第57話:ご主人様ではありません
時間がかかった。
どれくらい経ったのかは分からない。
赤い空の色は変わらない。
二つの月も、相変わらずそこにある。
運転補助ロボットの駆動音は、もう聞こえなくなっていた。
諦めたのか。
壊れたのか。
別の場所を探しているのか。
分からない。
だが、今は作業を止められなかった。
瑠香がシルヴェリアの鎖骨の下へ手を伸ばす。
そこに、小さな透明パネルがあった。
瑠香「ここ、開きそう」
愛斗「大丈夫なのか?」
瑠香「大丈夫かどうかは分からないけど、たぶんここが起動系の確認口」
愛斗「専門家みたいなこと言い始めたな」
瑠香「専門家じゃないから、真に受けすぎないで」
愛斗「それはそれで怖い」
瑠香は小さく息を吐き、慎重にパネルを開いた。
その瞬間だった。
シルヴェリアの右腕が、突然動いた。
銀色の骨格が光る。
指先から金属が展開する。
腕の一部が、刃のように変形した。
それは俺にではなく、隣にいた瑠香の首元へ向いていた。
愛斗「危ない!」
俺は反射的に、その刃を掴んだ。
掌に鈍い衝撃が走る。
切れはしなかった。
だが、刃は冷たく、重く、信じられないほど鋭かった。
あと少し遅れていれば、瑠香の首に届いていた。
瑠香の顔から血の気が引く。
シルヴェリアの腕は、完全に制御を失っていた。
彼女の意思ではない。
体内の何かが誤作動している。
ネリュアが叫ぶ。
ネリュア「大きな力が流れた! 胸の奥から腕へ、暴走するように!」
愛斗「止められるか!?」
ネリュア「無理に止めれば、中の流れごと壊れる!」
アズが、震えながらも配線を押さえる。
アズ「……ここ、切っちゃ、だめ」
瑠香は青ざめたまま、けれど手を止めなかった。
彼女の指が、シルヴェリアの鎖骨下にある小さなスイッチへ伸びる。
愛斗「瑠香!」
瑠香「分かってる!」
彼女はスイッチを押した。
刃の動きが、ぴたりと止まる。
腕の金属が震え、ゆっくり元の形へ戻っていく。
俺は刃から手を離した。
掌に、じんとした痺れが残っている。
その時だった。
シルヴェリアの瞼が、ゆっくり開いた。
白い月明かりを受けて、淡い銀色の瞳が光る。
その瞳は、俺たちを順番に見た。
瑠香。
アズ。
ネリュア。
そして、俺。
感情の薄い瞳。
けれど、完全に空っぽではない瞳。
彼女の唇が、わずかに動いた。
シルヴェリア「……R.I.A.シリーズ、R-02。シルヴェリア。偵察、潜入、暗殺を目的として製造された、自律型人型兵装です」
その声は、静かだった。
機械的で、平坦で、丁寧。
けれど確かに、少女の声だった。
シルヴェリア。
彼女は、自分でその名を告げた。
俺たちは息を呑む。
さっき読んだ刻印は、間違っていなかった。
彼女はR.I.A.シリーズのR-02。
シルヴェリア。
偵察、潜入、暗殺を目的として作られた、自律型人型兵装。
暗殺。
その単語が、空気を一段冷たくする。
俺は剣の柄に手をかけたまま、彼女を見る。
シルヴェリアは動かない。
ただ、淡い銀色の瞳で俺たちを見つめている。
まるでマニュアルを音声で再生しているようだった。
シルヴェリア「現在、全身機能に十二・三パーセントの損傷を確認。記憶ユニットに一部欠損を確認。システムリカバリーを実施します」
それだけ言うと、彼女は目を閉じた。
再び眠りに落ちるみたいに。
瑠香が、張り詰めていた息を吐く。
瑠香「……起きた、の?」
愛斗「一瞬だけな」
アズ「……こわい、けど」
愛斗「けど?」
アズ「……声、あった」
声があった。
その言い方が、妙に胸に残った。
人間ではない。
機械だ。
そう分かっているはずなのに。
起きた瞬間、彼女は人間にしか見えなかった。
声を出し、自分の名を名乗り、壊れていることを告げて、また眠った。
記憶の欠損。
損傷。
システムリカバリー。
彼女は壊れている。
けれど、完全に機械というわけでもない。
そこに、何かが残っている。
何かが、まだ眠っている。
俺たちはもう一度、彼女の周りに座り込んだ。
瑠香は小さく息を整え、再び修理を始める。
さっきより慎重に。
けれど、さっきより迷いは少なかった。
起きた。
名乗った。
なら、起こせる。
そう思えたのかもしれない。
やがて、シルヴェリアの胸の奥の光が安定してきた。
弱く。
けれど規則的に。
点滅が整う。
シルヴェリアの瞼が、再びゆっくり開いた。
シルヴェリア「起動……成功。自己診断、不完全。任務記録、破損。識別不能個体、四名。敵性判定……保留」
保留。
その言葉に、俺たちは揃って息を吐いた。
敵性判定、敵。
ではない。
保留。
とりあえず今は、斬られなくて済みそうだ。
瑠香も、肩の力を抜く。
瑠香「敵じゃなかったみたいね」
愛斗「保留だから、まだ微妙だけどな」
瑠香「こういう時くらい、前向きに解釈してよ」
愛斗「前向きに解釈した結果、さっき廃棄場に連れてこられたばかりなんだが」
瑠香「それはそうだけど!」
シルヴェリアは、俺たちを順番に見た。
首の動きは人間らしい。
けれど目の動きは、どこか機械的だった。
瑠香。
アズ。
ネリュア。
最後に、俺。
そこで視線が止まる。
シルヴェリア「あなたは……どなたですか?」
さっきより、少しだけ声が柔らかい。
人間らしい、とまでは言えない。
けれど、音声案内ではなかった。
問いかけだった。
俺は答える。
愛斗「喜早 愛斗だ」
シルヴェリア「キハヤ、マナト」
彼女は俺の名前を復唱する。
一音ずつ、確かめるように。
まるで、記憶装置に刻み込んでいるみたいだった。
シルヴェリア「暫定命令権限者を確認。ご主人様と呼称してもよろしいでしょうか」
ご主人様。
その単語が出た瞬間、空気が変わった。
主に瑠香の周辺だけが。
瑠香「ちょ、ちょっと待って! なんで愛斗がご主人様なの!?」
シルヴェリアは瑠香を見る。
その動きは静かで、無駄がない。
シルヴェリア「最初にわたくしを認識し、回収し、修復行動に関与した個体。暫定的に最も高い権限を有すると判断しました」
愛斗「俺だけじゃない。修理の中心は瑠香だ」
瑠香は一瞬だけ目を丸くした。
それから、なぜか頬を赤くする。
瑠香「そ、そうよ! 私もやったじゃない! というか、修理のほとんどは私がしたんだから!」
シルヴェリアは首をかしげた。
人間の真似をしているようで、少しだけ角度が正確すぎる。
シルヴェリア「では、瑠香様もご主人様でしょうか」
瑠香「私は違う!」
愛斗「俺も違う」
シルヴェリア「所有者では、ないのですか?」
所有者。
その言葉に、俺は少しだけ眉をひそめた。
彼女は自分を、所有されるものとして見ている。
道具。
兵装。
誰かの命令で動くもの。
その認識が、あまりにも自然に彼女の中にある。
それが少し、嫌だった。
瑠香も同じことを感じたのか、真面目な顔になる。
瑠香「……所有者じゃない。愛斗は、そういうのじゃない」
シルヴェリア「そういうの、とは?」
瑠香「えっと……」
瑠香が言葉に詰まる。
頬が赤くなる。
視線が泳ぐ。
愛斗は、私の。
その先を言いかけて、止まったように見えた。
俺は慌てて咳払いをする。
愛斗「その話は後だ。今はシルヴェリアの状態を確認する」
瑠香「そ、そう! 今はそれ!」
シルヴェリアは俺を見る。
淡い銀色の瞳に、微かな光が揺れている。
シルヴェリア「命令を確認しました」
愛斗「命令じゃない。確認だ」
シルヴェリア「確認を命令として認識しました」
愛斗「ややこしいな」
シルヴェリア「申し訳ありません。会話機能に一部不整合が発生しています」
その丁寧さが、逆に妙だった。
片言というほどではない。
けれど、言葉の選び方が少しずれている。
人間の会話を真似ている途中のような感じ。
それが、彼女をただの機械よりもずっと危うく見せていた。
シルヴェリアはゆっくりと上半身を起こす。
俺は反射的に支えようとした。
だが、彼女は自力で起き上がった。
動きは人間とほとんど同じ。
ただし、無駄がない。
関節の角度。
指先の位置。
視線の動き。
何もかもが正確だった。
その正確さが、人間らしさの中に混じっているせいで、少しだけ怖い。
シルヴェリアは自分の肩口を見る。
裂けた外装。
露出した銀色の骨格。
修復された配線。
彼女は、それを淡々と確認した。
シルヴェリア「応急修復を確認。修復者、複数。感謝、という反応を学習しました」
そして、俺たちへ向き直る。
シルヴェリア「ありがとうございます。ご主人様。瑠香様。ネリュア様。アズリナ様」
アズが、自分の名前を呼ばれて小さく肩を揺らす。
アズ「……アズで、いい」
シルヴェリア「了解しました。アズ様」
アズ「……様、いらない」
シルヴェリア「了解しました。アズ」
アズは少しだけ戸惑った顔をした。
でも、嫌そうではなかった。
瑠香はまだ「ご主人様」という単語に引っかかっているらしく、俺の方をじっと見ている。
愛斗「俺を見るな」
瑠香「別に見てないし」
愛斗「見てるだろ」
瑠香「監視」
愛斗「何の?」
瑠香「ご主人様化しないかどうかの」
愛斗「しない」
シルヴェリア「ご主人様化、とは何でしょうか」
瑠香「覚えなくていい!」
シルヴェリア「了解しました。重要度、低として保存します」
愛斗「保存はするのか」
少しだけ、空気が軽くなる。
けれど、その軽さは長く続かなかった。
遠くから、金属を引きずる音が聞こえた。
運転補助ロボットか。
それとも、別の処分用機械か。
廃棄場の影の奥で、黄色い光がちらついた気がした。
俺は剣の柄に手をかける。
瑠香も表情を引き締める。
アズが小剣を握る。
ネリュアが、疲れた身体を起こす。
シルヴェリアは、音のした方向へ顔を向けた。
その瞳の光が、少しだけ鋭くなる。
シルヴェリア「周辺に処理機体の反応。数、三。敵性判定、高」
愛斗「動けるのか?」
シルヴェリアはゆっくり立ち上がった。
その動きは危うい。
損傷はまだ残っている。
けれど、立った。
白金の髪が、赤い空の下で揺れる。
黒いゴシック調の服の裾が、砂と錆を払うように揺れた。
シルヴェリア「戦闘機能、限定稼働。ご主人様の防衛を開始します」
瑠香「だから、ご主人様じゃないってば!」
その抗議が終わる前に。
廃棄物の山の向こうで、黄色い光が三つ灯った。
シルヴェリアは無表情のまま、右腕を持ち上げる。
その腕の内側から、銀色の銃口が静かに展開した。




