第55話:R-02、シルヴェリア
少女の服は、黒いゴシック調のワンピースだった。
廃棄物の山から引き出した時、その裾には砂と錆が絡みついていた。長い布地はところどころ破れ、白いレースは茶色く汚れている。肩口から腕にかけては裂けていて、そこから内側の機械構造が見えていた。
それなのに。
少女自身は、不思議なほど綺麗だった。
白金色の長い髪。
人形みたいに整った顔。
白い肌。
閉じられた瞼。
まるで、この廃棄処分場に何年も捨てられていたのではなく、ほんの少し前まで誰かの部屋で眠っていたみたいだった。
眠っている。
そう言えたなら、どれだけ楽だっただろう。
けれど、彼女に人間の呼吸はなかった。
胸は上下していない。
脈もない。
俺たちは廃棄物の山を離れ、少し奥まった場所に彼女を横たえた。
周囲には、背の高いコンテナと、壊れた機械の残骸が積み重なっている。外からは見えにくい。運転補助ロボットがまだ追ってきているとしても、すぐには見つからないはずだった。
はず、という言葉に今さら信用はない。
でも、今はその“はず”に縋るしかなかった。
地面には金属片が散らばっている。
俺はマントを一枚敷き、その上に少女を寝かせた。
軽い。
不自然なほど軽い。
人間に似ているのに、人間の重さではない。
けれど腕に残った冷たさだけは、妙に現実的だった。
俺は少女の胸元へ手を当てる。
冷たい。
体温はない。
けれど、奥で何かが動いている。
心臓ではない。
脈でもない。
もっと小さく、もっと硬く、もっと規則的な何か。
淡い光が、胸の奥で弱く点滅している。
まるで、まだ夢を見ているみたいだった。
機械が夢を見るのかどうかは知らない。
そもそも人間だって、自分がどうして夢を見るのか、ちゃんとは分かっていない。
だったら、機械が夢を見たところで、俺に否定する資格はないのかもしれない。
瑠香が、そっと肩口を覗き込む。
瑠香「……本当に、生きてるのかな」
愛斗「機械だ。生きていると言っていいのかは分からない」
瑠香「じゃあ、壊れてる?」
愛斗「それも違う気がする」
動いていない。
けれど、完全に止まっているわけじゃない。
生きていない。
けれど、死んでいるとも言い切れない。
この世界に来てから、そういうものばかりだ。
心があるようで、ないもの。
心がないはずなのに、ありそうなもの。
そして今、俺たちの前には、人間ではないのに少女にしか見えないものが横たわっている。
アズが、小剣を胸の前に抱えたまま少女を見つめていた。
その瞳には、怖さがあった。
けれど、ただの警戒ではない。
もっと別のもの。
見てはいけないものを見てしまったような、目を逸らしたいのに逸らせないような、そんな揺れだった。
アズ「……こわい。でも」
愛斗「でも?」
アズ「……なみだ、みたい」
アズの言葉に、俺は少女の顔を見る。
涙は流れていない。
目も閉じている。
表情もない。
それでも、確かにそう見えた。
泣いているように見える。
涙がないのに。
声がないのに。
感情があるのかも分からないのに。
廃棄物の山に埋もれていたその姿は、助けを求めていたというより、助けを求めることすら忘れてしまったみたいだった。
ネリュアが杖を少女の上へ掲げる。
緑の光が、淡く広がった。
けれど、その光はすぐに揺らぐ。
ネリュアの顔色は悪い。
この短時間で何度も力を使わせてしまったせいだ。
愛斗「無理するな」
ネリュア「無理はせぬ。妾にできる範囲で見るだけじゃ」
彼女は静かに目を閉じる。
緑の光が、少女の身体を薄く包む。
だが、人間を癒やす時のようには馴染まない。
光は少女の肌の上を滑り、肩口の機械部分で小さく乱れた。
ネリュア「……やはり、機械そのものには妾の術は届きにくい」
愛斗「駄目か?」
ネリュア「完全に駄目ではない。命の気配は薄い。じゃが、完全に無いわけでもない。理の流れはある。水の流れでも、草木の流れでも、人の血の流れでもない。けれど、何かが内側で巡っておる」
それが、ほんの少しの希望になった。
希望というには頼りない。
火種というには小さすぎる。
けれど、暗闇の中で瞬く光は、どれだけ小さくても目に入ってしまう。
俺は少女の肩口を見る。
裂けた服の奥。
人工皮膚らしき白い表層の下に、銀色の骨格が覗いている。
その周囲には、細い配線と、小さな発光体が埋め込まれていた。
赤。
青。
白。
いくつもの小さな光が、弱く明滅している。
人間の内臓の代わりに、精密な機械が詰め込まれているみたいだった。
瑠香が息を呑む。
瑠香「……本当に機械なんだ」
愛斗「見た目は人間だけどな」
瑠香「うん。だから余計に変な感じ」
俺も同じだった。
金属の塊なら、まだ割り切れた。
壊れたロボットなら、壊れたものとして見られた。
けれど彼女は違う。
あまりにも人間に近すぎる。
人間に近すぎるからこそ、人間ではない部分が異様に見える。
瑠香は少女の首元へ目を向けた。
汚れと傷の下に、小さな刻印がある。
さっきは月明かりで、R.I.A. SERIES / R-02までしか読めなかった。
瑠香が袖でそっと汚れを拭う。
油と砂が落ちる。
その奥に、続きの文字が現れた。
瑠香「……R.I.A. SERIES……R-02……」
彼女は目を細める。
瑠香「SIL……VERIA……?」
愛斗「読めるのか?」
瑠香「たぶん。英語っぽい表記だけど、発音するなら……シルヴェリア、かな」
シルヴェリア。
口に出した瞬間、その名前はやけに自然に響いた。
廃棄物の山に埋もれていた少女。
白金の髪。
銀色の骨格。
R-02。
R.I.A.
所在不明。
その全部が、ひとつの名前に収まった気がした。
瑠香は、少しだけ得意げに笑う。
瑠香「この子の名前、これじゃないかな?」
愛斗「型番かもしれないぞ」
瑠香「でも、名前がないよりはいいでしょ」
確かにそうだ。
目の前の少女は、自分を名乗れない。
眠っているのだから。
壊れているのだから。
それなら、こちらが呼ぶための名前が必要だった。
名前というのは、便利だ。
呼ぶためのもの。
覚えるためのもの。
忘れないためのもの。
拾ってしまったものに名前を与えるというのは、たぶん、もう引き返さないということなのだろう。
俺は少女を見る。
愛斗「シルヴェリア、か」
その名前に反応するように、胸の奥の光が一度だけ弱く瞬いた。
偶然かもしれない。
けれど、偶然だと片づけるには、俺たちはもうずいぶん偶然に振り回されすぎていた。




