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散りゆく桜の真実、ぼくは未来で口づけを  作者: 陽野 幸人


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幕間 ミナト

 クオンは僕の教育係だ。


 幼い頃から共にいる。

僕に勉学を教える相手、家事全般を行う者として父が購入した。


 その父と母は、僕に深く干渉しなかった。

赤文字で百点が付けられた用紙を見ても、両親は一つの言葉も出さない。

けれど、常に百点でなければ許されなかった。

端末から映し出される文字をひたすらに追い、脳内へ叩き込む。


 都内の一等地にある自宅で食事をするときは、僕の食器だけが鳴る。

家政婦が作ってくれる料理はおいしかった。おいしかった……けれど。

その料理の温かさとは裏腹に、心は秋から冬に入る境目のような冷たさがあった。


 クオンに初めて会ったのは小学校四年生の頃だ。


 学校から帰ると、広い玄関で深く頭を下げ、綺麗な銀髪を垂らす彼女がいた。


「初めまして。家事全般と教育係を任された人工生命体のAです。

なんなりとお申しつけください」


 白いワイシャツに黒のスラックス姿だ。次に僕の目に映るのは彼女の顔だった。


 遠くの空に消えていく夕陽のような紅い瞳。天から舞う羽にも似た白い肌。

目鼻立ちの整った容姿。当時の僕より少し年上の中学生くらいに見えた。


 人工生命体には一定の年齢を保つ者もいるし、人間と同様に成長する者もいる。

年齢の重ね方を調整できる者もいた。彼女は成長と調整を併せ持つ人工生命体だ。


「ぼくはミナト。きみの名前は?」


「私は人工生命体のAです。よろしくお願いいたします」


「うん、よろしくおねがいします。それで……名前は?」


「人工生命体のAです」


「それは名前じゃないよね」


「名前です」


「名前じゃないよ」


「名前です」


 何度かの押し問答を繰り返すが、互いに一歩も譲らなかった。


 彼女の表情は一つも動かない。


 手洗いうがいをしているときも、隣で適切な手順と方法を述べる彼女は無表情だ。


「きみは何歳なの? ぼくは十歳だよ」


「私は作られてから十四年が経過しています」


「中学生くらいなんだね。今までどこにいたの?」


「人工生命体たちが通う特別な施設で過ごしていました」


「へー。人工生命体って、みんなそこにいるの?」


「いいえ。多くの人工生命体は、作られた段階で完成品として出荷されます。

全体の数パーセントの人工生命体のみが、幼少の頃から施設で過ごします。

そこで学び、人間のお役に立てるように研鑽を積むのです」


 彼女の話では人間に深く寄り添えるように、成長過程を経る人工生命体がいるらしい。

最初から知識などがあるわけではなく、努力した上で成り立つところは人間と同じだ。


 施設には人間と同じように優劣が存在し、日々成績を競っている。

後に聞くところによれば、クオンは常に上位の成績を収めていたそうだ。


 自室へ向かい、椅子に座る。彼女は左手を右手の前に重ね、静かに立っていた。


「お勉強を開始しますか?」


「ううん、まだやらない。問題があるから」


「問題ですか。ミナト様が問題を出して、私が答えるというゲームですか?」


「違うよ。問題はきみの名前。いっしょに考えようよ」


「人工生命体のAです」


「もういいよ、それは」


「人工生命体のAであることに変わりはありません。

施設にいた頃は何期生の何番と呼ばれていました。

そちらで呼んでいただいても構いません」


「その呼び方のほうが大変だよ。十期生二十七番!」


 僕が適当な数字を口にして、おどけてみせても、彼女の表情はぴくりとも動かない。


「私たちがいた施設、公の場ではみんなそうです。

ですが、普段は別の呼び方をしている者たちもいました。あだ名を持つ者もいます」


「あ、それだよ、それ。どんなものがあるの?」


「同じクラスで目立っていたのは、黒パンが大好きな黒糖脳筋。

緑色の髪の毛のうぐいす豆ちゃんは、ご飯の一口が少ないです。

奇人で天才科学者のホタルイカちゃん、彼女は時空を超える研究もしていました。

味噌田楽野郎は、味噌田楽野郎です。

そして……揚げ出し豆腐ちゃんは私の隣の席です」


 真面目な口調とは遠い発言で、僕は困惑した。


 あだ名の由来などを問いかけると、彼女は無表情で簡単に説明してくれる。


 施設の話も少しだけ教えてくれた。

どれも楽しい話であるのに、彼女は途中で口を噤んで、何かを考えているように見えた。


「きみにも、あだ名はあったの?」


「はい、ありました。

揚げ出し豆腐ちゃんが私のために名付けてくれました」


「なんて呼ばれていたの?」


「それは……。申し訳ございません。お教えすることはできません」


 彼女は眉を少しだけ下げて、口元が微かに上がる。

そこに「痛み」と「喜び」のようなものがあると、幼い頃の僕にも少しだけ理解できた。


「名前。いっしょに考えようよ。人工生命体のAって長すぎるし変だよ」


「変ですか」


「きみのことじゃないよ。人の名前を呼ぶのに変だよ、ってこと」


 紅い瞳はフローリングへ向けられる。


「私は人ではありません。人工生命体のAです。なんなりとお申しつけください」


 僕は鼻から息を抜いて、隣の椅子に彼女を座らせた。


「名前、いっしょに考えよう」


「私は――」


「なんなりとお申しつけください、って言ったじゃん。

それって相手の言うことを受け入れるって意味でしょ?」


 彼女は僕を見据えて、沈黙した。


 二人で端末を使用し、古今東西の名前、その意味や由来などを調べる。


「桜ちゃん」


「はい」


 表情は一切動かない。


「桜ちゃんは嫌なんだね」


「桜とは春に愛でるものです」


「それは花としての意味でしょ」


「桜餅を包むのは、塩漬けにされた桜の葉です」


「そ、そうなんだ」


「この塩漬けの葉を餅と共に、食べるか、食べないか、で論争が起こることもあります」


 彼女が施設にいた頃の花見大会のエピソードを聞いた後で、僕は新たな名を告げる。


「茜色で茜音ちゃん。きみの紅い目と合うかも」


「はい」


 他に名前の候補を挙げても、好反応を示すことも否定することもしなかった。


 僕はタブレット端末に映した文字を次々と流していく。

指を滑らせた先にある、二つの漢字に目が止まった。


 十歳の僕は、そこに一つの願いを投影していたのかもしれない。


 一人で食べる食事も、自宅で交わされることのない会話も、膝を抱える夜も。


 誰かに奪ってほしくて。誰かに消してほしくて。


 そして、新たなものを誰かと分かち合いたくて。


「クオン、ってどうかな?」


 そう言ったと同時に、彼女の視線が僕に突き刺さった。

銀髪が微かに揺れて、紅い瞳は僕を捉えて離さない。


「クオン……」


 ぽつりと言う彼女に、画面上に表示された二つの漢字と意味を見せる。


「…………」


「ぼくはいいと思う。でも、きみが嫌なら他の名前も見てみようよ」


 彼女のつぶらな紅い瞳と僕の黒い瞳が合う。


「私はクオン……です」


 言葉を一つ一つ噛みしめるような言い方に、笑みがこぼれた。

彼女の口元も微かに緩んだ気がする。


「気に入ってくれた? 今日から、きみはクオンだね」


「はい、承知しました。しっかりと刻み込みます。

――私はクオンです」


「そういうのいいから。もっと普通に受け止めてよ」


「承知しました、ミナト様」


「うん、よろしくね! クオン!」


 鈍痛であった日々は、クオンが現れたことで和らぎ、毎日が味のするものに変わった。


 彼女は僕にとって、喜びも悲しみも分かち合う特別な人になった。




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