第44話:初めての人間の声
しばらく、誰も喋らなかった。
ただ息をした。
息ができるだけでありがたい、なんてことを考える日が来るとは思わなかった。
瑠香が地面に座り込み、両手をつく。
瑠香「……もう二度と下水入りたくない」
愛斗「俺も賛成」
アズ「……こわかった」
愛斗「ああ。俺も怖かった」
アズが、少し驚いたように俺を見る。
たぶん、俺が怖いと言うと思わなかったのだろう。
でも、怖いものは怖い。
怖くないふりをするのと、怖くないのは違う。
俺はまだ、その違いを間違えたくなかった。
ネリュアは膝をつき、浅く息をしていた。
愛斗「ネリュア、大丈夫か?」
ネリュア「……大丈夫じゃ、と言いたいところじゃが」
愛斗「言えないか」
ネリュア「うむ。少し、格好がつかぬの」
そう言って、彼女は苦笑する。
無理はさせられない。
早く休める場所と食料を探さなければならなかった。
俺は周囲を見回す。
俺たちは、第三管理区の外れに出ていた。
二つの月が、まだ赤い空に浮かんでいる。
遠くには瓦礫の山。
近くには壊れた建物。
そして、第七管理区と同じように、街の一部はまだ光を放っていた。
ただし、こちらの街は第七管理区よりも古い。
古い、というより、傷んでいる。
灯りはところどころ途切れている。
道路はひび割れ、金属の根みたいなケーブルが剥き出しになっている。
建物の外壁には黒い焦げ跡が残り、窓の多くは割れていた。
壊れたロボットも多い。
道端に倒れたままのもの。
壁にもたれるように停止しているもの。
半分砂に埋まっているもの。
腕だけを失くしたもの。
頭部のないもの。
第七管理区では、ロボットが人間の代わりに街を動かしていた。
だが、ここではそのロボットたちさえ、少しずつ朽ちている。
ある広場では、何台ものロボットが円を描くように倒れていた。
まるで、最後の瞬間まで何かを待っていたみたいに。
アズが、その中の一体を見つめる。
人型だった。
二本の腕。
二本の足。
丸い頭。
今は半分砂に埋まり、表面を赤茶色の錆が覆っている。
アズ「……しんでる」
愛斗「壊れただけだろ。最初から生きてるわけじゃない」
言ってから、少しだけ後悔した。
俺の言い方は、正しいかもしれない。
でも、優しくはなかった。
アズは黙っている。
壊れたロボットと、死んだ人間は違う。
それは分かる。
分かるはずだ。
けれど、あの子供型ロボットを見たあとでは、その違いを簡単に断言することが少し難しくなっていた。
心があるようで、ないもの。
心がないはずなのに、ありそうなもの。
俺は壊れたロボットから目を逸らす。
今は、立ち止まって考えている場合じゃない。
第三管理区には、人間種反応が残っている可能性がある。
その反応がどこにあるかを探さなければならない。
俺たちは街の中央へ向かった。
中央には、かつて市庁舎だったらしい建物があった。
他の建物よりも大きく、正面には崩れかけた階段がある。
入口の上には、読めない文字が刻まれている。
ただ、その文字の一部は青白く変換され、俺たちの頭に意味として流れ込んできた。
『第三管理区・中央管理庁舎』
やっぱり、ここが管理の中心らしい。
建物自体は一部が崩れている。
けれど内部には、まだ光が点いていた。
俺たちは警戒しながら入口へ近づく。
すると、ガラスの向こうで何かが動いた。
人影。
間違いない。
人間の形だった。
俺は剣の柄に手をかける。
瑠香も右手を上げる。
アズが小剣を構える。
ネリュアが杖を握り締めた。
けれど、その影は攻撃してこなかった。
ただ、静かにガラス戸の向こうに立っている。
そして、かすれた声で言った。
老人「ようこそ、異邦人たち」
その声は、機械音ではなかった。
電子音でもない。
乾いて、細く、少し震えている。
人間の声だった。
俺たちはしばらく動けなかった。
この世界に来てから、初めて聞いた人間の声。
それだけで、胸の奥が妙にざわついた。
ガラス戸が横へ滑る。
中にいたのは、白い髪の老人だった。
深い皺の刻まれた顔。
痩せた頬。
細い首。
着ているのはローブにも作業着にも見える奇妙な服で、ところどころに配線のような装飾が走っている。
彼は俺たちを見ると、うっすら笑った。
老人「まだ人間が歩いておったか」
愛斗「あなたは……人間か?」
老人は、少しだけおかしそうに目を細めた。
老人「少なくとも、今のところはな」
今のところ。
その言い方が、引っかかった。
老人「入りなさい。ここで立ち話をしても、風に体温を奪われるだけじゃ」
俺たちは顔を見合わせる。
罠かもしれない。
けれど、このまま外にいるよりはましだ。
それに、彼はこの世界で初めて出会う人間だった。
情報を持っている可能性が高い。
俺は剣から手を離さないまま、庁舎の中へ入った。




