藤堂平助 5
*
「おいしくできたらいいね」
僕は艶のある柿の皮を包丁で剥きながら、クオンに問いかけた。
家の上がり框で共に座り、作業を進めるクオンも手を止めない。
「はい。干し柿は冬を越すための貴重な栄養源です」
「今年は実るのが遅かったけどさ、ゴンさんのところの柿は立派だよね」
「夏が暑かった影響で遅れたのだと思います。
今日、ツネさんに味噌を渡しに行ったら、ゴンさんが完熟の渋柿を啜っていました」
「あー、渋柿かー。少し苦手だよ。あの食感がさ。
残り柿……って、なんだっけ? そういう言葉があったよね?」
「残り柿とは来年の豊作を願って、意図的に何個か木に残すものです。
木守柿ともいいますね」
会話をしつつ、多くの柿の皮を剥いていると、滑りの悪い引き戸が急に音を立てた。
「おーう、邪魔するぜよー」
木枠に手を掛けた女性が、こちらを見て笑う。
垂れた細い目に潤いのない髪の毛。灰色の小袖は色褪せていた。
黒い袴は砂埃が付着しているのか、斑模様になっていて、折り目も消えている。
その笑顔を見るのは随分と久しぶりだ。
最後に会ったのは、幕末の時間でいえば確か二年以上前のことだった。
土佐の坂本龍馬
「坂本さん、お久しぶりです」
僕は柿をまな板の上に置いて立ち上がる。
「ミナト、クオン、懐かしいのー」
「はい。お話は聞いていますよ。いろいろと動いていたと。
亀山社中を作ったんですよね?」
「んー? まあ、のー。船を使うた商売ゆうんは、おもしろいぜよ」
「そうなんですか。やっぱり武器とかも密かに運んでいるんですか?」
「ええ、ええ、わしのことはええき。
言えんこともあるきに。言うたら、おまんらに迷惑がかかるぜよ。
今日はな、用があってきたがぜ」
「なんですか?」
「待つぜ。恨み言ぐらい言わせるぜよ。
おまんら目立つわりに、どこに住みゆうか、ちくっともわからん。
前から、よう探しとったけんど、ここに来るまで苦労したぜよ」
頭を掻き毟る坂本さんに見向きもせず、クオンは声だけを向ける。
「刺客に狙われる恐れがあるので当然のことです。
私の容姿もありますし、私たちは両陣営に顔を出すのですから」
「そりゃ、自業自得いうもんぜよ。わしもそうじゃー」
声を出して笑う坂本さんに対し、クオンはやはり目を向けないし、手も止めない。
「近所の方たちは、不審な者が来たら私たちのことを話しません。
特に坂本龍馬。あなたのような者に教える人はいません」
そう言いながら、すっすっと柿を回し、包丁の刃が皮を薄く切り離していく。
「そうぜよ。誰も口を割らんところをみると、おまんらのこと大切にしとる思うたぜよ」
頬を膨らまして、坂本さんは息を吐き出す。
クオンの隣に座った彼女は草鞋を脱いだ。
それを両の手に持ち、拍手をするように裏面を強く叩きつけて泥を落とす。
クオンは身を引いて、声を荒げる。
「不潔です! 坂本龍馬! 私たちは干し柿の下ごしらえをしています!
見てわからないのですか! 坂本龍馬……!」
この二人は出会ったときから、こうだ。
坂本さんが何かを叩いて埃を出し、クオンが怒るという一連の流れがある。
あの頃は以蔵ちゃんが坂本さんを諌めたり、クオンを宥めることも多かった。
両名を抑える以蔵ちゃんの姿が懐かしい。
「柿を剥いとるんは、見えとる。それが見えんなら、ここまで来れんぜよー。
目が節穴じゃったら、先の世も見えんのー」
柿の皮ではなく、実まで抉ったクオンは坂本さんを睨んだ。
「ここに辿り着いたのは、私たちのことを手下に追わせたのでしょう。
先日から、ずっと気配を感じていました」
「ほー。ほいたら、なんで撒かんかった?」
「あの人は見かけたことがあったからです。
あまりに杜撰です。汚い身なりで、なぜか花売り。
このような場所で花を売るのは不自然です。
あの方は坂本龍馬のお仲間です。
密偵ができぬ者に私をつけさせるなど愚かです。わかりますか、坂本龍馬」
「お、うまそうな柿ぜ」
坂本さんは怒りに震えるクオンの手から柿を奪い取った。
皮がまだ残った柿に齧りつく女性は豪快だ。人生で初めて見た。
「うまいちや。ほら、おまんらも遠慮せんと食うぜよ」
「これは私たちが穫った柿です……!」
「そんなん誰が決めたんじゃ。おまんらの家の庭で穫れたもんなんか?
それはおかしいのー。この家に柿の木はないがぜよー」
「近所の方から分けてもらったのです!」
「ミナト。おまん、男前は変わっとらんのー」
「人の話を聞いてください! 坂本龍馬……!」
坂本さんは急に立ち上がり、袴を手のひらで打ちつける。
砂埃が舞い、土間に土の匂いが広がった。
クオンの顔が歪む。
僕は二人のやりとりが荒れることを懸念しつつ、そっと離れるように台所へ向かう。
すぐに背後から怒声が飛ぶ。
「いいかげんにしてください! 坂本龍馬……!
干し柿の下ごしらえをしているのです! 埃が付くではないですか!」
「けんど、干し柿いうんは軒先に吊るすものぜよ。
風が吹けば、埃が付くんは同じやきに」
「…………。もういいです。ならず者に道理を説いたところで、犬に論語です」
「道理言うが、客が来たっちゅうに茶も出さんがか?」
「…………」
「それは礼儀知らずいうもんぜ。しばらく会わん内に冷たくなったのー。
寒いぜよー。凍えるぜよー。痛むぜよー。
こん国を寒くしたらいかんぜよ。人は温かいところにおれば、心は死なんきに」
僕が台所で茶の準備をしていると、クオンに押し退けられた。
彼女の横顔は怒りを含んでいる。触らぬ神に祟りなし、だ。
そっと身を引いて台所から離れる。
僕は坂本さんの隣に腰を下ろし、柿を齧る彼女に言う。
「さっき言っていた用ってなんですか?」
「ほうじゃ、用じゃ」
彼女は、くたびれた灰色の小袖の懐を探る。
そこから出てきたのは、皺だらけで細く折られた和紙だ。茶色い汚れも見受けられる。
坂本さんは土間を見つめ、掴んだ和紙を縦に振ってみせた。
「こん一枚は、以蔵の辞世じゃ」
――以蔵ちゃんの辞世の句……。
「あれが死ぬ前、必要なもんを牢に送ったがぜよ。
わしは脱藩しとるから人に頼んだけんどの」
「以蔵ちゃんの……ですか」
僕は久しく口にしていなかった友の名を呟く。
クオンの下駄が土間の上を擦る音がした。
彼女は手に持っていた盆を坂本さんの隣に勢いよく置く。
湯呑みの茶が大きく波打つ。
坂本さんは和紙を開き、上下に手を揺らしてクオンに渡す。
震える手で受け取ったクオンは、紅い瞳で文字を追う。
そして……小さく、小さく呟いた。
「君が為め尽くす心は水の泡 消えにし後は澄み渡る空」
クオンは瞼を閉じ、銀髪が垂れた。
坂本さんは盆から持ち上げた茶を啜る。
「お、うまい茶じゃ」
そう言った後で眉を下げて、溜め息を漏らす。
「それな……わしに届いたけんど、おまんらにじゃろ」
「僕たちに……ですか」
「あれの心の内は、あれにしかわからん。
けんど……その辞世は、おまんらと出会ったから書けたと思うぜよ」
「そうです……かね」
「以蔵は志を口にはせんかった。わしらには……言わんかったなー」
視線を落としたその瞳は、土間ではなく過去を見ているような気がした。
坂本さんには話していないのか。
けれど、僕とクオンは知っている。以蔵ちゃんが成そうとしていたこと。
なぜ、戦っているのか。
「きっと……あれが思い描いたんは人の救いやき。それは叶えられんかった。
けんど、おまんらと過ごしたことは残ってる、忘れない、そういうことじゃないがか」
嗚咽を漏らすクオンを見つめる坂本さんは、再び懐を探った。
出てきたのは先程と同じ和紙で、それをクオンの手に無理やり握らせて、手を重ねた。
「辞世の本当の意味も、誰に向けたもんかも、それはわからん。
けんど……この一枚は間違いなく、おまんらに向けたもんぜよ」
クオンは震える手で新たな和紙を開く。
紅い瞳は文字を追う。そして、すぐに大粒の涙が頬を伝う。
泣き声を上げる彼女はうずくまり、身体を震わせた。
少し潰される和紙から、小さく物悲しい音が聞こえる。
「クオン……」
彼女の前に立って声をかけても、身体の震えは治まる気配がない。
泣き声と荒い呼吸はどんどんと大きくなり、土間を悲しみで満たしていく。
「ミナト様……」
「うん……どうしたの」
「以蔵ちゃん……以蔵ちゃんが……」
こちらに目を向けるクオンの瞳は涙で溺れていた。
いつでも隣にいてくれる。その人の痛みを抱きしめてあげられない。
無力なのは、いつものことだ。昔から変わっていない。
クオンの隣にかがんで、小さく彼女の名を呼ぶと、弱々しい声だけが返ってくる。
「ミナト様……」
「うん……なにが書いてあるの?」
白い指先で挟まれた和紙が向けられる。
そこには丁寧に綴られた文字があった。
とても綺麗で、深い想いが込められている。そのような字だった。
湊
久遠
以蔵
和紙には僕たち三人の名が綴られている。
「これ……クオンが以蔵ちゃんに教えた僕たちの漢字……」
「ミナト様……以蔵ちゃんが……」
「うん……」
「以蔵ちゃん……以蔵ちゃんが」
「すごく……きれいに書けているね」
あの時の以蔵ちゃんはミミズが走ったと叫んでいた。
けれど……和紙に綴られた文字はとても美しい。
あれ以来、字の稽古をしていたのだとよくわかる。
僕はクオンの名のところを指差す。
「ここ……クオンの漢字のところ、少し滲んでいるね。
涙を流して……書いてくれたんだろうね」
「以蔵ちゃん……」
右にミナト。中央にクオン。そして、左には以蔵ちゃんの名がある。
僕はその並びをまじまじと見つめ、息が止まりそうになった。
喉の奥と背中に強い圧迫を感じる。
押し上げられるような、引っ張られるような感覚だ。
内側からあふれる滴で、目の前が霞む。
この名前の並びは偶然ではない。
これは……以蔵ちゃんの祈りだ。
――以蔵ちゃん……紙の上でまで。
――最期の瞬間まで……。
「クオン……以蔵ちゃんが守ってくれているよ」
うまく呼吸ができていない彼女に、僕は涙声で続ける。
「この書き方……この名の並び。いつもの僕たちの立ち位置だよ」
声が酷く震える。
文字になっても、以蔵ちゃんは僕たちの隣にいてくれた。
いつでも守ってくれていた。
いつか言っていた言葉と彼女の笑顔が、瞼の裏に現れる。
『ねえねは真ん中! ミナトは右! うちは左ぜよ!』
『それよく言うけどさ、なにか理由があるの?』
『こっちの方が刀が抜きやすいき! うちが二人を守るきに!
あっ……! ねえねのことは、うちとミナトで守るぜよ!』
京の町を三人で歩くとき、彼女はいつだって立ち位置を気にしていた。
「以蔵ちゃん……以蔵……ちゃん」
クオンは彼女の名を呼んで、深く頭を下げた。
「ごめんなさい……以蔵ちゃん、ごめんなさい」
「クオン……クオンはなにも悪くないよ」
僕の頬も首も、あふれ出す涙によって濡れていく。
止めようとしても止まらない。
藍色の袖口で拭っても色が変わるだけだ。
以蔵ちゃんが心を込めて書いてくれた文字は、僕たちの胸に深く突き刺さる。
しかし……同時に優しく抱きしめてくれた。
彼女の思いやり。彼女の笑顔。彼女との日々。
僕たちにとって……とても大切なものだ。
「ごめんなさい……以蔵ちゃん、ごめんなさい」
クオンの泣き声を遮る、鈍く硬い音がした。
「あれは……幸せじゃったぜ」
音が出た方向に目を向けると、坂本さんの湯呑みは上がり框の板の上に置かれていた。
彼女は両の手を袖の中に入れ、優しく微笑む。
「謝ることなんて一つもないき。あれは無鉄砲で勇敢な女じゃったぜよ。
人斬り、人斬り言われようが刀を振りよったがぜ。
それは誰よりも真っ直ぐじゃったからと思う」
そうだ。彼女は私欲や怨恨で人を斬っていない。
「大義のために多くの人を殺さないかん。
それは正しかったかもしれんし、正しくなかったかもしれん。
一方からでは、見えんもんもある。そん答えは、わしらにはわからん」
坂本さんは一回だけ、鼻を啜った。
「けんど……間違ったと思うことはあるぜよ。
あれの心を殺したんは……わしらじゃ。まっさらな心を汚したんも、わしらじゃ」
微かな笑みを浮かべ、深く溜め息をついて続ける。
「あれは……悪くないきに。以蔵は……ええやつじゃった。
わしらがおらんかったら……今でも笑っておったんかと思うがぜ。
けんどな、そんな以蔵に……笑い合える時をくれたんは、おまんらじゃ」
「坂本さん……」
そう呟くと、彼女は真っ直ぐに僕を見つめた。
「わしから礼を言うぜ。土佐の天誅の名人。土佐の優しいおなご。
岡田以蔵のこと……助けてくれて、好きになってくれて……ありがとう」
坂本さんは膝の上に手のひらを置いて、僕たちに向かって深く頭を下げた。
「以蔵ちゃん……」
クオンは何度も以蔵ちゃんの名を呼んだ。
その声は、引き戸を開けて現れる女の子の姿を欲している。
共に歩いた笑顔。共に遊んだ笑顔。共に食事をした笑顔。
『ねえね!』
『ミナト!』
僕の涙は止まらず、着流しの衿元まで垂れていく。
少し溜まって、少し吸われて。
クオンの悲痛な想いに、僕は寄り添ってあげることができない。
『おまん、情けないぜよ』
――うん。
『ほんまにアホじゃき、ミナトは』
――うん。
『うちが手を貸しちゃる!』
――僕は……。
以蔵ちゃんの声が頭の中で木霊する。
少し高くて尖りのある……けれど、とても可愛くて、とても安心する声だ。
記憶の中から次々と流れてくる。
その言葉と似た訛りの坂本さんが口を開く。
「前な……京から尊攘派が追い出されよったときのことぜよ。
土佐も国に戻れとお達しがあったがぜ。けんど、以蔵は……逃げんかった」
「はい……」
僕が返事をすると、坂本さんは手のひらで膝を打った。
「以蔵、おまんらに『ひがしやま』を食わせたい言うとった」
――前に言っていた土佐の干し芋……か。
以蔵ちゃんが懐から出してくれた干し芋を思い出す。
あの時は薩摩の者から貰った芋だと言っていた。
「あれは大バカもんじゃ」
その言葉が出た瞬間。
クオンが勢いよく立ち上がって、坂本さんに詰め寄った。
「以蔵ちゃんはバカではありません……! 以蔵ちゃんは! 以蔵ちゃんは……!」
紅い瞳からあふれる涙を見た坂本さんは、クオンから目を逸らした。
「バカぜよ。なんで……捕まるがか。
あれほどのもんが奉行所なんぞに捕まるわけないき。
並々ならぬ事情があったんと思うがぜ」
坂本さんの声は小さくなっていく。
「なんで……死ぬがか。のう……以蔵。おまん……まだやりゆうことがあったじゃろ。
以蔵……こん国の先を見んで、なして……死ぬがか」
湯呑みを持った坂本さんの手は震えている。そして、静かに茶を啜った。
土佐という国で生まれた以蔵ちゃんと坂本さん。
二人の長年の付き合いを僕たちは知る由もない。
土間の空気は少しひんやりしている。
僕はクオンの手を引いて、上がり框に座らせる。
彼女の涙はだんだんと収まっていく。
その様子を見ていた坂本さんは湯呑みを握りしめて、僕たちに言う。
「悔やんでも、死んだもんは還ってこん。
けんど、死んだもんの想いは持ってやれるぜよ。
以蔵の想いは、わしらが持っていくき。
あれのことは新しい時代に連れて行くきに。
わしらが……以蔵の分も戦うぜよ」
すうっと息を吸う彼女は続けた。
「新しい道を。新しい政を。新しい日本を作るがぜよ」
そう言うと、ゆっくりと立ち上がり、袴を手のひらで叩く。
「もう少し寒うなったら、ひがしやまを持ってくるきに。
あれの生まれた家からもろうてくるがぜ。以蔵もきっと喜ぶぜよ」
彼女は額を手のひらで強く叩き、軽い音を何度か出した。
脱いでいた草鞋を履いて、僕らに微笑む。
「これから人と会うき、今日はもう帰るがぜ。茶と柿、うまかったぜよ」
「以蔵ちゃんの文、ありがとうございました」
僕が言うと、坂本さんは頷いた。
彼女は笑みを浮かべて土間を歩き、引き戸に手を掛け、振り向かずに言う。
「また来てもいいがか」
「はい、もちろんです」
僕が答えると、坂本さんは振り返って、満面の笑みを浮かべた。
「酒を飲み交わして、以蔵の昔話でもしたいきに。
おまんらに教えちゃる。あれのむちゃくちゃな話を。
とんでもないがぜよ。腰を抜かさんようにせないかんぜ。
ようけあるき、楽しみにしちょきや」
鼻水を啜り上げるクオンは立ち上がり、深く頭を下げた。
「坂本龍馬……ありがとうございました。
以蔵ちゃんの文を届けてくれて……本当にありがとうございました」
「わしは以蔵から頼まれたことを果たしただけやき」
「お礼をしたいです。
今度来られたとき、なにかお作りします。食べたいものはありますか?」
「ほうじゃのー。あー、軍鶏鍋が食いたいぜよ」
「軍鶏……ですね。わかりました。ですが、来るときは前もって教えてください。
突然来られても、食材の調達に苦労します」
「人と会うんは、突然がええもんじゃき」
「ダメです。いきなり押しかけるのは無礼です、坂本龍馬」
「おまんは家を訪ねるとき、わざわざ文を書くがか?
それはいかんぜよ。土佐の上士や下士とは違う。
友と会うのに申し合わせはいらんぜよ」
クオンは目尻に残る涙を白い指先で拭き取る。
「ふふ、そうですね、坂本龍馬。あなたのおっしゃるとおりです。
いつでも来てください。お待ちしています」
「おー、ほいたら、また来るぜよ。またのー」
坂本さんが出て行った引き戸は完全には閉まっておらず、冷たい風が入り込んでくる。
僕が戸を上に持ち上げ、押さえつけるように閉めると、鈍い音が土間に響く。
クオンと僕は再び上がり框に腰を下ろす。
胸の痛みを残しつつ、しかし、どこか晴れやかな心持ちで柿の皮を剥いていく。
昨日という日。今日という日。明日という日。
誰もが過ごせるわけではない。
そのことをあらためて思い知らされる。
これが坂本さんと笑い合う最後の日となった。
軍鶏鍋の約束も果たされることはなかった。
龍の文字を背負い、日本中を歩いた女性。
数日後、彼女は暗殺された。




