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散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


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藤堂平助 3

             *




 茶屋に到着し、ぜんざいを注文した。

正面に座る平助ちゃんは懐から和綴じ本を取り出し、腰に下げた矢立の筆を手にする。


「なにを書いているの?」


 僕が問いかけると彼女は微笑み、和綴じの帳面を見せてくれた。


 そこにあるのは少し文字が荒い、波のある英語だった。


「エゲレス語を勉強しているの!」


「へー。あ、そっか。服部さんも言っていたもんね」


「うん! 伊東先生がこれからは、蘭語よりもエゲレス語だって!

メリケン語とかは知らないけど、どうなんだろう」


「エゲレス語もメリケン語も基本的には同じものだよ」


 茶屋の娘が運んできた湯気の上がる茶を受け取って、僕は言った。


「そうなの!? 同じってどういうことなの!?」


「基本は同じ言語だよ。メリケンを作ったのはエゲレスだから。

日本でいえば、江戸と京の言葉のような違いかな。

少し違うけど、ちゃんと話せるし、意味も通じるよね」


「うん。それなら……どっちを学べばいいのかな?」


「そのままエゲレス語でいいと思うよ」


 彼女は、ぱらぱらと和綴じ本を捲り、僕たちに向けて単語などを見せてくれる。


 英語が得意であるクオンに、平助ちゃんは妙に口を尖らせて言う。


「は、はろ、うぅ!」


「Helloです」


「ハ、ハロー!」


「まあ、よいでしょう」


 少し重さのある甘い香りが茶屋に漂う。


 クオンと平助ちゃん。二人の対面授業が始まった。


「アイ、ロベ、ヨウ!」


「I Love Youです。あなたをお慕いしている、という意味です」


「アイ、ラブ、ユー!」


「よいです。ちなみにミナト様に向けて言った場合は、Go to hellです」


「ゴ、ゴトウ、ヘン!」


「それでは後藤さんが変人になってしまいます。

Go to hellです。地獄へ堕ちろ、という意味です」


「おー! それカッコいいっ!」


「ミナト様にI Love Youは言わないでくださいね」


「それは約束しないけどね!」


「ダメです……! 地獄へ堕ちてください!」


 二人の笑顔を見ていると心が和む。

思えば……出会った頃の平助ちゃんは、もっと荒くれ者だった。


 壬生浪士組と新選組の副長助勤を経て、八番組の組長となった。

今は御陵衛士として、快活だった部分は残しつつ、少し落ち着いてきている。


 授業をしていると、茶屋の娘が三人分のぜんざいを置いていってくれた。


「お前に明日はない!って、なんて言うの?」


「You have no tomorrowです」


「ヨウ、ババア、ノ、トモヨ!」


 僕は口に含む小豆を吹き出した。


「もー! 汚いなー!」


 平助ちゃんは立ち上がり、懐紙を取り出した。


 咳き込む僕の隣に来て、鼻と口を丁寧に拭いてくれる。


「私がやります……! ミナト様から離れてください!」


「いいの! 私が拭いてるんだから! ねっ、ミナトくん!」


「Do not touch him!」


「ド、ドン! タチ、ヒイ!」


 二人に藍色の着流しを引っ張られる。


 身体を揺らされていると、こちらをじっと見ている二人組が目に入った。


 斜め前に座る女性。もう一人は男性だ。


 羽織の肩をぱんぱんと払った男は立ち上がり、こちらに近づいてくる。


 平助ちゃんとクオンも気づいて、彼に視線を向けた。


「このようなところで……貴様ら恥を知れい」


 急に投げつけてきた男の発言に、三人とも返事をしなかった。


 男は筆先で引いたような細い目に、茹で上がった蛸のような赤ら顔だ。


 僕たちを見下ろして、低い声で続ける。


「今のはエゲレス語だな? エゲレス語なんぞ口にしおって。まして、ここは茶屋ぞ」


――攘夷思想による牽制。いや、表情や態度を見る限り違う……か。


 斜め前に座る女性は茶を啜り、静かにこちらを見ている。


 男は、すん、と鼻を鳴らした。


「それに、だ。エゲレス語なんぞ学んでどうする。

拙者は蘭語、蘭学を習得しておる……! 蘭学こそ世界に通用するのだ!」


 鼻の穴を広げ、胸を張っている男にクオンが冷たく返す。


「もはや蘭語、蘭学は主流ではありません。

蘭語を修めたところで、世界では通用しませんよ」


 男は細い目を見開いた。


「拙者は蘭学で医術と兵法を学んでいる! 蘭学こそ、これからの日本を作るのだ!」


「あなたが学んだ蘭学の医術は時代遅れです。

それは人体に詳しいだけで、実務に役立ちません。

これからの医術を学ぶのであれば、エゲレスやプロシャの書物を読むとよいです」


「はっ! 戯言を! 貴様は知らぬのだ!

蘭学こそ至高! 拙者は蘭学を極めておる! 無知な異国の女め!」


「私は日本人です。生まれも育ちも日の本です。血も日本人です」


「黙れ! 貴様のような女に、蘭学の素晴らしさがわかるものか!」


「嫌な言い方はやめてくださいよ」


 僕が口を挟むと、こちらに小さく頭を下げたクオンは男に目を向けた。


「井の中の蛙大海を知らず。あなたのことです」


「な、なんじゃと!」


「あなたのような者は、時の流れに置いていかれます。生煮えの土瓶蒸しです」


 僕の口元は自然と上がった。

相手を言い負かすときの表現が、高杉さんに似ている。


 しかし、言われた当の本人はそうもいかない。面子を潰されたのだから。


 男は足をずいっと踏み出した。

それを見た斜め前に座る女性が立ち上がり、彼を制止する。


「やめなさい」


 女性は袴を正し、険しい表情でこちらに向かってくる。

額は広く、頬が少し垂れ、肉付きの良い女性だ。


「その者の言うとおり。蘭語では新しい書物を読むことはできない。

しかし、古きを知ることも大事だ。

新しいものと古いものを掛け合わせる。それを学びなさい」


 いきり立つ男はすぐに大人しくなる。女性は僕たちを見つめた。


「学問とは人前で学ぶことではない。己を律し、己と向き合うものだ。

人前で見せびらかすなど、言語道断」


 話を聞きながら、自分が妙に冷静であることに気づく。


 今まで起こった不逞浪士たちとの争い、諍い。

強者たちの隣で世の中を見てきたこと。


 肝が据わってきたと自負している。恐怖という感情が削れてしまったのかもしれない。


 もっとも、今の状況でいきなり斬られたりすることはないけれど。


「おい、ババア」


 一つの声が鹿威しのように空間を割く。


 他の客が鳴らしていた箸の音が止まる。


 静まり返る茶屋。それを生み出したのは平助ちゃんだ。

太陽の光を浴びているかのような笑顔で、女性に問いかける。


「私がエゲレス語を学ぶことに文句あるの?」


 眉をひそめた女性は、平助ちゃんを睨みつける。


「文句があるわけではない。場所をわきまえろというのだ。

それに言語とは手段だ。異国の学問を身につけるためのものにすぎない。

最低限のものだ。それを偉そうに人前で見せつけるなど言語道断」


「はへー? その言語から学ばないと先に進まないじゃん、なに言ってんのー?」


「己と向き合わぬことが愚かというのだ」


「はいー?」


――平助ちゃんが……昔に戻ってる。


「大体さー、見せびらかしてないし。教えてもらっていただけだよ。

うるさかったなら、謝る。ごめんなさい。学問の続きをしていいですかー?」


「茶屋は学問をするところではない。茶を飲み、心身を休める場所だ。わきまえよ」


「うーん。でもさ、みんなも楽しく話してるじゃん。

それっていけないの? 話の中で学問をしているだけじゃん」


「一つを蔑ろにすれば、すべては崩れるものだ」


「はへー? なんの話? 学問の話から逸れてる。

――このクソババア……! 話変えてんじゃねえよ!」


「お前! 先生になんということを……!」


 女性の隣にいる男の口元から白い泡が飛ぶ。


「うっさい、タコすけ! そっちから絡んできたくせに!

――ヨウ、ババア、ノ、トモヨ!」


 僕は細かい唾を吹き出してしまった。


「な、なんだと……!? なんと言った……!」


「二人とも斬ってやろうかー? ああーん?

私にケンカ売って、タダで済むと思ってるの?」


「なんじゃあ! この無礼者め……!」


 男が叫ぶと同時に、僕の目の前で鈍い音が出た。


 ぜんざいの液面が波打つ。平助ちゃんが机を足で踏みつけた。

立てた膝に肘を乗せ、絡んできた二人を下から睨みつける。


「人が学ぶことを否定して、人を腐して、それで気持ちよくなってんの?

どっちが見せびらかしてんの? あなたたちの場合は醜態だけどね!」


「足を下ろしなさい。行儀の悪い娘など不愉快極まりない」


 そう言った女性が目を細める。男は平助ちゃんに近づいて声を荒らげる。


「お前……! この御方を誰と心得る!」


「知るか、アホ! あなたたちこそ、私のことを知っているのか!」


「知るわけがないだろ! エゲレスかぶれの無学者が!」


 平助ちゃんは目を閉じ、胸が膨らむほど大きく息を吸った。


「いいか、よく聞け! 私の名はクオンだ……!」


 茶屋の温かな熱を飛ばすほどに響く。


 周りを見渡すと、茶屋の娘は盆を胸の前に携え、行く末を見守っていた。


 座敷にはクオンの透き通る声が一つ出る。


「それは私の名です」


「へへーん、いいじゃーん!」


「よくありません。私の名はとても大切なのです。勝手に騙らないでください」


「いいの……!」


「よくありません! 返してください……!」


「へへーん! やーだよ!」


「ダメです!」 


「クーオン! クーオン! クオン……!」


「…………。もういいです。泣いても許しません。

あなたの大切な門番に漆を塗ってやります! これで終わりです……!」


「う、漆……!?」


「私は自ら漆塗りをするので、しっかりと持っていますからね!」


「そ、それは……! それはダメだよ! そんなことしたら……!」


 平助ちゃんは眉を下げて、大声を出す。

それを嘲笑うクオンが負けじと声を張り上げる。


「ええ……! お尻には傷があるのですから!

そこに漆を塗るとは、神をも恐れぬ所業です!

あなたは痒さによって、のたうち回り、自ら腹を切ることになるでしょう!」


 顔を歪めた男が、ずいっと前に出る。


「お前ら……! 喚くな! 先生に無礼な振る舞いをしたことを謝れ!」


「黙れ……!」「黙りなさい……!」


 クオンと平助ちゃんの声が綺麗に重なった。


 男は口を開けたまま、声を出さない。


 女性は少し弛んだ首を指先で撫でつけて、クオンを見た。


「クオン……か。珍しい名だ。何度か聞いたことがある。高杉が――」


「そう! 私の名はクオンだ! 控えよ、控えよ!」


 女性は高杉と言いかけた。

高杉晋作さんのことであるとするなら、彼女も長州藩の者だろうか。

それとも交流のある他藩の人だろうか。


 僕が思案すると、女性は太い眉を垂らした。


「学問の本質を見誤ることがないようにしなさい」


「ババア! 団子ばっかり食べているから腹が出るんだよ!」


 それを聞いた男は目を見開いて、隣にいる女性の様子を窺う。

その後で、狼狽えつつ、平助ちゃんに向けて怒鳴る。


「お前! この御方は長州の軍を――」


「よい。小娘にも言い分がある。絡んだのは貴様が先だ」


「クソババア! 帰れ! 変な臭いするー!」


 それを聞いた女性は口元を緩める。


「先のために京へ足を運んでみたが、このような娘に――」


「黙れババア! 餅豚ババア……! 七輪の上で焼かれろ、ババア……!」


「話が通じぬ輩とは、どこか……懐かしい。

私のいる藩にも昔はいたものだ。手のつけられない者たちが。

しかし、あの小娘たちは――」


「黙れー! 帰れー!」


 目尻を垂らす女性は頷く。


「もう少し話をしたいものだが……な。

娘よ、時が来たら私の元を訪ねよ。本当の学問を私が、じきじきに教えてやろう」


「はあー? なーんで! やーだよっ! あなたから出向けよ!」


 平助ちゃんの罵声は二人が出ていくまで続いた。


 男が言いかけた「長州の軍」という発言が引っかかる。


 もし、その後に「率いる」という言葉が続いたとしたら……。


 四境戦争(第二次長州征伐)で、高杉さんと共に幕府側と戦った人だとしたら。


 後に起こる戊辰戦争でも、天才戦術家として名を馳せる、あの女性だとしたら。


 平助ちゃんの罵声を浴びながら茶屋を出て行った背中を思い出し、唾を飲み込む。


 今となっては確かめようがなかった。




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