第48話:日本語のカップ麺
食糧庫の中は、冷たかった。
外の乾いた風とは違う。
金属と保存剤の匂いが混ざった、人工的な冷たさだ。
壁には白い光が細く走り、天井からは低い機械音が響いている。まだ施設は生きているらしい。
けれど、その中にあったものは、俺たちが期待していたほど多くはなかった。
棚はほとんど空だった。
広い保管室。
壁一面の収納棚。
番号の振られた箱。
それらの大半が、空。
扉の壊れたケース。
中身の抜かれた保管容器。
消えたラベル。
そこに残っていたのは、本当にわずかな食料だけだった。
数個の缶。
見慣れない包装。
そして、カップ状の容器。
俺はその一つを手に取った。
軽い。
中に乾いた何かが入っている音がする。
ラベルは擦り切れている。
けれど、描かれている絵は分かった。
カップに入った麺。
湯気。
箸。
箸だ。
この世界で箸の絵を見ることになるとは思わなかった。
いや、正確には、箸らしきものだ。
そう言い訳したかった。
けれど、どう見ても箸だった。
瑠香が隣で固まっている。
愛斗「……瑠香」
瑠香「うん」
愛斗「これ、カップ麺に見えるよな」
瑠香「見える。というか、カップ麺にしか見えない」
俺はもう一度、包装を見る。
そこには、かすれた文字があった。
古い。
歪んでいる。
けれど、読めた。
『鶏ガラ醤油ラーメン』
日本語だった。
間違いなく、日本語だった。
この世界の変換表示ではない。
頭に意味が流れ込んでくるのではなく、俺の目が、俺の記憶が、その文字をそのまま読んでいた。
鶏ガラ。
醤油。
ラーメン。
異世界の未来都市の廃墟。
人間のいない管理区。
二つの月。
ロボットだけの街。
その食糧庫に、日本語のカップ麺。
意味が分からない。
意味が分からないものが多すぎて、そろそろ意味という単語そのものを疑いたくなる。
瑠香が小さく呟く。
瑠香「……ねえ、これ、私たちの世界のやつに似すぎてない?」
愛斗「似すぎてるな」
瑠香「似てるっていうか、ほぼそのままじゃない?」
愛斗「ほぼ、というか」
言いかけて、やめた。
同じだ、と言い切るのが怖かった。
ここに日本語がある。
それはつまり、この世界と俺たちの世界が、どこかで繋がっているということだ。
あるいは、繋がっていたということだ。
この世界が未来なのか。
別の可能性なのか。
書き換えられた末路なのか。
分からない。
けれど、無関係ではない。
それだけは分かる。
ネリュアが、俺の手元を覗き込む。
ネリュア「それは……麺なのか?」
愛斗「ああ。お湯を入れると食べられる」
ネリュア「器ごと食べるのか?」
瑠香「食べないです」
ネリュア「では、器の中に麺が眠っておるのか?」
愛斗「言い方は詩的だけど、まあそうだな」
アズもそっと近づいてくる。
アズ「……これ、たべもの?」
愛斗「食べ物だ」
アズ「……かたい」
愛斗「今はな。お湯で戻すんだ」
アズ「……戻す?」
アズとネリュアの顔に、同じ種類の不思議が浮かんだ。
異世界組にカップ麺を説明する日が来るとは思わなかった。
人生は何が起こるか分からない。
いや、ここまで来ると人生というより世界線の問題だ。
俺は棚の残りを確認する。
カップ麺らしきものが八つ。
缶詰が四つ。
固形食が数本。
それだけだった。
食糧庫という名前から想像する量ではない。
非常備蓄庫。
その最後の残りかす。
おそらく、ここにあった食料は長い年月をかけて少しずつ消費され、あるいは劣化し、あるいは誰かに持ち出されたのだろう。
これでも、俺たちにとっては十分に貴重だ。
数日分はある。
ないよりは遥かにいい。
瑠香はカップ麺を見つめたまま、少しだけ表情を緩めている。
瑠香「カップ麺……」
愛斗「嬉しそうだな」
瑠香「だって、カップ麺だよ? こんな世界でカップ麺だよ? 泣いてもよくない?」
愛斗「泣くほどか?」
瑠香「今の精神状態なら、割と泣ける」
分からなくはない。
俺も、包装を見ているだけで妙に胸が熱くなった。
たかがカップ麺。
されどカップ麺。
現代日本のコンビニなら、棚に山ほど並んでいたもの。
夜中に小腹が空いた時、何となく買って帰るようなもの。
そんなものが、この世界では宝物みたいに見える。
俺たちは食料を袋に詰めた。
その時、ネリュアが倉庫の隅を指さす。
ネリュア「そちらにも、何かある」
倉庫の隅。
他の保管ケースとは違う、小さな密閉ケースが置かれていた。
透明な外装。
内部に細い光の線。
まるで、何かを腐らせないためではなく、眠らせるための容器みたいだった。
俺は慎重に近づく。
愛斗「危険か?」
ネリュア「分からぬ。命の気配はある。じゃが、普通の命ではない」
普通の命ではない。
この世界に来てから、その手の表現にはもう慣れた。
慣れたくなかったが、慣れてしまった。




