今日の特典は、四人ぶんの寄り道です
【前回までの人物】
・ハルト:毎朝一つ特典を受け取る旅人。虹の海を目指している。
・ルカ:剣技会と食べ歩きを楽しみにする剣士。
・ミア:旅先の経験を実践書へ残したい魔術師。
・ロッタ:風見亭の料理人。自分の鍋を持って旅へ出る用意をしている。
俺は、ルカに起こされるより先に目を覚ました。
窓の外はまだ青い。階下からパンを温める匂いが上がってくる。
箱を開ける時、昨日までと違って、旅の鞄を足元へ置いた。十一日目。今日も選べるのは一つだけだ。
提示の中から、《荷まとめ帯》を選ぶ。
手に落ちてきたのは、指二本ぶんの幅がある緑の帯だった。巻いて留めると、結んだ位置で緩みにくくなる。重さは減らない。生き物へは使えず、切れた物を直す力もない。外したければ、留め口を指で押す。
「今日の特典は、朝から役に立ちそう」
鞄の口を見ていると、扉の外から小さく声がした。
「ハルト。起きてる?」
「起きた。芋より先に」
「よし。今日は合格」
ルカは扉を開けずに笑った。俺も帯を鞄へ載せ、先にシャツの襟を直した。
食堂には、もう三人の荷があった。
ミアさんの杖、ロッタさんの鍋、ルカの剣。昨日は旅に見えたその並びが、今朝は少し通路を狭くしていた。
「出発前に、宿を塞ぐんじゃないよ」
サンナさんが盆を通す。
俺たちは一斉に荷を引き寄せた。女将さんは空いた道を通り、四人のパンを置いた。
朝食の四銅は昨日払ってある。今日は銅貨ではなく、部屋の鍵を返した。
「忘れ物は?」
「四人、います」
俺が答えると、サンナさんは少しだけ目を細めた。
「物の話だけど、まあ、それが先か」
ロッタさんは厨房を見ていた。
いつも自分が立っていた場所で、別の担当が鍋を持つ。包丁を置く向きが違い、粉の入った器も少し奥だ。
「あそこ、取りにくいんです」
彼女が立ちかける。
サンナさんは止めず、厨房の方へ顔を向けた。新しい担当は器を手前へ動かし、そのまま作業を続ける。
ロッタさんが椅子へ座り直した。
「……自分で変えられますね」
「うん。あんたも最初、私の置いた鍋を全部動かした」
「全部では」
「二つ残したね」
女将さんが笑い、ロッタさんも耳を伏せて笑った。
最後の朝食は、出ていくことを許してもらう試験ではなかった。俺たちはパンを食べ終え、カップを返し、四人で椅子を戻した。
*
南門へ向かう道は、朝の荷車で混んでいた。
俺の右隣で、ロッタさんの鍋が鞄へ小さく当たる。ミアさんは地図を広げず、昨日覚えた角で一度だけ確かめた。
町を出るまでに特典を使う場面は、まだ来なかった。
「今、帯を試します?」
俺が言うと、ロッタさんは鍋の柄を押さえた。
「門を出て、邪魔にならない所で。ここで全部下ろすと、パン屋さんの荷車を止めます」
俺は後ろを見て、鞄を肩へ戻した。
便利な物を手に入れると、使う場所まで便利になった気がしてしまう。
門の先で道が広がった。
街道の左に畑、右には川へ続く草地。石壁の切れ目を抜けた風に、町の煙とは違う湿った土の匂いがあった。
四人は路肩の乾いた所へ荷を下ろした。
帯は一つ。俺が誰の荷をまとめるか決める前に、ミアさんが留め口を見せてほしいと言った。
「外す時、両手が必要ですか」
「片手でも、ここを押せば」
俺は空の鞄へ巻き、押して見せる。するりと緩んだ。
「力を使わない普通の紐として、切ってもいいですか」
「一本が二本になるとは書いてないです。今日は切らずに」
「はい。だったら、まず鍋が動く所に。杖は自分で持てます」
ロッタさんが首を横へ振った。
「鍋は出します。お昼に。外して全部落ちない巻き方なら、お願いしたいです」
帯を持ったまま、俺は少し嬉しくなった。誰も、俺が持っているから全て任せようとはしない。
鞄の外の鍋へ帯を回す。
最初はぴたりと止まった。だがロッタさんが背負うと、鍋底が腰へ当たり、彼女の顔が小さく歪んだ。
「痛い?」
ルカが先に訊く。
「歩けます。でも、ずっとは嫌です」
俺はすぐ帯を外した。
ずれないのと、楽に運べるのは違った。薄い布を間に挟み、鍋の位置を少し上へ変える。今度は五歩、十歩。
ロッタさんは自分で留め口へ触れ、最後の締め具合を選んだ。
「これなら。重さは、ちゃんと私の鍋です」
「軽くする特典、明日来るかな」
ルカが自分の剣帯を見た。
「来ても、何に使うかは明日の俺が選ぶよ」
「今日のハルト、ちょっと旅人っぽい」
「門を出たばっかりなのに」
「だから、ちょっと」
ルカは笑って先へ出た。俺は空いた両手を握り、彼女へ追いついた。
川沿いの道には、小さな水溜まりが残っていた。
昨日の雨が、草の葉の裏でまだ光っている。ミアさんが気づいて立ち止まると、ルカも足を止めた。
「魔物?」
「違います。この草、川の方だけ葉が開いてるので」
「見たい?」
俺が訊くと、彼女はノートを半分取り出した所でこちらを見た。
「少し。十分くらい」
「俺も、何か分かったら聞きたいです」
ミアさんは、分かるかはまだ、と言いかけた。俺は先に笑った。
「分からなかった話でも」
彼女は頷き、道を塞がない草地へしゃがんだ。
十分後、ノートへ増えたのは葉の向きと、水の跡の位置だった。理由は空欄のまま。
ルカが覗き、芋の絵の下に葉が増えたことを喜ぶ。
「この本、旅してるね」
「まだ最初の道です」
「なら、最初の道の頁」
ミアさんはその言葉を題名にはせず、日付だけを上へ書いた。笑っている頬を、ノートの表紙では隠さなかった。
*
石橋の手前で、芋の匂いがした。
ルカが地図を見るより先に顔を上げる。麻の頭巾を巻いた売り手が、網の上の芋を木の棒で回していた。
「黄色い粉、ある?」
「あるよ。四つかい」
「四人とも食べるって、まだ聞いてない」
俺が言うと、ルカは驚いた顔で振り返った。
「食べないの?」
「食べる」
「ほら」
ミアさんまで笑った。ロッタさんは粉の入った瓶へ鼻を近づけず、売り手へ中身を尋ねた。焼いた豆を挽いた粉と、塩が少し。
一包み八銅。四人がそれぞれ払う。ロッタさんへ、料理の質問をした代わりに誰かの分まで出してもらうことはしなかった。
俺は熱い包みを持ち替えた。
「保温布、使う?」
ルカが鞄の橙色を見た。
「ここで食べるなら、今は要らない」
「あとで一口欲しくなるかも」
「一口を、今、残せたらね」
彼女は芋を見た。考え込んだ顔から目が離せず、俺もつい笑ってしまった。
店脇の腰掛けへ座ろうとした時、ロッタさんの鍋が鳴った。
帯は緩んでいない。帯を通していた鞄の古い革の輪が、一つ外れていた。
彼女が鍋を両手で支え、俺は下へ鞄を入れた。熱い芋はルカが受け取る。
芋を抱えたルカが、緑の留め口を見た。
「帯、壊れた?」
「違います。ここ。鞄の方です」
ミアさんが外れた革の輪を指した。誰も路上へ荷を広げなかった。
売り手が屋台の横を指す。
「そこなら空いてる。炭を置く方へは入れないでくれ」
「ありがとうございます」
俺たちは荷を移し、鍋を下ろしてから芋を置いた。
切れた革は、特典の帯では元に戻せない。
俺は予備の紐を取り出し、鞄の底を回るように鍋を支え直した。持っている帯へ、古い輪の役までさせようとした自分の手が止まる。
ロッタさんが鞄の布を見た。
「ここなら、輪じゃなくて鞄を包めます。私の紐を下へ通して」
「取り出す時は?」
「外します。お昼、一回手間が増えるだけです」
彼女が選んだ巻き方へ、俺が帯を回した。
ミアさんが鍋を押さえ、ルカが芋を四つ数える。役目があまりに違って、俺は途中で笑ってしまった。
「こっち、四つ無事!」
ルカが胸を張る。
「そっちも、大事です」
ロッタさんが真顔で返し、四人でまた笑った。
巻き直した荷は、また歩けた。
俺たちは腰掛けへ戻り、芋を割った。豆の香ばしい粉が、黄色い中身へ崩れる。湯気は少なくなったが、口へ入れればまだ熱かった。
ロッタさんは最初の一口をゆっくり食べた。
「この粉、魚にも合わせられそう」
「海へ行く理由が増えたね」
俺が言うと、彼女は鍋の柄を見て頷いた。
「一つ、持って出られました」
厨房から持ち出した道具のことだけではない気がした。でも、それを俺が説明してしまわず、残りの芋を一緒に食べた。
*
石橋を渡る前に、俺は一度、町の方を振り返った。
宿の屋根はもう見えない。門だけが低く、畑の向こうに残っている。
前の暮らしでは、出発した日を、目的地へ着くまでの空白のように数えていた。
今日は違う。葉を見て十分。芋を焼く匂い。切れた革。旅に出てから直した巻き方。
遠回りをしたわけではないのに、地図の道が、朝より長くなった気がした。
「この先、宿場まで行く?」
ルカが訊く。
「まず橋の先の休み場まで。足を見てからにしよう」
「私、お昼は鍋を出します」
ロッタさんが言った。
「その時に、葉の頁を見せてもいいですか」
ミアさんが続ける。
「俺は、その間に紐の結び方を覚える」
「私は、お腹を空かせる」
ルカの予定には誰も反対しなかった。
俺は緑の帯が見える鞄を確かめ、橋へ足を置いた。
特典は一つ増えた。でも、旅が始まったと分かったのは、それだけではない。
四人がそれぞれのしたいことを持ったまま、同じ橋を渡っている。
虹の海はまだ遠い。遠いまま、今日はちゃんと、そこへ向かっていた。




