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聖遺物《レリック》は語らない――勇者殺しの九つの断片  作者: 水縒あわし
【序章】不帰の玉座

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【序章】 第5話



 青白い閃光が、謁見の間を真っ白に染め上げた。


エレンの杖の先端から放たれたのは、彼女の命そのものを変換した魔力の奔流ほんりゅう


防御の型すら取らない漆黒の鎧を、規格外の熱量が容赦なく飲み込んでいく。



 鼓膜を破るような轟音。


冷気に包まれていた大理石の床から、一瞬にして分厚いしもが蒸発する。



 凄まじい衝撃と熱風が謁見の間を吹き荒れた。



 ラインハルトの全身を覆う装甲の表面が、チリチリと音を立てて赤熱していく。



 鉄が焼け焦げる異臭が、鼻腔を鋭く突いた。



 それでも、彼の足取りは一歩たりとも遅れることはない。



 一切の揺らぎを見せないその巨躯きょくは、吹き荒れる光の嵐を物理的に押し退け、確かな足音と共に前進を続ける。



 靴底が大理石を砕き、火の粉を散らす。



 彼と彼女を隔てていた最後の数メートルの空間が、ただ歩を進めるという純粋な暴力によって完全に消滅した。


限界を超えたエレンの体から、魔力が完全に底を突く。



 光が弾け飛び、あとに残ったのは焦げた匂いと、力なく杖を取り落とした少女の姿だけ。


白木の杖が床に落ちて立てた乾いた音が、ひどく虚ろに響く。


ラインハルトの右腕が、滑らかに動いた。



 大剣の重い刃が、風を裂いて下段から跳ね上がる。



 鋼鉄が空気を叩き潰す重低音。



 それは敵を破壊するための、憎悪や怒りに任せた荒々しい一撃ではない。



 狂った世界の軛から彼女をただ速やかに解放するためだけに研ぎ澄まされた、極限の剣筋。



 大剣を握る鋼の篭手が、ひどく静かに、しかし確かな力みを持って柄を握り込んでいる。



 刃の切っ先が、純白の法衣の布地を捉えた。


迷いも、淀みもない。


巨大な鋼鉄の刃が、エレンの胸から腹部にかけての胴体を深々と貫いた。


肉を断ち、骨をすり抜ける鈍い感触。


ラインハルトの腕の筋肉が、反発する力をねじ伏せるように大きく隆起する。



 エレンの口から、ごぼりと赤黒い塊が吐き出された。



 ラインハルトは即座に手首を返し、これ以上の苦痛を与えぬよう大剣を彼女の身体から一気に引き抜く。



 重い刃の摩擦音。



 軌跡に沿って鮮血が空中にを描き、てついた大理石の床へとパラパラと降り注いだ。



 同時に、膝の力を完全に失った彼女の身体が、糸の切れた操り人形のように前へと崩れ落ちていく。



 ラインハルトは大剣を持つ右腕の力を抜き、残された左腕を力強く伸ばして、その細い背中を密着させるように抱き留めた。


金属の冷たい胸当て越しにでも、微かな心音が伝わってくる。


トクン、トクンという不規則で弱いリズム。



 冷え切った漆黒の鎧に、彼女の傷口から溢れ出した生温かい血が濡れ広がっていく。



 むせ返るような鉄の匂い。



 彼にのしかかるその体重は、記憶にあるよりも遥かに、あまりにも軽い。



 かつて背中を預け合った頃の生命力は微塵もなく、腕の中にあるのは極限まで摩耗まもうしきった空っぽの器だけ。



 彼女の体温が、秒を追うごとに急速に大気へと奪われていく。



 反比例するように、鎧を濡らす鮮血の熱さだけが、ひどく生々しくラインハルトの肌を焼く錯覚をもたらした。


エレンの血に濡れた指先が、微かに痙攣した。


力の入らない腕が持ち上がり、ラインハルトの頬へと向かってゆっくりと伸びてくる。


赤く染まった爪先が、空を掻く。



 だが、その手は冷たい兜の表面に触れる数ミリ手前で、力なく重力に従って滑り落ちた。



 だらりと垂れ下がった腕。



 彼女のひび割れた唇がわずかに開き、ヒュッ、と声にならない吐息が漏れる。



 かすかな空気の震えが、装甲の隙間をすり抜け、ラインハルトの首筋を静かに撫でていった。


腕の中で、鼓動が完全に停止する。


彼女の身体からすべての緊張が抜け落ち、ただの重たい肉の塊へと変わる。



 ラインハルトは身動き一つしない。



 冷たい床に横たえることすらせず、両腕で彼女の亡骸をきつく抱きしめたまま、巨大な彫像のように完全に静止していた。



 兜の奥の視線は、ただ目の前の虚空こくうを貫き続けている。



 足元では、赤黒い血の海がゆっくりと大理石の床を這い広がっていた。



 石の継ぎ目を伝い、その赤い水面が、先ほど砕け散った『誓いのペンダント』の水晶の破片へと到達する。



 月光を乱反射していた無数の透明な欠片が、次々と血の温度に沈み込み、濁った赤色に染め上げられていった。


謁見の間を、限界まで張り詰めた絶対的な静寂が支配する。


呼吸音一つ、衣擦れの音一つ存在しない。



 カビと血の匂いが混ざり合う、凍てついた闇の底。



 世界で最も冷たいその場所で、ラインハルトの視界がゆっくりと暗転していく。



 暗闇の中で、別の光が滲み出し始めていた。



 それは、彼が自らの手で葬り去ったはずの、目も眩むような青空。


耳の奥で、無数の剣が交わる高い音が響く。


鼓膜を揺らす熱狂的な歓声。


太陽の光を浴びて笑う、若き日の自分自身の姿。



 すべてが始まり、そして決定的に間違えた、あの眩い絶頂の日。



 完全に冷たくなった体を強く抱きしめたまま、最強の魔王の意識は、底なしの過去の記憶へと深く沈み込んでいった。



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