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散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


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岡田以蔵 4

             *




「ねえね。これはうちが知っとるもんと少し違うぜよ」


 以蔵ちゃんは台所で前のめりになって、目を丸くした。


 先程は眉間に皺を寄せて、叫んでいたけれど。


『いかん! 台所で出したら穢れるきに! やめるがぜよ!』


 牛肉が入っていた桐箱を足元に置いたクオンは、以蔵ちゃんに言う。


「以蔵ちゃんの生まれた土佐では、猪を食べるのですよね」


「うん、食うぜよ。猪は畑を荒らすき、天誅しとった。

うちは下士の出やき、他の食えるもんも獲っていたがぜ」


 まな板に置かれた牛の塊肉を見る以蔵ちゃんの目は、物珍しさからか輝いていた。

成長した猪の肉は濃い赤紫で脂身も真っ白だろうから、牛肉の色味とは違う。


 彼女の横顔に僕は問いかける。


「土佐というか、以蔵ちゃんの故郷は武士でも山に入ったりするの?」


 彼女は、うん、うん、と頷く。


「うちは武士の中でも下のもんやき、畑もやって山にも入るぜよ。

今度、山に入ってミナトに獣の獲り方を教えちゃるき」


「僕は……いいよ。獣は怖いから」


「なんいうがぜよ……! そがいな情けないこと言うとったら玉を取られるきに!」


 背伸びをして僕に言った。


 クオンは僕たちに背を向けて、鋭い包丁で肉の塊に刃を入れる。


 一枚、一枚、と丁寧に切られて、まな板に並ぶ。


「以蔵ちゃん、これは牛の肉ですよ」


 微笑むクオンに対し、以蔵ちゃんは土間の地面を草履で擦りつけた。


「牛!? 牛を食うがか!?」


「はい。これが最高の料理になります」


 口を曲げ、眉を下げ、以蔵ちゃんは後ずさる。


 僕のほうを一度見てから、クオンに苦言を呈した。


「牛は畑で使うもんやき……食うたら……いかんぜよ。

罰が当たるき……いかん、いかんぜよ」


「大丈夫ですよ」


「けんど……」


「これは畑で働く牛ではありません」


「そがいな牛がおるがか?」


「います。大丈夫です」


 綺麗な刃が肉の繊維を断っていく。


 以蔵ちゃんは牛肉に関して納得しない様子であったが、別の話を切り出す。


「その包丁よく斬れるぜよ」


「ええ、これは特別に拵えたものです。大業物の包丁です」


「ねえねは大業物を使うがか!」


「道具は大事ですからね」


 鍛冶屋に作ってもらったクオンの包丁は、鮮やかな赤い肉を切り分けていく。


 その横顔はとても穏やかだ。


 今日のために悪巧みをして牛肉を入手したのだから、当然かもしれない。


 前に以蔵ちゃんと約束をした。家に来て、泊まりで遊ぼうと。

そうであるから、精一杯の料理で迎えようというクオンの心遣いだ。


 未来でのクオンに「友」と呼べる相手はいない。

人工生命体の施設にいた頃の友とは、交流がないようだ。

昔に軽く聞いただけで、深くは詮索しなかったけれど。


 そのような彼女に、幕末に来てから友と呼べる者が新たにできた。

特に仲が良い人たちもいる。


 稔麿ちゃん、平助ちゃん。そして、以蔵ちゃんだ。


 僕は桃色の着物の背を見て、口元を緩めた。


「おまん、なにをニヤけとるがか……。ねえね、ミナトが変な目で見とるぜよ」


 以蔵ちゃんの発言によって、クオンがこちらを見た。


「どうかされましたか、ミナト様」


「い、いや、別に」


「ねえねのことを見て、すけべえなこと考えよったがか!」


「ち、違うよ!」


「白状するぜよ!」


 背伸びをして大声を出す以蔵ちゃんの勢いに、身体が熱くなる。


「違うってば! そんなふうに見るわけないだろ! やめてよ!」


 軽はずみな一言で、土間の雰囲気が変わった。


 冷えて乾いた空気に緊張の糸が無数に張られる。


「そ、それは、どういう意味ですか……」


 クオンの持つ包丁が小刻みに震える。


「い、いや……」


「それは……おなごとしての魅力がない……ということでしょうか」


 包丁が天高く上がる。ぎらりと光った、次の瞬間。

分厚いまな板が、包丁の根元によって抉られた。


「他の子のことは、いつも……いつもそういう目で見ているというのに!」


「ミナト……! 早く謝るがぜよ!」


――原因を作ったのは、きみじゃないか!


 僕は地面を見つめ、少し息を抜く。


「クオン……そういう意味で言ったんじゃないよ」


 そう言うと、銀髪が下に向かって、さらりと垂れた。


「そうですよね……私は胸も大きくないですし、魅力的ではない……ですよね。

――ダメです! もうダメです……!」


「ねえね……! 落ち着くぜよ!」


「以蔵ちゃん! 私はミナト様のことを癒せないのです!

このようなことでは隣にいられません!」


「そんなことないきに! ミ、ミナトは……。

ミナトは、ねえねのことを考えて、ゴオーッとなっとるき!」


 クオンの肩に触れた以蔵ちゃんは、よくわからない発言をした。

クオンには意味が伝わったのか、目を見開いて僕に問いかけてくる。


「そ、そうなのですか、ミナト様……」


「いや――」


 隣から鋭い視線が刺さる。獣が相手を威嚇するときの目だ。

以蔵ちゃんは嘘をついて答えろと言わんばかりに、僕を見ている。


「そ、その……。あっ……そうだ。ゴンさんに約束してたネギを貰ってくるよ」


 土間から出ていこうとすると腕を掴まれた。


 クオンの白い手だ。


「もうすぐで暗くなります。お一人では危険ですので、私もお供します」


 先程とは打って変わって柔和な表情をしている。


 その言動も行動も、胸の辺りをちくちくと刺す。


 守ってもらってばかりだ。いつもそう思う。


「ねえね。うちがミナトと一緒に行くきに」


 以蔵ちゃんは僕とクオンの間に割って入る。


「ねえねは、肉を切る続きをしとって」


 クオンに笑顔を見せる以蔵ちゃんは続けた。


「手練れが五人くらいなら、ミナトを守りながらでも斬れるきに」


「わかりました。以蔵ちゃんであれば安心です。お願いしますね」


「頼まれたぜよ……!」


 土間から出てゴンさんの家へ向かう。

途中で以蔵ちゃんに左腕を掴まれ、反対方向に引っ張られる。


「そっちじゃないよ。ゴンさんの家は、あっちだから」


 僕は左側を歩く彼女に告げる。


「うちはゴンのことなど知らん。大通りにいくぜよ」


「どうして? なにか欲しい物があるの?」


 返事はない。小さい足が小石を蹴飛ばしていく。


 しばらく歩くと、手を離された。


「おまん、情けないぜよ」


「怒らせる原因を作ったのは以蔵ちゃんでしょ」


「その話じゃないき」


 濃い灰色の小袖を纏う彼女は、どんどんと進んでいく。


 そのまま前を見て、僕に告げる。


「おまん、小間物屋の前で、ねえねと話しよったろ」


――見ていたのか。


「情けないぜよ」


「もしかして……聞こえてたの?」


「人混みでも、十間くらいまでなら聞き取れるき」


――十間って……十八メートルくらいじゃないか……すごい。


「そんなこと言われたって……さ。断られたんだから仕方ないでしょ」


 彼女は足を止めて、振り返った。


「ミナトはわかっとらん……!」


「え? なにを?」


 以蔵ちゃんは僕に憐れむかのような瞳を向ける。


「ねえねは寄りたくなかったわけじゃないきに!」


「どういうこと?」


「それは知らんぜよ……!」


 堂々と実直に。かつ、鼻息を荒くして答えた。


 僕の口から息が漏れる。

幕末の暗殺者として名を馳せる者の言動と様子には、とても見えない。


「以蔵ちゃんもわかってないじゃん」


「違うき……! 人の心は簡単にわかるもんじゃないがぜよ!」


「それは……そうだけど。話がズレてるよ。寄らなかった理由の話でしょ」


「それは知らん言うとるきに!」


「もういいよ、その話は。違う話をしようよ」


 小さく溜め息をついて、以蔵ちゃんの隣に並ぶ。


 背筋を伸ばす彼女は言った。


「ミナトが『してあげたい』ことをしてやればいいきに」


「断られたんだってば。それなら引くしかないでしょ」


 彼女を追い越し、道端に生えた枯れ草の上に言葉を置く。


「ほんまにアホじゃき、ミナトは」


 背後から追いかけてくる足音が聞こえた。


「思っとること、吐き出す言葉が違うこと、人にはあるきに。

それを汲み取ってやるゆうことも大事ぜよ」


「それは……わかるよ。でも、今回のことは違うよ」


「違うことないき。表と裏。心ん中にはあるぜよ。

言いたくても言えんことはあるきに。

その心は、隣におる人が一番に見てあげんといかんがぜよ」


 一匹の黒い猫が前から歩いてきて、僕と以蔵ちゃんは道を譲る。


 彼女は歩きながら、一回だけ猫の頭を撫でた。


「以蔵ちゃん」


「なんが」


「前より……僕に当たりが強くなったよね」


「それはミナトがアホじゃからぜよ」


 再び僕の前を歩く以蔵ちゃんの足の運びは軽やかだ。


「うちが手を貸しちゃる」


「どういうこと?」


「おまんがアホじゃから手を貸しちゃる」


「アホ、アホって言わないでよ」


 夕陽を浴びる彼女の足元には、濃い影がすうっと落ちていた。


 いつも思う。小さい身体でどれほどの重みを背負っているのか、と。


 人を斬ることに大義を持ちつつ、そこにあるのは深い痛みなのではないか。


 理想と現実の狭間に揺れ動く葛藤が必ずあるはずだ。

だからこそ、クオンと以蔵ちゃんには仲の良い二人でいてほしい。


「なあ……ミナト」


 振り返った彼女の口元は緩んでいる。


「ねえねのこと守るんは……ミナトしかおらんき。うちにはわかるがぜよ」


「それは難しい……かな」


「なしてぜよ!」


 語気が強くなる以蔵ちゃんに、自身の想いをぶつける。

幼い頃から感じていることだ。あの日から思っていた。


 いつでも……思っていた。


「僕はさ……弱いんだよ。クオンのことを守れない」


 彼女は返事をせず、踵を返して進んでいく。


 しばらく無言のまま赤くなった空の下を歩いていると、不意に彼女の足は止まった。


「それは違うぜよ。『守りたい』と『守れない』は違うきに」


 僕も立ち止まる。

寒くなってきた夕暮れの風が、肌を引きしめるように撫でていく。


「守りたいと思うんなら、守ればええき。

できる、できん、じゃないがぜよ。

守りたいもんがあるなら、命に代えてでも守り通すぜよ」


 その口調は穏やかなものだった。


「日の本のもんは、守りたいもんを守る。その心が大和魂ぜよ」


 たたたっと前に進んだ彼女は振り返り、握りこぶしを僕に向けた。


「うちが手を貸しちゃる!

急ぐぜよ! ねえねに怒られたら敵わんきに!」


 笑顔のまま首を傾ける、その姿。


 真っ赤な夕陽が夜に向かって隠れていく。


 とても優しく、どこか哀しく光っていた。




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