今日の特典は、帰り道に置いていきます
【前回までの人物】
・ハルト:青い収納鞄を持つ旅人。北道で人と荷車を帰し、倒した数と帰着した数を分けて記録した。
・ルカ:剣士。猪を追わずに道を空け、翌日の討伐は人数と範囲を聞いてから選ぶことにした。
・ミア:魔術師。雨後の土では前日の緩土術を当てにせず、道を見てから術を選ぶ。
・ロッタ:宿の料理人。雨の夜、濡れた人の通路と預かり物の持主を守った。
Day8の箱は、雨上がりの窓より先に光っていた。
俺は蓋へ手を掛け、廊下へ声を出す前に説明札を読んだ。
今日の特典――《帰路標》三本。
地面へ刺した場所を、持主と登録した仲間三人まで淡い光で見つけられる。
有効時間は日没まで。距離は半里。壁や地下を透かして近道を示す物ではない。一本につき一度だけ、刺した場所へ戻る方角が分かる。人や荷を移動させる力はない。
「帰れる特典です」
扉の外で待っていたルカが、すぐ箱を覗く。
「昨日の帰還と同じ?」
「違います。瞬間移動はできません。場所を見失わないだけです」
「地味」
「でも、雨のあとなら欲しいです」
ミアさんは濡れた窓枠を指でなぞった。
「北道は足跡も枝の印も流れています。戻る方向が分かっても、歩ける道が残るとは限りませんけど」
「そこは札にも書いてあります。近道は示さない」
「じゃあ、刺す場所を選ばないと」
ルカは三本を一本ずつ持ち上げず、箱の中で数えた。
「宿、北門、丘?」
「依頼を聞く前に丘を決めない」
俺が言うと、彼女は口を尖らせた。
「覚えてた」
食堂では、ロッタさんが入口の布を交換していた。
昨夜の泥が乾ききらず、踏むと湿った匂いが立つ。
「その杭を床へ刺さないでくださいね」
「刺しません」
「宿を帰り道にするなら、庭の土です。厨房の裏は荷車が通ります」
「使っていい場所は?」
「井戸から三歩離れた薬草鉢の横。日没までに抜く。光るなら、泊まり客へ先に説明してください」
便利な道具だから、宿の場所を勝手に目印へしない。
朝食の途中で、番所の少年が来た。
昨夜より乾いた雨具を腕へ掛けている。
「北道の確認依頼。討伐じゃない。柵まで三人で行って、道の沈みと猪の足跡を見て戻る。報酬は三人で銀一枚と六十銅」
「猪が出たら?」
ルカが匙を置く。
「追わない。人へ向かってきた時だけ退ける。柵の外へ追う仕事は別」
「巡回は何人?」
「先に二人。俺たちは門まで。オルドさんは番所」
「私たちは三人で受けるか、まだ決めてません」
ミアさんが言う。
「午前のうちに戻れる範囲?」
「柵まで見て、二つ目の鐘で折り返し。沈みが深ければ途中で戻っていい。見られなかった所も報告に入る」
俺たちは食事を終えてから、依頼書を読んだ。
北門から畑の柵まで。猪の追跡禁止。足場確認。帰着時に三人の人数を照合。雨で通れなければ未達成ではなく、到達点を記録する。
「受けます」
ルカが言う。
「斬る依頼じゃないけど?」
「出たら追わない。でも、人へ向いたら剣を抜ける。条件が分かってる」
「私は受けます。土を固める術は使わない前提で」
ミアさんも続く。
「使わないと契約へ書く?」
「いいえ。必要なら使う。ただ、昨日の術を同じ場所へ置く計画にしません」
「俺も受けます。帰路標は依頼の備品ではなく、今日の特典として使います」
一本目は宿の庭へ刺した。
ロッタさんと泊まり客二人が見ている前で、日没に消える目印だと説明する。光は草の根元で、蛍ほどの明るさだった。
「これを見れば宿へ戻れる?」
泊まり客が尋ねる。
「登録した俺たち三人だけ、方角が分かります。皆さんの道案内にはなりません」
「なら、看板の代わりにはならないね」
「はい」
役に立つ範囲を小さく言っても、特典が弱くなるわけではない。
二本目は北門の内側へ刺した。
門番の許可を取り、通行の邪魔にならない壁際へ。三人が一本ずつ触れると、胸の奥に北門の方向が淡く残った。
「変な感じ」
ルカは東を向き、目を閉じる。
「門は、こっち」
「方向だけです。間の道は分かりません」
俺も確かめる。
「壁を抜けろ、とは感じない」
「そこ、大事です」
ミアさんは杖の先で泥をつついた。
門外の道は、昨日より広く見えた。
足跡が流れ、低い草が泥へ寝ているからだ。広くなったのではない。端の境が見えにくくなった。
先行の巡回二人は、赤い紐を腰へ付けていた。
「柵まで行けてない」
一人が言う。
「最初の水路で、土が崩れてる。人は渡れるかもしれんが、帰りに増水したら戻れない」
「水の深さは?」
ミアさんが聞く。
「膝より下。流れは昨日より速い。橋板が半分ずれた」
「猪の跡は?」
「水路の手前に一頭分。向こう側は見てない」
ルカは剣ではなく、橋板の端を見る。
「直して渡る依頼?」
「違う。道の確認だ」
巡回の男が答えた。
「板を戻すなら、畑の持主と道役へ知らせる。俺たちだけで直したことにしない」
「なら、ここが到達点」
ルカは悔しそうに言ったが、水路へ足を入れなかった。
三本目の帰路標をどこへ刺すか、俺たちは相談した。
水路の手前へ置けば、ここまで戻る方向は分かる。だが、増水して同じ道が使えなければ役に立たない。
「刺さずに持ち帰る?」
俺が言うと、ルカは標と水路を見比べた。
「ここへ戻るためじゃなく、戻っちゃいけない場所に使えない?」
「方角しか分かりません」
「でも、ここが危ないって覚えられる」
ミアさんは首を振った。
「光る方へ戻る道具です。危険標識にすると、意味が逆になります」
「そっか」
ルカはすぐには笑わなかった。
「いい案だと思った」
「場所へ戻る、という力を変えなければ、別の使い方はあります」
ミアさんが水路の手前から南へ視線を動かす。
「分かれ道の、帰る側へ刺す。そこなら増水しても門へ続く高い道です」
俺たちは水路から百歩戻り、土の高い分岐へ三本目を刺した。
巡回二人にも場所を見せる。ただし、方角を感じられるのは登録した三人だけだ。
「お前らが戻れば、杭も戻るのか」
「日没で消えます。抜いて持ち帰ることもできます」
「置き忘れを町の標に数えない」
「はい。帰りに回収します」
水路へ戻り、渡らずに観測した。
ミアさんは土を緩めず、杖の長さで崩れた縁を測る。ルカは猪の足跡へ剣を当てず、紐で幅を取る。俺は青い鞄から紙と乾いた布だけを出した。
「一頭分。右後ろが浅い」
ルカが足跡を指す。
「昨日傷を付けた一頭?」
「可能性。でも、傷のある脚と足跡の浅さが同じとは限らない」
「血は?」
「雨で流れたか、最初からないか、見えない」
強い剣士が、倒せる相手を追わずに痕跡の限界を言う。
対岸の草が動いた。
灰色の背が一瞬だけ見える。
ルカの手が柄へ行く。猪はこちらを向かず、柵の方へ消えた。
「追わない」
彼女は自分で言った。
「でも、畑へ向かった」
「番所へ戻って伝えます」
俺が答える。
「今渡れば、依頼の範囲も帰る時間も変わる」
「分かってる。分かってるけど、腹立つ」
ルカは濡れた土を蹴らず、足を引いた。
ミアさんは慰めず、対岸の方向と時刻を紙へ書いた。
二つ目の鐘より前に、三人と巡回二人は引き返した。
高い分岐で三本目を回収する。抜いた瞬間、門の方向だけが胸に残り、分岐の光は消えた。
「残しておけば、次の人に」
俺が言いかけると、巡回の男が首を振る。
「見えない印を町の道標には使えん。お前らの私物だ」
「はい。持ち帰ります」
特典を公共物へ勝手に変えない。
北門では、五人の帰着を先に数えた。
到達点は最初の水路。橋板ずれ。水位は膝下、流れ増加。対岸へ猪一頭らしき背。追跡なし。戦闘なし。術使用なし。帰路標は宿と門に各一本、分岐の一本は回収済み。
「討伐数、零」
書記が言う。
ルカが肩をすくめた。
「今日はそれでいい。追う依頼じゃなかった」
昨日より、言い方が少し軽い。
報酬の銀一枚と六十銅は、三人で分けた。
銀貨一枚をそのまま誰かが取らず、番所で銅へ替える。五十三銅ずつ三人、余り一銅は共有にせず番所へ返した。
「一銅、依頼の端数として町に残します」
俺が言うと、書記が受領欄へ記した。
前回の銀一枚と六十六銅、宿代などの既定支出はここで混ぜない。今日増えたのは各自五十三銅だ。
宿へ戻ると、ロッタさんが庭の標を見た。
「帰ってきたなら、抜きますか」
「日没まで、使い道を試してもいいですか。町の中で迷わない範囲だけ」
「庭を出るなら、何を確かめるか先に」
俺たちは宿の裏道を一周し、壁越しに方角だけが分かることを確かめた。門を抜ける道は教えない。閉じた路地へも普通に光の方向を示す。
「近道を教えない、は本当ですね」
ミアさんが笑う。
「強いけど、親切じゃない」
ルカが言った。
「だから、帰れる道を自分たちで覚える必要があります」
日没前、三本を箱へ戻した。
光は消え、明日へ持ち越せる力もない。
今日の特典は、猪を倒さなかった。崩れた橋も直さなかった。
それでも、戻る場所を三人で選び、渡らない線を守り、見えない近道を信じずに帰った。
明日の箱には、もっと派手な力が入っているかもしれない。
ルカは剣を壁へ立て、ミアさんは濡れた靴を脱いだ。
俺は空になった箱へ、今日の札だけを残す。
戻る方角が分かっても、戻れる道は自分たちで選ぶ。
その一行が、Day8の特典を使い切った証明だった。
夜、番所から橋板の対応が届いた。
道役と畑の持主が現地を確認し、板を戻すのは水位が下がってから。北道は翌朝まで閉鎖を続ける。猪の討伐依頼はまだ出さない。
少年は伝言を読み終えると、俺たちを見た。
「今日の標、橋の所に置いてきてないよな」
「三本とも回収しました」
「門の一本も?」
「帰着確認のあと、門番さんの前で抜きました。宿の一本も日没前に箱へ戻しています」
「なら、明日の巡回が光を道標だと思うこともない」
特典が消えたあとまで、町の仕組みへ残したことにしない。
ルカは番所の少年へ尋ねた。
「傷のある猪、畑へ入ったら?」
「柵の見張りが鐘を鳴らす。町から出る隊は、道が開いてから」
「私は候補に入ってる?」
「今日の報告を受けた人として、名前はある。依頼を受けたことにはなってない」
「分かった。朝、内容を聞く」
彼女は剣の柄へ触れたが、今夜の仕事へはしなかった。
ミアさんは、雨後の土の絵を描き直した。
昨日の緩土術を使った一歩は、雨で周囲と見分けがつかない。今日の水路は、術を使わなくても崩れている。
「得意な魔法が、今日は役に立たなかった?」
俺が聞くと、彼女は少し考えた。
「使わない判断には役立ちました。私なら何が変わるか分かるから、変えない方がいい所も分かる」
「派手じゃない」
ルカが言う。
「ルカさんも、斬らなかった」
「今日は三人とも地味」
「でも、五人で帰りました」
俺はDay8の札へ、最後の数字を加えた。
帰路標三本。宿、北門、高道分岐へ一時設置。全数回収。登録三人。転移零。近道表示零。依頼は水路手前まで。戦闘零。術使用零。五人帰着。
力を使った回数だけなら、標を刺した三回で終わる。
誰とどこへ帰ったかまで書けば、今日の特典が何をしたかが残った。




