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23/30

今日の特典で、出発前夜を温めます

【前回までの人物】

・ハルト:毎朝一つ特典を得る旅人。十秒の音を記録する貝を三つ使い、果樹畑の依頼から帰った。

・ルカ:剣技会を楽しみにする剣士。前の依頼では剣を抜かず、鞘の音で猪の退去を助けた。

・ミア:実践書を作りたい魔術師。特典の音だけで結論を出さず、鐘の現物確認を手伝った。

・ロッタ:風見亭で働く料理人。旅へ向けて厨房の仕事を引き継いでいる。

 朝、俺は箱を開ける前に腹を鳴らした。

「それ、昨日の貝?」

 ルカが椅子の背から覗く。

「自前だよ。再生回数に制限もない」

「便利。ご飯が要る時、勝手に教えてくれる」

 昨日の聞き直し貝は、もう三つとも消えている。棚に残る丸い跡を見て、俺は今日の札を引き寄せた。

 前の受取から一日が経った、十日目の朝だった。


 提示された中で、俺が選んだのは《旅の保温布》だ。

 一枚。包めるのは人や動物以外の物。包んだ時の温度から大きく変わらないよう二時間保ち、一日に一度だけ働く。冷えた物を温めはしない。傷んだ食べ物を元へ戻す力もない。

 広げると、パン籠を包んでまだ端が余る、薄い橙色の布だった。

「剣が来るかと思った」

 ルカは端をつままず、俺の肩へ顎を寄せる。

「昨日も剣を抜いてないのに、もっと増やす?」

「増えたら、二本持てるかなって」

「手、足りませんよ」

 ミアさんが自分の杖と俺の両手を順番に見た。

「口に一本」

「朝ご飯、食べられなくなります」

「じゃあ、一番駄目だ」

 ルカがあっさり諦めたので、俺は布を抱えて笑った。


 ロッタさんは説明札を読んでから、温めた二つの小瓶を持ってきた。

 片方を布で包み、片方はそのまま台へ。中身はどちらも、厨房で今使っている湯だ。

「食べ物で試さないんですか」

「まず、手を火傷しないか。熱い鍋を抱えて歩く道具になったら困ります」

 瓶を小さな籠へ入れ、布は籠ごと包んだ。

 俺は結び目を持ち上げた。底の丸みが掌へ当たるが、布の外は熱くない。けれど、中の瓶へ指を入れれば熱いままだ。布で包んだことを、触っていい合図にはできない。

「これで、町の外でも焼きたてのパンが」

「焼いた直後に包めば」

 ロッタさんが補足する。

「明日の朝も熱い?」

 ルカの声へ、俺は二本指を立てた。

「二時間。明日の分は、明日」

「一生、焼きたてじゃないかあ」

「一生だったら、宿を畳むわ」

 戸口で聞いていたサンナさんが、盆を腰へ当てた。


 女将さんは笑ったあと、ロッタさんへ一枚の紙を渡した。

 次の厨房担当へ、粉と薪の場所を引き継いだ印。朝食の注文札も、もう新しい担当の手で動いていた。

「今夜の泊まりで、いったん終わり。明日は客と一緒に出ていいよ」

 ロッタさんの指が、紙の角で止まった。

「私、出ても大丈夫ですか」

「昨日までに聞いたその質問、五回目」

「すみません」

「鍋をどこにしまったかは、戻って訊くかもしれない。でも、あんたが残らないと開かない厨房にはしてない」

 女将さんは盆を持ち直した。

「海へ行ったら、魚の干し方だけは聞いておいで。無理に手紙で送るんじゃないよ。腐るから」

 ロッタさんは肩を下ろし、ようやく紙を鞄へ入れた。


 俺たちは厨房の仕事が終わるまで、出発を急かさなかった。

 代わりに、旅の最初の一日を地図へ描いた。南門を出て、川沿いの街道へ。虹の海は、まだ地図を一枚めくった先にもある。

「明日いきなり海まで走る?」

 ルカが訊く。

「靴を使っても、四人の一日にはならない」

「うん。私も道で食べたい物がある」

「もう調べたの?」

「南の石橋の手前。焼いた芋に、黄色い粉を掛ける店」

 ミアさんが顔を上げた。

「それ、道の説明を聞いていた時に?」

「大事な目印でしょ」

「橋より覚えやすそうです」

 彼女の鉛筆が、地図の余白に小さな芋を描く。道筋とは別の欄だが、俺もきっと先にそちらを見る。


     *


 二時間後、包んでいた瓶はまだ湯気を上げた。外に置いた方は、指で持てるほど冷めている。

 布の端の橙色がゆっくり薄くなり、力が切れた。そのあとも瓶がいきなり冷たくなるわけではない。風へ当てれば、少しずつ熱が逃げる。

 ミアさんは、その順序を絵にした。

「包む前に温かかった物。保っていた時間。開けてから」

「味の欄もある」

 俺が覗くと、彼女はノートを半分閉じた。

「今日は湯なので、まだ書けません」

「実践書なのに?」

「実践する人は、お腹も空きますから」

 そう言ってから彼女自身が照れた。俺は笑いかけ、笑い話にしたら続きを聞けない気がして、先にうなずいた。

「旅の途中で、味の欄も増やしませんか」

「……はい。それなら、続けられそうです」


 今日の保温は、試験で一回分を使っている。昼のパンを包んでも、特典はもう働かない。

 それでも川辺で食べたい、と言ったのはロッタさんだった。

「温かいかどうかを試すんじゃなくて、出発前のお昼です。私、いつも食べ終わる頃には皆さんが立つので」

 俺たちは顔を見合わせた。

 給仕の間に食べる料理人の昼と、客が席で食べる昼。その違いへ、俺は遅れて気づいた。

「今日は、四人で座って食べましょう」

 俺が言うと、ルカが勢いよく立ち上がった。

「籠、持つ!」

「まだ注文してません」

 ロッタさんが笑う。急いで立ったルカも、今度は椅子へ戻った。


 昼の包みは、宿のパンと豆の具、薄切りの燻し肉。一人三十銅、四人が自分の分を払う。

 俺は昨日の七十銅のうち残していた四十銅から、三十銅を出した。今日まだ依頼は受けていない。旅の用意をしている時間へ、報酬は勝手に付かない。

 サンナさんへ今夜の宿代を尋ねると、いつもの部屋の分は一人十八銅。夕食は六銅、朝は四銅。三つをまとめ、二十八銅ずつ先に払った。

 支払前の残高は、俺の袋にも足りている。昨日の増えた四十銅を何度も当てにせず、残してあった硬貨と合わせて数えた。

「明日、寝坊したら?」

 サンナさんが俺を見る。

「起こしてください」

「追加料金」

「自力で起きます」

「私が起こす。芋が待ってる」

 ルカの理由は俺より強そうだった。短く束ねた赤茶色の髪を揺らし、彼女はもう南門の方へ顔を向けていた。


 川辺には雨のあとの水がまだ多く流れていた。

 岸を下りず、街道側の石の腰掛けを選ぶ。濡れた草の青い匂いに、燻した肉の匂いが混ざった。

 ロッタさんが包みを開け、膝へ布を敷く。今日の特典とは別の、彼女がずっと使ってきた生成りの布だ。川向こうで鳥が鳴くと、狼の耳がそちらへ動き、すぐまた俺たちの方へ戻った。

「冷めてる」

 ルカが一口食べて言った。

 俺は肩を落としかけたが、彼女はすぐ二口目を頬張った。

「でも、豆が甘い」

「冷めると分かる味もあります」

 ロッタさんは得意げに、自分のパンを二つに割った。

「明日、温かい物ばかり包まなくてもいいんですよ。おやつの果物なら、布は使わなくていいし」

「特典を使わない物も、持っていく」

「はい。私、好きな鍋も持っていきます。ハルトさんが代わりに出せない味を、作りたいので」

 それは能力の不足を埋める役目とは違った。彼女の好きな物が、俺たちの荷の中に入る。


 ルカは自分の肩へ剣帯を掛け直した。

「私は剣技会。一個だけ寄るんじゃなくて、道で見つけたら見たい」

「俺は虹の海。途中も楽しみたいけど、行き先は変えません」

 ミアさんが二人の間を見て、少し首を傾げた。

「じゃあ、私の実践書は、その途中です。皆さんが先へ行く時、調べ足りない場所で待ってもらえるか、訊きます」

「私も仕込みで待たせます」

 ロッタさんが続けた。

「待つの、俺だけ得意になりそう」

「ハルトの箱も待つじゃん。一日」

 ルカに言われ、俺は吹き出した。

 朝が来れば一つ増える。その間に、俺が誰かのしたいことを待てばいい。


 風が変わり、紙の包みが腰掛けから浮いた。

 俺は慌てて手を伸ばす。ルカも同時に押さえ、指先が重なった。

 ほんの少し、離すのが遅れた。

「肉、まだある?」

 彼女は包みの内側を見ていた。

「ある」

「じゃあ飛ばしちゃ駄目」

「分かってる」

 俺だけが変な所を見ている気がして、川へ顔を向けた。向こう岸の柳が水へ触れ、すぐまた離れる。

 ミアさんは何も言わず、自分の包みへ小石を一つ載せた。ロッタさんは笑ってパンを割ったが、誰の指がどこへ触れたかは聞かなかった。


 食後、俺は虹の海へ行きたいと思った最初の夜の話をした。

 写真ではない、知らない色の海が見たかったこと。前の暮らしでは、行きたいと言う前に日程表を見てしまっていたこと。

 前世のことを全て話すわけではない。けれど、遠い場所を望む気持ちまで隠す必要はなかった。

「海で何する?」

 ルカが靴の爪先を伸ばす。

「まず見る」

「そのあと」

「……泳げるなら、泳ぐ」

「私、競争したい」

「私は岸から色を写したいです」

 ミアさんが言った。

 ロッタさんは少し考え、包みの紐を巻いた。

「魚を焼きます。でも一回は、食べるだけの日がほしい」

「その日は俺が焼く」

 言ってから、焦がす未来が一瞬見えた。

「練習してから」

「はい。楽しみにします」

 ロッタさんの期待は、ちょうど逃げられない重さで嬉しかった。


     *


 夕方、四人の荷が食堂の隅へ並んだ。

 剣、杖、ノート、鍋。俺の布はまだ薄い橙色のままで、使い終わった一日を示している。

 箱の特典が明日何になるかは分からない。今日の布を旅の用意へ加えたが、明日の道をそれへ預けはしなかった。

 ロッタさんが鍋の柄を結び直し、ミアさんは地図を濡れない所へしまう。ルカは靴底の泥を落とし、俺は水筒の栓を確かめた。

 明日の一つ目の鐘のあと、朝食を済ませて南門へ。石橋までの道を歩き、その先は天候と足を見て決める。

 女将さんは並んだ荷を見て、しばらく黙っていた。

「四人ぶんの物があると、旅に見えるね」

「今までは?」

 俺が訊く。

「明日の朝ご飯を待ってる客」

「まだ明日も食べます」

「そうだった。最後まで、ちゃんと食べていきな」


 食堂の戸を閉める前、ロッタさんは厨房を振り返った。

 新しい担当が鍋を下ろし、彼女へ手を振る。ロッタさんは中へ駆け込まず、戸口から振り返した。

 俺は保温布を畳んだ。二時間だけ温かさを保つ物が、鞄の一番上に入った。

 明日の朝の湯気を、その先の道へ運べる。

 けれど今日、冷たいパンを四人で食べた時間は、布には包まなくてよかった。

「ハルト」

 ルカが階段から呼ぶ。

「明日、ちゃんと起きてね」

「芋のために?」

「四人で出るために」

 振り返った顔は、いつものいたずらな顔だった。

 俺は鞄の口を閉じ、今度はすぐに答えた。

「起きるよ。俺が行きたくて、決めた旅だから」

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