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聖遺物《レリック》は語らない――勇者殺しの九つの断片  作者: 水縒あわし
【序章】不帰の玉座

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【序章】 第6話



 強烈な白光が、網膜を激しく焼きいた。



 鼓膜をつんざくのは、巨大な建造物が根元からへし折れるような轟音。



 鼓動の数倍の速さで駆け巡っていた血流が、一瞬にしてその流れを緩める。



 大理石の床を叩き割って転がったのは、山のように巨大な異形の頭部。



 先端の折れた漆黒の角と、怒りと驚愕に見開かれたまま固まった三つの眼球。



 首の断面からは、赤黒い瘴気しょうきを含んだ血が間欠泉のように噴き出している。



 長きにわたり世界を絶望の底に沈めていた絶対悪。


先代魔王の命が、完全についえた瞬間。



 その巨体の正面に、一人の青年が立ち尽くしている。



 ラインハルトの呼吸は、鍛え抜かれたふいごのように荒く、重い。



 彼の手には、刃こぼれだらけになった白銀の大剣が握り締められていた。



 柄に巻きつけられた革は血と汗で滑り、鋼の篭手こての隙間からは彼自身の生温かい血がポタポタと滴り落ちていく。



 全身を覆う鎧は無残にひしげ、あちこちから裂けた肉が覗く。



 肺に空気を送り込むたび、折れた肋骨がきしみを上げて神経をさいなむ。

 それでも、彼の足は一歩も退いてはいないのだ。



 ドサリ。



 背後から、誰かが膝から崩れ落ちる鈍い音が響く。



 続いて、弾かれたように短い呼気が漏れた。



「……終わっ、た」



 掠れた声の主は、斥候せっこうのヴェルナー。



 愛用の短剣を床に放り出し、壁を背にしてずるずると座り込んでいる。



 彼の手元には、長年の野営で使い込まれた携帯砥石が転がっていた。



「本当に……勝ったのですね。私たちが」



 震える声が、空間の反対側から木霊こだまする。



 純白の法衣を泥と血で汚した聖女、エレン。

 彼女の細い両手は白木の杖を握りしめたまま、微細な痙攣けいれんを繰り返している。



 その瞳からは、張り詰めていた糸が切れたように大粒の涙が溢れ出していた。



 ラインハルトは、ゆっくりと振り返る。



 魔王の瘴気で曇っていたステンドグラスが崩れ落ち、外からまばゆいばかりの陽光が差し込んできた。


光の帯が、埃と血飛沫ちしぶきの舞う空間を斜めに切り裂き、彼らの姿を黄金色こがねいろに照らし出す。



 ラインハルトの顔は、泥と乾いた血にまみれていた。



 額から流れた血が、視界の片隅を赤く染めている。



 筋肉という筋肉が限界を訴え、立っていることすら奇跡に近い状態。



 大剣の切っ先を床に下ろす。



 カキン、と澄んだ金属音が鳴る。



 それを合図にするかのように、彼の強張っていた表情筋がふっと緩んだ。



 口角が、ゆっくりと持ち上がる。



 泥だらけの顔に浮かんだのは、雲一つない青空のような、混じり気のない笑顔。



「ああ。俺たちの勝ちだ」



 彼の声はひどくかすれていたが、その響きには確かな熱が宿っている。



 腹の底から湧き上がる、純粋な熱量。



 守るべきものを守り抜き、誰かの明日を繋ぎ止めることができたという、揺るぎない確信。



 ラインハルトは大きく息を吸い込む。


血と焦げたオゾンの匂いに混じって、外から流れ込んできた乾いた風の匂いが肺を満たす。


それは、彼がずっと夢見ていた匂いそのもの。



 エレンが杖を突きながら、ふらつく足取りで駆け寄ってくる。



「ラインハルト……!」



 彼女の温かい手が、ラインハルトの血まみれの胸当てに触れた。



 その瞬間、淡い青色の光が彼女の掌から溢れ出し、彼の身体を包み込む。



 刺すような痛みが和らぎ、引き裂かれた筋肉の繊維がゆっくりと結びついていく。



 至近距離で見上げるエレンの瞳は、陽光を透かした泉のように澄み切っている。



 頬を伝う透明な涙の粒が、光を反射してきらきらと輝いていた。



(これで、誰も泣かずに済む)



 胸の奥で、静かな思いが反響する。



 幼い頃、野犬に怯える孤児院の子供たちを守るために握った、不格好な木剣。



 あの時の原初の衝動が、大剣へと形を変え、ついに世界の理不尽を打ち砕いたのだ。



「おいおい、大将。泣かせるじゃないか」



 壁際から、ヴェルナーの軽口が飛んでくる。



 彼は使い込まれた砥石を放り投げ、またキャッチしながら、皮肉げに、しかしひどく安堵した表情で肩をすくめていた。



「これでもう、俺の剣を研ぐ必要もなくなるってわけだ。平和な世界じゃ、斥候なんてただの厄介者だからな」


「そんなことはないさ」



 ラインハルトは、エレンの治癒を受けながらヴェルナーに向かって笑いかける。



「お前がいなければ、俺の背中はとっくに蜂の巣だった。これからは、美味い酒でも飲みながら、ゆっくり剣の手入れをすればいい」



 空気が、柔らかくほぐれていく。



 玉座の間を支配していた重圧は完全に霧散し、戦士たちの荒い呼吸音だけが、心地よい疲労感と共に空間を満たしていた。



 誰もが信じていた。



 この眩い光の先に、約束された穏やかな明日が待っているのだと。



 流した血と涙の分だけ、世界は優しく彼らを迎え入れてくれるはずだと。



 ラインハルトは、血濡れた篭手で自身の胸元に触れる。



 そこには、かつて王都の丘でエレンと交換した銀の鎖が、ひんやりとした確かな質量を持って存在している。



 指先に伝わる金属の温度が、彼に生きているという実感を強く突きつけていた。



 光の帯の中を、微細なちりが雪のようにゆっくりと舞い落ちていく。



 その光景は、一枚の美しい絵画のように完成されていた。



 悪が滅び、正義が勝利する。



 英雄譚えいゆうたんの最終章を飾るにふさわしい、完璧な終幕。



 ザザァッ。



 突然、鼓膜の奥で砂嵐のような不快なノイズが鳴った。



 ラインハルトの眉間が、わずかに寄る。



 エレンの治癒の光は、変わらず温かい。



 ヴェルナーも壁際で座り込んだまま、何かを呟きながら空を仰いでいる。



 二人には、その異音が聞こえていない。



(……気のせいか?)



 彼は視線を巡らせる。



 光に満ちたはずの謁見の間。



 その最も奥深く。



 あるじを失い、崩れ落ちた巨大な石の玉座の周辺だけが、不自然に影を濃くしている。



 光が届いていないのではない。



 空間そのものが、光を強引に吸い込んでいるかのような違和感。



 ピキリ。



 空気が、凍りつくような音を立てた。



 先ほどまでの生温かい風が唐突に止み、代わりに肌を刺すような絶対零度の冷気が足元を這い上がってくる。



 ラインハルトの背筋を、強烈な悪寒が駆け抜ける。



 床に転がっていた先代魔王の巨体が、輪郭を失い始めていた。


血肉の塊が急速に乾燥し、黒い灰となってサラサラと崩れ落ちていく。



 その灰が渦を巻き、玉座の奥の暗がりへと吸い込まれていく。



 光が、急激に色褪いろあせていく。



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