【第2章】 第7話
玉座の間を、鋭い剣閃が縦横無尽に駆け巡る。
エドワードの振るう長剣は、青白い魔力を帯びて光の帯を形成していた。
純白のマントを翻し、爪先で床を弾くように跳躍する。
手首の返しだけで剣の軌道を複雑に変化させ、月光を反射してきらめく刃が、ラインハルトの漆黒の鎧へと殺到していく。
「遅い、遅いぞ魔王! 私の圧倒的な光の前にひれ伏すがいい!」
甲高い声が、カビの匂いが染み付いた石壁にこだました。
エドワードの顔には、勝利を確信したような陶酔の笑みが張り付いている。
彼にとって、この戦いはすでに結末の決まった演劇なのだ。
醜い悪を、美しい正義が打ち倒す。その完璧な脚本の通りに、彼は自らの剣技を披露している。
だが、その華麗な連撃は、ただの一度もラインハルトの装甲を捉えることはなかった。
ラインハルトは玉座の前の段差に立ったまま、足の位置を半歩たりとも動かしていない。
迫り来る無数の斬撃に対し、彼が行うのは極めて小さな重心の移動と、手にした大剣のわずかな角度調整のみ。
ガィン、キィン。
硬質な衝突音が、間欠的に響く。
ラインハルトの大剣の腹が、エドワードの剣の勢いを的確に殺し、軌道を外側へと逸らしていく。
手首に伝わるわずかな反動だけが、そこで行われているのが命のやり取りであることを証明していた。
魔王の視点から見れば、白銀の騎士の攻撃にはあまりにも無駄が多すぎた。
見栄えを気にするあまり、振りかぶる際の動作が不自然に大きい。
鎧を汚さないよう足元の血溜まりを避けてステップを踏んでいるため、踏み込みが致命的に浅く、刃に体重が乗っていないのだ。
それは、泥水にまみれて命を削り合う戦場を知らない者の、様式美に縛られた遊戯。
かつて背中を預けた仲間のために、泥に這いつくばってでも敵の喉笛に喰らいついた戦士の剣とは、根底から重さが違う。
「なぜ当たらない……! ちょこまかと小賢しい!」
エドワードの口調から、少しずつ余裕が剥がれ落ちていく。
彼は踏み込みの速度を上げ、上段からの唐竹割りを放った。
宝石の散りばめられた鍔が、空気を裂いて唸り声を上げる。
ラインハルトは、その一撃を避けない。
右腕の筋肉を引き絞り、下段から大剣を跳ね上げた。
ガガァァン!
凄まじい火花が散り、エドワードの長剣が大きく上空へと弾き飛ばされる。
両腕の痺れに白銀の騎士が顔を歪めた瞬間、ラインハルトは手首を返し、大剣の切っ先を流れるように下へと滑らせた。
ギギィィッ。
耳障りな摩擦音。
ラインハルトの刃が、エドワードの磨き上げられた胸当ての表面を浅く撫でたのだ。
致命傷には程遠い。
肉には届かず、ただ装甲の表面を数ミリ削り取っただけの軌道。
しかし、その結果生じたものは、エドワードにとって自らの肉体を切り裂かれるよりも耐え難い事実だった。
完璧な鏡面を誇っていた胸当てに、醜く斜めに走る一筋の傷跡が刻み込まれる。
「あ……」
エドワードの足が、もつれるように後ろへ下がる。
彼は自らの胸元を見下ろし、信じられないものを見るように目を見開いた。
「私の……傷一つない美しい鎧に……」
ヒュー、ヒューと、彼の喉の奥から笛のような呼吸音が漏れ始める。
呼吸が浅く、そして異様に早い。
純白の絹布を取り出す余裕すらない。
震える指先が胸当ての傷跡に触れようとし、すぐさま不浄なものを避けるように引っ込められた。
彼にとって、自らの鎧の美しさは、民衆からの称賛を集めるための絶対的な条件。
それが損なわれることは、彼自身の存在価値が否定されることと同義なのだ。
「まぐれだ! たまたま掠っただけに過ぎない!」
叫びと共に、突進。
だが、その動きは先ほどの舞踏のようなステップとは異なり、明確な焦りが混じっている。
ラインハルトは冷徹に相手の重心を見極め、左へ半歩だけ身を躱した。
エドワードの突きが虚空を貫く。
シャァッ。
すれ違いざま、ラインハルトの大剣がエドワードの右肩をかすめた。
豪奢な羽飾りが施されていた肩当ての表面が、無惨に削ぎ落とされる。
金属の削りカスが、雪のように床へと舞い落ちた。
「ガッ……!」
エドワードは体勢を立て直そうと振り向くが、すでにラインハルトの次の動作が始まっていた。
大剣の柄底が、エドワードの左腕の手甲を正確に打ち据える。
メキッ。
装飾用の細かな金細工が砕け散り、手甲の滑らかな曲線が不格好にひしゃげた。
さらに、大剣の刃が回転し、純白のマントの留め金を弾き飛ばす。
床の血溜まりの中へ、美しい布地がべちゃりと落ち、瞬く間に赤黒く染まっていった。
「やめろ……やめろぉぉッ!」
エドワードの悲鳴が、謁見の間に反響する。
彼は剣を振り回すが、そのどれもが空を切り、あるいは大剣の平で軽くあしらわれるだけ。
反撃を受けるたびに、彼の完璧な白銀の鎧には新たな傷跡が刻み込まれていく。
すね当ての彫刻が潰れ、腰の装甲板が歪む。
彼が自らの存在価値のすべてを預けていた「美しさ」が、圧倒的な暴力の前に一枚ずつ剥がれ落ちていく。
それは、ラインハルトによる明確な意図を持った解体作業だった。
命を奪うことよりも残酷な、虚飾の破壊。
英雄という偶像のメッキを、物理的に剥がし取っているのだ。
ヒュー……ヒュー……。
エドワードの呼吸が、完全に限界を超えて乱れている。
肩で大きく息をし、口からは涎が垂れ落ちていた。
もはや、足元の汚れを気にして爪先立ちになる余裕など、どこにもない。
血走った双眸が、ボロボロになった己の装甲と、無傷でそびえ立つ漆黒の魔王を交互に睨みつける。
彼の額に埋め込まれた『白銀の勲章』が、その激しい動揺と屈辱に呼応するかのように、ドクンと嫌な脈動を放った。
表面の淀んだ暗褐色が、微かな瘴気となって漏れ出している。
傷つけられたプライドが、どす黒い怒りとなって勲章へと吸い上げられていく。
「貴様……許さん。この私を汚した罪、万死に値する!」
エドワードの全身から、青白い魔力が暴風のように吹き荒れた。
それは、形を保つことすら忘れた、純粋な殺意の塊。
彼は長剣を両手で強く握りしめ、上段に大きく振りかぶった。
床の血溜まりを踏みしめ、純白だったブーツが赤黒く染まることすら、もはや彼の視界には入っていない。
ただ目の前の忌まわしい存在を消し去ることだけが、彼の全神経を支配している。
「消えろォォォッ!」
すべてを懸けた渾身の一撃が、重力に従って振り下ろされる。
空気が悲鳴を上げ、青白い光の軌跡が玉座の間を両断する勢いで迫る。
ラインハルトは無言のまま、大剣を正面に構えた。
刃と刃が、正面から激突する。
ズドォォォォン!!
爆発的な衝撃波が全方位へと広がり、ステンドグラスの破片が粉々になって吹き飛んだ。
拮抗する二つの力。
いや、それは拮抗などではない。
エドワードの腕の筋肉が限界まで膨れ上がり、悲鳴を上げているのに対し、ラインハルトの姿勢は微動だにしない。
漆黒の兜の奥から、冷徹な視線だけが白銀の騎士を貫いていた。
二人の剣が交差したゼロ距離の空間で、額の勲章がひときわ強く、濁った光を放ち始める。




