山南敬助 3
「はーい! 一本! 私の勝ちー!」
「私のほうが先に首を刈り取っていました!」
「私の胴斬りのほうが先に決まってたよ!」
「寝言は寝てから言ってください! 私のほうが速かったです!」
「へへーん! 実戦なら首にきても皮一枚で避けるし!」
「そのような話は通りません! 実戦であれば首が飛んでいましたよ!」
二人の様子を見ていた山南さんは、静かに歩き始める。
首を少しだけ横に向けて、僕に言った。
「ミナトさん、ありがとうございます。もっと考えてみようと思います。
その答えを……私も見つけてみようと思います」
梔子色の小袖の背中は遠ざかっていく。
彼女はクオンと平助ちゃんの間に入った。
何やら話した後で木刀を手に取り、指導を始める。
そこには優しい顔があった。いつもと変わらない温厚な山南さんの姿だ。
菓子の寝かせ作業が終わる。台所でクオンが等間隔に菓子を切っていく。
「できました」
「お、おいしそう! なに、これ! お饅頭!?」
「カステラです」
「か、かすて、ら! なにそれ!」
平助ちゃんの目は大きく開く。
彼女の後ろから覗き込む山南さんは興味津々だ。
「加須底羅だったのですね。私の知る品とは少し違いますね」
「私が生み出したカステラです。
平助ちゃん、山南さん、ミナト様。どうぞ召し上がってください」
僕が茶を用意していると、土間に平助ちゃんの大声が響く。
「お、おいしー! か、かすてらー! 柔らかい! 綿みたいだよー! おいしー!」
カステラを口に含んだ山南さんの眉毛がぴくりと上がった。
「これは……とてもおいしいですね」
口元を押さえて、ゆっくりと咀嚼している。
僕も食べてみたが、未来で食べるカステラと違い、独特の風味が鼻から抜けた。
丁度よい甘さ、ふんわりとした食感が口の中でほどける。
やはりクオンは料理上手だ。
「私の自信作です。この食感と香りを出せるのは私だけです」
得意気なクオンを前に、平助ちゃんはカステラを噛みしめる。
菓子を隊士に振る舞うことがある山南さんは、カステラの作り方をクオンに質問した。
「卵白だけで混ぜることに意味があるのですね。
粘り気が出て重くなり、真っ白になるまで掻き混ぜる……と」
「はい。仕上がりの食感が軽くなります。長崎では全卵のまま掻き混ぜています。
そして、菓子とは分量がとても大事です。
私が読んだ書物には、異常な量の砂糖が入っていました」
「確かに多いと聞いたことがあります」
「保存食ということなのかもしれません。
ですが、小麦粉、砂糖などを一対一にしてはおいしくなりません」
二人は熱心に話を続けた。
その後で、クオンは切り分けたカステラの三切れを懐紙に包もうとする。
そのような一挙手一投足を平助ちゃんは見逃さない。
「ねえ、クオン。それは食べないの?」
「はい」
「えー、どうして! もっと食べたい!」
すでに四切れほど食した平助ちゃんだけれど、手を合わせて訴えた。
大きな特注の竹籠で作ったから、まだ多く残っている。
「ごめんなさい。これは……友との約束なんです」
「約束?」
「はい。菓子が好きな友です。きっと……きっと喜んでくれます」
懐紙でカステラを包み、竹皮の上に乗せる。
「それってさ――」
さらに踏み込もうとする平助ちゃんの肩を山南さんが軽く叩いた。
「人の心に土足で入るのはやめましょう。
入るのであれば、門を叩き、頭を下げ、草履を脱いで失礼のないようにしてください」
「はい……。ごめんね、クオン」
「いえ、まだありますから……もっと食べ――」
クオンの声が止まった。
少し湿る僕の着流しが急に冷えたように感じた。
カステラに手を伸ばす平助ちゃんの動きも固まっている。
土間の空気が変わった。しんと静まる。
あれは……いつだったか。
幕末の世では危ういが、夜に出歩いたことがある。
腹が痛いという子どものために、薬を調合し、届けた帰りだった。
月明かりの下で、複数人が転げ回りながら斬り合っていた。
あの時のひりひりとした空気感に似ている。
いや……それよりも重く、黒い影のようなものが身を包んだ気がした。
息が浅い。喉の奥が詰まる。土間の入口から視線を感じる。
妖しげな気配のする方向を見ようと首を動かす。
「ひいい……!」
僕は思わず声を上げた。
上がり框に座る僕の隣に、いつの間にか女性が音もなく立っていた。
胸まで垂れる長髪の間から双眸が覗く。
僕の瞳と手に持つカステラを交互に見ている。
「あら、一ちゃん。よいところに来ましたね。
一緒にクオンさんの作った加須底羅を御馳走になりましょう」
口元を手で隠す山南さんは優しく誘う。
僕の隣に座った女性は、薄茶の小袖を纏い、灰色の袴を穿いている。
細い輪郭に整った顔立ちだ。
伸ばした前髪が真ん中で分けられて、両方の目尻を隠す。
彼女は接吻でもするかのように、僕の顔に近づいてきた。
新選組 副長助勤 斎藤一
後の新選組 三番組 組長。
僕は腰を引き、彼女から距離をとる。
クオンが器に乗せたカステラを僕と斎藤さんの間に、ずいっと入れた。
「斎藤さん、よかったら召し上がってください」
「ありがとう……ございます。これは……なんですか」
「カステラです」
「南蛮の菓子……ですか。いただき……ます」
とても小さい声で頭を下げた。
彼女は菓子楊枝でカステラを小さく切って、口に含み、目を閉じる。
「うまし……あまし。これは……うまし」
「ありがとうございます」
クオンは味への賛辞に礼を述べた。
「南蛮……いえ……クオンさん、侮り難し」
僕の顔は引き攣ったままだ。先程の異様な雰囲気に飲まれている。
視線を横に移すと、平助ちゃんは少し強張った表情で、ぱくぱくとカステラを食べる。
斎藤さんを優しげに見つめる山南さんは、何度か頷いていた。
斎藤さんは異様な気配を醸し出す反面、気配を殺すことに長けている不思議な人だ。
今回だけではなく、何度かやられたことがある。
彼女にとっては一種の遊びなのだろうが、僕の心の臓は確実に痛んでいる。
僕は一度土間から離れた。
厠を済ませて、みんなの元へ戻ろうとしたとき、強烈な視線を感じた。
先程の斎藤さんのように異質なものではない。
すぐに首を回す。
前川邸の門前に一人の女性がいた。こちらを鋭く睨んでいる。
町娘が着るとよく似合う、紅梅色の着物を纏う女性がこちらに向けて手を上げた。
しばらく見つめた後で、僕は踵を返す。
「おらあ! ミナト! あんた、無視してんじゃないよ! いったん、いったんね!」
振り返ると、篠原さんが地面に向けて唾を吐いた。
僕は溜め息を漏らし、重たい足取りで門前に近づいていく。
「なんですか?」
「あんた、新選組に入ったのかい?」
「いえ、薬を売りに来ただけです」
「そうか。んで、この甘い匂いはなんだい?」
「ああ……えっと……」
「淀むな! 淀むな! 言い淀むな! この匂いはなんだい!」
蝉の鳴き声を掻き消す、強い物言いだ。僕は歯を噛みしめた。
大きい腹を手で打ち鳴らす篠原さんが目を見開く。
「さっさと答えな! ミナト!」
「菓子ですよ。さっき作ったんです」
「今すぐ持ってきな」
「いや……」
「ミーナートー! ミ、ナ、ト!」
大声を出すが、門をくぐってはこない。
篠原さんといえど、猛者がひしめく新選組の屯所に入る度胸はないようだ。
恐れているわけではなく、本能で避けているのかもしれない。
「篠原さんが食べるほどの量は……ないですよ」
「あーん? 味見よ、味見。どれほどのもんか、ワシが食べてやろう」
どうやって煙に巻こうか思案しているときだった。
唇を突き出す篠原さんの表情が一変する。
まるで、桶の中で揉み洗いしていた着物を物干し竿へ引っ掛けるように。
僕の背後を見ている。
すぐに振り返ると、僕の右肩のところに斎藤さんの顔があった。
「ひっ……」
「ミナトさん……お困り……ですか」
斎藤さんが目を合わせずに呟く。
「あ、えっと……」
「私が……斬りましょうか」
のそっと僕の前に出た斎藤さんの長い髪がさらりと動く。
「な、なんだい! あんた!」
ずずっと草履が地面を擦る音が出て、篠原さんは下がった。
「新選組……斎藤一です……」
黒髪も首も前に垂れて、背は丸まっている。
「あなたは……敵ですか。いや……敵ですね」
「勝手に決めるんじゃないよ! 近寄るな!」
篠原さんは歯を噛み合わせたまま唇を歪め、しいーっと音を立てた。
「敵……です。敵……です」
「違う! 違う! ミナト!
なんだい、こいつは! 話が通じん……!」
「ミナトさんが……困って……います」
彼女は腰を落とし、黒い柄巻の刀に手を掛ける。
蒸し暑い中で温い風が吹き、腰の辺りまである長髪は鮮やかに揺れた。
「わ、わかった! 待て、待て! いったん、いったんね!」
両の手を前に突き出した篠原さんは、声を荒らげた後で僕を睨みつける。
「ミナト、また来るから、そん時は食わせな!
いいね! 忘れるなよ……!」
「いや、そう言われても……僕たちもずっと新選組にいるわけでもないので」
眉間に深い皺を寄せる篠原さんは言う。
「そんなら新選組に入れば、この匂いのもんを食えるのかい!」
「まあ……クオンが作ってくれたら」
「そうかい。そん時は大量に作りな。伊東のやつに新選組の話はしといてやる。
うまくなかったらワシに金を払いな」
どういう理屈だ。なぜ、上から目線なのだろう。
篠原さんは刀から手を離さない斎藤さんを睨む。
「あんた、ワシを斬ろうもんなら東の連中が二万くらい京に押し寄せるからな。
いや、三万……五万くらいは来るね。その覚悟があるなら刀を抜きな……!」
――盛ってる……。もはや嘘でしかない。
「関係……ないです。斬り合い……するなら関係ありません」
斎藤さんの言葉に顔を引き攣らせる篠原さんは、乾いた地面に何度も唾を吐く。
「うちのもんが来たらタダじゃおかないからな!
いいかい? ええ、いいのかい?
服部武雄という私の手下がいるからな! ワシと並ぶ鬼のような強さの女だ!」
「ぜひ……お手合わせ……したいです」
「黙りな! 調子に乗りやがって! 根暗な女め!」
怒鳴った篠原さんが逃げるように駆け出す。
僕は門から出て、その後ろ姿を見つめる。
「うらしゃあ!」
そう叫ぶ彼女は道を歩く町人を突き飛ばし、路地へ消えた。
口から息を抜いた僕は、斎藤さんの元へ近づく。
「斎藤さん、助けてくれてありがとうございました。
あの人……すぐにタカってくるんです」
「いえ……なにもなくて……よかったです」
斎藤さんの顔は長い髪で隠れた。
会話を始めると、彼女は目を合わせてくれない。
黙っていれば、接吻する距離まで近づいてくるというのに。
「ミナトさん……」
「なんですか?」
「南蛮の……菓子。一緒に……食べましょう」
彼女に袖を引かれ、土間に戻る。
そこには先程と変わらない人たちがいて、僕と斎藤さんも輪の中へ入った。
何気ない会話をする。笑顔でカステラを食し、ぬるい茶を啜る。
「また作ってよ、クオン! ふわふわの菓子! これじゃ足りないから!」
「平助ちゃんにも手伝ってもらいますからね」
「いいよ! 今度は負けないからね!」
二人の会話を聞いていた斎藤さんが、小さく声を漏らす。
「あの……邪魔でなければ……私も……やってみたい……です」
クオンは握りこぶしを作り、大きく頷いた。
「ぜひ、一緒にやりましょう。人が多ければたくさん作れます。
少し変わった味も作りましょう」
カステラを食べる斎藤さんの口元が微かに上がった。
「うまし……あまし。これは……あまし」
山南さんは茶を入れた湯呑みを斎藤さんに渡し、優しく微笑む。
「友と食べる菓子は格別ですね」
夏に食べる甘いカステラは、僕たちの思い出の一つになった。




