第50話:それを、育てるな
食事を終えたあと、俺は密閉ケースを取り出した。
中の種を、エルネストに見せる。
エルネストの表情が変わった。
ほんの一瞬で。
さっきまで懐かしさに緩んでいた目が、鋭く、硬くなる。
エルネスト「それをどうした」
愛斗「食糧庫で見つけた」
エルネスト「……ケースに入っておったのか」
愛斗「ああ。これが何なのか知ってるのか?」
エルネストは答えなかった。
彼は種をじっと見つめる。
まるで、小さな種ではなく、毒蛇でも見ているような目だった。
ネリュアが静かに言う。
ネリュア「これは、普通の種ではない。土の理と、機械の理が混ざっておる」
エルネスト「精霊なら、そう見るじゃろうな」
愛斗「育てれば、食料になるのか?」
その問いに、エルネストはゆっくり首を横に振った。
エルネスト「捨てておけ」
瑠香「え?」
エルネスト「それを、育てるな」
部屋の空気が冷える。
種。
食糧庫。
食料がない世界。
育てるな。
普通に考えれば、矛盾している。
食料がないなら、種は希望のはずだ。
畑が作れなくても、何かの可能性にはなるはずだ。
けれどエルネストの声には、希望を拒む強さがあった。
愛斗「理由は?」
エルネスト「知らぬ方がよい」
愛斗「またそれか」
エルネスト「知っていることと、語ってよいことは違う」
その言い方には、長く生きた者の頑固さがあった。
同時に、何かを後悔している者の重さもあった。
俺は種をしまう。
捨てる気にはなれなかった。
育てるなと言われた。
それは覚えておく。
けれど、今ここで捨てるには、この種はあまりにも不穏で、あまりにも重要そうだった。
エルネストはそれ以上、種について語らなかった。
代わりに、ゆっくり立ち上がる。
エルネスト「ついて来なさい」
俺たちは顔を見合わせる。
エルネストは庁舎の外へ向かった。
冷たい風が吹き込む。
赤い空の下、庁舎の裏手へ回る。
そこには、古い車が一台停まっていた。
車。
間違いなく車だった。
ただし、俺たちの世界で見る車とは少し違う。
タイヤはある。
でも細い金属の輪のような構造で、車体の下には青い光が走っている。
外装は黒ずみ、窓には砂がこびりついていた。
それでも、形は自動車に近い。
エルネストは懐かしそうに、その車のボンネットへ手を置いた。
エルネスト「昔、わしが乗っていたものじゃ」
瑠香「動くんですか?」
エルネスト「たぶんの」
愛斗「その“たぶん”が一番怖い」
エルネストは小さく笑い、俺に鍵を渡した。
古い金属の鍵だった。
それでいて、内部に小さな光が灯っている。
機械と骨董品が混ざったような鍵だ。
エルネスト「これで、次の管理区へ向かえ。歩くよりは早い」
愛斗「助かる」
そう言ってから、俺は鍵と車を見比べた。
そして、気づいた。
致命的な問題に。
愛斗「……誰か、運転できるか?」
沈黙。
瑠香が目を逸らす。
瑠香「私、十七歳」
愛斗「俺も十七歳」
アズ「……くるま、わからない」
ネリュア「馬車ならば、多少は分かるがの」
愛斗「馬がいない」
ネリュア「では、無理じゃな」
終わった。
車はある。
鍵もある。
目的地もある。
しかし運転手がいない。
現代日本なら当たり前の問題だが、異世界で直面すると妙に間抜けだった。
瑠香が車を覗き込む。
瑠香「自動運転とかないの?」
愛斗「この世界ならありそうだけど、あったとしても使い方が分からない」
瑠香「ハンドル握ったら動かないかな」
愛斗「それで動いたら怖いだろ」
アズが車の横に立ち、じっと見上げる。
アズ「……これ、馬より、はやい?」
愛斗「たぶん」
アズ「……こわい」
その時だった。
車の下から、何かが動く音がした。
小さな駆動音。
続いて、車体の横の影が膨らむように立ち上がる。
俺は反射的に剣へ手をかけた。
影の中から現れたのは、一体のロボットだった。
人型ではある。
だが、門番やガードロボよりずっと細い。
運転席に収まるためなのか、体は薄く、腕は長く、頭部は半球状。目にあたる部分には、柔らかい黄色の光が灯っている。
ロボットは、こちらへ丁寧に頭を下げた。
ロボット「運転補助ユニット、起動しました」
瑠香「……しゃべった」
愛斗「この世界、だいたいしゃべるだろ」
ロボット「目的地まで安全に搬送いたします」
その声は穏やかだった。
門番よりも柔らかい。
ガードロボよりも人間に近い。
だからこそ、少し怪しかった。
愛斗「目的地は?」
ロボット「安全な目的地へ搬送いたします」
愛斗「いや、俺たちが聞いてるんだけど」
ロボット「安全な目的地へ搬送いたします」
瑠香が小声で言う。
瑠香「……怪しくない?」
愛斗「かなり怪しい」
瑠香「乗るの?」
俺は車を見る。
壊れた街。
遠い管理区。
疲れた三人。
特にネリュアは、長距離を歩ける状態じゃない。
怪しい。
だが、車を使えるなら大きい。
怪しいものに乗るなというのは正しい。
でも、正しい選択だけで進めるなら、そもそも俺たちはここまで来ていない。
エルネストがロボットを見て、わずかに眉をひそめる。
エルネスト「……まだ残っておったか」
愛斗「知ってるのか?」
エルネスト「旧型の運転補助機じゃ。昔はよく使われておった。だが、今も正常とは限らん」
瑠香「正常じゃない可能性あるんですか?」
エルネスト「この世界で、正常なものを探す方が難しい」
まったくその通りだった。
ロボットは、もう一度頭を下げる。
ロボット「目的地まで安全に搬送いたします」
同じ言葉。
同じ音程。
同じ角度。
俺はその反復に、少しだけ嫌なものを感じた。
けれど、選択肢は多くない。
愛斗「……分かった。頼む」
瑠香「本当に大丈夫?」
愛斗「大丈夫とは言ってない」
瑠香「またそれ!」
俺は運転補助ロボットを見る。
愛斗「ただし、変なことをしたら止める」
ロボット「安全な目的地へ搬送いたします」
答えになっていない。
答えになっていないが、車の扉は静かに開いた。
中は思ったより広い。
座席は埃をかぶっているが、まだ使えそうだった。
俺たちは顔を見合わせる。
赤い空。
二つの月。
壊れた街。
食糧庫。
謎の種。
銀色の女。
そして、安全な目的地へ搬送すると繰り返すロボット。
嫌な材料は揃っている。
揃いすぎている。
それでも、俺たちは車に乗り込んだ。
運転補助ロボットが、運転席へ滑り込む。
黄色い目が一度だけ明滅した。
ロボット「搬送を開始します」
車体が低く震える。
青い光が足元を走る。
そして車は、音もなく第三管理区の廃墟を離れた。
俺たちはまだ知らなかった。
この車が向かう“安全な目的地”が、俺たちにとって安全な場所とは限らないことを。




