【第1章】 第15話
大理石の床に広がる赤黒い水たまりが、ステンドグラスから差し込む月光を鈍く反射している。
首の骨を断ち切られたガルスの巨体は、わずかな痙攣すら見せることなく、ただの物言わぬ肉の塊へと成り果てていた。
彼が最期までかき集めようとしていた呪貨の残骸が、血の海の中に散乱し、濁った光を放っている。
玉座の間を支配するのは、猛烈な嵐が過ぎ去った後のような、ひどく重く淀んだ静けさ。
ラインハルトは血濡れた大剣を軽く振り、刀身にこびりついた脂と血を床へと払い落とす。
そのまま背中の鞘へと、巨大な鋼鉄を滑り込ませた。
カチン、と硬質な金属音が冷たい空気に溶けていく。
彼は踵を返し、血溜まりの中央に転がる暗褐色の塊へと歩み寄った。
『黄金の恩賞袋』
かつて王都の大宴会場で彼自身の血を吸い、そして今、強欲な傭兵の命と未練を飲み込んだ呪具。
鋼の篭手が、ひしげた革の結び目を無造作に掴み上げる。
内部で無数の硬貨が擦れ合い、ジャラ……と不吉な重低音を響かせた。
その表面に施されていた美しい金糸の意匠は、すでに完全に腐敗しきっている。
人間のどす黒い執着と裏切りの血を限界まで吸い込んだ結果、それはどんな汚物よりも醜悪な、ただの重たい革袋と化していた。
ラインハルトは袋を持ち上げたまま、部屋の最奥へと足を踏み出す。
鉄のブーツが霜を踏み砕き、一定のリズムで重い足音を刻んでいく。
数段高くなった大理石の台座。
冷酷な直線で構成された玉座の傍らに、彼はその呪具を静かに降ろした。
石の床と分厚いなめし革が接触し、中身の硬貨が鈍く鳴る。
最初の志願者が持ち込んだ、第一の『聖遺物』。
それが、魔王の足元に恭しく供えられた瞬間だった。
袋から手を離しても、ラインハルトの指先には、硬く冷たい鉄の感触がこびりついて離れない。
それは、英雄を陥れるために仕込まれた毒針の記憶か。
あるいは、果てのない人間の欲望そのものの質量か。
彼は己の手のひらを一度だけ強く握り込み、革袋に染み付いた冷気を握り潰す。
そのまま、背後の玉座へと深く腰を沈めた。
漆黒の重鎧が、本来あるべき定位置へと収まる。
関節部を覆う鎖帷子が微かに擦れ合い、すぐに完全な静寂の中へと溶け込んでいった。
兜の奥の双眸は、再び底なしの虚空へと固定されている。
魔王の周囲に展開する物理的な魔力圧が、再び空間の密度を限界まで引き上げていく。
これで終わりではない。
神の定めた物理法則、『均衡の天秤』が要求する生贄の儀式は、まだ始まったばかりなのだ。
ステンドグラスのひび割れから、刺すような冬の風が吹き込んでくる。
その冷たい空気の震えが、城の遥か下層から、微かな異音を玉座の間へと運んできた。
カシャン……カシャン……。
規則正しく、寸分の狂いもない金属の歩み。
泥と欲望にまみれた傭兵の重い足取りとは明確に異なる、洗練された鉄の行進。
名声と栄誉に飢え、英雄の首を狩ることで己の価値を証明しようとする第二の挑戦者が、すでに大回廊の入り口へと足を踏み入れている。
ラインハルトは静かに目を閉じ、傍らの大剣の柄へと鋼の指先を添えた。




