【第2章】 第10話
深い闇に包まれた、玉座の間の最奥。
エドワードの額で脈打つ『白銀の勲章』が、ラインハルトの意識をさらに過去の深淵へと引きずり込んでいく。
華やかなパレードと、大謁見の間での息詰まるような式典。
それらが終わった夜、王都は魔王討伐を祝う熱狂の渦に包まれていた。
王城を出たラインハルトは、群青色の礼服姿のまま、喧騒から逃れるように裏通りを歩いていた。
大通りからは、酒杯を打ち鳴らす音や、下手な吟遊詩人の歌声が風に乗って聞こえてくる。
街中が、英雄である彼の名を讃え、平和の到来に酔いしれているはずだった。
「……見たか、あの大剣を」
ふと、薄暗い路地の奥から、ひそひそとした囁き声が鼓膜を打った。
ラインハルトは足を止め、壁の影に身を潜める。
「ああ、恐ろしい。あんな鉄塊を軽々と振り回すだなんて、人間業じゃねえ」
「魔王を一人で倒したって言うが、それじゃあ……あいつ自身が、魔王より恐ろしい化け物ってことじゃないか?」
酒場で語り合っているであろう男たちの声。
昼間、沿道で熱狂的に手を振り、歓喜の涙を流していたのと同じ民衆の声だ。
だが、そのトーンには、称賛の色は欠片も混じっていない。
あるのは、自分たちの理解を超えた存在に対する、純粋で醜悪な畏怖。
「あんなのが街をうろついてるなんて、生きた心地がしねえよ。いつ俺たちに牙を剥くか、分かったもんじゃない」
「王様も、何でさっさとあいつを追い出さないんだ。褒美でも何でもくれてやって、とっとと辺境にでも追放すりゃいいのに」
(……)
ラインハルトの胸の奥で、ひどく乾いた音が鳴る。
彼らが愛し、讃えていたのは、「世界を救った英雄」という都合の良い肩書きだけ。
生身の彼が持つ圧倒的な力は、平和になった世界においては、もはやただの脅威でしかないのだ。
彼はゆっくりと路地を抜け、再び歩き出す。
石畳を踏むブーツの音が、ひどく重く、鈍く響いた。
向かいから、千鳥足で歩いてくる一人の男がいた。
昼間、パレードの最前列で、ラインハルトに向かって誰よりも大きな声で歓声を上げていた男だ。
魔物に襲われかけた村から逃げ延びてきたと、彼自身がかつて救い出した命の一つ。
男はラインハルトの姿を認めると、一瞬だけビクッと肩を震わせた。
そして、すぐに愛想笑いを浮かべ、大げさに道を譲る。
「こ、これは英雄様……! 今日も、素晴らしいパレードで……!」
声が裏返り、目が不自然に泳いでいる。
ラインハルトは何も言わず、軽く会釈だけをして男の横を通り過ぎた。
数歩進んだところで、背後から不快な音が聞こえた。
ペッ。
男が、ラインハルトの通った後の地面に向かって、唾を吐き捨てた音。
「……何が英雄だ。薄気味悪い化け物め」
小さな、だがはっきりと殺意を帯びた呟き。
それは、彼が命を懸けて守り抜いた世界が、彼に突きつけた最初の明確な『拒絶』だった。
ラインハルトは立ち止まらない。
振り向くこともなく、ただ前だけを見て歩き続ける。
彼の懐で、王から下賜された『白銀の勲章』が、冷たく、重い質量を持って心臓を圧迫していた。
祝祭の夜を照らすランタンの灯りが、彼の長く伸びた影を、不気味な怪物の形に歪ませていく。
集合無意識の悪意【ルサンチマン】。
その見えない毒が、王都の空気を確実に蝕み始めていた。




