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散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


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幕間 ミナト

 小学生の頃の話だ。いつもどおり自室でクオンの授業を受けている。


 白い窓枠に止まる一匹のスズメが、僕のことを見ていた。


 小さく、ちゅんちゅんと鳴く。


 その後ろには葉桜が音を立てて、揺れている。


「吉田稔麿さんは……池田屋事件で死んでしまったの?」


「諸説あります。

最初から池田屋にいて、斬り合いの最中に脱出し、長州藩邸に援軍の要請に向かった。

しかし、援軍を断られ、現場に戻り、討ち死にしたという説です」


「しょせつってことは、まだあるの?」


「はい。当夜は長州藩邸にいて、池田屋の異変を知り、駆けつけたという説もあります。

道中で敵兵に遭遇し、奮戦の末に命を落としたそうです」


「うーん。ぜんぜん違うね。だれかが話を変えたのかな」


「そのように考えることが妥当です。

藩邸にいて池田屋に向かったとすれば、自らの意思です。

しかし、池田屋から脱出し、長州が藩邸の門を開けず、援軍を断った場合は別です。

これは長州藩側からすれば、保身のために見捨てたことと同じです」


「藩邸から向かったって言うのは、自分たちが悪く見られないように……したのかな」


「その可能性が高いです。吉田稔麿さんは松下村塾の才人でしたから。

討幕は松下村塾の門下生による尽力がとても大きいのです。

その方を見捨てたとなれば、長州側の面目が立ちません」


 クオンから聞く歴史の授業は楽しかった。


 学校における社会の授業のように、年号や出来事を覚えることではない。


 史実とされていることを知ることでもない。


 クオンに以前言われた。


 伝えられた話を事実として鵜呑みにすることは避けたほうが賢明である、と。


 歴史とは常に懐疑的に考えることが大切である、と。


 小学生の僕が興味を惹かれたのは別のことだ。

そこに存在した人の考えや感情を想像し、さまざまな想いを巡らせることだった。


「長州藩士で有名な桂小五郎さんは……池田屋にいたんだっけ?」


「こちらも諸説あります。

本人いわく、一度は池田屋に入ったそうです。

そのまま対馬藩邸に向かい、その間に池田屋が襲撃されました」


「なんで……そこに行ったの?」


「同志たちが来ていなかったからだそうです」


 僕は口を膨らませて、ゆっくりと息を吐いた。


「変だよ、それ」


「ミナト様は、どのように考えますか」


「みんなが来てなかったら待つでしょ。

昔の時間の感覚はわからないけど……ふつうは待つよ。

せっかく会いに行ったのに、すぐに帰るのは変だよ」


「そうですね。池田屋は長州藩と懇意にしていましたから、待てばよいですね」


 一つの疑念が浮かぶ。目の前のボールペンを握り、ノートに横一文字を引く。


「もしかしてさ……桂小五郎さんは、わざと池田屋に行ったのかも。

ほら……アリバイ作りみたいな」


「ミナト様は探究心がすごいですね」


「だってさ、お店に入っておけば……一回は行ったんだよーって言えるもん」


「桂小五郎さんが裏で糸を引いていた、と」


「うん。それもあるかもなーって。

桂小五郎さんは京都に火をつけるっていう人たちを止めたかった。

でもね、自分では止められない。だから……池田屋を襲わせたんじゃないかなー」


「利害の一致する新選組に情報を流し、自らは出向いた後で踵を返す。

そして……同志の散りゆく様を高みの見物ですか」


「うん。そういうのあるかもなって」


「ですが、ミナト様。

その池田屋事件も蛤御門の変の要因の一つになっています。

結果として、京都は大火災となりました。

桂小五郎さんが予期していないとは思えません」


「池田屋事件のときに止めたかったのは、なにか理由があったのかも。

その時に火事になってほしくない理由が」


 僕が蛤御門の変のことを問いかけると、まずは池田屋事件からだとクオンは言った。


「他に気になるところはありますか?」


「池田屋事件のときって、志士が二十人から三十人いたんだよね。

それで新選組が斬りこんで、あとから他の新選組や会津藩が来たよね。

池田屋の周りには他の兵もいたんでしょ?」


「はい。ですが、新選組側の援軍が何人で現れたか、そのデータはありません。

京の都に火を放つ、という作戦が囁かれていたので、多くの人員がいたと推測されます。

当時の火災は、住宅構造と町構造の関係から、とても恐れられていたのです」


 僕は首を捻り、空間に映し出された旅籠を見つめた。


 再現した池田屋は味のある白黒ではなく、当時の色彩を想定し、着色されている。


「吉田稔麿さんが長州藩邸から向かった、戻ったとしても……。

どうして……行ったのかな。

いっぱい敵がいるってわかっていたよね」


 クオンは紅い瞳を端末の画面に向け、しばらく沈黙してから言った。


「なぜ、吉田稔麿さんは死地へ向かったと思いますか?」


「みんなを……たすけたかったから」


「そうかもしれませんね。

ミナト様は死地へ向かった吉田稔麿さんのことをどう思われますか?」


「人を守るために戦った人だから、そんけいするよ。必死に走ったんだと思う。

そういう人のことをカッコいいって思う」


 カーテンが夏の風を受けて、ふわりと動く。




「優しい吉田稔麿さんのことが、ぼくは……すきだよ」




 外では雲が流れて、陽の光がフローリングの色味を変えていく。


「池田屋事件……変なところがいっぱいあるよね」


 僕が言うと、クオンは端末を操作し、池田屋の内部を映し出す。


 宙に出た映像を見て、僕は続ける。


「一時間から二時間も戦っていたって、手紙に書いてあるんでしょ?

刀で戦っているのに……そんなに時間がかかるのかな。

疲れちゃうと思う。斬り合いに休憩なんてないのに」


「おっしゃるとおりです。狭い室内での生死をかけた争い。

大きな行灯があったという説もありますから、暗闇ではなかったのかもしれません。

ですが、人間の集中力というものは長く持ちません。

実際の戦闘は、短時間であった可能性もあります。一太刀が生死を分けますから」


「じゃあさ、やっぱり話をもったのかな」


「否定できません。情報操作はいつの時代もありますから。

それに当時の新選組は、会津藩へ武力と価値を示す必要もありました。

有象無象の集団ではない、と。

結果として、池田屋事件が新選組の名を世間へ轟かせました」


 喉が乾いた僕は、クオンに一声かけてから勉強机を離れ、キッチンへ向かう。


 グラスに氷を入れて、クオンが手作りしていた飲料と炭酸水をそっと注ぐ。


 淡い赤色から泡がぱちぱちと弾ける。


 二つのグラスを持って自室に戻り、片方をクオンに渡す。


「志士側の人も二、三十人って多いよね。本当にいたのかな?」


「捕縛された者の中には、池田屋の女中や奉公人も含まれているかもしれません」


「それは……ふくめなくていいよ。お店の人じゃん。

もりたくて、捕まえたんじゃないのかな。

あとさ、新選組の近藤さんが一番に乗りこんで戦ったってさ……変じゃない?」


 クオンは小さく首を傾げた。


 僕は炭酸飲料を喉に流す。

柑橘の爽やかな香り、ベリーの豊かな甘みと酸味が口の中に広がる。


「沖田総司さんや永倉新八さんっていう新選組の中でも強い人が一緒にいたんだよ。

新選組の局長が最初に乗りこむなんて変だよ。店で名乗りはするだろうけど。

敵がいっぱいいるのに、一番上の人が真っ先に斬りこんでいくのはおかしいなって」


「組織の上に立つ近藤勇さんという器の大きさが、そこにはあるのかもしれませんね。

上に立つ者としての背中を見せたい、と。

それに当時の室内は広くないので、一対一という形が取れたのかもしれません」


 クオンは表情を変えずに、炭酸飲料を口に含む。


 僕の疑問は止まらない。


「うーん。どんなに強くても、戦っている敵の脇から別の敵の刀が出てきたら?

志士のほうが数は多いし……。

敵がくみついて、他の敵が味方ごと刺してきたら?」


「極めて危険な状況です」


「クオンが前に教えてくれたよね。

薩摩藩士たちが仲間同士で殺し合わないといけなくなった寺田屋事件のこと。

『俺の身体ごと突け』っていう話。あの時もくみついて刺したんだから」


「そうですね。その状況であれば新選組も危うかったと思います。

池田屋の志士たちは、お酒を嗜み、酔っていた可能性もあります。

決意を持った側と急襲を受けた側では、覚悟が違うということもあります」


「そっか……そういうのもあるんだね。

新選組って……やっぱり、すごく強かったのかな」


「室内での戦いや市街地での戦闘には、特に秀でていたと考えられます」


「前に見たんだけどさ。新選組はひきょうだって書かれてた」


「多人数で囲むからですか?」


「うん。でもさ、その人たちが言ってることっておかしいよね。

今でも警察官が犯人と一対一でやり合うわけないのに」


「おっしゃるとおりです。

一騎討ちであれば別ですが、新選組は治安を守るための組織です。

確実性を取り、なおかつ、組織の者を死なせるわけにはいきません」


「うん、そうだよね」


「新選組は斬ることよりも、捕縛を第一としているので多数で斬りかかるべきです。

それに奉行所も多人数で罪人を捕縛します、当然のことです」


 大きく息を吸い込んだ僕は、グラスに付く雫を撫でた。


「近藤勇さん、沖田総司さん。みんな、どんな人たちだったんだろう。

幕府側の人たちも維新志士たちも。どんな人たちだったんだろう」


 外を見る。白い入道雲がゆっくりと空を泳ぐ。


 時に急ぎ、時に佇む、その様子は時の流れに似ている。


 窓枠にいたスズメはこちらを見たままだ。


 僕が近づいても飛び立たず、声を置くように鳴く。


 逃げない。不思議だ。


 その小さい頭を人差し指で優しく撫でる。


「きみ……春と夏になると毎年来るよね」


「ちゅん」


「いつも来てくれて、うれしいよ」


「ちゅん」


「今年の春もたくさん咲いたよね。蜜はおいしかった?」


「ちゅん、ちゅん」


「よかったね。いつでも遊びに来てよ」


「ちゅん!」


 スズメは綺麗な羽を広げ、夏の青い空へ優雅に飛び立っていく。


 葉桜は今も変わらず、静かに揺れていた。




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