岡田以蔵 7
京の町を歩いていると、人相の悪い男たちが正面から来た。
その視線は僕たちの姿を捉えて離さない。
僕は隣にいる二人より前に足を踏み出す。
男たちが絡んでくる。そう思ったけれど、彼らから出た言葉は予想と違っていた。
「以蔵……!」
相手は五人だ。
着物は日光と洗濯によって酷く傷み、袴は線が消えるほど、くたびれていた。
月代を整えていない者もいて、春に顔を出す新芽のような毛が頭頂部に生えている。
「以蔵! なんをしちゅうが! ちょいと来いぜ!」
呼び止められた彼女は下を向き、黒髪に挿した紅色の櫛が太陽によって光る。
「聞こえんとか! 始末の話があるき、来いぜよ!」
勢いよく向かってきた男に、以蔵ちゃんの濃い灰色の衿元が掴まれた。
「ちょっと! なにをしているんですか!」
僕が強い口調で言うと、五人は揃いも揃って目を見開いた。
そして、示し合わせたかのように声を荒らげる。
「なんじゃ、おまんは!」
「わしらに喧嘩を売るがか!」
「以蔵ちゃんから手を離してください」
「なんじゃちい! よーく聞くぜよ! わしらは土佐勤王党じゃ……!」
以蔵ちゃんから手を離した男は、僕のみならず道行く人にも威嚇している。
人々は視線を向けてくるが、不逞浪士との争いに入るほど蛮勇ではないだろう。
以蔵ちゃんは声を出さず、俯いたままだ。
いや……白い手が震えている。
先程の男が再び彼女に向けて手を伸ばす。
僕がその腕を素早く掴むと、男は凄んだ。
「なんじゃ! さっきから、おまんは……!」
「おい! そこの異人の女! なんじゃ、その目は! わしらを睨みおって!」
新たな男が顎をしゃくって、クオンに近づく。
「私は日本人です。生まれも育ちも日の本です。血も日本人です」
クオンは堂々と相手に立ち向かう。
「はああ!? なんを言うがぜ……! おまんは異人じゃ!」
「異人ではありません」
そのやりとりの最中、以蔵ちゃんに一番絡んでいた男が、僕に対し顔を近づけた。
藍色の着流しの衿元を剛毛な腕で引っ張られる。
「わしらとやるがか! ええぞ! ええ度胸じゃ! わしらは土佐勤王党ぜよ!」
「以蔵ちゃんに酷いことをしないでください」
「はっ! 以蔵も土佐勤王党じゃ!
どう使おうと、おまんらの知ったことじゃないがぜ!」
その瞬間。
僕を掴んでいた男は、隣にいる以蔵ちゃんの腹を蹴り飛ばした。
「な、なにするんだよ……!」
僕が相手の肩を突き飛ばして、衿元を掴み返したときだ。
僕の腕の間を潜り抜けたクオンの掌底が、男の顎を捉えた。
肉と骨から鈍い音が出る。
意識が飛んだ相手は、熟れた柿が枝から離れるように崩れ落ちる。
身を翻したクオンは、以蔵ちゃんに駆け寄った。
「以蔵ちゃん! 大丈夫ですか!」
「うちは……大丈夫じゃきに」
「おまんら……! やりおったな!」
「帝の盾である、わしらに歯向かうがか!」
残りの四人が抜刀した。僕はクオンと以蔵ちゃんの前に立つ。
真剣を前に丸腰だ。
どうする。どうすればいい。
せめて、木刀があれば。
松下村塾などで剣術の稽古は積んでいる。
実戦の経験はないけれど、生死介入を守りつつ、それなりに戦えるはずだ。
しかし……棒状の物など近くにはない。
「はっ! なんじゃ! 刀も持たんと、わしらとやるがか!」
一太刀でも急所に刃を浴びれば……死ぬ。
徒手で戦うのは無理だ。いくつもの刃をかい潜って制圧するなど不可能だ。
怖い。怖いけれど……同時に怒りが込み上げてくる。
「これが土佐勤王党のやることなんですか。
好き勝手にやることが……国を変えようとする人たちのすることなんですか。
仲間を……以蔵ちゃんを一方的に傷つける人たちの集まりなんですか!」
四人は顔を歪め、早口で罵声を飛ばしてくる。
それでも引き下がるわけにはいかない。
「僕が共に学んだ人たちは……このような卑怯な振る舞いは決してしません」
「なんじゃあ、おまんは!」
一人が上段に刀を構えた。
こうなれば空威張りをするしか道はない。相手の心理を突くしかない。
「武市さんは……このことを知っているんですか」
「な、なんじゃあ! 武市先生の名を出しよって!」
「しゃあしいわ! たたっ斬るぜよ!」
「おうおう! 晒しちゃるき!」
飾りだけの威勢だ。
手元にある刃より先に、言葉を投げつけてくる相手であれば勝てるかもしれない。
ごくりと唾を飲み込む。
「土佐勤王党は、このようなことをする組織なんですか。
武市さんが命令しているんですか。
そうでないのであれば、武市さんの名に泥を塗っていると思います」
男たちは急に静かになった。
土佐勤王党の盟主である武市半平太の名に畏怖したと思った。
彼らは目を見合わせ、その中の一人が小さく唸る。
「先生に知れたらいかん。こん場で叩き斬っちゃるぜ」
目が血走っている。やる気だ。
クオンと以蔵ちゃんを守らないといけない。
一人を引き倒して、相手から刀を奪う。
それしかない。
唾を飲み込む。呼吸は浅い。草履を地面に擦りつける。
「やめてつかあさい……!」
大きな声に振り返ると、以蔵ちゃんが地面に視線を落としていた。
「やめてつかあさい……二人に手を出さんちょってつかあさい」
いつの間にかできていた人だかりの中から心配する声が出ても、彼女の声はよく通る。
「以蔵ちゃん……」
僕が呟くと、彼女は立ち上がった。
男たちと僕の間に入って、袴を手で払い、膝を折り、額を地面に押しつけた。
「堪忍してつかあさい! 二人は悪うございません!」
「以蔵ちゃん、やめてよ。そんなこと……しないでよ」
僕の言葉に男の声が被さる。
「どきや! わしら土佐勤王党に楯突くいうんは大罪じゃ!
帝の盾である、わしらに無礼じゃ! 叩き斬っちゃるっ! 晒すぜよ!」
「堪忍してつかあさい! 堪忍してつかあさい!
昼に刀を振り回しちょったら、武市先生の迷惑になるき!」
少し身を引く男たちは、彼女の言葉を聞く。
「武市先生の顔に泥を塗るんは、うちらはすべきじゃないですき!
うちがなんでもするき……! なんでもするき……堪忍してつかあさい!」
見ていられなかった。
彼女が刀を抜けば、目の前の男たちなどあっという間に撃退できる。
しかし、組織における立ち位置の中で、普段から理不尽という毒を彼女は飲み込む。
今は僕とクオンのために、必死に頭を下げている。
その想いを無下にすることは、正しいのか。
僕が足を踏み出せば、彼女の想いを壊してしまう。
奥にいた一人の男が口元を上げる。
「ほうか。なんでもする言うなら許しちゃる。
そんなら始末せないかん相手の話があるき、行くぜよ」
立ち上がった以蔵ちゃんの腕をクオンが掴む。
「以蔵ちゃん。ダメです」
「ねえね、うちのことは心配いらん。大丈夫やき……離しちょって」
微笑む以蔵ちゃんは、重たそうな足を一歩踏み出す。
「ねえね。離しちょって」
クオンの手から、するりと腕が抜ける。
「以蔵ちゃん」
僕は彼女を呼び止める。
こちらを見た表情には悲哀が浮かび、その瞳には涙が溜まっていた。
「うちは……行くき」
また一歩進む。
「一緒に釣りに行こうよ」
「釣りは……また今度にするきに」
「武市さんから休んでいいって言われたんでしょ。
一緒に行こう。魚……食べようよ」
僕は以蔵ちゃんの細い手首を掴む。振り返った彼女は困ったように笑う。
違う。その顔が見たいわけではない。
クオンと一緒に絵草紙を見ていたときは、どこにでもいる女の子だったのだから。
「以蔵ちゃんの魚の獲り方……教えてよ。
僕は網を使ったことがないから。一緒に川に行こうよ」
返事はない。周りの浪士たちは、げらげらと笑う。
俯いた彼女から小さな声が出る。
「ごめんよ、ミナト。うちは戻らんといけん」
それ以上は何も言えなかった。
彼女の真意。彼女の優しさ。彼女の思いやり。
それをわかっていながら壊すことなど、僕にはできなかった。
クオンに殴られた男が覚醒し、いきり立ったけれど、他の者たちに止められている。
その彼らも僕とクオンに睨みを利かせた。
「次おうたら、たたっ斬るぜよ。
せいぜい、わしらに会わんよう気いつけえ!
下のもんが上のもんに偉そうにしゆうがは大罪ぜよ!」
「ほうじゃ! 下のもんは上のもんに頭を下げるぜよ!」
「おまんもじゃ! この異人が! わしらが通るときは土下座するんが作法ぜよ!
今度せんかったら、たっぷり引きずり回しちゃる!」
男たちは往来を闊歩する。その後ろを小さく肩を寄せた以蔵ちゃんが歩く。
土佐藩は関ヶ原の戦い後の因縁から、上士と下士という隔たりが厳しいと聞く。
土佐勤王党は下士で構成されているから、土佐にいた頃は散々見下されてきたはずだ。
そのような彼らも組織を作れば、序列を理由にして、非がない相手を蔑む。
理不尽な物言い。無理な要求。優越のための威勢。
己の価値をどうにか見出そうと、相手のことを侮る。
時代が違ったところで、実を持たぬ者に価値などない。
以蔵ちゃんは振り返り、僕たちへ別れの瞳を向けた。
僕は歯を食いしばり、握りこぶしが震える。
止めてあげたい。僕もクオンも今すぐにでも彼女のことを止めたい。
しかし……彼女は望まない。
己の気持ちを優先すれば、相手が悲しむ。
助けたくとも、助けてあげられない。
人の気持ちを汲まぬ者は、どれほど楽だろうか。
他人を気遣えない無頓着な者であれば……楽なのだろうか。
目を伏せて、いくらか湿った地面を見つめる。
往来の人の気配は変わり、その流れは元に戻っていた。




