↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/63

岡田以蔵 11

             *




「やめてつかあさい……!」


 うちは商家の入口で声を荒らげた。


 夜更けの京に白い吐息が出る。相手からの返事はない。


 棚が倒される音が響き、袴が翻るように揺れる。


 土佐勤王党の二人の男が、埃の舞う店の中で暴れていた。


「今ある金を全部出すんじゃ!」


「出さんなら、めちゃくちゃにしちゃるぜよ!」


 店主は跪いて懇願し、女将と娘、奉公人は腰を抜かしている。


 いきり立つ二人の男の背に、うちは声をぶつけた。


「やめてつかあさい! こんなことしちょったら武士の名がすたりますきに!」


「黙っちょれ! おまんは人を斬っとけばいいがぜよ!」


「そうじゃ! おまんは役に立たん!」


 帳簿が宙に舞う。ひらひらと落ちる紙もあれば、重い音を出す紙の束もある。


 今の土佐勤王党は壊滅していた。

薩摩藩や会津藩などによって、京から長州藩が追い出された。

それを機に、土佐勤王党にも帰藩の命が下されている。


 土佐藩の中で、目障りな勤王派を粛清するための策略であるとわかっていた。

だから、土佐に戻ることを良しとしない同志もいる。目の前で暴れる二人も同じだ。


 柱が蹴飛ばされ、家全体に振動が伝わる。


 その時だった。


 毒塗りの矢じりで射抜かれるような視線が刺さる。


 全身の毛穴が引き締まり、鯉口を切って振り返った。


 灯りのある商家とは違い、しんと静まる闇が広がっている。

向かいの店も、路地も、黒が一面に這うだけだ。


 いや……違う。


 ゆらゆら、と微かに揺れる。何かが蠢く。

路地からゆっくりとこちらに近づいてくる。


 忘れてはいない。


 この気配を忘れるわけがなかった。


 ずずず……と、草履の擦れる音が耳に入る。


 息を吸い込む。黒い塊のような者が目の前に姿を現した。


「お久しぶりですね、岡田以蔵さん」


「おまん……あん時の物乞い」


 ミナトが襲われそうになったとき、路地に潜んでいた物乞いだ。


 黒い着物。黒い手拭い。闇の底から現れたかのような、得体の知れぬ者だ。


「哀れですね」


 そう言って開かれた口元は、醜悪な笑みを作る。

底知れぬものを感じ、眉間と右手に入る力が自然と強くなった。


 勢いよく抜刀する。


 背後からは、店主の謝罪と男二人の罵声が続く。


 うちは正眼に構えて、物乞いの様子を窺う。


 相手の手拭いの下にある口元がゆっくりと動く。


「やめてください。争うつもりはありません」


「なんの用がか」


「用ですか。いえ、特には。ただ一つ気になることがありまして」


「はっきりと言うぜよ」


「土佐の者は藩に戻れと命(めい)が下されたのでしょう。

なぜ、京に残っているのですか?」


「うちは……まだ戦えるきに」


「土佐勤王党の盟主である武市半平太さんは、投獄されているそうですよ。

そのことは、ご存知ですか?

あなたも……犬は犬らしく尻尾を巻いて、逃げたほうがよいのでは」


「うちは逃げん」


 物乞いの女は顎に指先を当て、首を左右に動かす。


 斬り込もうとしても隙がない。身に纏う雰囲気は強者の……それだ。


 あの人に……少し似ている。


 武市先生と長州藩の者たちとの密談の場にいた女だ。


 彼女は長州藩と付き合いのある肥後藩の者だった。


 武市先生と長州の者が論じているところで、一人だけ目を瞑っていた。

特に声を出すこともなく、涼しげに酒を一口、また一口と含んでいた。


 一目見てわかった。うちと同じ人斬りである、と。

彼女と物乞いが似ているのは、人斬りが漂わせている独特の生臭さではない。

腹の底が見えぬ者が発する匂いに近かった。


 物乞いは挑発するように右往左往する。


 瞬時に考えた。一足で飛び込み、相手の膝を崩し、そのまま首を斬りつける。


 しかし……。


 うちの思考を読み取ったのか、物乞いはこちらを見ることなく溜め息をついた。


「やめてください。争うつもりはないと何度言えばよいのですか。

ああ……次に会うときは手加減など無用です、と私が言ったのでしたね。

――ですが……ほら、来ましたよ」


 物乞いの視線の先を追う。


 遠く。遠くに微かな光がある。


 冬に見ることのない蛍のように揺れている。


「おそらく奉行所の方々ですね。

どこからか、土佐の残党がいると話がいったのでしょう」


 物乞いは笑みを浮かべ、鼻から息を抜いた。


 彼女から目を離さず、後ずさりして、背後に声をかける。


「奉行所の連中が来ましたき! 早う逃げてつかあさい!」


 押し借りをする男たちは怒声を上げた。すぐに退散する足音が聞こえる。

その音が徐々に霞んでいくけれど、うちは目の前の物乞いから目を離せない。


 彼らが角を曲がり、摩擦音が小さくなった頃合いで、うちも駆け出す。


「逃げるのですか」


 闇夜に言葉が一つ置かれた。足は止まる。


「無駄に争う必要はないきに」


「違います。あなたが逃げることで、よからぬことが起きると危惧しているのです」


 勢いよく振り返ると、物乞いの口元は妖しく上がっていた。


「どういうことぜよ」


「逃げれば、今宵、商人の家に押し入った岡田以蔵さんのことを話します。

そして……友は薬売りをしている二人。その者たちが岡田以蔵を匿って――」


 勢いよく踏み込む。胴体へめがけて刀を振り抜く。刃は紙一重で空を切る。


 すぐに刀を切り返し、かがんだ相手に振り下ろす。


 鋒は地面に微かに触れた。


 物乞いは斜め前に飛び出し、間合いを取って嘲笑う。


 彼女の背後にある何個もの光が、先程より大きくなっていた。


「刀を振るうだけ。それだけで国が動きますか。国が変わりますか」


「日本を変えたいと思うんなら、動くしかないきに」


「新たな時代に……あなたのような者は必要なくなると思いますよ」


「それでいいぜよ」


 物乞いの上がっていた唇が静かに下がっていく。


 うちは柄を握り直す。寒さによって乾いた唇が割れる。

舌先で舐めると、鉄の味を微かに感じた。


「必要とされないことが怖くないのですか」


「怖くないぜよ」


「すでに居場所がないからですか」


「違うがぜ」


「それでは……なぜですか?」


 白い雪が目の前に落ちていく。まるで、花が咲き終わった後のタンポポのようだ。


 大粒の冷たい塊は、地面にじんわりと吸い込まれ、消えていく。


「新しい時代に刀はいらん。そんために……うちは刀を握ったきに」


「あなた、という人が必要なくなると言っているのですよ」


「それでもええぜよ。

けんど、こんな世は……ここで終わらせるき。

子どもが一人で泣くような世の中は、もう終わらせるぜよ。うちが無くしちゃるきに」


 黒い手拭いの中にある瞳は見えない。


「絵空事ですね。言うは易し、行うは難し。

ただの人斬りに、なにができるというのですか」


「できるかどうかやないき。決めたら動くだけぜよ。

新しい時代が来たら、そん後は刀なんていらん。

みんなの前にあるんは……温かい飯じゃきに」


 沈黙の中で雪が降り注ぐ。物乞いは一切動かない。


 二つほど呼吸をすると、急に首を垂らした彼女が声を出す。


「一つ教えてください。

あなたの刃は……大切な人を守れるのですか」


「守るぜよ」


 冷たい風が夜道に吹く。


 しばらくして、物乞いの片方の口元が上がった。


 いや……酷く歪んでいる。


「それなら……守ってみてください。

大切な人を守れるというなら、私に見せてください」


 物乞いは腰に差す、汚い和紙が巻かれている出刃包丁を手にした。


 顔を見せたのは手入れのされていない刃だ。


 時はない。奉行所の連中が迫っている。


 物乞いは、うちの前に包丁を伸ばした。


「あの二人の命。秤にかけてみてください」


 その言葉。言葉でしかないというのに。


 身体が芯から熱くなって、血が湯のように巡った。


 一気に間合いを詰めて、斬りかかる。


 背後に跳ばれて刃を躱された。喉元に向けて突く。


 皮、一枚。


 すぐに刀を引き、肩めがけて振り下ろす。


 その刹那、うちは目を見開く。


 出刃包丁が頬を掠め、物乞いはうちの足を踏んだ。


 彼女の拳が鳩尾に食い込む。


 左足で物乞いの腕を蹴り飛ばし、すかさず斬りつける。


 着物だけが切れた感触が手に伝わった。


 彼女は転げるように避けて、軒下にある木桶に突っ込んだ。


「さすがは岡田以蔵さん。なかなかに鋭い刃をお持ちですね」


「まだやるがか」


 ゆっくりと立ち上がる物乞いは、溜め息を漏らす。


「天誅の以蔵と呼ばれたあなたが……すっかりと臆病者ですね」


「うちは、うちの義のために人を斬るき。

おまんのようなもんを斬るための刃は持っちょらん」


 ちらりと横に目を向けると、無数の灯りが大きくなっている。

奉行所の者が持つ行灯は、二十間ほどの距離にまで迫っていた。


 踵を返し、前に踏み出した瞬間だ。


「愚かですね。先程も申しましたよ。

ここで逃げれば、私があなたのことを話します。

岡田以蔵の仲間は薬売りの二人。その者たちも関わっている、と」


 足が止まる。雪の勢いは増していた。


 うちは踏み込み、物乞いに向けて刀を振るう。


 首を狙い、突く。激しい金属音と火花が散る。


 刀の鎬に出刃包丁が滑り、彼女の顔が目の前に来た。


 うちの鍔元を上から巧みに押さえ込む物乞いは、微かな笑みを浮かべた。


「あなたは……刃を振るう理由が揺れている」


 白い吐息が目の前で広がった。


 無数の草鞋の音が近くから聞こえる。


「あなたは失いたくないものができた。

故に、あなたが口にしたはずの大義が霞む。

己でも気づかぬ内に、その刃を……鈍らせた」


 物乞いは笑って続けた。


「大切な人を守る……守れるのなら、私に見せてください」


 歯を食いしばり、鍔迫り合いに力を込めた瞬間だ。


 背後から衝撃が走る。


 気づいていた。その動きに反応できなかったわけではない。


 けれど……。


 避けられなかった。避けることはできなかった。


 役人の持つ袖搦(そでがらみ)によって容赦なく引きずり倒され、泥に塗れる。


 刀を持つ手が蹴飛ばされ、身体は棍棒で叩かれた。


 両の手の自由を奪われて、口には湿った土が入る。


 怒声が響く中で、役人たちは誰一人として物乞いを捕まえようとはしなかった。


 地に伏せたまま上を見上げる。


 物乞いは役人たちの奥で佇む。


 白雪が舞う中で、ただ一人……笑っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。