岡田以蔵 4
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「ねえね。これはうちが知っとるもんと少し違うぜよ」
以蔵ちゃんは台所で前のめりになって、目を丸くした。
先程は眉間に皺を寄せて、叫んでいたけれど。
『いかん! 台所で出したら穢れるきに! やめるがぜよ!』
牛肉が入っていた桐箱を足元に置いたクオンは、以蔵ちゃんに言う。
「以蔵ちゃんの生まれた土佐では、猪を食べるのですよね」
「うん、食うぜよ。猪は畑を荒らすき、天誅しとった。
うちは下士の出やき、他の食えるもんも獲っていたがぜ」
まな板に置かれた牛の塊肉を見る以蔵ちゃんの目は、物珍しさからか輝いていた。
成長した猪の肉は濃い赤紫で脂身も真っ白だろうから、牛肉の色味とは違う。
彼女の横顔に僕は問いかける。
「土佐というか、以蔵ちゃんの故郷は武士でも山に入ったりするの?」
彼女は、うん、うん、と頷く。
「うちは武士の中でも下のもんやき、畑もやって山にも入るぜよ。
今度、山に入ってミナトに獣の獲り方を教えちゃるき」
「僕は……いいよ。獣は怖いから」
「なんいうがぜよ……! そがいな情けないこと言うとったら玉を取られるきに!」
背伸びをして僕に言った。
クオンは僕たちに背を向けて、鋭い包丁で肉の塊に刃を入れる。
一枚、一枚、と丁寧に切られて、まな板に並ぶ。
「以蔵ちゃん、これは牛の肉ですよ」
微笑むクオンに対し、以蔵ちゃんは土間の地面を草履で擦りつけた。
「牛!? 牛を食うがか!?」
「はい。これが最高の料理になります」
口を曲げ、眉を下げ、以蔵ちゃんは後ずさる。
僕のほうを一度見てから、クオンに苦言を呈した。
「牛は畑で使うもんやき……食うたら……いかんぜよ。
罰が当たるき……いかん、いかんぜよ」
「大丈夫ですよ」
「けんど……」
「これは畑で働く牛ではありません」
「そがいな牛がおるがか?」
「います。大丈夫です」
綺麗な刃が肉の繊維を断っていく。
以蔵ちゃんは牛肉に関して納得しない様子であったが、別の話を切り出す。
「その包丁よく斬れるぜよ」
「ええ、これは特別に拵えたものです。大業物の包丁です」
「ねえねは大業物を使うがか!」
「道具は大事ですからね」
鍛冶屋に作ってもらったクオンの包丁は、鮮やかな赤い肉を切り分けていく。
その横顔はとても穏やかだ。
今日のために悪巧みをして牛肉を入手したのだから、当然かもしれない。
前に以蔵ちゃんと約束をした。家に来て、泊まりで遊ぼうと。
そうであるから、精一杯の料理で迎えようというクオンの心遣いだ。
未来でのクオンに「友」と呼べる相手はいない。
人工生命体の施設にいた頃の友とは、交流がないようだ。
昔に軽く聞いただけで、深くは詮索しなかったけれど。
そのような彼女に、幕末に来てから友と呼べる者が新たにできた。
特に仲が良い人たちもいる。
稔麿ちゃん、平助ちゃん。そして、以蔵ちゃんだ。
僕は桃色の着物の背を見て、口元を緩めた。
「おまん、なにをニヤけとるがか……。ねえね、ミナトが変な目で見とるぜよ」
以蔵ちゃんの発言によって、クオンがこちらを見た。
「どうかされましたか、ミナト様」
「い、いや、別に」
「ねえねのことを見て、すけべえなこと考えよったがか!」
「ち、違うよ!」
「白状するぜよ!」
背伸びをして大声を出す以蔵ちゃんの勢いに、身体が熱くなる。
「違うってば! そんなふうに見るわけないだろ! やめてよ!」
軽はずみな一言で、土間の雰囲気が変わった。
冷えて乾いた空気に緊張の糸が無数に張られる。
「そ、それは、どういう意味ですか……」
クオンの持つ包丁が小刻みに震える。
「い、いや……」
「それは……おなごとしての魅力がない……ということでしょうか」
包丁が天高く上がる。ぎらりと光った、次の瞬間。
分厚いまな板が、包丁の根元によって抉られた。
「他の子のことは、いつも……いつもそういう目で見ているというのに!」
「ミナト……! 早く謝るがぜよ!」
――原因を作ったのは、きみじゃないか!
僕は地面を見つめ、少し息を抜く。
「クオン……そういう意味で言ったんじゃないよ」
そう言うと、銀髪が下に向かって、さらりと垂れた。
「そうですよね……私は胸も大きくないですし、魅力的ではない……ですよね。
――ダメです! もうダメです……!」
「ねえね……! 落ち着くぜよ!」
「以蔵ちゃん! 私はミナト様のことを癒せないのです!
このようなことでは隣にいられません!」
「そんなことないきに! ミ、ミナトは……。
ミナトは、ねえねのことを考えて、ゴオーッとなっとるき!」
クオンの肩に触れた以蔵ちゃんは、よくわからない発言をした。
クオンには意味が伝わったのか、目を見開いて僕に問いかけてくる。
「そ、そうなのですか、ミナト様……」
「いや――」
隣から鋭い視線が刺さる。獣が相手を威嚇するときの目だ。
以蔵ちゃんは嘘をついて答えろと言わんばかりに、僕を見ている。
「そ、その……。あっ……そうだ。ゴンさんに約束してたネギを貰ってくるよ」
土間から出ていこうとすると腕を掴まれた。
クオンの白い手だ。
「もうすぐで暗くなります。お一人では危険ですので、私もお供します」
先程とは打って変わって柔和な表情をしている。
その言動も行動も、胸の辺りをちくちくと刺す。
守ってもらってばかりだ。いつもそう思う。
「ねえね。うちがミナトと一緒に行くきに」
以蔵ちゃんは僕とクオンの間に割って入る。
「ねえねは、肉を切る続きをしとって」
クオンに笑顔を見せる以蔵ちゃんは続けた。
「手練れが五人くらいなら、ミナトを守りながらでも斬れるきに」
「わかりました。以蔵ちゃんであれば安心です。お願いしますね」
「頼まれたぜよ……!」
土間から出てゴンさんの家へ向かう。
途中で以蔵ちゃんに左腕を掴まれ、反対方向に引っ張られる。
「そっちじゃないよ。ゴンさんの家は、あっちだから」
僕は左側を歩く彼女に告げる。
「うちはゴンのことなど知らん。大通りにいくぜよ」
「どうして? なにか欲しい物があるの?」
返事はない。小さい足が小石を蹴飛ばしていく。
しばらく歩くと、手を離された。
「おまん、情けないぜよ」
「怒らせる原因を作ったのは以蔵ちゃんでしょ」
「その話じゃないき」
濃い灰色の小袖を纏う彼女は、どんどんと進んでいく。
そのまま前を見て、僕に告げる。
「おまん、小間物屋の前で、ねえねと話しよったろ」
――見ていたのか。
「情けないぜよ」
「もしかして……聞こえてたの?」
「人混みでも、十間くらいまでなら聞き取れるき」
――十間って……十八メートルくらいじゃないか……すごい。
「そんなこと言われたって……さ。断られたんだから仕方ないでしょ」
彼女は足を止めて、振り返った。
「ミナトはわかっとらん……!」
「え? なにを?」
以蔵ちゃんは僕に憐れむかのような瞳を向ける。
「ねえねは寄りたくなかったわけじゃないきに!」
「どういうこと?」
「それは知らんぜよ……!」
堂々と実直に。かつ、鼻息を荒くして答えた。
僕の口から息が漏れる。
幕末の暗殺者として名を馳せる者の言動と様子には、とても見えない。
「以蔵ちゃんもわかってないじゃん」
「違うき……! 人の心は簡単にわかるもんじゃないがぜよ!」
「それは……そうだけど。話がズレてるよ。寄らなかった理由の話でしょ」
「それは知らん言うとるきに!」
「もういいよ、その話は。違う話をしようよ」
小さく溜め息をついて、以蔵ちゃんの隣に並ぶ。
背筋を伸ばす彼女は言った。
「ミナトが『してあげたい』ことをしてやればいいきに」
「断られたんだってば。それなら引くしかないでしょ」
彼女を追い越し、道端に生えた枯れ草の上に言葉を置く。
「ほんまにアホじゃき、ミナトは」
背後から追いかけてくる足音が聞こえた。
「思っとること、吐き出す言葉が違うこと、人にはあるきに。
それを汲み取ってやるゆうことも大事ぜよ」
「それは……わかるよ。でも、今回のことは違うよ」
「違うことないき。表と裏。心ん中にはあるぜよ。
言いたくても言えんことはあるきに。
その心は、隣におる人が一番に見てあげんといかんがぜよ」
一匹の黒い猫が前から歩いてきて、僕と以蔵ちゃんは道を譲る。
彼女は歩きながら、一回だけ猫の頭を撫でた。
「以蔵ちゃん」
「なんが」
「前より……僕に当たりが強くなったよね」
「それはミナトがアホじゃからぜよ」
再び僕の前を歩く以蔵ちゃんの足の運びは軽やかだ。
「うちが手を貸しちゃる」
「どういうこと?」
「おまんがアホじゃから手を貸しちゃる」
「アホ、アホって言わないでよ」
夕陽を浴びる彼女の足元には、濃い影がすうっと落ちていた。
いつも思う。小さい身体でどれほどの重みを背負っているのか、と。
人を斬ることに大義を持ちつつ、そこにあるのは深い痛みなのではないか。
理想と現実の狭間に揺れ動く葛藤が必ずあるはずだ。
だからこそ、クオンと以蔵ちゃんには仲の良い二人でいてほしい。
「なあ……ミナト」
振り返った彼女の口元は緩んでいる。
「ねえねのこと守るんは……ミナトしかおらんき。うちにはわかるがぜよ」
「それは難しい……かな」
「なしてぜよ!」
語気が強くなる以蔵ちゃんに、自身の想いをぶつける。
幼い頃から感じていることだ。あの日から思っていた。
いつでも……思っていた。
「僕はさ……弱いんだよ。クオンのことを守れない」
彼女は返事をせず、踵を返して進んでいく。
しばらく無言のまま赤くなった空の下を歩いていると、不意に彼女の足は止まった。
「それは違うぜよ。『守りたい』と『守れない』は違うきに」
僕も立ち止まる。
寒くなってきた夕暮れの風が、肌を引きしめるように撫でていく。
「守りたいと思うんなら、守ればええき。
できる、できん、じゃないがぜよ。
守りたいもんがあるなら、命に代えてでも守り通すぜよ」
その口調は穏やかなものだった。
「日の本のもんは、守りたいもんを守る。その心が大和魂ぜよ」
たたたっと前に進んだ彼女は振り返り、握りこぶしを僕に向けた。
「うちが手を貸しちゃる!
急ぐぜよ! ねえねに怒られたら敵わんきに!」
笑顔のまま首を傾ける、その姿。
真っ赤な夕陽が夜に向かって隠れていく。
とても優しく、どこか哀しく光っていた。




