙も、端を押さえなくても、ばたつかない。
「え、すごい」
ミアさんの声が、いちばん先に出た。
彼女は紙を追いかけずに済む両手を一度見て、それから炉へ向いた。
「火、付けます」
自分で習った火を、小さく作る。
炎は風へ横倒しにならず、鍋の底へ素直に当たった。
ルカが、外套へ付いた枯れ葉を取った。
指で軽く放ると、葉は輪の内側へ普通に落ちて来る。青い縁へ当たって、見えない壁に弾かれる、ということはなかった。
「これ、石なら、そのままだね」
「うん。戦う時の盾にはできない」
「じゃあ、盾の代わりには数えない。今日は、こっちの仕事」
彼女は葉を炉から離し、自分の椀を鍋の隣へ置いた。
説明の文字を読んだ時より、その二つの動作で、道具のできることがはっきりした。俺の新しい力があっても、彼女が身に付けた剣の間合いまで、要らなくなるのではない。
けれど、剣を膝の脇へ置いて、両手で器を持てる昼を増やすことはできた。
俺は思わず、膝を打った。
「今日、これを選んでよかった」
「まだ食べてないよ」
ルカが笑う。
「食べる前でも、嬉しい」
「うん。じゃあ、食べたらもう一回」
ミアさんが借りた水の力で、一リットルだけ鍋へ水を入れた。
今日の共有枠の最初の使用だ。昨日の二リットルを今日へ持ち越して、減ったままにはしない。
ロッタさんは、川の水へ鍋を突っ込まず、自分で買った葉を少しだけ使った。
昼の材料代は、ロッタさんが持参した茹で豆や干し魚などの分を合わせ、一人十二銅で彼女へ払うことにした。四人が同じ味を食べるからといって、彼女の鞄から材料が無限に出るわけではない。
「川薄荷は、今日、私が試したい分です。包み全部の代金を、みんなの昼へ入れません」
彼女は先に言った。
俺は十二銅を数え、自分の器を取った。
料理してくれる手へ払った金と、同じ鍋を囲める嬉しさが、今日はどちらも目の前にあった。
*
二十分は、のんびりした昼全部を包むほど長くはなかった。
ロッタさんは葉を入れてから火を弱め、ミアさんへ顔を向ける。
「もう、煮なくて大丈夫です」
ミアさんが火を落とす。
湯気が、ゆっくり真上へ伸びた。川薄荷の匂いが、昨夜の魚とは違う、豆の甘さのあとへ来る。
ルカは匙を口へ運び、そのまま目を丸くした。
「肉じゃなくても、おいしい」
「昨日も魚でした」
ロッタさんが、匙を止めて言った。
「だから、今日は三つ目。肉と魚と、これ」
ロッタさんが笑い、俺も自分の器へ顔を寄せた。
同じ葉でも、昨日と同じ料理をそのまま再現した味ではない。自分たちが歩いて来た道の、今日の昼の匂いだった。
ミアさんは器を置いてから、実践書の端へ短く書いた。
風をよけた火。自分で付けた火。
書き終えると、頁を閉じ、俺たちの方へ座り直した。
「今日は、熱いうちに食べる方も、練習します」
「それ、私が得意」
ルカが言い、残りのパンを汁へ浸した。
俺はふと、明日の候補は何だろうと思った。
だが、いま目の前の湯気を置いたまま、まだない特典へ気持ちを全部持っていくのは、少しもったいない。
俺は二口目を食べた。
熱さで少し舌を引き、ルカに笑われる。そのくらいの失敗は、今日の特典でも防げなかった。
輪の青い線が薄くなった時、ミアさんはもう火が消えているのを確かめた。
頬へ、川風が戻って来る。
ルカが髪を押さえ、俺は紙を荷の下へしまった。
「終わった」
「でも、昼、間に合った」
彼女が言い、空の器を持ち上げた。
輪の残り時間は零。今日はもう起動できない。止めて持って歩ける風よけを、あとから追加したことにはしなかった。
洗い物と片付けを終え、俺たちはまた川道へ出た。
旅宿帰還は使わず、登録先も昨日のまま。次に泊まる宿は、これから自分たちで決める。
今日の水は共有一リットル。新しい革の輪は、鍋の持ち手へきちんと収まっている。
俺は、使い終えた青い輪を鞄へしまった。
役目が終わった道具を持っていても、損をした気はしなかった。
今日、四人で風の弱い場所を作り、温かな昼を食べた。それが、もう、使い道の全部を説明していた。
「ハルト、次の曲がり、どっち?」
ルカが少し先で振り返った。
俺は地図を見た。それから、彼女の向こうで光る川へ目を上げた。
「川が見える方」
「昨日と同じだ」
「今日も、見たいから」
彼女は笑い、歩く速さを少しだけ落とした。
新しい特典を一つ増やした朝は、同じ景色をもう一度選ぶ昼へ、ちゃんと続いていた。




