表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ただの高校生だった俺は、異世界召喚で空間を斬る最強になったのに、帰ってみたら幼馴染が王家の姫になっていた  作者: NOVENG MUSiQ
第3章 赤い空の機械世界と銀色の心臓

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/58

第45話:最後の留守番

 庁舎の中は、第七管理区の管理塔よりもずっと人間くさかった。


 古い紙の資料。


 錆びた金属部品。


 壁に貼られた手書きのメモ。


 埃をかぶった棚。


 ひびの入ったカップ。


 布の掛かった椅子。


 端末や制御装置も並んでいるが、その間に生活の痕跡が残っている。


 誰かがここで暮らしていた。


 いや、今も暮らしている。


 それが分かる部屋だった。


 老人はゆっくり歩き、中央の椅子へ腰を下ろす。


 動作は遅い。


 腕も、足も、今にも折れそうに細い。


 けれど目だけは、妙にはっきりしていた。


 老人「わしはエルネスト・ヴァルド。この第三管理区の管理者……と言えば聞こえはよいが、実際は留守番のようなものじゃ」


 愛斗「喜早 愛斗だ」


 瑠香「星乃 瑠香です」


 ネリュア「ネリュア・ドリュサじゃ」


 アズ「……アズリナ・ドリュアス」


 エルネストは、それぞれの名を聞くたびに小さく頷いた。


 名前を記録しているようにも、ただ噛みしめているようにも見えた。


 エルネスト「久しぶりじゃな。人間の声を聞くのは」


 瑠香が尋ねる。


 瑠香「……他に、誰もいないんですか?」


 エルネストは静かに頷いた。


 エルネスト「この管理区には、もう誰もおらん。第七にも、第九にも、第十二にも、おそらくはおらん。わしも、もうすぐ向こう側じゃ」


 その言い方には、諦めがあった。


 けれど、絶望はなかった。


 もう絶望する時期すら通り過ぎた人間の声だった。


 ネリュアが、わずかに目を細める。


 ネリュア「お主、生きてはおる。じゃが、命の火が細いの」


 エルネスト「精霊か。なるほど、そういうものも来たか」


 愛斗「驚かないんだな」


 エルネストは笑った。


 エルネスト「驚くには、少々長く生きすぎた。それに、わしが予測していたわけではないが、先祖は予測しておった」


 愛斗「先祖?」


 エルネストは古い端末に手を伸ばす。


 指が震えている。


 それでも、操作は迷いがなかった。


 壁の一部に、薄い映像が浮かび上がる。


 そこに映ったのは、手書きの古い記録だった。


 文字はほとんど読めない。


 けれど、絵は理解できた。


 四人の影。


 門。


 二つの月。


 そして、世界を渡るように描かれた細い線。


 絵の脇には、数字があった。


『約250年後』


 エルネスト「わしの先祖は言っておった。世界が死んでから、およそ二百五十年後。異なる世界より、四つの影が来る、と」


 世界が死んでから。


 その言葉が、部屋の空気を少しだけ重くした。


 俺は聞き返す。


 愛斗「世界が死んだって、どういう意味だ?」


 エルネストはすぐには答えなかった。


 代わりに、窓の外を見た。


 壊れた街。


 倒れたロボット。


 光だけが残る建物。


 それらを見てから、静かに言う。


 エルネスト「見たままじゃよ。人が消え、土が痩せ、空が変わり、機械だけが残った。世界は急に終わったのではない。長く、ゆっくり、息をするのをやめた」


 瑠香が肩を抱く。


 エルネスト「詳しい話は、いずれできるかもしれん。だが今のお主らに必要なのは、歴史ではあるまい」


 その通りだった。


 俺たちに必要なのは、まず水と食料だ。


 情けない話だが、世界の真相より先に胃袋の問題がある。


 ネリュアの呼吸はまだ細い。


 瑠香も、アズも疲れている。


 俺自身も、喉の奥が乾いて、頭が少し重い。


 愛斗「食べられるものはあるか?」


 エルネストは頷いた。


 ただし、その表情は明るくなかった。


 エルネスト「わしの手元に、少しだけ残っておる」


 彼は席を立ち、棚へ向かった。


 ゆっくりと扉を開け、小さな箱を取り出す。


 中には、古い缶詰のようなものが二つと、透明な袋に入った固形食が数本入っていた。


 エルネスト「これが、今ここにある最後の食料じゃ」


 最後。


 その言葉に、誰もすぐには手を伸ばせなかった。


 エルネストは苦笑する。


 エルネスト「遠慮はいらん。わしの身体は、もうろくに食べ物を受けつけん。残しておいても、ただ古くなるだけじゃ」


 愛斗「でも、あんたは」


 エルネスト「若い者が食え。年寄りの意地に付き合って倒れられても困る」


 言い方は軽い。


 だが、そこには本気があった。


 俺は小さく頭を下げる。


 愛斗「……助かる」


 エルネストは缶詰の開け方と、固形食の包装の外し方を教えてくれた。


 中身は、味の薄い豆の煮込みのようなものと、栄養補助食品に近い固い棒だった。


 うまいかまずいかで言えば、正直かなり微妙だ。


 けれど、食べ物だった。


 食べ物というだけで、今は十分すぎる。


 瑠香は固形食を一口かじり、微妙な顔をした。


 瑠香「……味が迷子」


 愛斗「食べられるだけありがたいだろ」


 瑠香「分かってる。分かってるけど、味が迷子」


 アズは小さく缶詰を見つめていた。


 それから、自分の分をそっとネリュアの方へ押す。


 アズ「……ネリュア、これ、たべる」


 ネリュアは少し驚いた。


 ネリュア「アズは食べぬのか?」


 アズ「……わたし、ちょっとでも、平気。ネリュア、つらそうだから」


 ネリュアはしばらくアズを見つめた。


 そして、細い指でアズの頭を撫でる。


 ネリュア「ありがとう。じゃが、妾は妾の分で足りる。お主も食べよ」


 アズ「……でも」


 ネリュア「お主が倒れたら、妾も困る」


 アズは少し迷ってから、こくりと頷いた。


 そして、自分の分を小さく口へ運ぶ。


 その様子を見て、エルネストが静かに笑った。


 エルネスト「腹が減れば、生き物は正直になる。よいことじゃ」


 よいこと。


 この世界でその言葉を聞くと、妙に遠く感じた。


 食料は少なかった。


 俺たち四人が少し息をつける程度。


 だが、ネリュアの顔色はわずかに戻った。


 瑠香の目にも、少しだけ力が戻る。


 アズも、小さく息をついた。


 それだけで、今は意味があった。


 けれど、これだけでは足りない。


 この先を進むなら、もっと食料と水が必要だ。


 エルネストもそれを分かっていたのだろう。


 彼は端末を操作し、街の地図を映し出した。


 エルネスト「食糧庫なら、まだ残っておる」


 愛斗「食糧庫?」


 エルネスト「第三管理区の南端。かつて非常備蓄庫として使われていた場所じゃ。保存食が少しばかり残っているはずじゃ」


 瑠香「そこに行けば、食べ物があるんですね?」


 エルネスト「ある。だが、簡単には近づけん」


 地図の南端に、赤い円が表示される。


 その周囲に、警告のような文字がいくつも浮かんだ。


『防衛機動体配置区域』


『侵入制限』


『自動迎撃稼働中』


 嫌な文字ばかりだった。


 愛斗「護衛がいるのか」


 エルネスト「防衛用の機械じゃ。昔は人を守るためのものだった。今は、守るべき人がいないまま、食糧庫だけを守っておる」


 瑠香「本末転倒すぎる……」


 愛斗「止める方法は?」


 エルネストは首を横に振った。


 エルネスト「わしの権限では止められん。近づけば排除される。だから、わしはもう長いこと近づいておらん」


 愛斗「戦うしかないってことか」


 エルネスト「そういうことになる」


 部屋の空気が少し重くなる。


 食料はある。


 けれど、それを取るには戦わなければならない。


 この世界に来てから、ずっとそんなことばかりだ。


 簡単に手に入るものはない。


 それでも、行くしかない。


 俺は地図を見つめる。


 食糧庫。


 防衛機動体。


 第三管理区南端。


 その近くに、もう一つ別の表示があった。


『旧工業廃棄物処分場』


 俺がその文字を見た瞬間、エルネストの表情が変わった。


 それまで穏やかだった目が、急に鋭くなる。


 エルネスト「そこには近づくな」


 愛斗「廃棄物処分場か?」


 エルネスト「そうじゃ」


 彼の声には、はっきりとした警告があった。


 ただの危険区域を示す声ではない。


 何かを知っている人間の声だった。


 エルネスト「食糧庫へ行くなら、南の道を使え。処分場側へは回り込むな。たとえ近道に見えても、絶対に行くな」


 瑠香「何があるんですか?」


 エルネストは答えない。


 窓の外を見る。


 赤い空。


 二つの月。


 壊れた街。


 そして、遠くの黒い影。


 たぶん、それが廃棄物処分場の方角だった。


 エルネスト「捨てたものがある」


 愛斗「捨てたもの?」


 エルネスト「捨てたはずなのに、捨てきれなかったものじゃ」


 意味が分からない。


 分からないが、嫌な響きだけは分かった。


 エルネストは俺たちを順番に見た。


 俺。


 瑠香。


 ネリュア。


 アズ。


 その視線は、最後に俺で止まる。


 エルネスト「銀色の女を見ても、拾うな」


 部屋の温度が一段下がった気がした。


 銀色の女。


 言葉だけなのに、妙にはっきりした像が頭に浮かぶ。


 白い月明かり。


 金属の肌。


 廃棄された何か。


 俺は思わず聞き返した。


 愛斗「銀色の女って、何だ?」


 エルネストは、ゆっくり首を横に振った。


 エルネスト「知らぬ方がよい」


 愛斗「知ってるんだな」


 エルネスト「知っているから、知らぬ方がよいと言っておる」


 その言い方はずるい。


 止める気があるなら、もっと詳しく説明してほしい。


 けれど同時に、詳しく聞けば引き返せなくなるような気もした。


 瑠香が小さく呟く。


 瑠香「ホラー映画だったら、絶対拾うやつだよね……」


 愛斗「言うな。現実にフラグを立てるな」


 瑠香「だって、言い方がもうフラグじゃん」


 その通りだった。


 銀色の女を見ても拾うな。


 そんなことを言われたら、拾う未来しか見えない。


 世界というやつは、時々こちらの嫌がる方へ律儀に伏線を回収してくる。


 俺は深く息を吐く。


 愛斗「分かった。食糧庫へ行く。処分場には近づかない」


 エルネスト「それでよい」


 愛斗「ただし、何かあったら話は別だ」


 エルネストは少しだけ目を細めた。


 エルネスト「若いな」


 愛斗「よく言われる」


 瑠香「そんなに言われてないでしょ」


 愛斗「今言われた」


 瑠香「一回で“よく”にしない」


 エルネストが小さく笑った。


 乾いた笑いだった。


 けれど、そこにはわずかに人間らしい温度があった。


 俺たちは少しだけ休んだ。


 長居はできない。


 エルネストの食料はもうない。


 ネリュアも少し回復したとはいえ、まだ本調子には遠い。


 食糧庫へ行くなら、早い方がいい。


 俺は地図をもう一度頭に入れる。


 南端の食糧庫。


 防衛機動体。


 旧工業廃棄物処分場。


 銀色の女。


 また、嫌な単語が増えた。


 疑問を脇に置くたび、脇腹がどんどん痛くなる。


 そろそろ疑問だけで全身打撲になりそうだ。


 それでも、今は進むしかない。


 俺たちは立ち上がる。


 エルネストは椅子に座ったまま、俺たちを見送った。


 その姿はあまりにも細く、今にも光の中へ溶けてしまいそうだった。


 愛斗「エルネスト」


 エルネスト「何じゃ」


 愛斗「食料、取って戻る」


 エルネストは少しだけ驚いたように俺を見る。


 それから、静かに笑った。


 エルネスト「そうか。では、少しだけ長生きして待つとしよう」


 俺は頷いた。


 瑠香も、アズも、ネリュアも外へ向かう。


 庁舎の扉が開き、冷たい風が入り込む。


 赤い空。


 二つの月。


 壊れた街。


 人間のいない世界。


 その中で、最後の人間が俺たちを見送っている。


 俺たちは第三管理区の南端へ向かった。


 食糧庫へ。


 そして、近づくなと言われた廃棄物処分場から、できるだけ離れるように。


 けれどその時の俺はまだ知らなかった。


 世界というものは、近づくなと言われた場所ほど、こちらを呼んでいることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ