第42話:廃棄計画の爪痕
沈黙。
低い振動だけが残る。
俺たちはしばらく動けなかった。
息が荒い。
汗が背中を伝う。
砂漠では冷えた空気が喉を焼いたが、地下では湿った熱が肌にまとわりつく。金属と油と焦げた配線の匂いが濃くなっていた。
瑠香が膝に手をつき、息を整える。
瑠香「……下水、嫌い」
愛斗「俺も今、かなり嫌いになった」
アズは落ちた小剣を拾いに行く。
拾い上げる時、その手が少し震えていた。
俺は彼女に近づく。
愛斗「大丈夫か?」
アズ「……うん」
愛斗「さっきの、すごかった」
アズは一瞬、目を丸くした。
それから、視線を落とす。
アズ「……こわかった」
愛斗「それでも動けた」
アズ「……動かないと、みんな、危なかったから」
俺は空いた手で、彼女の頭をそっと撫でた。
アズは肩をすくめる。
けれど、逃げなかった。
むしろ、ほんの少しだけ目を細めた。
アズ「……また、撫でた」
愛斗「嫌だったか?」
アズ「……嫌じゃ、ない」
小さな声だった。
でも、ちゃんと聞こえた。
瑠香が横からそれを見て、何か言いたそうにしたが、結局何も言わなかった。
その代わり、少しだけ頬を膨らませている。
この状況で嫉妬する余裕があるなら、まだ大丈夫だ。
たぶん。
俺たちは再び歩き出した。
通路はさらに奥へ続いている。
天井の人工の星空は、さっきよりも密度を増していた。
青白い線が網のように交差し、時折、光の粒が流星みたいに走っていく。
不思議なほど綺麗だった。
不気味なほど綺麗だった。
少し進むと、道が広くなった。
壁の素材が変わる。
それまで滑らかだった灰色の壁に、古い傷や焦げ跡が増えていく。
人の手で削られたような跡もあった。
いや、人かどうかは分からない。
この世界では、人の手に似たものがいくらでもありそうだ。
その壁面に、文字が刻まれていた。
浮かび上がる表示ではない。
端末の光でもない。
誰かが、何かで直接刻みつけた文字だ。
俺は足を止める。
瑠香も近づく。
アズは少し離れて、周囲を警戒している。
ネリュアが、疲れた目で文字を見上げた。
愛斗「……読めるか?」
瑠香「うーん……ところどころ、変換されてるっぽいけど」
壁の文字が、かすかに青く滲む。
まるでこちらが読もうとしているのに反応したみたいだった。
断片的な文字が、頭の中に意味として流れ込んでくる。
『R.I.A.』
『廃棄』
『計画』
『承認』
それだけだった。
それだけなのに、十分だった。
胸の奥が冷える。
R.I.A.
R-02。
所在不明。
さっき管理塔で聞いた言葉と繋がる。
いい繋がり方ではない。
廃棄計画。
承認。
誰かが、何かを捨てることを決めた。
それがこの地下で。
この都市で。
この世界で。
いったい何を。
俺は壁に手を伸ばしかけて、やめた。
触れたら、何かを起こしてしまいそうな気がした。
瑠香が小さく呟く。
瑠香「……R.I.A.って、さっきの?」
愛斗「たぶんな」
瑠香「廃棄って、物を捨てるって意味だよね」
愛斗「普通はな」
瑠香「普通じゃなかったら?」
俺は答えられなかった。
普通じゃない世界で、普通の意味を期待する方が難しい。
ネリュアが静かに息を吐く。
ネリュア「……この文字には、痛みが残っておる」
愛斗「痛み?」
ネリュア「悔いか、怒りか、恐れか。妾には判じ切れぬ。じゃが、穏やかに刻まれたものではない」
その言葉を聞いた瞬間、壁の傷がただの傷に見えなくなった。
文字ではなく、爪痕のように見えた。
何かを残そうとした誰かの、必死な痕跡。
俺は先へ進むことにした。
ここで立ち止まっていても、答えは出ない。
答えがほしければ、もっと奥へ行くしかない。
俺たちは、地下管路のさらに深い場所へ進んだ。
通路の先には、広い空間があった。
天井が高い。
無数の配管が、空中を橋のように横切っている。
壁面には巨大な円形の装置がいくつも埋め込まれ、今も低く回転していた。
上の街が半分死んでいても、この地下はまだ動いている。
いや。
動いている、という言葉は正しくないのかもしれない。
ここは、ただ機能を維持しているだけだ。
命ではない。
意思でもない。
過去の都市が、幽霊みたいに同じ動作を繰り返している。
俺たちは、その幽霊の腹の中を進む。
その時だった。
水路の奥で、何かが動いた。
最初は、影に見えた。
配管の影。
装置の影。
人工の星明かりが作った、ただの暗がり。
そう思いたかった。
けれど、それはゆっくりと持ち上がった。
水路の底から、巨大な機械の塊が浮かび上がる。
表面に張りついた汚泥が剥がれ落ちる。
青い光が、一つ。
二つ。
三つ。
順番に灯る。
それは目だった。
たぶん、センサーだ。
でも今の俺には、目に見えた。
巨大な影が、俺たちを見下ろす。
そして、地下空間全体に低い音が響いた。
━━"起動"。
俺は剣の柄を握る。
瑠香が息を呑む。
アズが小剣を構える。
ネリュアの細い手が、俺の背中の布を掴んだ。
次の瞬間、その巨大な機械が、ゆっくりとこちらへ向きを変えた。




