山南敬助 2
「平助ちゃんも酷いことを言ったのですから謝りましょう。総司ちゃんも同じです」
山南さんは微笑み、誠実な言葉を続ける。
「友であり、仲間であり、同志ですよ」
先程まで揉めていた二人は拒絶することなく、互いに頭を下げた。
「総司ちゃん、ごめん……ね。
私のこと寝ないで看病してくれたのに……ごめんなさい」
「私も平助ちゃんが懸命に鍛錬していることを知っているのに……ごめんなさい」
以前の争いに比べると、あまりに呆気ない幕切れだ。
平助ちゃんがにっこりと笑い、総司さんに言う。
「今ね、クオンと菓子を作ってるの。よかったら総司ちゃんも食べていって。
なにを作ってるか……わからないけど」
「食べたいけど今回は遠慮しておくよ。これから土方さんのお使いに行かないと」
「そっか! わかった! 夜、話そうね!」
二人は笑みを交わす。
子どもの喧嘩が起こり、仲直りしたようにも見えたけれど、口が裂けても言えない。
淡い青の裾を翻した総司さんは、軽い足取りで土間から出て行く。
土間には花のような甘い香りが残った。
先程の争いなどなかったかのように、クオンは残りの材料を静かに器へ入れていく。
ふと、手を止めて、山南さんに向き直る。
「このたびは調理器具をご用意していただき、ありがとうございました」
深く頭を下げた。今日、屯所に来たときにも言っていた。
「いいえ、大したことではありませんよ」
今回使う調理器具は山南さんの人脈と人柄で鍛冶屋や職人に依頼し、手に入れた。
竹籠は職人に四角く加工してもらった。
これは必要というより、クオンの拘りにしか感じなかったけれど。
もう一つは重要な物だ。
野鍛冶に言って、鍬のように薄い平らな鉄板を作ってもらった。
僕は土間を出て、軒先に用意していた二つの七輪をうちわで扇ぎ、火の勢いを上げる。
土間に戻ると、クオンは油を塗った竹の皮を竹籠の中に隙間なく敷き詰めていく。
そこに先程混ぜ合わせた、ねっとりとした生地を入れて、竹串で縦横に切る。
外に出て、大きな土鍋を七輪の上に乗せた。
鍋の中にじゃらじゃらと石を詰め、さらに何枚も竹の皮を敷く。
隣で見ていた平助ちゃんは首を傾げる。
「なんで石を入れたの?」
「土鍋が直接当たると竹籠が焦げるのです」
「竹の皮は?」
「焦げを極力防ぐためと竹の香りをつけるためです。
竹の皮を敷く、そこに竹籠を置いて、さらに竹の皮で包む。つまり竹の祭りです。
これは良い香りになると考えます」
「へー、クオンって変なこと、たくさん知ってるよね!
おっぱいは大きくないけどさ。その肉が頭にいったんだね、きっと」
「………………。黙れ……黙れ悪ガキ。
その割れた額に指を入れて、明日を迎えられなくしてあげましょうか」
――ク、クオン……! 山南さんが聞いてるよ!
僕は山南さんが入手してくれた薄い鉄板を持ち、土鍋を蓋するように置く。
もう一つ用意してあった七輪から炭火を取り出し、鉄板の上に並べていく。
「あつっ……」
そう僕がこぼすと、クオンが言う。
「おケガはありませんか、ミナト様」
「うん、熱かっただけだよ」
その様子を興味深そうに見ていた山南さんが、感心したような声を漏らす。
「長崎にある引き釜のような原理なのですね」
クオンは胸の前に持ってきた人差し指を空に向けて答える。
「できるだけ身近な道具で作ります。
これは私が日本人として趣を大切にしたいからです」
僕は七輪から離れて、クオンに立ち位置を譲る。
土鍋に手を翳した彼女が「百度」「百三十度」と呟く。
山南さんと平助ちゃんには聞き取れないくらいの声だ。
「適温に到達しました。焼きの作業を開始します」
僕は鉄板の上に置いた炭を下ろす。
矢床で鉄板を挟み、静かに持ち上げると熱気が漏れ出した。
生地の入った竹籠を土鍋の中に置く。
再び鉄板の上に置いた炭火の数や七輪の火力を調整し、適温を保つ。
しばらくしてから、中身を確認する。
「できたの!?」
平助ちゃんが声を上げると、クオンは首を二回振った。
竹皮を竹籠の上に置いて、鉄板を元に戻す。表面に焼き目ができたからだろう。
汗をかきながら火の調整をするクオンに僕は言う。
「代わるよ」
「いえ、自分でやりたいんです」
どこか寂しげな微笑みだ。その表情の意味するところが僕には少し痛かった。
平助ちゃんは、そわそわと身体を揺らす。
「もうできたんじゃないの!?」
「まだです」
「できたよ!」
「まだです……!」
さらに四半刻(約三十分)ほど経った頃であろうか。
額の汗を手拭いで吸い取るクオンが肩をすとんと落とした。
「焼きの工程は終わりました」
鉄板を下ろす。とても甘く香ばしい匂いが外へ逃げ出していく。
竹皮を外すと、湯気の中から綺麗な焼き菓子が顔を出す。
「わあ……! す、すごい!」
目を見開いた平助ちゃんは大きな声を上げる。
「食べたい……! 早く食べたーい!」
「まだです」
「なんでよ……!」
「もっとおいしくするためです」
そう言ったクオンは微笑む。
「もうおいしいから! 他になにするの!」
焼き上がった中身を別の土鍋へ移し、さらに蓋をする。
それを桶に入れて、鍋の内部に水が侵入しない高さまで井戸水を注いでいく。
「これで半刻ほど待ちます」
「えー! いいよ! そんなことしなくて!」
約一時間もこのままにしておくのか。
「こうすることで菓子に水分を持たせるのです。
本来ならもっと寝かせるのですが、夏場では保存ができないので我慢します。
土鍋が水を吸ってしまいますし」
「食べよ……! もう待てないから!」
二人の言い争いが再び始まる。
山南さんの提案で、菓子が出来上がるまでの間、剣術の稽古をすることになった。
クオンと平助ちゃんが庭の真ん中で、木刀を握り打ち合う。
僕とクオンは松下村塾などで剣術を習っていた。
彼女に関していえば、一流の剣客、多くの猛者と渡り合える腕前だ。
新選組の屯所である前川邸の庭は、剣術の稽古に丁度よい。
この場所は芹沢さんが暗殺された八木邸よりも広かった。
「時にミナトさん。お聞きしたいことがあります」
二人の稽古を見つめる山南さんの横顔は、どこか寂しそうだ。
「なんですか?」
「愚問かもしれませんが……」
「え……? はい、大丈夫ですよ」
クオンと平助ちゃんが打突する音が響く。
風が吹きつけ、庭にある樹木の葉が無数の音を出す。
「最初に選ぶべき、一つの道があります。
それは二つかもしれませんし、三つ、四つとあるかもしれません。
それを己、あるいは他の者と選びます。
一つの道を決めて進んでいくと、道は枝分かれしています。
――しかし、ここで難儀なことが起こります」
庭に響く蝉時雨は、滲む汗を加速させる。
軒先の日陰に立つ山南さんは、それさえも慈愛で包んでいるように見えた。
「そこで起きるのは『争い』です。
争いをしなければ、それぞれの道を進めなくなるのです。
譲ることもできますが、それは難しいでしょう」
「争い……ですか」
一つのことが脳裏をよぎる。考えている間に山南さんは続けた。
「争いを経て、さらに進んでいくと、また別の道が分かれていることでしょう。
その時にも再び争いが起こりますし、己の道を選ぶことになります。
――ミナトさんは……どうなされますか?
枝分かれした道をどのように選びますか?」
止まらない蝉の声が耳に入り、僕は額の汗を指先で拭う。
「一人で決めるかもしれませんし、誰かと決めるかもしれません」
「それはクオンさんですか?」
山南さんは僕に微笑みかけて、その後で銀髪が揺れるクオンを見た。
「そうですね……一緒に考えると思います。
一人では決めきれないことも、話し合えば決められるかと。
最後に決めるのは自分ですけど」
「よいですね。
共に選ぶ道であれば、苦悩も葛藤も……苦楽として歩めることでしょう。
もう一つよろしいですか?」
その言葉を肯定すると、彼女は寂しげな吐息を漏らした。
「歩んでいると、行く手を阻む石もあります。
躓き、足の向きが変わってしまうこともあります。
人の想いは複雑に入り乱れ、一言では決して語れません。
しかし、歩みを止めることも時に必要です。
手を引いて、止めるべき者が己だとします。ミナトさんはどうなされますか?」
「止めるべき者が自分であれば……止めます」
「止められないとしたら?」
山南さんの口調が少しばかり強くなった。
そう言い切るには、とても曖昧なものだったけれど。
「それは『止められなかった』という結果を先読みしているからだと思います」
耳を突く木刀の音は激しくなっている。
「僕は……こう考えます。
『止めたい』は願いです。『止められない』は諦めです。
ですが、どちらが良いか悪いかではなく、悔やまない道を選びます。
それと……進むべき道は己で決める。
決して人任せにはしない。そのように教わりました」
「そう……ですか。良き師ですね。それとも友ですか?」
牢獄の中でも変わらぬ信念を持っていた人。
仲間のために汚れ役を買っていた人。
そして……人を守るために死地へ向かった人。
彼女たちの笑顔を思い出す。
「友であり師……ですね」
「そうです……か」
とても寂しい。とても痛みのあるような声が日陰の土に落ちた。
蝉は今も変わらずに、しっかりと鳴いている。




