↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/63

山南敬助 6

 障子が軋んだ音を出し、三人の顔が座敷を覗く。


「平助ちゃん……ミナトさん、クオンちゃん」


「山南さん!」


 駆け込むように座敷へ入り、抱きついてきたのは平助ちゃんだ。


「山南さん! 嫌です……! 死んじゃ嫌です!」


 私の胸の中で涙を流す彼女は顔を上げた。


 両目は充血し、顔は赤黒く腫れ上がっている。


 二十歳の子に涙を流させることは、年長者としてとても胸が痛む。


「ごめんなさい、平助ちゃん。もう決めたことです」


「でも……でも……嫌です!」


「聞きましたよ。私のために土方副長に立ち向かったそうですね。

無茶をさせてしまって、ごめんなさい。痛かったでしょう」


 黒髪を撫でると、いつものように可愛らしい笑顔を向けてくれる。

けれど、殴打された顔の腫れは己のことのように痛む。


「大丈夫です! でも、土方さん、ずっと殴ってきたんですよ!

『てめえだけで語るな! 殺すぞ! クソガキ!』って、すごい剣幕で!

怖くて……少しだけ漏らしそうになりました!」


「そう……痛かったでしょう」


「私もムカついたから、みんなが止めてくれた隙に三発くらいやり返したんです!

そしたら……もう土方さん鬼の形相になって! あの時は漏れたかもしれません!」


 顔が綻んでしまう。彼女はいつでも明るい。


「おなごが下の話を人前でするものではありませんよ。

それで……土方副長を殴って大丈夫だったのですか?」


「そこなんです! もう殺されると思って、私は刀に手を掛けたんです!

もう関係ない! 土方さんがなんだ!

やるしかないって! こうなったら斬るしかないって……!」


「刀を……抜いたんですか」


 平助ちゃんは、ばさばさと髪の毛を振った。


「その前に近藤局長が土方さんのことを投げ飛ばしたんです!

『八つ当たりするな!』って! 隊士たちが腰を抜かしていました!」


「そう……ですか」


 平助ちゃんは急に顔を伏せて、ぽつりと言う。


「山南さん……切腹するんですか……」


 騒がしさは座敷から消え去った。


「ごめんなさい。私は私の道を歩きます。己の最期は己で決めます。

それが……私の一つの義なのです」


「でも……」


「平助ちゃん」


 彼女の言葉を優しく止めたのは、ミナトさんだ。


「山南さん……失礼ですけど、お聞きしたいことがあります」


 畳に視線を向けた後で、彼は私を見つめた。


「いいですよ、なんでも聞いてください」


「なぜ、脱走して……切腹という道を選んだんですか」


 誠実な瞳をしている。いつでも淀みがない。

今までもミナトさんと話せば、私の胸は自然と穏やかになった。


「理由は一つではありませんので、お伝えすることは難しいです。

ただ……生き死にとは、人それぞれあるものですよね。

その者が持つ感情をすべて理解することは、ありえないと思います」


「はい。その人が持つ痛み、苦しみ、悲しみは他の人が簡単には言ってはいけません」


「ミナトさんは……お優しいですね。

数ある中の一つを挙げるとするなら、私が新選組にできる最後のことだからです」


「最後のこと……」


「新選組は……さらに世の情勢に巻き込まれると思います。

その時には一枚岩でなければいけません。

叶わぬ場合は内部から崩壊することになるでしょう。

私は……私の命で新選組を助けたいと思います」


「山南総長でさえも切腹になる。組織としての隙を無くす……ということですか?」


「そうなればよいかと。私の命が新選組の命を繋ぐように願っているのです。

人の死とは……他者を強くすることがあります。

――私の命を新選組へ捧げます。それが今の私にできる唯一の誇りです」


 ミナトさんは深く頭を下げてくれた。


 私は強がりを言った。胸の奥に隠している。


 いや……みんなの前では言いたくなかった。


 これからを生きる者たちに言えなかった。


 歩むことができない。進むことができない。生きることが……できない。


 何度も転んだ。何度も泣いた。何度も叫んだ。


 けれど……立ち上がることはできなかった。


 私はミナトさんの肩に、そっと触れる。


「顔を上げてください。

ミナトさんもクオンちゃんも会いに来てくれて嬉しいですよ」


 ミナトさんは、ゆっくりと顔を上げた。


「山南さん……止められないとわかっています。

止めることが……無礼であるとも思います。

あなたの決意を邪魔したくありません。よかったら……これを受け取ってください」


 彼が手のひらに乗せて差し出したのは、白い組紐だった。


「切腹のとき、髪を結う必要があるかと思って」


 小刻みに震えている。彼の手も白い紐も。


「ありがとうございます。こちらで臨ませていただきますね」


 彼から組紐を受け取ると、今度はクオンちゃんが懐紙に包まれた物を取り出す。


 それは茶色い饅頭だった。


 普通の饅頭より随分と小さく作られている。殻付き胡桃ほどの大きさだ。


「今日、台所をお借りして、山南さんと試行錯誤していた饅頭を完成させました」


「ついに出来上がったのですね」


 クオンちゃんは小さい饅頭を摘み上げて、私に見せた。


「私は世にある饅頭が大きすぎると思うのです。これは造形として美しくありません。

良い味に加え、雅な姿で完成させました。これこそが京に相応しいのです」


「へへん……! クオンのおっぱいが小さいから、それの表れだね!」


 平助ちゃんがクオンちゃんへ想いを込めた言葉を向ける。

いつものことだ。言われた彼女も必ず想いを込めて返す。


「大きなことに意味はありません。

平助ちゃんは私より小さいのに、偉そうにしないでください」


「へっ! 負け惜しみー! 小さいおっぱいのクーオン! クーオン! クオン!」


「黙れ。人の話を聞きなさい、悪ガキめ。

その腫れた顔を冷やすために、アンコまみれにしてあげましょうか……!」


 クオンちゃんは恐ろしい言葉を出すことがある。


 心が軽くなった私は、軽く頭を下げた。


「クオンちゃん、ありがたくいただきます。みんなで食べましょう」


 四人で小さい饅頭を口にする。


 温かい日常。穏やかな日常。紡いできた日常。


 それをガラス細工のように壊すのは私だ。


 程よい甘さの饅頭の味が口の中に広がり、私はクオンさんに微笑む。


「とても……おいしいですね。塩加減が絶妙で……甘味が増していますね。

小さいから、くどさもないですし」


「山南さんがおっしゃっていたように、多くの隊士に振る舞えることを第一にしました。

砂糖を控えているので、用立てる金子も少なくできます」


 普段より張りのない声だ。背を丸めた彼女にミナトさんが言う。


「おいしいよ、クオン。これくらいの甘さがちょうどいいよね」


「うん! おいしい……! もっと食べたい!」


 目の前の三人から涙があふれていた。


 気づかぬ内に私の頬にも同じ滴が伝っていた。


 止めることなどできない。


 大切な人との別れを噛みしめているのだから。


 最後に三人と共に食べることができて……幸せだ。




             *




 前川邸の奥座敷に正座した。


 左側の斜め前には近藤局長、土方副長。右側には総司ちゃんがいる。


 格別の配慮をしてくれた近藤局長と土方副長に感謝している。

武士として切腹という誉れの場を用意してくれた。


 白の小袖は身も心も引きしめる。

浅葱色の裃(かみしも)が自然と背筋を正してくれた。


 身を清めるための濡れた手拭いは、一抹の心地よさもあった。

ミナトさんからいただいた白い組紐で、首筋が露わになるよう髪を纏めている。




――ミナトさん。あなたは知らないでしょう。

あなたと話しているとき、私の心がどれほど軽くなったことか。

お話を聞いてくれて、ありがとうございました。




――クオンちゃん。共に料理をする日々はとても楽しかったです。

あなたの知識は、私の探究心をくすぐるものばかりでした。

ありがとうございました。




――平助ちゃん。いつも笑っていますね。

あなたが笑っているのであれば、新選組は大丈夫です。

迷ったときは友に相談して、これからも元気に過ごしてください。

ありがとうございました。




――総司ちゃん。これからも……お二人の真っ直ぐな刃でいてください。

あなたの刃が健在であれば、新選組が負けることはありません。

その名が天下に轟く日を楽しみにしています。

ありがとうございました。




 畳は張り替えられていた。その不器用な優しさを私は知っている。

何度か深呼吸すると、い草の落ち着きある香りが心を満たす。




――土方副長。いつも心を鬼にして新選組を支えている、あなたのことが心配です。

どうか……ご無理をなさらないでください。

あなたの隣で支えてあげることができず……申し訳ございません。




 私の背後には逆さ屏風が立つ。

添介錯を土方副長が直々に務めてくれる。彼女の手で酒を注がれ、二度口に含む。

そうして再び酒を与えられ、二度口に入れる。


 喉は熱くなったが、同時に少しの冷たさも迫ってきた。


 四方に乗せられた短刀が私の前に置かれる。

短刀は白紙で巻かれ、さらに紙縒りで固く結ばれている。


 斜め前に座る総司ちゃんが静かに立ち上がった。


 私の隣に来て黙礼する。それに合わせて私も頭を下げた。


 彼女が左側の斜め後ろに立つ。


 私は右手で左襟に手をかけ下ろす。

左手で右の襟を強く下ろし、晒を巻いた胸を露わにする。

両肘を使い、一気に小袖を落とす。

脱いだ着物の両袖を掴み、それを自らの膝の下へ丁寧に挟み込む。


 一呼吸する。


 座敷の外には試衛館以来の友がいる。ミナトさんとクオンちゃんもいる。


 私の最期には……もったいない。


――道は違えど……想いは同じ。そう……同じですよね。


 綺麗に研がれた短刀を手にする。瞼を閉じて、鋒を腹に軽く当てた。

柔らかな肉に触れる感触が、己のこれからを想像させる。


 薄く目を開けると、近藤局長と土方副長の見慣れた着物が視界に入った。


 私の背後と障子の先から、鼻を啜る音が聞こえる。


 その音は私の胸までも溺れさせてしまう。


 喉元から感情が迫り上がり、身体が震えた。


 思わず視線を上げる。


 私を真っ直ぐに見据える人がいた。


 昔から変わらない彼女の瞳が涙で濡れている。


 泣いているところを初めて見た。


 必死に耐えていた私の目から涙があふれ出す。


 共に笑ったこと。共に歩いてきたこと。共に生きてきたこと。


 すべてが大切な思い出だ。










――トシちゃん。ごめんなさい。そして……ありがとう。










 両の手を前に出し、短刀を己の腹に強く突き刺す。

肉が焼けるように裂けて、身体の熱が飛び出ていく。


 袴にじんわりと血が染み込む。


 歯が砕けそうなほど噛みしめて、刃を真横に引き切る。


 総司ちゃんの研ぎ澄まされた刃の気配が、背中越しに伝わる。


 止まるような息は荒く、冷や汗が吹き出す。


 合図のために深く顎を引いた。


 白足袋が畳を擦る。嗚咽が聞こえる。


 白刃が宙を切り裂き、首筋に風が当たる。


 私の前には……いつか見た田園風景が広がった。










『トシちゃん、行きますよー』










『待ってよ! サンナン!』




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。