三人の得意が、帰り道を守ります
【前回までの人物】
・ハルト:収納鞄を持つ旅人。畑から二人と道具を町へ戻し、次の迎撃の役を相談する。
・ルカ:剣士。石牙猪の動きと、人が通る道を同時に見ている。
・ミア:魔術師。教本を閉じ、現場で死角と風向きを確かめた。
・ロッタ:料理人。宿の仕事を引き継ぎ、門内の補給を担当している。
町へ戻した空籠を台から下ろす前に、北の見張り鐘が二度鳴った。
一度目は短く、二度目は長い。門番が窓から身を乗り出し、外の道へ置いた目印を確かめる。
「畑側から動いた。三頭、まだまとまってはいない」
ラナさんの荷を返し終えたばかりの俺は、青い鞄の口を閉じた。収納の表示は、預かった道具を出した分だけ軽くなっている。帰還の力はもう使っていない。使えるふりもしない。
ルカが剣帯へ手を置く。
「人は?」
「北の巡回から、荷車が一台。引く人が二人。丘の裏で止まってる」
オルドさんが番所の外から答えた。彼の肩には、さっきまでと違う赤い布が結ばれている。地元の巡回役だと、遠くからでも分かる印だった。
「猪と同じ道へは出さない。東の細道へ回せるが、荷車の幅がぎりぎりだ」
「荷物を減らせば、曲がれますか」
俺が聞くと、オルドさんはすぐに頷かなかった。
「車そのものが通るかを見てからだ。中身だけ軽くして、車輪を溝へ落としたら、助けたことにならん」
「先に幅ですね」
昨日までの俺なら、鞄へ全部入れれば早い、と言っていたかもしれない。便利な力は、曲がれない車輪の幅まで消してくれない。
ミアさんは閉じた教本を鞄へしまい、門の外へ吹く風を頬で受けた。
「石牙猪が北から来るなら、匂いは町側へ流れています。荷車を東へ回す音は、風上ですね」
「見つかりやすい?」
「音と匂いのどちらへ反応するかは、まだ分かりません。でも、魔法を使うなら、風で土煙が人へ戻らない向きにします」
教本の答えではなく、今の風から話している。
門の内側から、陶器の触れ合う音がした。
ロッタさんが水差しを二つ、布で包んで運んでくる。狼の耳は鐘の方へ向き、手は器を揺らさない。
「女将さんへ仕込みを戻す時刻は変えません。だから私は、門の中で渡せる分を作ります。外へ何人分持っていくか、先に数えてください」
「荷車の二人と、巡回の人たち」
「『人たち』は数じゃないです」
「はい」
オルドさんが指を折った。
「車の二人。北の巡回が二人。俺。ここから出るなら、お前たち三人。門の内側は門番二人。水を外へ持つのは、戦う人と分ける」
ロッタさんは八人、と繰り返した。
「水は一人に一度で全部渡しません。戻った人が飲む分も残します。器は門で返してください」
自分の仕事の範囲を、彼女は食事で曖昧にしなかった。
俺たちは門の外へ出た。
空は明るいのに、畑の向こうだけ土煙が低く溜まっている。丘の裏から、木の車輪が一度軋んだ。
ルカは道の中央を歩かず、草の短い端へ出る。
「ハルト、鞄は荷車を見るまで開けない。ミアは私の左後ろ。オルドは人の道を」
「分かった」
「はい」
言葉が重ならない。
丘の窪みで、荷車は斜めに止まっていた。若い農夫と年配の女性が、麻袋を押さえている。車の上には乾燥させる豆の袋が六つ。生き物も苗も載っていない。
東の細道は、入口こそ広いが、石の出た曲がり角で幅が狭くなる。
俺は車輪の外側と、石の間を目で測った。
「袋を下ろしても、車輪の幅は変わりません」
「後ろを持ち上げれば、向きを変えられる」
農夫が言う。焦った声だったが、自分の車を誰かへ丸投げする声ではない。
オルドさんが車の後ろへ回る。
「持ち上げる人を二人。袋は鞄へ入れられるか」
「持ち主の確認と、重さを一つずつなら」
年配の女性が袋の口を見せた。
「豆だけだよ。六つ。全部、私らの畑の印がある」
俺は印を一つずつ読んでもらい、鞄へ入れた。表示が増える。私物との合計を確かめ、百キロには届かない。数字を見て、まだ入る、と余計な物を探さない。
「六つ、預かりました。門で、同じ印を見て返します」
荷車が軽くなった。
オルドさんと農夫が後ろを持ち上げ、女性が引き手を少し戻す。車輪が石をかすめ、東の細道へ向いた。
その時、ルカの声が飛んだ。
「来る。三頭じゃない、一頭が先!」
丘の上に、灰色の背が現れた。
太い牙が土を掘り、石牙猪がこちらへ首を向ける。後ろの二頭はまだ畑の柵の向こうだ。先の一頭だけが、荷車の音へ反応している。
「車を東へ。止まらないで」
オルドさんが人を送る。
ルカは猪と細道の間へ入った。剣を抜く音が乾いた空気を切る。
「ハルト、荷車を見ない。私の後ろから出ないで」
「でも、鞄の物を返すまで」
「返すために、今は猪を見る」
真っ直ぐだった。
俺は頷き、彼女の背後へ下がった。
ミアさんが杖を構える。先端の石に淡い色が集まったが、すぐには放たない。
「ルカさん、右の土が柔らかいです。足を取るなら一歩だけ。倒し切る魔法にはしません」
「十分。私が左へ向ける」
猪が走る。
地面から振動が上がり、喉の奥まで揺れた。ルカは正面で待たず、最後の三歩で左へ外れた。剣の腹が牙へ触れ、金属を叩くような音がする。
猪の頭がわずかに逸れた。
「今です」
ミアさんの杖から、低い風が地面へ走った。
土を巻き上げる風ではない。柔らかい表面だけが横へ流れ、猪の右前脚が半歩沈む。巨大な体全部は止まらない。
それでも、ルカにはその半歩があった。
彼女は猪の横へ回り、後ろ脚の外側へ一度だけ剣を入れた。深追いせず、すぐに距離を取る。
猪が吠え、向きを変えた。
血は多くない。倒れてもいない。だが傷めた後ろ脚を地面へつくたび、踏み込みが揃わない。
「追ってくるなら、もう一度外へ。畑へ戻るなら追わない」
ルカが息を整えながら言う。
俺は、彼女の判断を待った。
猪は二度地面を掻いた。こちらではなく、畑の柵の方へ鼻を向ける。後ろの二頭の声が返った。
ルカは剣を下ろしすぎず、それでも追わなかった。
「行かせる」
傷ついた一頭は、三本脚に近い走りで丘を戻った。柵の向こうの二頭も、町の道へは出ず、畑の奥へ移っていく。
勝った、と叫ぶには早い。群れの数も、今後の動きも分からない。
けれど、荷車の曲がる音は、もう東の細道の先へ遠ざかっていた。
「ミアさん、魔力は」
「一回分です。息を整えれば歩けます。でも、同じことをすぐ三回はしません」
額に浮いた汗を、彼女は袖で拭った。教本を出して正しい形を探す代わりに、土の状態をもう一度見る。
「柔らかい場所が広くなかったので、足だけでした。大きい猪を、私が止めたことにはしないでください」
「俺の報告には、一歩遅らせた、と書きます」
「はい。それなら」
ルカが剣の血を布で拭う。
「私も、倒したとは言わない。後ろ脚を切って、畑へ戻した。次は同じ向きへ逃げるとは限らない」
自分の勝ちを大きくするより、次の人が間違えない言い方を選んでいた。
門へ戻ると、ロッタさんが水を差し出した。
「誰から?」
「ミアさん。魔法を使いました。次にルカ。俺はそのあとで」
「オルドさんは?」
振り返ると、彼は細道の方から荷車の帰着を確かめていた。
「戻ったらです。置いておく器には名前を付けません。本人へ渡して返してもらいます」
ロッタさんは、勝手に全員の母親役にならない。必要な順を聞き、自分の水を自分の仕事として渡す。
ミアさんは半分ほど飲み、残りを返した。
「全部、いま飲まなくても大丈夫です」
「分かりました。無理に空にしなくていいです」
ルカは水を受け取る前に剣を鞘へ戻した。
「ロッタ、塩のある物、あとで食べたい」
「宿の仕事へ戻ってから、代金のある食事としてなら。猪を追った英雄だから無料、にはしませんよ」
「それでいい。何がある?」
「夕方なら、豆と干し肉の煮込みです」
ルカの顔が、戦いの緊張から別の方向へ明るくなった。
「帰る理由が増えた」
その言い方に、俺も笑った。
東の細道から荷車が戻ってくる。
門の内側で、俺は青い鞄から六つの袋を一つずつ出した。年配の女性が畑の印を確かめ、農夫が荷台へ積み直す。
「軽いまま持って帰ってもよかったのに」と農夫が言う。
「鞄ごと俺が畑まで行く約束にはしていません。今日は門で返す約束でした」
「そうだったな。こっちの車だ」
彼は袋の縄を自分で締めた。
番所では、帰着した二人と荷を記録する。北の畑すべてが安全になった印はつかない。三頭を討伐した印もつかない。
俺への一銀も、この依頼で確認された二人と荷の帰着分として、窓口が控えを照合してから支払われた。銀貨一枚を受け取り、財布の六十六銅と混ぜずに数える。
力を使った報酬は嬉しい。けれど、俺一人の鞄だけで終えた仕事ではなかった。
番所の報告台で、オルドさんは地図へ三つの印を置いた。畑の柵の向こうへ戻った一頭と、後ろにいた二頭。印を重ねず、最後に見た場所へ別々に置く。
「傷を負った一頭が群れから遅れるか、逆に荒れるかは分からん。北の巡回へ、後ろ脚の傷と、町道へ一度出たことを渡す」
「俺たちが倒せなかった、とは書かないんですか」
「倒す依頼じゃない。人と荷を帰す依頼だ。討伐が必要なら、別の人数と道を組む」
ルカが剣の鞘を台へ立てた。
「追えば、倒せたかもしれない。でも、丘の向こうへ三人で入ったら、荷車の道が空くか見えなくなる」
勝てるかもしれない戦いを残したことを、彼女は負けの言い訳にしなかった。
「次に討伐を頼まれたら、私は受けるかもしれない。今日の続きだから無料、はなしで」
「もちろんだ。巡回の仕事と冒険者の仕事を混ぜん」
オルドさんが頷く。
ミアさんは地図の柔らかい土の位置へ、小さな円を描いた。
「私が使った場所はここです。風で表面を動かしただけなので、次は乾いているかもしれません。同じ魔法で同じ一歩が作れる、とは書かないでください」
「術の名前は?」
「局地の緩土です。けれど、大きな相手を埋める術ではありません」
番所の書記が、そのまま繰り返して記した。
俺も収納した六袋と、返した時刻、持ち主の印を書く。能力の説明を全部公開する必要はない。だが、預かった物が消えていないことは、仕事の記録に必要だった。
「重量は?」
「私物と合わせて百キロ未満です。正確な袋ごとの重さは測っていません。次に同じ数なら入る、と保証はできません」
「分かった。袋六、本人確認で返却、とする」
数字が少ないからといって、話を大きくしない。
宿へ戻ると、厨房では夕方の火が入っていた。ロッタさんは前掛けを替え、自分の持ち場へ戻っている。門で水を渡した人と、鍋を任される人が同じでも、仕事の時間は続いていなかったことにしない。
「煮込み、三人分お願いします」
ルカが席へ着く前に言う。
「はい。今日は干し肉が少ないので、豆が多いです。値段はいつもの夕食分」
「肉、少ないの?」
落ちた声に、俺とミアさんが笑った。
「猪を見たあとに肉を期待するの、早いですよ」
「見たのは食材じゃなくて敵です」
ロッタさんの耳がぴんと立つ。
「それを、厨房の人の前で一緒にしないでください」
「すみません」
俺が謝ると、彼女は鍋をかき混ぜながら笑った。
「帰ってきたので、食べる話はできます。でも、畑の被害が終わったとは言いません」
豆の甘い匂いと、干し肉の塩気が広がる。
ミアさんは椅子へ座る前に、杖を壁へ倒れない向きで置いた。ルカは剣を人の通らない側へ寄せる。俺は青い鞄を足元へ置き、借りた器が一つも残っていないことを確認した。
冒険の後の食卓は、戦いの賞品ではない。三人が自分の代金で食べ、ロッタさんが仕事として出す夕食だった。
ルカが進む向きを変え、ミアさんが一歩を遅らせ、ロッタさんが戻る人の水と食事を残した。オルドさんは荷車の道を選び、持ち主たちは自分の荷を最後まで確かめた。
「今日の特典、何だったと思う?」
ルカが聞く。
「青い鞄です」
「それは知ってる。今日、役に立った物」
俺は門の内側を見た。
「三人の得意を、同じ道に置けたこと」
「それ、毎朝届く箱には入らないね」
ミアさんが笑う。
「はい。だから、明日も勝手には増えません」
明日の候補はまだ出ていない。今日はDay7のまま。帰還も使い終えている。
それでも俺たちは、自分の足で町へ戻ってきた。
夕方の煮込みの匂いが門まで届く頃、俺は次の朝を、失敗しないためだけでなく、また一緒に選ぶために待っていた。




