【第3章】 第3話
大回廊の奥深く。
青白い魔力光すら届かなくなった漆黒の行き止まりに、それはそびえ立っていた。
天井まで届くかというほどの高さを誇る、巨大な両開きの鉄扉。
一切の装飾を排した無骨な黒鉄は、ただそこに在るだけで、侵入者のちっぽけな命をすり潰すような暴力的な質量を放っている。
ミーナの小さな足取りが、その絶望的な壁の前にぴたりと止まった。
ヒュー……ヒュー……。
掠れた呼吸音が、静まり返った空間に空しく吸い込まれていく。
見上げれば、首が痛くなるほどの威容。
十にも満たない少女の細腕では、到底動かせるはずもない物理的な障壁だ。
大人の戦士が数人がかりで挑んだとしても、びくともしないように見える。
だが、彼女の瞳に諦めの色は微塵も浮かばなかった。
大きく見開かれた双眸の奥底で、暗い炎が静かに、しかし激しく揺らめいている。
(……ここを、開ければ)
彼女は、ボロ布の隙間から細い両腕を突き出した。
ケロイド状にひきつった皮膚が、痛みを訴えて引き攣る。
構うことなく、彼女は火傷だらけの手のひらを、黒ずんだ鉄の表面へと真っ直ぐに押し当てた。
氷のように冷たい金属の感触。
その冷気が、彼女の体温を容赦なく奪っていく。
ミーナは歯を食いしばり、細い足を踏み込んで、全身の体重を鉄扉へと預けた。
靴底に合っていない大柄な革靴が、石畳の上でズルリと滑る。
体勢を立て直し、再び力を込める。
肺の奥で、無数の針が暴れ回るような鋭い痛覚。
「ぐっ……うぅ……っ!」
喉の奥から、血の混じった呻き声が漏れた。
彼女の小さな筋肉が限界まで収縮し、細い骨がミシミシと危うい音を立てる。
それでも、彼女は押し続けることをやめない。
ズズ……ッ。
ほんの数ミリ。
巨大な鉄塊が、少女の執念に負けたかのように、微かに内側へ向かって後退した。
ギィィィィィィィン……!
長きにわたり油を注がれていない巨大な蝶番が、鼓膜を劈くような甲高い摩擦音を上げた。
重厚な金属同士が限界を超えて擦れ合う、ひどく不快な音響。
その音が、ミーナの耳の奥に到達した瞬間。
「あァァァァァッ!」
「助けて! 熱い、熱いよぉっ!」
それは、金属の軋みではなく、炎の中で身悶えする人々の断末魔へとすり替わった。
網膜の裏側に、火の海と化した故郷の村がフラッシュバックする。
焼け落ちる家屋。
黒焦げになっていく隣人たち。
母親が、自分を庇うようにして崩れ落ちていった瞬間の、肉の焦げる嫌な匂い。
鉄扉が擦れる音が響くたびに、犠牲者たちの悲鳴が幾重にも重なり合い、彼女の脳髄を直接揺さぶる。
幻聴だと分かっていても、耳を塞ぐことはできない。
両手は今、この忌まわしい扉をこじ開けるために塞がっているのだから。
(……どうして)
ミーナは、頬に冷たい汗を伝わせながら、さらに体重を前へと突き出す。
かつて、彼女の村を訪れた一人の青年の姿が脳裏を過った。
光り輝く白銀の大剣を背負い、誰よりも優しく微笑んでいた勇者。
頭を撫でてくれた彼の大きな手は、真昼の太陽のように温かかった。
その温もりが、魔物の恐怖から村を救い、明日への希望を与えてくれたと、誰もが信じて疑わなかったのだ。
その太陽が、なぜ自分たちのすべてを焼き尽くす業火へと変わったのか。
胸元で、肌に直接触れている『焦げたお守り』が、心臓の鼓動と同期して微かな脈動を打つ。
あの日、猛火の中から彼女の手に握らされた、真っ黒な木片。
裏切られた憧憬は、行き場を失い、長い時間をかけて純度一〇〇パーセントの真っ黒な殺意へと精製された。
(お前が、全部壊したんだ……!)
ギガァァァァン!
彼女の細い腕から、人間離れした力が爆発的に生み出された。
澱んだ負の感情が物理的な質量となり、巨大な鉄扉を強引に押し込む。
左右の扉の間に、一人がようやく通り抜けられるほどの隙間が口を開けた。
そこから這い出してきたのは、大回廊の冷気すらも生ぬるく感じるほどの、絶対的な死の気配。
カビと鉄の匂いに混じって、まだ新しい、生臭い血の香りが鼻腔を打つ。
先ほどまでそこで行われていたであろう、凄惨な殺戮の残滓。
ミーナは開かれた暗闇の隙間を見据えた。
ボロ布の襟元を強く握りしめ、彼女はその冷たい気流の中へと、躊躇なく身を滑り込ませた。
背後で、重々しい鉄の扉が、ゆっくりと元の位置へ戻ろうとする鈍い音が響く。
玉座の間に、掠れた小さな呼吸音が、新しいノイズとなって混じり始めた。




