今日の特典は、もう選んであります
【前回までの人物】
・ハルト:毎朝一つの特典を選ぶ旅人。虹の海を自分の目で見ることを目指す。
・ルカ:勝負と食事を楽しむ剣士。自分の剣技を磨きながら旅をする。
・ミア:理論と現場の経験を、実践書へ残したい魔術師。
・ロッタ:各地の料理を学びたい料理人。食材や自分の仕事の対価を大切にする。
橋の先の休み場で、ロッタさんは真っ先に鍋を下ろした。
俺が荷まとめ帯の留め口を押すと、緑の帯がするりと緩む。だが鍋まで宙へ浮くことはなく、最後の重さは彼女が両手で受けた。
「着きました。お昼の職場です」
「職場って言ったら、休めなくならない?」
ルカが草地へ腰を下ろして訊く。
ロッタさんの狼耳が、少しだけ横へ向いた。
「自分の食べたい物を作る場所です。今日は、四人で食べる方もします」
「じゃあ、私は先に、お腹の場所を空ける」
「朝の芋、もうないんですか」
ミアさんが驚く。
「歩いたから」
ルカは悪びれなかった。俺も、歩いた距離だけで芋一包みが消えたふりをして、隣へ座った。
まだ十一日目の、朝と同じ日だった。
箱を開け直せば、違う特典が増えるわけではない。《荷まとめ帯》を選んだ今日は、これが今日の新しい道具だ。
けれど鞄の中には、今まで受け取った物が残っている。
その中から俺は橙色の保温布を出し、畳んだまま鍋の横へ置いた。
「使うの、食べる時にします?」
ロッタさんが訊いた。
「どこで食べるか決まってからに。昨日、一度使ったあとで困ったので」
「あれ、困った顔してた?」
ルカが俺の顔を覗く。
「内心は、かなり」
「言えば良かったのに。冷めたパン、私だけ先に食べた気になった」
「今日は言う。二度目の保温は、今日は頼めないからね」
ルカは頷き、今度は鍋から少し離れた。
便利な物の使い時を、一人で黙って決める必要もなかった。
休み場には、石で囲われた火の場所があった。
水辺へ燃えさしを捨てないようにという絵が、倒れかけた板へ描いてある。ロッタさんは前の灰を確かめ、自分の鍋を置く場所を選んだ。
火はミアさんの小さな火種で起こした。教わってきた魔法であって、俺から新しく貸した物ではない。
「今日は、私の火。水は借りてもいいですか」
「はい。今までと同じ条件で。三人に貸してる水の量は、俺と共通の二十リットルです」
俺が答えると、ミアさんは自分の手と器を交互に見た。
「では、料理へ一リットル。使った分を、紙に」
「私が書きます。ミアさんは器を持っているので」
ロッタさんがノートを取った。魔力を使う人と、使用量を書く人が、自然に別れた。
ルカはその横で、鍋へ入れる硬いパンを割っている。
大きさは揃っていなかった。ロッタさんが大きい一つを指し、ルカがもう半分に割る。
俺はそのやり取りを見て、四人になっただけで、手が多いことがこんなに楽しいのかと思った。
*
荷車の音は、鍋が煮え始める前に来た。
橋から続く道を、小さな車が揺れながら近づく。馬をつけた大きな荷車ではない。茶の頭巾を被った行商が、手で引く二輪の車だった。
その後ろに、低い灰色が二つ見えた。
最初は、連れている犬かと思った。
「鍋、そのまま。道へ出ないで」
ルカが立った。
灰色の一頭が車輪の脇へ跳び、積荷へ鼻を寄せる。犬より肩が太く、背中に硬い毛の房が立っている。ルカの指が剣の柄へ掛かった。
「魔物。二頭、どっちも車を追ってる」
行商は車を道の外へ向けかけた。そこは斜面だ。俺は立ち上がり、声を張った。
「こっちへ! 平らな所まで、そのまま来てください!」
相手の顔が上がった。
ルカは道の前へ出ず、俺たちのいる側と行商の間へ移った。
「ハルト、車を受ける。私は、追ってる方」
「分かった」
俺は靴へ意識を向けた。
強く踏み出した一歩で、景色が近くなる。加速は短い。車まで駆け、ぶつかる前に足の速さを戻した。
荷車を止める力まで、靴が三倍にしてくれるわけではない。
行商と二人で柄を持ち、平らな場所へ向きを変えた。
灰色の一頭が、車ではなく俺へ首を向けた。
足はまだ熱い。今すぐ同じ速さで飛び出すことはできない。
剣が、その間へ入った。
ルカは大きく叫ばなかった。相手が飛びかかった所を外し、道の端で足を踏み直す。刃が灰色の背を横切り、魔物が低い声を上げた。
石へ爪が触れる。
俺は反射で車を離しかけ、握り直した。
ここで手を離せば、行商へ全部の重さが戻る。
「車は止まってます。後ろ、空けます!」
俺の声へ、ルカが一度だけ頷いた。
彼女が守備隊の家で覚えた剣は、食べ物の話をしている時の顔と、少しも矛盾しなかった。
今日、勝って進みたい人が、目の前で自分の仕事をしている。
もう一頭は、積荷の下へ回った。
行商が息を呑む。
「穀袋が、道で裂けて……匂いを」
擦れた革の前掛けに、白い粉が付いていた。
俺は車の上を見た。裂けた袋の口から、わずかな穀粒が落ちている。獣が馬鹿だから追って来たのでも、俺たちを待っていたのでもなかった。
今、欲しい特典があるとすれば、こういう相手を遠ざける力だ。
だが、今日の一つはもう選んでいる。
緑の帯は、鍋の横だ。
「ロッタさん、帯を貸してください! 袋を閉じたいです!」
俺が言うと、彼女は火の所から帯を持って来た。
ミアさんが先に、鍋の蓋をずらして火を見ている。誰もが一緒に走り出し、休み場を燃やすわけにはいかない。
「こちらを、私が支えます。ハルトさん、袋を」
ロッタさんが荷台へ手を添えた。
俺は破れ目を上へ向け、布ごと帯を回した。傷は直らない。だから裂けた所を無理に締めるのではなく、袋を包んだ外側の布を留める。
粒が落ちるのが止まった。
*
ルカの剣が、もう一度鳴った。
追っていた一頭が道へ倒れ、動きが止まる。
俺は顔を上げたが、その場を勝った景色には変えなかった。もう一頭がいる。
車輪の下から出てきたそいつは、裂けた袋のあった所を見て鼻を鳴らした。
ロッタさんが一歩下がる。
ルカが間へ入ろうとすると、魔物は低い姿勢で道の反対側へ向かった。すぐ飛びかかるのではなく、距離を取って回り込もうとしている。
「こっちへ寄せない。三人は、車の内側へ」
ルカの声が短くなった。
俺は車を預けられる位置へ確かめてから、剣士と荷車の間を空けた。
速さを出せない今でも、足の置場を変えることはできる。
ミアさんが、水の器を持って来た。
「袋の下へ落ちた分を、この布でまとめます。火は、今は広がらないようにしてあります」
戦うために水を生み続けるのではなかった。
ロッタさんが行商へ別の空袋を頼み、落ちた粒を布ごと寄せた。料理の手際は、そのまま誰の物でも床へ捨てていいという手際にはならない。
「これはもう、食べる方へ戻さないでください。使い分けは、後で」
彼女は言ってから、俺を見た。
俺は頷き、鞄の口を開いた。
持ち主へ短く訊く。
「この小さい包みを、口へ通して入れます。生き物は入れられませんが、これなら。終わったらそのまま返します」
「お願いします。糸の包みも、そちらへ移していいですか」
「口を通る大きさの物だけ。一度に、欲張らずに」
俺は相手に言いながら、自分にも言った。
旅道具と合わせても鞄の限度には十分余裕がある。けれど大きな荷車そのものまで飲み込む口ではないし、袋の持ち上げ方を間違えれば、中身はまた落ちる。
包みを一つずつ支え、しまった物の名を行商へ返す。
車の上から、崩れて散る物が少なくなった。
魔物が近づきかけ、止まった。
ルカが剣を下げていなかったからだ。
獲物を手軽に取れる相手ではなくなったと、向こうが気づいたように俺には見えた。
灰色は草の高い方へ退き、振り返ってから、川とは別の斜面へ消えた。
ルカはすぐ追わなかった。
残った一頭を斬ってしまえば、終わりだと思いたかった。でも藪へ入れば、俺たちには見えない道へなる。
彼女はその方を見たまま、俺たちへ訊いた。
「誰か、噛まれた?」
「こっちは、大丈夫です」
ロッタさんが自分と行商を確かめる。
ミアさんも頷いた。俺は手の平を開き、柄を握った赤い跡と傷を見分けた。
「新しい怪我は、ありません」
「じゃあ、ここを離れる方にする。私、昼ご飯を藪まで追いたくない」
最後の言い方で、ようやく笑えた。
*
行商は腰を下ろし、深く息を吐いた。
頭巾の下の髪は汗で額へ貼り付き、前掛けには穀粉だけでなく泥も付いている。
「宿場までは、いつもこの道で。今日は、橋の前から付いて来て」
言葉が途中で切れた。
ロッタさんは質問を重ねず、水を渡していいか俺へ目を向けた。
俺は新しい器へ、もう一リットルを作った。さっきの調理用と合わせ、今日の共通の使用量は二リットル。目の奥に来た軽い疲れも、飲む前に覚えておく。
ミアさんが今度は紙へ書いた。器を渡す人と、量を忘れない人が入れ替わる。
行商は礼を言い、少しずつ飲んだ。
俺は収納した包みを、本人の前で全部返した。
糸の包みと、汚れた穀粒の袋。行商が指で確かめ、車の低い所へ置き直す。
便利な鞄から出す時だけ、中身を誰の物か忘れるわけにはいかなかった。
「何か、お礼を」
相手が財布へ手を伸ばしかける。
ルカは俺の方を見ず、自分で首を横へ振った。
「いま、いくらって決められる顔してないよ。宿場で道の人へ、二頭いた場所を伝えて。倒れた方も、そのままにしてある」
「分かりました。生きている方は、藪へ」
「うん。そっちは、消えた所まで。もういないって言い切らないで」
行商は頷いた。
俺たちは護衛の依頼を受けたわけでも、討伐品を売ったわけでもない。今日の財布へ、約束のない報酬は増えなかった。
代わりに、休み場から宿場の方へ、もう一人が生きて進んでいった。
火の所へ戻ると、鍋はまだ温かかった。
ただ、今すぐここでゆっくり食べる気持ちには、誰も戻れていない。
「場所を変えて、食べたいです」
最初に言ったのはロッタさんだった。
「大賛成。でも、どうやって運ぶ?」
ルカが鍋を見た。
俺は橙の布を持ち上げた。
「今が、使う時かな」
ロッタさんが、布と鍋を見比べた。
「そのまま、熱くするんじゃなくて?」
「今の温かさを、しばらく。冷めてから戻す力ではないです」
ロッタさんは鍋の温度と蓋を確かめ、それから頷いた。
俺は布を使い、留め方を彼女と確かめた。今日の保温はこの一回。あとでまだ使えるつもりで、二つ目の献立を組むことはしなかった。
帯は行商の布から外して返してもらっている。鍋を持つための位置へ戻し、今度は割れた革の輪を頼りにしない。
緑と橙が、一つの荷になった。
*
四人が昼を食べたのは、少し先の、見通しのよい石の広場だった。
風の向きが違う。背を低い石へ預けると、鍋の湯気の匂いが真っ直ぐ顔へ来た。
ルカは器を受け取る前に、剣を拭いていた。
ミアさんはその向こうの道を一度見てから、ノートを閉じる。
ロッタさんは自分にも同じだけよそい、一番先に一口食べた。
「うん。まだ、好きな味です」
「食べる許可、出た?」
ルカが訊く。
「私の感想です。皆さんは、それぞれ」
俺も器へ口を付けた。
パンへ染みた汁が舌の上へ広がり、さっきまで自分がどれほど腹を空かせていたか、ようやく分かった。
「うまいです」
「私も」
ミアさんが短く続け、ルカは返事の代わりにもう一口を食べた。
「今日、戦う特典にすれば良かったって、思った」
俺は器を膝へ置いて言った。
ルカが顔を上げる。
「靴も、鞄も持ってるのに?」
「うん。新しいものを選び間違えたのかって、先に」
「私は、帯があって助かりました」
ロッタさんが鞄の緑を指した。
ミアさんは、ノートへ描いた帯の絵を見た。
「鍋も、あの人の袋も。使う場所が、朝に考えた所だけではなかったんですね」
ミアさんの言葉へ、俺は頷いた。
今日の一つで何でもできるようになる必要はなかった。
今まで受け取った力と、ここへ一緒に来た三人の仕事。そのどちらも、朝の選択の外へ消えてはいない。
「私の剣も、今日初めて来た特典じゃないからね」
ルカが笑った。
「知ってる。すごかった」
「そこは、もっと早く言って」
「言う隙が、なかった」
「今、ある」
俺は少し照れながら、彼女の目を見た。
「車の重さを戻さずに済んだ。ルカが、間に入ってくれたから」
彼女はすぐ食事へ戻らなかった。
赤茶色の髪が風で頬へ掛かり、指で払うまでの間、目が少しだけ柔らかかった。
「じゃあ、次も。ハルトのいる方、ちゃんと見る」
昼を終え、鍋と火の後を片付けた。
宿場へ急ぐことにしたのは、旅が怖くなったからだけではない。明るいうちに荷を整え、四人が食べる夕食の場所を、自分たちで選びたかった。
ミアさんのノートには、魔物の姿だけでなく、料理の横へ使った帯の絵も増えた。
今日の特典は、もう選んである。
その一つを持ってどんな一日を作るかは、まだ、俺たちが選べた。




