【第2章】 第18話
大回廊の奥へと遠ざかる足音が完全に消え、玉座の間には再び、凍てつくような静寂が舞い戻った。
天井のひび割れたステンドグラスからは、夕陽の赤みが失われつつある、薄暗い群青色の光が斜めに差し込んでいる。
ラインハルトは、エドワードの亡骸を回廊の奥へと引きずり終え、一人玉座の間へと戻ってきた。
彼の漆黒の重鎧には、先ほどの死闘で刻まれた無数の浅い傷痕が、薄暗い光の中で鈍く浮かび上がっている。
カビと鉄の匂いが混ざり合う空間に、彼の重い足音だけが規則的に響いた。
カシャン……カシャン……。
玉座まで十数メートルの位置で、ラインハルトの足が止まった。
彼の視線の先。
大理石の床の上、血と吐瀉物にまみれた空間の片隅に、それは転がっていた。
『白銀の勲章』
かつては、国家の最大の功労者にのみ与えられる栄誉の結晶であり、曇り一つない純白の輝きを放っていた意匠。
今は、その美しい表面は激しく歪み、どす黒く変色している。
エドワードの命という燃料を失ったことで、周囲の光を吸い込むような暗褐色の瘴気は完全に霧散し、今はただの薄汚れた鉄屑へと成り果てている。
ラインハルトはゆっくりと歩み寄り、その『ただの鉄屑』を見下ろした。
(……)
兜の奥で、彼の感情の抜け落ちた双眸が静かに揺れる。
かつて彼自身が受け取り、そして民衆の悪意【ルサンチマン】によって踏みにじられた栄光の残骸。
エドワードの病的な承認欲求を完璧な器とし、彼の精神を喰い破るまでに成長した呪具。
その不気味な明滅はすでに止んでいる。
だが、その歪んだ表面には、英雄という偶像を消費しようとする人間の醜悪な欲望が、決して消えることのない染みとしてこびりついていた。
ラインハルトは身をかがめ、鋼鉄の篭手でそれを拾い上げる。
カチリ。
金属同士が触れ合う、冷たい音が響いた。
鉄の手甲越しに伝わってくるのは、ひどく冷たく、ただの物体としての重力に引かれる質量。
先ほどまで強烈な呪いの奔流を放っていた気配は微塵もない。
彼は『白銀の勲章』を携えたまま、数段高くなった大理石の台座(玉座)へと歩みを進める。
玉座の傍らには、すでに一つの『聖遺物』が供えられていた。
どす黒い染みで覆い尽くされた、分厚い革袋。
第一の志願者、巨漢の傭兵ガルスの強欲を吸い上げて肥大化し、最後は彼自身を破滅へと導いた『黄金の恩賞袋』の残骸だ。
その表面に辛うじて残る金糸の刺繍が、かつて王都の大宴会場で王から下賜されたものであることを物語っている。
ラインハルトは、無言のまま右腕を伸ばす。
そして、『黄金の恩賞袋』のすぐ隣に、手にした『白銀の勲章』を静かに並べて降ろした。
コトリ、と。
硬質な音が、玉座の間に小さく反響する。
血に濡れた革袋と、歪んだ鉄片。
かつて彼が命を懸けて守り抜いた世界から与えられ、そして彼を裏切った二つの栄誉の証。
それらは今、持ち主を失い、呪具としての機能を停止したまま、並んで横たわっている。
だが、完全に沈黙したわけではない。
ジジ……ジジジ……。
微細な摩擦音が、二つの『聖遺物』から微かに漏れ出した。
それは魔力の残滓が共鳴しているのか、あるいは、それぞれが吸い込んだ絶望と悪意が、互いの不幸を語り合っているのか。
かすかな音が、凍てつくような静寂の中に不吉な余韻を残す。
ラインハルトは、二つの聖遺物を一瞥した後、ゆっくりと身を翻した。
漆黒の重鎧が、微かな軋みを上げる。
彼は再び、冷酷なほどに直線的な意匠の玉座へと深く腰を沈めた。
兜の奥の双眸を虚空へと固定し、微動だにしない彫像となる。
ステンドグラスから差し込む光が完全に消え、玉座の間が本来の深い闇へと沈んでいく。
再び絶対零度の静寂が空間を支配した。
彼はただ、第三の挑戦者の足音が、大回廊に響き渡るのを待っている。




