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18/30

逃げ道にも、チートの出番です

【前回までの人物】

・ハルト:荷を軽く運べる収納鞄を持つ旅人。今日は宿への帰還を使用済みで、北の畑からは自分の足で戻る。

・ルカ・ミア:剣と魔法を仕事にする仲間。地元の護衛と三頭の石牙猪を目視し、人が戻る道を確かめた。

・ロッタ:風見亭で働く料理人。北の畑の話を聞き、補給について女将へ相談することになった。

・オルド:ベルカ近郊を巡回する護衛。畑に残る人と荷を確かめ、昼食後に具体的な役を相談する。

 昼食を食べ終えたあとで、俺は青い鞄の口を開いた。

 中へ入っている物を確かめたいのに、覗いても袋の底は見えない。欲しい物を思い浮かべれば出せるのだから、便利なのは間違いない。ただ、忘れ物をした気がする癖まで、代わりに直してくれる道具ではなかった。

「パンなら、もう食べたよ」

 横からルカが覗き込む。俺は鞄の蓋を戻した。

「非常食を思い浮かべただけ」

「食べたばっかりなのに?」

「食べないための確認です」

「それ、けっこう難しそう」

 笑いながら立った彼女が、剣帯の位置を直す。腰へ戻る指の動きだけ、食事の間より丁寧だった。

 厨房ではロッタさんが、包みを一つ卓へ置いていた。狼の耳が、俺たちの方と、鍋の音の方へ交互に向く。

「女将さんと相談しました。いまは、門の内側まで器を運びます。外へ持ち出す食事は、食べる人数を聞いてからです」

 包みを開くと、重ねた器と、拭いた布が入っていた。俺は、すぐに鞄を差し出しかけて止まる。

「これは、俺が入れてもいい物ですか」

「門で私が使う分です。貸せる器を決めてから、お願いします。台所の分まで全部なくなると、夕食が出ませんから」

 女将のサンナさんが奥から顔を出した。

「お腹だけ町へ帰ってきても、皿がなきゃ困るだろ」

「俺の皿だけ、ずっと持っているのも、だめですね」

「自分で洗うなら、考えてあげるよ」

 即座に返されて、ルカが笑った。

 いつもの皿も、いつもの料理も、宿の中で勝手に生えているわけではない。俺は借りた分だけを鞄へ入れ、門で戻す時まで覚えておくことにした。


 番所へ戻ると、オルドさんが、さっきより細かい地図を広げていた。

 革の上着の袖に、乾いた葉が一枚ついている。彼がそれを払う間に、門番が外に残る人の報告を並べた。

「これから迎えに行くのは、この二人。まだ全部の畑の返事が揃ったわけじゃない」

 別の畑へは、ほかの巡回が向かうという。俺たちがさっき見た丘の向こうにいる二人は、道の様子を聞くまで、同じ所で待っている。

 オルドさんは、町へ曲がる角を指した。

「ここを空ける。二人が歩いてくる間、俺とルカで畑側を見る。ハルトは、持ち主が選んだ荷。ミアは、見えてねえ道を俺へ知らせる」

「私の立つ所、さっきの石積みでよいですか」

「まず、そこから見てくれ。見えねえ所があれば、そのまま呼ぶ」

 ミアさんは、地図を受け取る前に頷いた。髪を耳へ掛ける指が、少し速かった。

 門番が、小さな札を机へ置く。

「運搬は、戻って報告を受けたら一銀。対象はこの二人の荷だ。それで受けるか」

 一銀。昼ご飯が何回も食べられる額だ。

 俺は、すぐに頷きそうになった顔を上げた。

「入る重さと、口を通せる大きさまでです。人と生きた物は、入れられません。そこまでで、受けます」

「二人にも、そう話してある。畑を丸ごと持って戻れとは、言わねえよ」

 ルカが剣帯へ触れ、林の印を指した。

「私も、ここにいる猪を追って林へ入る役は受けてない。人が戻る間の道を見る」

 ミアさんも、閉じた本を脇へ寄せた。

「はい。私も、見えたことを伝えます。火は使いません」

 それぞれの返事を聞いてから、門番が札へ印をつけた。

 受けた仕事がある。これで財布が増えたわけではないが、俺の手の使い道は、さっきよりはっきりしていた。


 ロッタさんは門の内側へ残った。

 借りた器を鞄から出すと、彼女は縁の欠けを確かめ、石の台へ布を敷いた。水を一度に溢れさせず、器へ半リットル作る。片手が少し重くなったように下がり、息をついてから布を寄せた。

「私も、あとで飲みます。まず自分が、器を持つ手を残さないと」

「帰ったら、私の分も取っておいて。水と、夕ご飯の話」

「夕ご飯は、好きな物が残っていたら、ですよ」

 ルカの口が、少しだけ尖った。

 俺は笑ってから、門を向いた。

 いざ外へ出る時、鞄の蓋を指が強く押さえる。朝の帰還は使った。今日ここへ戻るためには、自分の足が要る。その事実は変わらなくても、戻る所に、飲む水の器が置かれているのが嬉しかった。


 畑の手前の石積みで、ミアさんがしゃがんだ。

 午前中に見た三頭は、まだ土を掘っていた。風が変わると、潰れた葉の青い匂いに、獣の匂いが重なる。

 俺たちは畝へ近づかず、道の低い方へ並んだ。

「ここからだと、右の曲がり角の足元が見えません」

 彼女は地図へ線を足す代わりに、実際の角を指した。

「立つ所を変えたら、見えるか」

「少し左なら。あの土の盛り上がりで、人が来ても、ここからは上半身しか見えません」

 俺も、同じ高さまで腰を落とす。道があると知っているのに、歩いてくる人の足が、確かに隠れる。

 ミアさんは石積みから半歩離れ、畑に身を晒さず見える位置を探した。オルドさんが、その背中から町へ戻る道を見ている。

「ここなら、曲がる人の足まで見えます。石の陰を一つ分、横へ動いてもよいですか」

「そこまでだ。後ろを空けておけ」

 頷いた彼女の目が、地図の外で一度大きくなった。

 自分で見える場所を作れた。その嬉しさだと、俺には思えた。何でも分かった顔ではなく、今、分かった物を大事にする顔だった。

 ルカは俺の鞄の位置を見た。

「荷を入れたら、目を上げるのはハルトの番。重くなくても、手元だけ見ないでね」

「うん。重さの分まで、気を抜かないようにする」

「それ、帰ったら本当に覚えてるか聞こう」

 冗談の形だったが、視線は畑から外れていなかった。

 猪の一頭が、鼻先で倒れた杭を押し上げる。石の牙が泥を剥がし、鈍い音を立てた。

 俺は息を詰めた。全力で走れば速い。けれど、速く走ることと、皆が通れる道を残すことは同じではない。

 靴の印へ、まだ手を伸ばさなかった。

 最初に来たのは、膝を繕った作業着の女性だった。

 褐色の編み髪を背へ流し、小さな苗の鉢を両腕で抱いている。後ろを歩く年配の男性は、軽い籠を一つ持っていた。二人の足取りは速かったが、走ってはいない。

 オルドさんが町側へ手を向ける。

「ラナ、こっちだ。道具の束は、持って出せたか」

「道の端の小屋の脇。ここから取れる所。あの鉢を下ろすと、持ち直すのに手間だから」

 ラナさんは俺を見るより先に、門へ続く道を確かめた。

 自分の畑と、道具の置き場所を教える声は、意外なほどはっきりしている。怖くないのではなく、今どこまで戻るかを、もう選んできた人の声だった。

「あの束を、俺の鞄へ入れてもよいですか。ほかに持ちたい物があれば、入れる前に教えてください」

「束と、その脇の小さい空籠二つ。鉢は、私が持つ。この中まで入れられないんだってね」

「はい。中にいる物は、一緒に運べないので」

 生きた苗を、俺が勝手に荷の数へ変えなかったのを、ラナさんは一度頷いて受け取った。

 束の所へは、オルドさんが前を見てくれている間に進んだ。俺一人で畑の奥へ回る距離ではない。腰を下ろしている猪の背中が、低い石の向こうに見えた。

 鞄へ近づけた束は、持ち上げる時だけ、ずしりと腕へ来る。

 俺の腕力は普通のままだ。布で包まれた端をラナさんに支えてもらい、口を通す。一瞬あと、肩にあった重さだけが、ふっと消えた。

「え。いまので、入った?」

「入りました。空籠は、一つずつお願いします」

 小さな籠を受け取り、傾けながら口へ通した。

 表示は、私物も合わせて二十六キロ。上限より小さい数字だが、だからどれだけでも足せる顔はしない。ラナさんに頼まれていない道具へ、勝手に手を伸ばさなかった。

 俺が立つと、彼女の目が鞄から俺の肩へ動いた。

「あんた、それで腰を痛めないの」

「中の分は、重くなりません。入れる前の方が、ちょっと」

 指を開き直すと、ルカが、口の端だけ上げた。

「運んだ顔をするのは、戻ってから」

「もう、した?」

「少し」

 ラナさんも、そこで初めて笑った。

「したくなるよ。私なら一日する」

 嬉しくなってしまった。

 能力がすごいと分かってもらえたのも、嬉しい。それより、この人が明日の仕事に使う物を、ここへ置いていかずに済んだことが、俺の肩を本当に軽くした。

 その肩が、急に硬くなる。

 畑で、一頭が体を起こした。


「奥が、立ちました。まだ、こちらへ向いてはいません」

 ミアさんの声は、石積みの横から届いた。

 見えた物だけを言う声。それでも、胸がどくんと鳴った。

 ラナさんが鉢を抱き直す。土の縁が傾き、小さな葉が揺れた。

 ルカが、ラナさんの持つ鉢と曲がり角を見比べた。

「鉢は、そのまま。走らず、角まで。ハルト、後ろへ出ないで」

 俺は、二人の住民の間へ入らなかった。並んで歩けば、曲がる所が狭くなる。朝に見た空の籠も、今の鞄も、逃げる人の足を増やしてはくれない。

 オルドさんが畑側の道へ立ち、ルカが曲がり角の手前へ下がる。

 猪は体を揺すり、隣の畝へ鼻を向けた。俺たちの方へ来たわけではなかった。それを確かめてからも、止めていた歩幅を急に大きくはしなかった。

「二人、角を通りました」

 見張る位置から、ミアさんが知らせる。

 最後に彼女も道へ戻る。俺は横へ場所を空け、彼女が石積みを離れた足元を見た。

「本、閉じたままでよかったですね」

 言ってから、危ない所で変な褒め方をしたと思った。

 ミアさんは、閉じた本を脇へ寄せたまま、少し目を丸くした。

「はい。今日は、手が空いてる方が、考えられます」

 返事に、俺も少し笑えた。

 皆で歩いて、丘の陰へ下がる。

 乾いた葉の匂いが薄くなり、先ほどまで耳に詰まっていた獣の息より、自分たちの靴音の方が大きくなった。


 門をくぐった時、ラナさんは、そこで初めて鉢を台へ下ろした。

 葉の汁が爪の間へ残った手を、膝で拭く。年配の男性も、持っていた籠を下ろし、番所の窓へ顔を見せた。

「この二人、帰着。道に、ほかの人はいたか」

「この道では見なかった。向こうの畑は、向こうの巡回から聞いてくれ」

 門番は、全部済んだという印をつけなかった。運搬の札は報告の控えへ留められ、俺は精算の窓口へあとで行くことにした。一銀は、まだ財布に入っていない。

 俺は台の空いた所へ鞄を置き、持ち主に確かめてもらいながら、束と二つの空籠を出した。戻った重さが台を鳴らす。ラナさんは紐の結び目まで見て、頷いた。

「それ。ありがとう。明日の仕事まで、猪に預けなくて済んだ」

「無事に返せてよかったです」

 道具は彼女の方へ戻り、鞄の表示からも、その分が減った。

 俺のした仕事は、小屋を守り切ることではない。人を中へ詰めて帰還したわけでも、皆の代わりに戦ったわけでもない。

 それでも、預かった荷を出した鞄を肩へ戻した時、今までと同じ薄い袋には見えなかった。

 ロッタさんが、器をこちらへ寄せる。

「お帰りなさい。いまなら、順番に飲めます」

 俺とミアさんは、それぞれ自分で半リットルずつ水を作った。俺の喉と、彼女の息の速さに、先に気づけるようになったのは、朝より少しましな所だった。

 ロッタさんの分と合わせて、さっきから一・五リットル。午前の半リットルを足して、今日は二リットルだ。

 記録を残してから、俺は一口飲んだ。魔力を使ったあとの、腹の内側が空くような感じは残る。便利な水だからといって、飲んだ分だけ何でも元気になるわけではない。

「鞄を閉じて、顔を上げた?」

 隣で、ルカがさっきの問いを戻してきた。

「上げた。自分の仕事ができて、嬉しい顔もした」

「そっちは、帰ったからいい」

 言いながら、自分の器を持ち上げる。俺は今度こそ、隠さず笑った。


 オルドさんが、門番と次の配置を話し始めた。

 人の戻った道の先で、猪が畑の町側へ動いている。門の外に残る荷を取りに、また誰かが出る前に、道と獣の間へ立つ人が要った。

 ルカは剣帯を締め直す。俺が見ているのに気づくと、先に口を開いた。

「今度は、私の得意な方。だけど、畝の中で振るのは避けたい。道へ出る向き、オルドさんと見てくる」

 ミアさんは、畑と町の間を図の上で辿った。

「私は、火の届く所だけで考えません。人と作物に届かない場所を、先に見ます」

 ロッタさんも、自分の器を片付けた。

「私は厨房へ一度戻ります。夕方の引継ぎを終えて、必要な食事の数を女将さんと決めます。門にいる人まで、空腹で待たせたくないので」

 皆、俺の返事を待って固まるわけではなかった。

 俺は、青い鞄を持つ手を上げた。

「俺は、運んだ物と空いた場所を、もう一度確かめます。戦う人が置きたい荷があるなら、今度も、入れる前に聞きます」

 門の向こうで、ルカの赤茶色の髪が風に揺れた。

 遠い虹の海へ行くための鞄が、いま、この町で俺の仕事を増やしている。

 帰り道の分も残して、それでも役に立てる力。

 明日の朝だけでなく、今日の残りが少し、楽しみになっていた。

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