第43話:水底の保守機械
巨大な機械が、こちらを向いた。
地下空間の中央。
黒い水路の底から持ち上がったそれは、下水処理用の大型保守機械だった。
半球状の胴体。
左右に伸びる、二本の太い腕。
腕の先には、切断用とも圧縮用ともつかない巨大な工具が備わっている。
下半身は脚ではなく、複雑な軌道で回転する円形の駆動装置だった。そこから何本ものアームが伸び、水路の壁や床に固定されている。背中からは太いケーブルが束になって伸び、濁った水の底へ沈んでいた。
体表に貼りついていた汚泥が、ゆっくり剥がれ落ちる。
青い光が、一つ。
二つ。
三つ。
順番に灯った。
たぶん、センサーだ。
けれど今の俺には、目にしか見えなかった。
巨大な目。
生き物ではない何かの目。
その目が、俺たちを見下ろしている。
地下空間全体に、低い駆動音が響いた。
━━"起動"。
機械の腕が持ち上がる。
その動きは遅い。
だが、重い。
ゆっくり持ち上がるだけで、空気が押し潰されるような圧があった。
瑠香「……ねえ、あれって」
愛斗「ああ」
瑠香「話し合いとか、できると思う?」
愛斗「できたら嬉しいな」
瑠香「つまり?」
愛斗「たぶん無理だ」
巨大な腕の先端が開く。
内部に青白い光が集まり始めた。
俺は剣を抜く。
ネリュアが杖を構える。
アズが小剣を握り締める。
瑠香が右手を前へ出した。
戦う気はあった。
戦わなければならない気もあった。
けれど、あの巨大な機械と正面からぶつかるのは、どう考えても賢い選択ではない。
ここは広い地下空間だ。
だが、足場は限られている。
左右には水路。
頭上には配管。
床には油と水が薄く広がっている。
対して、あの機械はこの地下を自分の領域としている。
俺たちはただの侵入者だ。
しかも、腹を空かせて、疲れて、消耗した侵入者。
だとしたら、答えは一つだった。
愛斗「逃げるぞ」
瑠香「だよね!」
言い終わるより早く、巨大な機械の腕から細い光が放たれた。
レーザー。
そう呼ぶのが一番近かった。
青白い線が空気を裂き、俺たちの足元を焼く。
床が焦げ、金属の溶ける匂いが一気に広がった。
愛斗「散れ!」
俺はネリュアの身体を支えながら横へ飛ぶ。
【暁光翔歩】を使うには、通路の流れが悪い。
地下全体に走る電流か、磁場か、何かの干渉が空間の感覚を鈍らせていた。
踏み込もうとすると、足元の“隙間”がぬるりと逃げる。
まるで、この地下そのものが俺の力を嫌がっているみたいだった。
だから、完全には飛べない。
短く。
浅く。
無理やり、横へずれる。
それだけでも、レーザーを避けるには十分だった。
十分だったが、余裕はない。
背後で水路が弾ける。
機械の腕が振り下ろされたのだ。
黒い水が跳ね、油混じりの水滴が頬にかかる。
冷たい。
気持ち悪い。
文句を言う暇はない。
ネリュアが杖を振る。
緑の光が水路へ流れ込み、黒い水の流れがわずかに捻じれた。
巨大機械の足元、というか固定アームの一本が、その流れに取られてずれる。
ネリュア「長くは持たぬぞ」
愛斗「十分だ!」
瑠香が右腕を突き出す。
瑠香「【光衝弾】!」
光弾が機械の頭部へ飛ぶ。
装甲を砕くほどの威力はない。
けれど、青く光るセンサーの一つに直撃し、強烈な光を散らした。
機械の動きが一瞬だけ鈍る。
その隙に、アズが走った。
細い足が、濡れた床を蹴る。
怖がっているはずなのに。
震えているはずなのに。
小剣を握った彼女の動きは、やっぱり正確だった。
アズは巨大機械の胴体ではなく、背中から伸びるケーブルへ向かう。
太い束の中で、一本だけ微かに光の流れが乱れている線。
そこを見つけて、小剣を振るった。
刃がケーブルの被膜を裂く。
青い火花が散る。
巨大機械の腕が、ぎこちなく止まった。
アズ「……ここ、だめにした」
愛斗「上出来!」
ただし、完全に止まったわけではない。
むしろ、機械は異常を検知したらしい。
胴体の下部が開き、複数の小型ドローンが吐き出される。
逃走劇に、余計な追手が追加された。
最悪だ。
現実はいつだって最悪に向かって最短距離を走りたがる。
俺たちは走った。
水路脇の細い足場を駆け抜ける。
背後でドローンが飛ぶ。
巨大機械の腕が壁を砕く。
配管が破裂し、白い蒸気が吹き出す。
視界が白く染まった。
熱い。
息が詰まる。
ネリュアが咳き込む。
俺は彼女を抱え直しながら、通路の先を見る。
どこかに出口があるはずだ。
地図では、この地下ルートは第三管理区側へ抜けている。
なら、出口がないわけがない。
ないわけがない、という願望に近い理屈で足を動かす。
瑠香「愛斗、右!」
声に反応して、俺は右へ跳ぶ。
さっきまでいた場所を、レーザーが貫いた。
床が焦げ、赤く溶ける。
瑠香の【光衝弾】が背後へ飛び、追ってきたドローンの群れを散らす。
アズは走りながら、壁の配管を一本だけ切った。
そこから噴き出した白い蒸気が、追跡ドローンのセンサーを曇らせる。
ネリュアがかすれた声で言う。
ネリュア「前方、上へ抜ける流れがある」
愛斗「出口か?」
ネリュア「たぶん、の」
瑠香「その“たぶん”に賭けるしかない感じ!?」
愛斗「この旅、だいたいそうだ!」
瑠香「最悪!」
言いながらも、瑠香は走る速度を落とさない。
その先に、小さな光が見えた。
暗い管路の終わり。
斜め上へ伸びる階段。
赤黒い空の色が、わずかに差し込んでいる。
出口だ。
愛斗「行くぞ!」
俺たちは階段へ飛び込んだ。
錆びた金属の段が、足元で嫌な音を立てる。
背後から、巨大機械の駆動音が迫る。
狭い階段までは追ってこられない。
だが、ドローンは来る。
瑠香が最後尾で振り向き、光弾を放つ。
アズが階段の側面に走るケーブルを断つ。
すると、非常扉らしきものが半分だけ落ちてきて、追跡ドローンの進路を塞いだ。
完全に閉じたわけではない。
けれど、一瞬あれば十分だった。
俺たちは階段を駆け上がる。
最後の一段を越えた瞬間、外気が頬を打った。
冷たい。
乾いている。
金属と砂の匂いがする。
それでも、地下の湿った熱よりはずっとましだった。
俺たちは地上へ転がり出た。
背後で、低い機械音が遠ざかっていく。




