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聖遺物《レリック》は語らない――勇者殺しの九つの断片  作者: 水縒あわし
【第1章】 黄金の対価

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【第1章】 第11話



 大理石の床を滑るようにして、新たな血溜まりが広がっていく。


 豪奢ごうしゃなシャンデリアの光が、飛び散った鮮血を乱反射し、視界全体を赤黒いステンドグラスのように歪ませていた。


猛毒が、太い血管を這い回る。


心臓が不自然な痙攣けいれんを起こし、肺に空気を送り込むたびに、焼け火箸を押し当てられたような激痛が胸の奥で弾けた。


 ラインハルトは奪い取った兵士の長剣を握り直し、ゆっくりと息を吐き出す。


 指先の感覚はすでにない。


 だが、肉体に刻み込まれた戦士としての本能だけが、迫り来る殺意の軌道を正確に弾き出していた。



「殺せ! 間合いを詰めるな、遠巻きに槍で突け!」



バルコニーへと逃げ延びた大臣が、安全圏から金切り声を上げる。



「英雄への報奨金など、もったいない! 我が国の安寧のために、ここで礎となれ!」



 その下劣な嘲笑が、ラインハルトの鼓膜を直接叩く。


 いや、それはもはや外からの声ではない。


 致死の毒が生み出す強烈な耳鳴りと混ざり合い、まるで土砂降りの雨音のように、彼の脳髄の奥底で永遠に反響し続けているのだ。



 『世界のバランスを保つための生贄』



 それが、彼が命を賭して守り抜いた世界の出した答え。


数十の長槍が、四方から同時に突き出される。

ラインハルトは避けない。


毒で麻痺した右腕を強引に振り上げ、切っ先の群れを長剣の腹でまとめて叩き落とす。


硬質な破断音。


姿勢を崩した近衛兵の集団へ、彼は一切の躊躇ちゅうちょなく踏み込んだ。


左の鋼の篭手こてが、先頭の兵士の顔面を捉える。


分厚い兜ごと頭蓋骨が陥没し、悲鳴を上げる間もなくその身体が吹き飛んだ。


後続の兵士たちを巻き込み、人間で作られた壁が無残に崩れ落ちる。



「ヒィィッ……バ、化け物……!」



 生き残った兵士の一人が、腰を抜かして這いずりながら後退していく。


 その顔に張り付いているのは、理解の及ばない存在に対する純粋な恐怖。


 彼らはかつて、魔王討伐へ向かうラインハルトの背中に、熱烈な敬礼と憧憬しょうけいの眼差しを送ってきた王国の近衛兵たちだ。


 彼らが愛していたのは、自分たちの身代わりとなって血を流してくれる「都合の良い偶像」。


 平和という果実を手にした今、強大すぎる武力を持った生身の彼は、ただの脅威でしかない。



「来るな! 来るなァッ!」



震える手で突き出された剣を、ラインハルトは無造作に掴み取る。


刃が篭手を滑り、鈍い摩擦音を立てた。


彼はそのまま兵士を引き寄せ、右手の長剣を首筋へと滑り込ませる。


肉を断ち切り、頸動脈を切り裂く感触。


赤黒い血飛沫ちしぶきが、圧力から解放されたように間欠泉となって噴き出した。


 降り注ぐ人間の血の温度。


 それは、彼が今まで嫌というほど屠ってきた魔物の、悪臭を放つ冷たい体液ではない。


昨日まで同じ旗の下で戦い、勝利の喜びを分かち合ったはずの、確かな命の熱さ。


だが今、その温度はもはや彼の何も揺さぶらない


 ラインハルトの顔から、すべての表情が抜け落ちていく。


 怒りも、悲しみも、絶望すらも。


 毒による激痛すら、分厚い氷盤の底に沈み込んでいくかのように遠ざかる。



 圧倒的な虚無。



 ただ、迫り来る障害物を機械的に解体するための、冷徹な機構へと成り果てていく絶対的なプロセス。


ラインハルトは、返り血で滑る床を強く踏みしめる。


身体を低く沈め、背後から迫る三人の兵士の足を同時に薙ぎ払った。


宙に浮いた肉体が床に落ちるよりも早く、左拳で喉笛を砕き、右手の刃で心臓を貫く。


一切の無駄を省いた、殺戮の演舞。


かつて仲間を守るために磨き上げられた剣技が、今はかつての同胞を最も効率よく肉塊に変えるための手段として振るわれている。


 降り注ぐ血の雨が、彼の真新しい群青色の礼服をどす黒く染め上げていく。


 絶叫と悲鳴が、激しい雨音のような耳鳴りに飲み込まれて消えた。


 彼の視界の端で、床に転がった『黄金の恩賞袋』が、暗褐色の染みを広げながら静かに主の帰還を待っている。



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