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散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


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24/63

吉田稔麿 8

             *




 池田屋へ向かう道中、遠くに兵の姿があった。味方ではないことは明白だ。


 会津藩の家紋である三つ葉葵の旗が揺れる。提灯には會の文字が浮かぶ。


 私は手に持っていた提灯の火を消し、さらに近づいていくと目を疑った。


 まるで、合戦の場に行くような行列だ。

頭は鉢金や陣笠、腕と足には篭手と脛当てをしっかりと装備している。

藩士たちが手に持つ松明は、夜の京を照らす。


――会津と……桑名か。池田屋まで、あと少しなのに……。


 店の軒先で身を隠し、荒い呼吸を整えていると、多数の兵の前で声を荒げる者がいた。


「通してください!」


――どうして……。


「すみません、通してください……!」


 ミナトさんが大声を出している。

クオンさんと共に、松明の灯りにしっかりと照らされていた。


「通すわげにはいがねえ! にし、会津と知っての狼藉だか……!」


「行かないといけないんです……!」


 ミナトさんは会津兵の前に立ち、必死に訴える。

クオンさんは間に入り宥めているようだが、彼の勢いは増していく。


「通してくださいよ! 邪魔しないでください!」


 普段から落ち着いている彼らしくない。その姿を初めて見た。


「ミナト様……! ダメです! ミナト様!」


「おめえら! なにもんだべ……!」


 前線にいる会津兵が、ミナトさんの顔に向けて槍を突き構えた。


 それを見た私は、地面を強く蹴り、駆け出す。


 近くの池田屋には同志がいる。


 目の前には大切な人がいる。


 助けたい。守りたい。報いたい。


 友である二人の間をすり抜けた。


 納刀した状態で腰から刀を外し、会津兵の持つ槍を絡めて、地面に叩き落とす。


「大丈夫ですか。ミナトさん、クオンさん」


 私は振り向くことなく言った。


「とし――、よ、よかった……」


 背後から聞こえる声に、少しの笑みがこぼれる。


 いつでも気遣いをしてくれる人だ。


 前線の会津兵たちがどよめき、いきり立つ。刀に手を掛けて鼻息を荒くする者もいる。


「な、なにもんだ! にしは……!」


 前方の男たちは白目を剥き出しにして、槍の穂先が震えている。


 私は周囲を警戒しつつ、振り返ることなく二人に問いかける。


「お二人は、なぜここにいるのですか」


「きみのことを……探しに来たんだ」


 私の名を決して出さない。


「なぜですか?

私は旅籠に寄って、すぐにお二人のところへ戻るつもりでしたよ」


「うん……わかってる。でも……探しに来たんだ」


 要領を得ない。珍しく歯切れの悪い言い方だ。


「私は……ここにいますよ」


「うん。よかったよ、無事で!」


 その言葉が私の背中を優しく撫でて、口元は上がってしまう。


 背後には友がいて、眼前には敵がいる。


 威嚇のために一歩踏み出そうとしたときだった。


 私の前に、いつか見た背中が現れる。


 萩にいた頃。


 夏の中。山の中。恐怖の中。


 今も変わらずに……私の前に立ってくれた。


「僕たちの家に行って、稔麿ちゃん。ここは僕がどうにかするよ」


 彼は振り返り、そして微笑んだ。


 ミナトさんを怒鳴る会津兵は、先程よりも勢いづく。


 萩を出てから、さまざまな変遷を見てきた。

大局を動かすことのない些細な裏切りも多かった。

口ではうまいことを言い、腹の中に黒さを隠している者もいる。


 しかし、今はどうだろう。目の前には数年前と変わらぬ背中がある。


 一つの嘘もない。確かな真実が私の前にあった。


 愛刀の鯉口を切った私は、軽やかに抜刀する。


「ぬ、抜いだ! 会津に刀さ向げて、しょ、正気か!」


「長州藩士……吉田稔麿です」


 名を告げると、顔を強張らせた会津兵たちが槍を構える。


「ぞ、賊だあ! 長州の賊がいるぞ!」


 前線の会津兵が口に手を添え、法螺貝の音のように野太く叫んだ。


「ミナトさん、クオンさん。ここは私に任せて行ってください」


「ダメだよ! 稔麿ちゃんも一緒に行こう! 一緒に帰ろうよ……!」


「ミナト様……」


 クオンさんの寂しげな声は、会津兵の気合に押し負けている。


「賊だあ! 賊は三人だあ……!」


 鞘から刀が抜ける。摩擦音が続く。


 私は息を吐き出す。


「聞いてください、会津のみなさん。このお二人は賊ではありません。

通りがかった薬売りで、病人のところへ向かう途中です。

無関係の者を傷つけるなど、会津の名がすたりますよ」


 そう告げてから正眼に構え、左手を腰の方へ引く。

月明かりが刀身に映り込み、すうっと伸びるように蠢く。


「クオンさん。ミナトさんを下がらせてください」


 私が言うと、クオンさんは彼の袖と腕を掴み、後ろに連れていく。


「会津のみなさん。長州藩士、吉田稔麿がお相手いします」


 会津兵の怒声が飛ぶ。

ずずっと草鞋が地面を擦り、二人の男が繰り出した槍が私を襲う。


 半身で避けて、下から槍の穂先を弾く。鋭く振った刀で相手の膝を斬る。

倒れ込んだ会津兵の首めがけ、鈍く光る刃を突き刺す。


 うめき声が京の地面に吸い込まれた。


 ぬるりとした感触が鋒から柄まで伝わる。


 斜め前の老兵が気合を入れて、刀を振り上げた。


 私は前に踏み出し、すぐに止まる。

目の前を白刃が切り裂く。右足で踏み込み、敵の腹から肩まで切り上げる。


 その勢いを切り返し、刃で首を斬り裂く。


 水滴を手で払うように、血が飛び散った。


 息つく間もなく、左から迫った槍が私の腹を掠める。


 後ろに飛ぶように下がって、一度、間合いを取った。


 甲冑は斬るところが限られる上に、槍使いも多い。

さらに多勢を相手にするなど……難儀な話だ。


 会津兵は雄叫びを上げ、睨み、じりじりと前に詰めてきた。

組頭と思われる者の命令で私を取り囲む。およそ七人ほどだ。


――どうする……。


「一斉に槍で突げえ……!」


 その言葉と同時に動く。

目の前の兵士に突っ込んで肩口を斬る。すぐに地面を擦るほど身を落とす。

峰に手を添えて、相手の喉から顎までを突く。


 鮮血が吹き出す。くぐもった声が出る。


 新たな敵に左肩で体当たりし、足払いしてから首を斬る。


 背後から迫る刃。斬撃を間一髪で弾き飛ばす。


 横からは槍の穂先が光る。その刃を受けて滑らせ、前に踏み込む。


 私の刃は、敵の持ち手の指を斬り落とす。


 ぼとぼと。数本の指が地面に落ちる。


「ひぎいっ……!」


 男は槍を落とし、背後にある家の軒下に突っ込んだ。


 振り返る間もなく、刃が迫った。

肩を刃で守り、身体を反転させると同時に相手の足を斬りつける。


 数本の槍がぎらりと光り、私を襲う。


 叩き落とす。身を捩る。前に踏み込む。


 身体に加わる、衝撃。


 地面を這うような槍が左の脇腹に突き刺さった。


「稔麿ちゃん……! 後ろ!」


 ミナトさんの声が聞こえた。


 同時に、右の肩から血に濡れた穂先が突き出る。


――数が……多い。


 すぐに刀を振り回し、威嚇する。


 力の入らぬ右手から、命綱であった刀がするりと抜け飛んでいく。


 新たに迫った刃を紙一重で躱し、倒れている会津兵の槍を拾い上げる。


 左手でしっかりと握り締め、周囲を睨む。


 呼吸は荒い。右手の指先は動きが悪い。


 呼吸を整えるために、深く息を吸い込む。


 その時だった。


 ミナトさんが駆け込んできて、絶命している会津兵の刀を握ろうとした。


「やめてください……!」


 私は思わず叫んだ。


 彼の手は止まり、こちらを見る目は滲んでいる。


「クオンさん! ミナトさんを後ろへ!」


 クオンさんは、すぐにミナトさんに駆け寄り、後ろに引きずっていく。


 ミナトさんの真っ直ぐな瞳は私のことをただ……見つめていた。


 共に戦えば、この場を離脱することはできるだろう。

二人の剣術の腕前を知っている私だからわかる。


 しかし……。


 巻き込んではいけない。彼らは尊皇攘夷を掲げていない。討幕派でもない。


 これは私が戦うべき道なのだから。


 槍を握る左手は重い。その肘で出血している脇腹を何度か押す。


 大丈夫だ。まだ戦える。私は……戦える。


「どげえ! どげ……!」


 野生動物の咆哮にも似た声がした。


 眼前の会津兵たちは次々と振り返り、ススキを割くように道が開いていく。


 そこに現れたのは、無骨な甲冑を纏う、とても大柄な女性だった。


「なんだ、にし。にしが賊が?」


 エラの張った顔立ちは、身を引いてしまうような威厳がある。


「そうです……ね」


「そっだら、名乗れ」


「相手に名を尋ねるときは……ご自分から名乗るのが礼儀ですよ」


 相手の頬の肉が大きく上がり、うんうんと頷き、嫌味なく笑った。


「これは申し訳ねえ。わだしは会津藩、佐川官兵衛だ」


――会津の佐川官兵衛……手練れか。


 周囲の者たちは先程と違い、静まり返っている。


 夏の虫だけが静かに鳴く。


「長州藩士、吉田稔麿です」


「吉田稔麿。そうが……おめえが長州藩の中でも有数の才人か」


 彼女は倒れている会津兵たちに目を向けて、人差し指を縦に振っていく。


「ひい、ふう、みい……これだけの人数相手に四人も屠るか。

手傷を負っているもんも多ぐいる……な。

敵ながらあっぱれ。投降すれば――」


「私は志士です。戦いとなれば……逃げも隠れもしません」


「そう……が。殿の命(めい)だ。ここを通すわけにはいがねえ。

――後ろのやつらは、仲間か?」


 その声と視線で、私は振り返る。


 クオンさんがミナトさんのことを羽交い締めにしていた。

ミナトさんは瞬きせずに涙をこぼし、クオンさんは目を閉じて、涙が頬を濡らしている。


「お二人は立派な薬売りです。

今夜の私たちの争いとは、天地神明に誓って関係ありません。

どうか、手を出すことはないように」


「そうが。そんなら手は出さねえ」


 先程まであった彼女の笑顔は消えている。

吊り上がる鋭い目は、獲物を見定めたかのような獰猛さが滲む。


「おめえら、離れでろ」


 彼女の指示で、会津兵は絶命している者たちを引きずっていった。


 佐川官兵衛さんは腰に差した刀をゆっくりと引き抜く。

今の時代ではあまり見かけなくなった大太刀が、その姿を見せる。


 先程よりも身体が大きく見える。その身に纏う雰囲気は、やはりただ者ではない。


 一騎討ち。他の会津兵は構えていない。


「会津藩士、佐川官兵衛」


「長州藩士、吉田稔麿」


 夜風が血の匂いを巻き込んでいる。


 佐川官兵衛さんがゆっくりと上段に構えた。


 周りの空気を引き込むような威圧感だ。


 私は間合いを詰めず、円を描くように動く。


 夏の蒸し暑い風が吹きつける。


 息をのむ。萩にいた頃の記憶が不意に蘇った。

松下村塾の筆頭。誰よりも勇敢で、誰よりも過激な人の声がする。


『いいかー、稔麿。勝負っていうのは臆したら負けるのよ。

決して退くな、前だけを見な。

――あんたは誰にも負けない。私以外に負けるわけがない』


 命を賭した勝負の最中だというのに。

高杉さんの言葉が、私の笑みを導こうとする。


 上段に構えられた大太刀が、すっと動いた。


 その刹那。


 大地を揺らすような強烈な踏み込み。同時に風を切り裂く刃。


 避けると風圧によって前髪が揺れた。素早く返された太い刃が頬の皮を抉る。


 私は槍を切り返し、石突で鳩尾を突く。間髪いれず、首の根元を打ち据える。


「ぐっう……」


 唸り声を上げた佐川官兵衛さんの腹と顔に蹴りを入れる。


 すぐに離れた。傷を負っている脇腹から血が伝い、私の袴を濡らす。


 身体を折った佐川官兵衛さんは、しばらく咳き込んだ後で、にやりと笑う。


「にし……強いなし。才人であるのがもしれねえけど……とんでもねえ武人だ」


 互いに構え直す。私は左片手で脇構え。佐川官兵衛さんは正眼に構えた。


 しばらく睨み合う。風が鳴く。


 どこからか迷い込んだ葉が二人の間に落ちた。


 互いに踏み込む。刹那の突き。


 橙色に色付く刃が交わる。


――これが……。 


 佐川官兵衛さんの左肩の肉を私の槍の穂先が裂く。


 しかし……。


 割れるような、焼けるような感覚が走る。


 ずしりと臓腑にかかる重み。


 私の腹に彼女の大太刀が貫通していた。


 刃を腹から引き抜かれ、声が漏れ出て膝をつく。


 呼吸がうまくできない。身体中の毛穴から冷たい汗が吹き出ていく。


 身体を仰向けに倒された。


 いや……違う。抱きかかえられた。


「稔麿ちゃん……!」


 ミナトさんは目に涙を浮かべていた。その隣にはクオンさんがいる。


「よ、よおし……! 勝った! 勝ったどお!

残りの二人も討ち取れ! やっぢまえ!」


 囲んでいた兵士の声が耳に入る。

いまだ手の中にある、頼りない槍を握りしめようとしたときだった。


「手ば出すでねえ……! 武士の約束だべ!

にしら、会津もんだのに、そったなごどもわがんねえのが……!」


 傷口の血が吹き出すかのような大声だ。薩摩の武士が出す猿叫よりも迫力がある。


 腹を押さえる私の手に、とても硬い手のひらが覆い被さった。


「わりいなし。この二人は会津の名にかけて、無事に返すって約束するがら」


「ありがとう……ございます」


 佐川官兵衛さんが微笑む。静かに立ち上がり、血の匂いのする京の夜へ咆哮した。


「さあ、持ち場さ戻れ! ここに賊はいねえ……!

賊はいねえがら! 早く持ち場さ戻れ……!」


 多くの草鞋が動き、足早に遠ざかっていく。


 佐川官兵衛さんは、再び私の隣にかがんだ。


「今、介錯を――」


「いいえ……お気持ちだけで十分です」


「そが……わがった。

長州藩士、吉田稔麿。にしと戦えたこど……忘れねえ」


「私も光栄……でした。会津藩士……佐川官兵衛さん」


 笑みを浮かべた佐川官兵衛さんは立ち上がり、ずんずんと歩み、去っていく。


 女性とは思えないほどの身体だ。その心も器も、また大きかった。


「クオン……」


 私を膝の上に乗せたミナトさんが声をかけると、彼女は隣にかがんだ。


 刀で刺された私の腹の傷口を見ている。


 クオンさんは一言も声を出さず、地面に向けて視線を落とした。


「稔麿ちゃん……」


 これほどまで弱い声で、ミナトさんに名を呼ばれたのは初めてだ。


「そんな顔しないで……ください。そ、そうだ……お二人に贈り物があります」


 まだ動く左手で懐を探す。本来は軽い音を立てるはずだが、そうもいかない。


 摘み上げる懐紙は真っ赤に濡れていた。


「ごめん……なさい。血で汚れてしまいました」


「ううん、大丈夫だよ。開けていいの?」


 彼は涙を流し微笑んでくれた。鼻水も垂れている。


――ふふ……子ども……みたい。


 濡れた懐紙が彼の指によって開かれていく。


「これ……金平糖(こんぺいとう)だよね」


「はい……髪を整えてくれたことと夕げのお礼です」


 息が苦しい。歪な音が身体の中から生まれる。


 思うように動けない。力が入らない。

昔、川で溺れたときのことを思い出す。あの時も抱きかかえてくれたのは彼だ。


 私のことを助けてくれたのは、ミナトさんだ。


 小さな息を吐き出し、掠れた声で告げる。


「ごめんなさい。血に濡れてしまって……。これでは食べられません……ね」


「ううん、大丈夫。中身は濡れてないよ。ありがとう。何色にしようかな……」


 店内に並んでいたときの淡い色の飴は、どれも綺麗だった。


「クオンは薄黄色。僕は浅葱色。はい、稔麿ちゃんは桜色」


 彼にとっては、何気ない一言だったのかもしれない。


 けれど……私には、その優しさが痛いほどわかる。


 夜に色の判断ができるわけがないのに。私に桜色という言葉を贈ってくれた。

そして……私が買った金平糖の中には、確かに桜色が入っている。


――覚えてくれてたんだ。


 いつかの思い出が胸の奥を撫でて、温かさが涙と共にあふれ出す。


 目の前にミナトさんの指先が向かってくる。


 血に濡れた口を小さく開けると、彼は唇に金平糖を触れさせて、そっと落としてくれた。


 血の味、微かな甘さ。涙があふれていく。


「うん、おいしいよ」


「はい。甘さが上品です。稔麿ちゃん、ありがとうございます。

とても……おいしいですよ」


 ミナトさんもクオンさんも微笑んでくれた。


「クオンさん、私たち……今も桃花団子同盟ですよね」


「もちろんです。二人で続けましょう」


 高杉さんに立ち向かうため、クオンさんと結んだ同盟だ。

いつからか甘味処を巡るものに変わっていった。


「また……甘味処に行きたかったです……ね」


「行きましょう。これからも。

私は近頃、新しい菓子作りをしているのです。

それで……カステラを作ってみようかと思っています」


「加須底羅(かすていら)ですか……」


 クオンさんの手は震えている。掴んでいるのはミナトさんの藍色の着物だ。


「今度、カステラをお作りします。これは雅な味にします」


「クオンさんの……加須底羅。はい、とても楽しみです」


 二人とも頬に涙が伝っている。私の耳にも涙が入り込んでくる。


 虫の鳴き声は、先程よりも薄れていた。


「ミナトさん……クオンさん。聞いて……ください」


 二人は静かに頷いた。


「高杉さんも久坂さんも……私からすれば太陽のような人たちです。

ですが……私は己の生き方が嫌いではありません」


「うん。わかっているよ」


「太陽ではなくても……静かに光る月でいたかったんです」


「いつでも……みんなのことを見ていてくれたよね」


 昔に聞かれた問いを今なら答えられる。荒れる時勢の中にあって私は見つけた。


 そして……それは彼が教えてくれたことだ。


「ミナトさん……あの時のことを覚えていますか。

萩にいた頃、私の進むべき道がわかったら……一番に伝える……と」


「うん……覚えているよ」


「遅れてしまいましたけど……まだ誰にも言っていません」


「うん……」


「私は……みんなのことを支えたかったんです。

私の慕う人。私の周りの人。私の住む国の人。みんなを……守りたかったんです。

慕う人を守り、共に過ごし……この国で一緒に笑っていられること――」


 声が掠れる。それでも、それでも続けた。










「それが……私の尊皇攘夷です」










 ミナトさんは涙を流し、頷いてくれる。


「松下村塾に入ったときのこと……僕は忘れていないよ。

一番、最初に話しかけてくれたのが……稔麿ちゃんだった」


「私も……よく覚えています。あの時……高杉さんは裸で歩いていました」


「うん。それで、僕が怒られて……さ。

高杉さんが暴れられるのって……稔麿ちゃんがいたからだと思う。

いつでも、みんなのことを支えてくれたから」


「そうですか……ね。そうだ……高杉さんに伝えてほしいことが……」


 松下村塾で議論を交わしていた顔を思い出す。


 真っ赤な着流しを纏い、真っ赤な魂を持っている人だ。










「ばーか」










 三人で笑い合った。一つも変わっていない。あの頃と何一つ変わっていない。


「これを……」


 脇差を左手で握り、腰から外す。これだけでも随分と身体が痛む。


 打刀と揃いの朱色の鞘には、白桔梗が鮮やかに描かれている。

柄巻も朱色で、歪みのない菱巻は私の信念さえも形良くしてくれた。


「ミナトさん。私の脇差……受け取ってください」


「うん……ありがとう。大切に……大切にするよ」


 彼に脇差を託した後、私は血に濡れた腹に手を掛けて、もう一つの刃を手に取る。


 淡い鳥の子色の漆で塗り上げられ、舞うような紅梅が散らされた短刀。

縁頭と鯉口の金具は濡れたような朱色をしていて、私の自慢の品だ。


「この短刀は……クオンさんの命を奪うものではありません。

あなたの心を……守るためのものです。

どうか……苦しいときには、私の刃を見つめてください」


 クオンさんは涙をぼろぼろと流し、短刀を受け取ってくれた。


 息がうまくできない。力が入らず、何度か咳き込む。


「今まで……ありがとう……ございました」


「稔麿ちゃん!」


「稔麿ちゃん……!」






――松陰先生……ごめんなさい。いただいたものを返せませんでした。




――ですが、決して恥ずべきことはしていません。




――私は……私の道を貫きました、松陰先生。




――高杉さん。みんな……ごめんなさい。




――でも……。




――私の進んだ道に、後悔は一つもありません。




 目が霞む。痛みが薄れてきた。じんわりと身体の力が抜けていく。


 でも……温かい。とても……温かい。


 ミナトさんが私の手を握ってくれる。


 あの頃と変わらない……優しい手だ。


 私は彼の手をそっと持ち上げ、クオンさんの震える手の上に置いてあげた。


 輝く星空。視界の端には三日月が浮かぶ。目をそっと閉じる。


 朝凪のような静けさだ。静かに。ただ静かに。私の身体は優しく包まれていく。


 私は最期まで、慕う人の頬の温もりへ手を伸ばせなかった。




――言えなかったな……。




――なんと答えてくれた……かな。




――今なら……今なら……言ってもいいですか。




――私は……あなたのことを――。




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