岡田以蔵 2
牛肉を手に入れたクオンは意気揚々と大通りを歩く。
僕はすれ違う男性の顔を見て、あることが頭に浮かんだ。
細い目と鷲鼻、太い眉に覇気のない顔。
僕たちのタイムトラベル担当者、彼のご先祖様かもしれない。
「ねえ、クオン」
「なんでしょうか」
「次のメンテナンスっていつだっけ?」
「十三日後です」
近頃の僕は、タイムトラベルのメンテナンスに敏感になっている。
「じゃあ、まだ大丈夫だね。前みたいな強制帰還は怖いけど」
「そうですね。
他の時代による生死介入が、今後はないことを願うばかりです」
タイムトラベルの定期メンテナンスは、事前予告と猶予がある。
けれど、他の時代で生死介入のような不測の事態が起こったときは別だ。
あの時は問答無用で、翌日に強制帰還の措置を取られてしまった。
未来と幕末。僕たちの時間は同期している。
幕末では虫食いのように時間を前に進むことができる。
けれど、決して後ろに引き返すことはできない。
見たい出来事と定期メンテナンスや強制帰還が重なってしまうと取り返しがつかない。
突然の強制帰還によって、手痛い仕打ちを受けたこともある。
「今度はしっかりと金子を隠しておきましょう」
握りこぶしを作って微笑むクオンだが、僕は笑えない。
「誰かに預けておいたほうがいいと思う。
隠すにしても篠原さんに見つけられないようにしないと」
「ミナト様は今も篠原泰之進さんを疑っているのですね」
「あの人だよ。あれほどの労力をかけるなんて。
床板を全部剥がして、地面まで掘り返す。
僕たちの周りで、そんなことするのは篠原さんだけだよ」
強制帰還の連絡を受けて、猶予がなかった僕たちは、とりあえず床下に金子を埋めた。
定期メンテナンスのように日程がわかっていれば、店に預けることもできるけれど。
「ゴンさんも言ってたじゃん。太い女の人に殴られたって」
「それだけで決めつけるのは時期尚早かと思います。
犯人は足跡などを消し去っていますし、ゴンさんも犯人のことをわかっていません」
「じゃあ、クオンは篠原さんがやっていないと思うの?」
彼女から返事はない。
「ゴンさんのことをボコボコにしたことだって、僕は許してないよ。
まあ、犯人が篠原さんだった場合だけどさ」
旅に出るときや、未来に帰るときは、近所のゴンさんが家のことを見てくれていた。
強制帰還後、僕たちが再び幕末に戻ると、ゴンさんは何度も頭を下げてきた。
顔を腫らして、涙を流す姿を見ると、こちらこそ申し訳なかった。
「あれから羽振りが良くなった篠原さんのこと、僕は忘れてないからね」
「また稼ぎましょう」
「賭博はやめたほうがいいって」
「薬売りとしてです。もちろん賭博もします」
「また狙われるよ」
「卑怯な手を使う者から金を毟り取ること、悪ではないと私は思います」
クオンは不意に立ち止まり、ある方向に首を向けたが、すぐに歩き始めた。
彼女が気にしたであろうその場所を見ると、色鮮やかな品物が並ぶ店内が見えた。
小間物屋だ。
「クオン」
「はい」
振り返る彼女は普段と変わらない。僕は人差し指で小間物屋を指し示す。
「気になるなら寄ってく?」
「いえ、大丈夫です」
クオンは着物や小物類が好きだ。
簪や櫛を挿せる日本髪ではないけれど。
いつの時代の女性も、装飾品を見るだけで心躍るものだろう。
「少しくらい見てみようよ」
牛肉を買うために支払った代金は、クオンが自身の小遣いから捻出した。
着物好きの彼女にとっては痛い出費のはずだ。
普段の生活費は彼女が管理をしている。
それ以外の金子は、僕とクオンで分けることにしていた。
篠原さんに盗まれたと思われる金子があれば、余裕を持てたというのに。
「欲しい物があれば僕が買うから、金子の心配はしなくていいよ」
「いいえ、大丈夫です」
クオンは大事そうに抱えた風呂敷へ視線を落とす。
「どうして? 高い物は無理だけどさ、帯留めとか見てみようよ」
「けっこうです」
「見るだけ見てみようよ」
「だから……その……とけてしまいます」
「え?」
「氷がとけてしまっては、せっかくの薬の味が落ちてしまいます」
嘘が下手だ。
冬空の下、少し立ち止まって買い物をしたくらいで氷がとけるはずはない。
クオンは欲しい物を僕に教えてくれることがなかった。
反物を買いに行くときも、自身の巾着袋から金を出す。
一度も僕に払わせてくれたことがない。
「冬だし……そんなに早く氷はとけないよ。
それに立ち止まったのは興味があったからでしょ」
「結構です。私はミナト様からの贈り物は……いりません」
「いらないって……」
彼女は一人で歩き始めてしまった。
うなじの白い肌、桃色の着物と赤茶色の下駄が遠ざかっていく。
――見るだけ見ればいい……のに。
彼女の背を追っていくと、僕の隣を黒い影が走り抜けた。
クオンの背中にぶつかる。いや、美しい曲線を描く腰に手を回し、抱きついた。
一人の女の子が大きな声を出す。
「ねえね……!」
振り返るクオンの顔は、柔和なものに変わった。
「以蔵ちゃん! お久しぶりです!」
土佐藩士 岡田以蔵
土佐勤王党に所属し、要人の暗殺などをしている人物だ。
「ねえね! 会いたかったぜよ!」
「私もです!」
濃い灰色の小袖に黒い袴、小柄な体躯は人斬りをするようには見えない。
後頭部の上で纏めた黒髪が揺れる。
「ミナトも久しぶりぜよ!」
少し垂れた二重瞼に丸い顔が可愛らしい。
クオンと並ぶ以蔵ちゃんの姿は姉妹のようであり、こちらに笑いかける顔は幼く見える。
僕は笑顔の二人に近づいていく。
「久しぶり。元気そうでよかったよ」
「ミナトは相変わらず男前やけど、腑抜けとるき!
そんなんじゃ、すぐに死ぬき!
ゴオーッと! もっと目を鋭くせないかんぜよ!
おなごか! おまんは……!」
けらけらと笑う姿に、身体の力は抜ける。
「それ無礼だからね。けっこう傷つくから」
「以蔵ちゃん。約束の日を覚えていてくれたのですね」
そう告げたクオンは、さらに目尻を下げる。
彼女がこの日をどれほど楽しみにしていたか、隣にいる僕が一番よく知っている。
「忘れるわけないきに!
武市先生も楽しんできなさい、って言うてくれたがぜよ!」
土佐勤王党の盟主である武市半平太は、聡明な女性だ。
知的でありつつも荒ぶる信念を持ち、他の尊皇攘夷派からも一目置かれている。
「そうですか、武市先生のお許しがあったのですね。
以蔵ちゃん、小腹は空いていませんか? 茶屋に寄りましょう」
クオンは以蔵ちゃんの手を握り、茶屋の方へ誘導していく。
茶屋に入った僕たちは、ぜんざいを注文した。
正面には以蔵ちゃんが座り、僕の隣にはクオンがいる。
先に持ってきてくれた茶の湯呑みを握ると、手のひらにじんわりと熱が伝わった。
僕の対面にいる以蔵ちゃんは、畳の上で大きく両の腕を広げる。
「でな、うちは囲まれてな。
最後の一人のときに刀が飛んでいってしもうたき、首を絞め上げてやったがぜよ!」
「あまり無茶なことをしないでください」
クオンが以蔵ちゃんを見て、眉を下げた。
「首を絞めるとな、目が……どおーっと飛び出すき。あれは慣れん。
がーっと変な音も喉から出るきに。
でな、でな、すとんと止まるときがあるがぜよ」
――こ、怖い……。
「はい、ぜんざいが届きましたよ」
クオンは茶屋の娘から渡された品を以蔵ちゃんの前に並べる。
「あ……うちは……いらん」
「どうしてですか? 甘い物はお好きでしょう」
「い、いらんきに」
「これを食べれば、少し温まりますよ」
「うちは……ええから。ねえねとミナトが食べるがぜよ」
僕は煮崩れた小豆を口に含み、噛んだ餅を少し伸ばす。
ちらちらと僕の様子を窺う以蔵ちゃんは、呟くように言う。
「同志に言われたがぜよ。食いもんばかりに気を取られたら大義はなせん。
身体も動かんようになるって。やき……近頃は甘いもんを食っとらん」
土佐勤王党の人たちは、己を律することで人は強くなると言いたいのだろうか。
当の本人たちは好きに飲み食いしているはずだが、彼女だけに枷を付けている。
武市半平太さんの指示ではないだろう。彼女は非合理なことを決してしない。
以蔵ちゃんを道具のように扱う、他の者の仕業だ。
ぜんざいを見る以蔵ちゃんの瞳は、悲哀と羨望に満ちていた。
「ぜんざいを食べると身体が動くよ」
そう告げると彼女は首を傾げた。僕はさらに続ける。
「甘い物を適度に食べると、以蔵ちゃんの身体は今よりも動くかもしれない」
「どうしてが?」
「詳しくは言えないけどさ……とにかく動くよ。試しにやってみたらいいよ」
「嘘じゃ! 甘いもんなんて食うたら身体が動かんなる!
同志たちは、みーんな、そう言うとるきに……!」
以蔵ちゃんは身を乗り出し、僕の瞳を見つめる。
「身体のことを考えれば必要なこともあるよ。
それにさ……以蔵ちゃんの言う同志の中には、昼も夜も酒ばっかり飲む人がいるけど」
「そ、それは……」
「酒のほうがよくないよ。きみたちの任務にも差し支える。
酔っていたら隙を突かれて襲われるし、いざというときに戦えないでしょ」
「け、けんど……」
「ぜんざいなら食べても戦えるでしょ。試してみたらいいよ」
唇を前に突き出し、以蔵ちゃんは首を竦めた。
「ミナト……ごめんよ」
肩を丸めて、頭を下げてきた。
「ミナトのこと嘘つきって……言うたぜよ。
そんなことミナトは言わんの、うちは知っちゅう。
ごめんよ……ミナト」
「気にしてないよ。さあ、食べてよ。すごく甘いけど」
この時代の汁粉やぜんざいはとても甘い。
だからなのか、箸休めとして漬物が付いてくる。これは随分と塩辛い。
しかし、不思議と癖になる組み合わせでもあった。
「けんど……食うなと言われとるき……」
「今日と明日。武市先生から休みをもらったんでしょ。
それならいいじゃん。たまには息抜きをしないと」
以蔵ちゃんは僕たちの顔を交互に見る。
それに対しクオンが微笑み、そして頷く。
恐る恐る箸を手に取る以蔵ちゃんは、ぜんざいの器を持ち上げた。
ずずっと一口啜る。目を見開いて、沈黙した。
急に顔が綻ぶ。
「わあ……うまいちや……」
その言葉を聞いたクオンが、安心したように小さな息を鼻から抜く。
「おいしいですか、以蔵ちゃん」
「うん。久しぶりぜよ……こういうの食べるがは」
以蔵ちゃんは柔らかい餅を口にして、味わうように咀嚼する。
少し目を潤ませ、紅潮した頬が緩む。
その笑顔は初めて会った夜とは対照的だ。
以蔵ちゃんは泣いていた。血に濡れた姿で。
あの日から、僕たちは町で以蔵ちゃんを見かけると話しかけるようになった。
彼女は最初の頃こそ素っ気なかったが、だんだんと距離は近づき、心を通わせた。
ほーっと甘い息を吐き出す以蔵ちゃんが、クオンの傍らにある風呂敷を指差した。
「ねえね。それは、なにが入っとるがか?
お重というやつがか? うちは見たことないき」
クオンは茶を啜った後で、不敵な笑みを浮かべた。
「これは……罪なのです」
「なんか悪いことしたが?」
「はい。見つかれば死罪もありえます。これは引き返せない罪なのです」
風呂敷の中身である桐箱をこんこんと叩く。
以蔵ちゃんは酷く苦い顔をして、身をさっと引いた。
その後で周囲をきょろきょろと見渡し、声を潜める。
「茶屋に持ち込むのは、やめたほうがいいき。
うちらでもやらん。その場で終わらせるか、すぐに晒すき」
彼女は茶屋にいる人に目を向けた後で、さらに声を落とす。
「ねえね。しっかり……塩漬けにはしちゅうが? 冬でも安心できん。
それは……すぐに臭いが広まるき。茶屋に持ち込むんは危ないがぜよ」
「匂いは大丈夫です」
「けんど……他のもんもおるき。茶屋と客に迷惑をかけたらいかんぜよ」
「大丈夫です。今回は生もありますし、味噌漬けもありますよ」
以蔵ちゃんは目を大きく見開いて、身を仰け反らせた。
「ね、ねえね……! 味噌は聞いたことがないがぜよ!
ねえねのいたとこでは味噌で漬けるがか!?」
「味噌の塩気によって保存が可能ですし、深みが出ます」
「深み!? い、いかん! うちらでもやらん!
いかん! いかんぜよ! それは罰当たりじゃ!」
「大丈夫です。表に出なければいいのです」
「いかん! うっかり出たらどうするが!
茶屋のもんに迷惑をかけたらいかんぜよ!」
二人の掛け合いを横目で見守りながら、僕は甘いぜんざいを胃の中へと流し込んだ。




