四人で行く、最初の約束
【前回までの人物】
・ハルト:毎朝一つの特典を受け取る転生者。虹の海を見たいと、南へ向かう旅を望んでいる。
・ルカ:ラゼルの剣技会を目指す剣士。ハルトと翌朝の稽古を約束している。
・ミア:魔法の教本と理論が得意な魔術師。ハルトと依頼をこなした仲間。
・ロッタ:風見亭で働く料理人。修業旅を続けるため、七日目の夕方までに仕事を引き継ぐ予定。
五日目の朝、俺は強くなった道具より先に、自分の膝を見ていた。
土が付いている。
ルカに負けて転んだ土だ。
ただ、痛い方ではなく、可笑しい方で、少し笑っていた。
今朝、窓へ光が差す頃、次の支援が選べるようになった。
前の受領から、二十四時間。
昨日、水を出せたこととは別に、手首の表示へ新しい候補が来た。
合成強化。
旅人の外套。
火守りの鍋。
外套にも、鍋にも、まだ心は動いた。旅へ出るなら、雨に濡れたあとまで元気なふりをしたくないし、温かい飯は、かなり強い。
けれど、今日は最初の名を開いた。
相性のよい素材を使い、道具を強化する。
素材と、使う俺の魔力が要る。組み合わせの相性と手順を確かめる必要があり、何でも重ねれば、勝手に頑丈になるわけではない。
知らない金属の名前まで、表示を受け取っただけで読めるようにはならなかった。
ミアさんが、実物を見てから考えようと言っていた時の顔を思い出した。
選んだ。
そして、強化したことにはせず、宿の中庭へ出た。
ルカと交わした約束は、道具が増えたら消える物ではなかった。
*
「新しい方、もう使った?」
木の練習剣を持ったルカが、俺の膝を見下ろした。
短く束ねた赤茶色の髪に、朝の光が一筋当たっている。息は上がっているが、俺ほどではない。
「使ってない。素材も、手順も、これから。膝を強化する候補だったら、迷ったかもしれない」
「そっちは、土を払うだけにして」
彼女が笑い、片手を差し出す。
俺はその手を借りて立った。
近づくと、汗と、手入れした革の匂いがする。仕事の時にもあった匂いなのに、中庭で朝の稽古をしたあとは、少し違う距離で届いた。
「今の、足が止まった所で、もう転びかけてた?」
「うん。剣の先を見てる間に。靴の力を使えば、そこから跳べるかもしれないけど、跳んだ先で、また同じことになるよ」
「今日は、跳ばない方で」
「分かった。じゃあ、あと三回。朝食へ行く足まで、使い切らない」
疾風の靴は履いている。
今日は、その加速を使っていない。
強い物があるのを忘れたわけではなく、強い物を持っても、俺が足を置く場所を覚える稽古だった。
最後の一回、ルカが剣を引いた時、俺は追って踏み出しかけた足を、止められた。
次で、ちゃんと負けた。
でも、一つ前の自分より、どこで負けたかが分かった。
「今の、止まったね」
「そのあと、きれいに負けたけど」
「全部いっぺんに出来たら、私の朝の仕事、なくなるじゃない」
「朝食を食べる仕事なら、残ってる」
「それは、最初から私の分」
彼女が練習剣を片付ける。
俺も、土を払った手で道具をそのまま触らず、先に水場へ回った。
今日は、ちゃんと、朝へ戻ってこられた。
*
朝食は四銅だった。
財布から出すと、残りは百二十八銅になる。
昨日の百三十二を、頭の中でそのまま使い続けないよう、食べる前に紙へ一行書いた。
ロッタさんが出してくれた椀から、穀物の甘い湯気が上がる。
「膝、どうしたんですか」
「新しい特典より、先に使い方を覚える方で」
「大丈夫です。土は、献立へ入りませんから」
彼女の蜂蜜色の耳が、少し傾く。
俺が言い訳する前に、ルカが匙を取って笑った。
「ちゃんと、三回やったんだよ。最後は、自分で足を止めた」
「じゃあ、今日は、そこまでの朝ご飯ですね」
ルカが自分の椀を見た。
「足せるなら、卵も」
「卵は、出来た回数で増えません」
ロッタさんは、隣の客の注文へ顔を向けた。
俺は椀を両手へ寄せる。
今日は四人の話をしたい。
でも、今、全員がこの机へ座れるわけではない。
ルカへ、朝のあとに少し時間があるか訊くと、彼女は午前なら、と答えた。
ロッタさんは、女将と決めた休憩の時刻を教えてくれた。
ミアさんへは、食べ終えてから、町の本屋で声を掛けた。俺も、旅の記録に使う紙を見に寄った所だった。
教本を受け取りに来ていた彼女は、紙を抱え直し、俺の顔を見た。
「四人で、ですか。……はい。お昼の前なら、私も。調べたことの続きも、お話ししたかったので」
俺は頷いた。
全員の返事が同時に湧いてくる便利な特典は、持っていない。
その方が、相手の今日を、一人ずつ聞けた。
*
四つの椅子が埋まったのは、朝の客が引いたあとだった。
サンナさんへ席を使ってよいか訊くと、空の皿を重ねながら、女将が頷く。
「昼の客が来る前までね。道を決めるのに、うちの通路まで塞がないでよ」
「はい。今日は、地図だけ広げます」
「そっちも、皿が来たら、先に畳む」
ロッタさんが笑って、椅子の背へ尻尾を逃がした。
ルカは窓側へ座り、ミアさんは受け取ってきた教本を自分の膝へ置いた。
俺は略図を開く。
昨日、一人で見ていた南の線が、四人の指の届く所へ来た。
「俺、虹の海を見たいです。そこまでは、昨日、言ったんですけど」
自分の声が、少し硬かった。
ルカが、地図から俺へ顔を上げる。
俺は、先に報酬の話へ逃げそうになった口を、もう一度開いた。
「そこへ行く途中も、三人と、旅をしたいです。都合のいい役だけお願いして、必要な時に呼ぶんじゃなくて。俺も、一緒に、知らない物を見たい」
椀も匙も、今、手に持っていない。
指を置く場所がなくて、俺は地図の端を押さえた。
ロッタさんが、その指の少し横へ、自分の手を置く。
「昨日の話、私からも、持ってきました」
先に助け舟を出して、全部を決める声ではなかった。
彼女は、ラゼルの字を見た。
「南のパンを、作る所で見たいです。実家へ持って帰って、私の台所でも出来るように。一年の旅なので、ずっと、帰らない約束にはしません」
「うん。私も、ラゼルへ行く」
ルカの指が、その町を、はっきり叩いた。
「二十四日目の剣技会。出たい。行ってから、間に合いませんでした、にはしたくない。それと、道で稼ぎたい。旅費が減るだけの旅より、次の試合も選べる方がいい」
剣の腕を貸すためだけに、ここへ座っている人ではない。
俺は、分かった、と頷いた。
それから、ミアさんを見た。
*
ミアさんは、膝の本へ目を落とした。
細い指が、角の紙を一度揃える。
「私は、……教本で知っている場所へ、本当に行ってみたいです」
言い始めると、次の言葉は少し速くなった。
「同じ魔法でも、使う人が違うと、先に見る所が違いました。依頼の時、私、順番を覚えているだけでは、間に合わなくて。でも、やってみて初めて、書けることが増えたので」
彼女は、自分の手帳を、本の上へ載せた。
誰かの正しい文を写すためだけの紙ではなくなっているらしい。
「いつか、私の実践書にしたいです。分からなかった所も、分かるようになった所も。ですから、その……研究する物が増えるから、だけでなくて」
最後が、少し小さくなる。
ルカが、急かさず彼女を見ていた。
「一人で、間違えない所を選んでいるより、皆さんと、行ってみたいです」
ミアさんは、言い終えてから、ようやく顔を上げた。
俺も、すぐ大きな返事をして、その声を塗りつぶしたくはなかった。
「俺も、三人がいる所で、俺の分の間違いを覚えたいです」
「それ、稽古で、かなり進んでるよ」
ルカの言葉で、俺まで笑ってしまった。
ミアさんも口元を緩める。
「私、見ていません。でも、明日、まだ膝が土なら、少し分かるかもしれません」
「明日は、土以外の報告もしたいです」
「じゃあ、おかわりしたかった、も報告してください。食べる人の感想は、私の方で使います」
ロッタさんが、紙へ小さなパンを描いた。
気の利いた約束より、その絵の方で、四人の席が急に自分の物になった気がした。
*
金の話を始めたのは、ロッタさんだった。
「旅のご飯、私が材料を買う時もあると思います。共同で使う分と、私が修業で買いたい分は、分けたいです」
俺は頷き、自分の財布を机へ出しかけて止めた。
いま全財産を、同じ袋へ入れる話ではない。
「依頼で要る物は、受ける前に金額を出して。直接使った分を、報酬から先に戻す。その残りを、四人で分ける方は、どうですか」
「私、四等分がいい」
ルカが、考えていたような速さで言った。
「剣を振った回数だけで分けると、毎回、私が食べる分まで強く言いそう。道で何を頼むかは、受ける前に、ちゃんと決めよう」
ロッタさんが、自分の前掛けへ指を掛けた。
「私が、料理以外をする日も、ありますよ」
ルカが頷く。
「うん。私も、一日中、剣を振ってるわけじゃないし」
ロッタさんの耳が、少し上がった。
ミアさんは、指で四つの印を描いた。
「残りが、きれいに四つへ分かれなかったら、どうしますか」
「次へ回す、小銭の欄を作りましょうか」
俺が言うと、彼女は顔を上げた。
「はい。買う物も、そこへ。足りない分を、誰か一人が言わずに出していた、にはしたくないです」
自分が払えば早い、という癖へ、先に印を置かれた気がした。
俺は笑って、自分にも必要です、と答えた。
個人の買物は、自分の財布。
道中で四人が使う食材や消耗品は、買う前に相談する。
依頼の報酬は、事前に決めた直接の費用を戻してから、四等分。割り切れない小銭は、四人が見られる欄へ残す。
特別に一人だけの仕事を頼む時は、それも受ける前に話す。
書くと、長い契約のようにはならなかった。
旅で、お互いに遠慮したまま腹を空かせないための、短い約束だった。
「ご飯は、全員、同じ量ですか」
俺が訊くと、ルカが、待っていた顔をした。
「それは、別の話」
「そこだけ、すごく早いですね」
ミアさんが笑う。
ロッタさんは、紙のパンを一つ、少し大きく描き直した。
*
出発は、早くても八日目の朝。
ロッタさんの仕事は、七日目の夕方までだ。引継ぎがあるから、昼で切り上げてもらうことにはしなかった。
ルカはラゼルの剣技会までの日数を数え、略図の道を辿る。
「普通に十日なら、間に合う。ただ、雨で止まった時の分も、見ておきたい」
「この町で受ける仕事も、あとから全部を長くしないようにします。私も、持って行く本を選ぶ時間が要るので」
ミアさんが、自分の膝の厚みを見た。
俺は、収納鞄の口を叩きかけ、やめる。
「入る重さと、大きさは、一緒に確かめましょう。出せない積み方だと、俺も、旅先で本の底になります」
ミアさんが鞄の口を見て、首を振った。
「ハルトさんは、入りませんよ。生きてますから」
「そこ、今朝から一番、助かった所です」
ロッタさんまで笑った。
俺たちは、候補の日を書いた。
まだ、宿を出る手続や、道の状態まで確定したわけではない。四人の都合だけで、天気へ印を押すことは出来ない。
でも、出る気のある日を置くのと、いつか、とだけ言い続けるのは、違っていた。
*
最後に、今日の新しい特典も見せた。
ミアさんは合成強化の説明を読み、目を少し近づける。
「素材の名前だけでは、決まらないんですね。同じ物でも、どこへ使うかで、変わる可能性があります」
「俺、一人で剣を光らせる方へ行かなくて、よかったです」
「光ると、決まってもいません。まず、いま使っている大事な道具とは別の、小さな物から試したいです」
彼女は言ってから、自分の声の速さに気づいたように息を継いだ。
「今日の午後、前に借りた本を返してからなら、手順を考えられます。……私も、見たいので」
「お願いします。その時間なら、俺も」
仲間になった途端、相手の今日が全部空くわけではない。
それでも、一緒に試したいと返してくれる約束が、嬉しかった。
今は、合成を一回もしていない。水も、今日はまだ出していない。
能力を他人へ貸す特典も、持っていない。
四人になったことを、説明にない力が増える合図にはしなかった。
厨房から、サンナさんの声が来る。
「そろそろ、その地図の席も、お昼へ返しておくれ」
「はい。パンの絵ごと、持って帰ります」
ロッタさんが紙の端を畳んだ。
ルカが立ち、ミアさんが本を抱える。
俺も地図を取り、空いた机を見た。
席を片付けたから、四人で決めたことまで無くなるわけではない。
「じゃあ、今日から、四人で」
俺が言うと、ルカが先に手を上げた。
「うん。最初の仕事は、お昼までに、それぞれの用事を終わらせる方ね」
「私も、鍋へ戻ります。次の味、女将さんにも見てもらうので」
「私は、本を返したら、後で。ハルトさん、午後の約束、忘れないでください」
ミアさんは、少しだけ、からかう顔をした。
俺は、忘れません、と答えた。
明日の特典を楽しみにする前に、今日の午後へ会う人がいる。
百二十八銅の財布と、四つの印の紙を、別々にしまった。
虹の海は、まだ遠かった。
そこへ行く道へ、もう、自分一人の名前だけを書くことはなかった。




