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聖遺物《レリック》は語らない――勇者殺しの九つの断片  作者: 水縒あわし
【第1章】 黄金の対価

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【第1章】 第8話



 玉座の間を支配する絶対零度の沈黙を、かすかな摩擦音が引き裂いた。


 漆黒の重鎧が、ゆっくりと玉座から立ち上がる。


 関節部を覆う鎖帷子くさりかたびらが擦れ合い、重厚な金属の軋みが空間を満たしていく。


 兜の奥の暗闇は微塵も揺らがず、ただ眼下に立つ巨漢だけを真っ直ぐに貫いていた。



(来るか、バケモノが……!)



 ガルスの分厚い唇の端から、血の混じった唾液が滴り落ちる。


 右手の親指の腹で、泥にまみれた呪貨じゅかの縁を限界まで押し込んだ。


圧縮された紫色の魔力光が、弾ける寸前の火花を散らす。


 ラインハルトは、傍らの床に転がっていた銀の酒杯に視線を落とした。


 かつて、この城の主であった魔族が使っていたものか、あるいは討伐の祝宴で誰かが持ち込んだ残骸か。


 表面は黒く酸化し、ひしげたその器を、鋼の篭手こてが音もなく拾い上げる。


無造作な動作。


ただ、手首のスナップだけで、ラインハルトはその酒杯をガルスへと放った。


空気を切り裂く鋭い風切り音。


 銀の塊が、視認できないほどの速度でガルスの顔面へと迫る。


 それは明確な殺意を伴う攻撃ではない。


 ただ、この凍てついた空間における、暴力という名の対話の始まりを告げる合図。



(舐めやがって!)



 ガルスは反射的に右手の親指を弾いた。


 パァン!



乾いた破裂音と共に、紫色の光線が虚空を穿つ。


 放たれた呪貨が、空中で銀の酒杯と正面から激突した。


甲高い金属の悲鳴が上がり、酒杯が粉々に砕け散る。


 銀の破片が雨のように降り注ぐ中、ガルスは獰猛どうもうな笑みを浮かべた。



「その首、金貨何万枚の価値があるか教えてくれよ!」


ジャラ……ズズン。



 腰元の『黄金の恩賞袋』を左手で激しく叩き、彼は怒涛の連射を開始した。


 左手の指先で袋の中から泥まみれの硬貨を絶え間なく掬い出し、右手の指の間へと滑り込ませる。


パァン、パパァン、パンッ!



 指先から次々と弾き出される紫色の弾幕。


 死者の未練と猛毒を帯びた硬貨が、嵐となってラインハルトの巨躯きょくへ殺到する。


 一本の軌道が、大理石の床を深く抉り取る。


飛び散った石の破片が頬を掠めても、ラインハルトは瞬き一つしない。


 身の丈ほどもある大剣が、下段から跳ね上がるように虚空を薙いだ。


鋼鉄の分厚い腹が、迫り来る呪貨の群れを真正面から迎え撃つ。


ガン、キン、ガガガガッ!



 金属と金属が激突する、鼓膜を破らんばかりの轟音。


 弾き飛ばされた硬貨が石柱に食い込み、紫色の呪いが爆発して石肌を黒い灰へと変えていく。


 ラインハルトの足取りは、一歩たりとも遅れることはなかった。


右足が床を踏みしめ、霜を散らす。


大剣の軌道は円を描き、自身の前面に絶対的な不可侵の盾を構築していた。



 ガルスの弾き出す「金」の奔流。



 それは、彼が戦場で血反吐を吐きながらかき集め、溜め込んできた欲望そのものだ。


 人間の血と泥にまみれたその価値を、最強の魔王は取るに足らない路傍の小石のごとく次々と叩き落としていく。


 無価値である、と。


 他者の命を奪って得た富など、圧倒的な武の力の前では塵芥ちりあくたに等しいのだと、無言の刃が語っている。



(チッ、ふざけた硬さしやがって……!)



 ガルスの額から、どっと脂汗が吹き出した。


 親指の爪はすでにひび割れ、指の股からは赤い血が絶え間なく滲み出している。


 それでも彼は硬貨を弾く手を止めない。



「まだまだあるぜ! 俺の財産で、そんなくそ重い鎧ごとガラクタにしてやる!」



 彼は狂ったように叫びながら、左手をさらに深く袋の底へと突っ込んだ。


 氷のような冷気が、腕の感覚を奪っていく。


 引き抜いた彼の手には、両手からこぼれ落ちそうなほどの呪貨の塊が握られていた。


ジャラジャラと、不吉な音を立てて硬貨が床に転がり落ちる。


もはや一枚ずつ弾くことすらもどかしい。


ガルスは鷲掴みにした硬貨の山に、自身の魔力を限界まで注ぎ込んだ。


どす黒い硬貨の表面から、紫色の瘴気しょうきがどろどろと溢れ出す。



「死ねェッ!」



 握りしめた拳ごと、ボーラのように前方のラインハルトへと放ち投げた。


数十枚の硬貨が空中で散開し、回避不能の散弾となって襲いかかる。


一つ一つが着弾と同時に致死の呪いを撒き散らす、広範囲の面制圧攻撃。


ラインハルトの足が止まった。


 彼は大剣を両手で握り直し、右足を半歩引いて深く腰を落とす。


兜の奥の双眸が、迫り来る紫色の網目を冷静に見極めていた。


空間が、一瞬だけ時を止めたかのように静まり返る。


息を呑むような、極度の緊張の頂点。


 次の瞬間、大剣が下から上へ、神速の軌道を描いて振り抜かれた。


一切の魔力を持たない、純粋な筋力と剣技のみによる一閃。


空間そのものが、縦に真っ二つに裂けたかのような錯覚。


 大気を叩き潰す衝撃波が、前方に発生する。


 散弾となって迫っていた呪貨の群れが、その見えない巨大な壁に激突し、空中で次々と弾け飛んだ。


 紫色の閃光が玉座の間を白く染め上げ、爆音と共に猛烈な突風が吹き荒れる。


風に煽られ、ガルスのフードが後方へと弾き飛ばされた。


むき出しになった彼の顔に、信じられないものを見るような驚愕が張り付く。


 爆煙を切り裂き、漆黒の重鎧が無傷で姿を現したのだ。


 装甲の表面に微かな焦げ跡を残しながらも、その歩みは止まっていない。


 いや、むしろ速度を上げている。


ズン、と。



大理石の床が、ラインハルトの踏み込みによって陥没した。


一息で間合いを詰める、規格外の踏み込み。


ガルスが次の硬貨を袋から取り出そうとした時には、すでに――巨大な死神は彼の目と鼻の先に到達していた。


見上げるほどの大剣が、ガルスの頭上高く振り上げられる。



(ヒッ……!)



 喉の奥で、情けない悲鳴が凍りついた。


ガルスは咄嗟に身を捻り、背中に負っていた自らの大剣を盾のように掲げる。


鋼と鋼が激突する、絶望的な轟音。


 ラインハルトの一撃は、ガルスの安物の剣をいとも容易く叩き割り、そのまま彼の分厚い革鎧の肩口を浅く裂いた。


同時に、衝撃波が腰の太いベルトを打ち据え、袋を繋いでいた何重もの鎖が悲鳴を上げて弾け飛ぶ。


飛び散る鮮血と、砕けた鋼の破片。



「ガアアッ!」



 圧倒的な衝撃に耐えきれず、ガルスは膝から床に崩れ落ちた。

 

 大理石の床に背中から叩きつけられ、肺の空気が完全に絞り出される。


視界が激しく揺らぎ、血の味が口の中に広がる。


 見上げれば、兜の奥から冷酷な光を放つ漆黒の魔王が、再び大剣を振り上げようとしていた。


 ガルスは這いずるようにして後退しようとする。


その無様な動作の最中、鎖を失い、行き場を無くした袋が、衝撃の余波で大きく跳ね上がった。


ジャラ……ズズン。



 泥と血にまみれた『黄金の恩賞袋』。


その歪な形をした呪具が、ラインハルトの視界の端で、ゆっくりと宙を舞う。


大剣が、振り下ろされる。



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