第40話:街の腹の中へ
空は赤く濁っていた。
星の代わりに、ドローンの灯りが飛んでいる。
白い月と、欠けた青い月が、壊れた街の輪郭を薄く照らしていた。
俺たちは、その空の下を歩いていた。
目指すのは第三管理区。
第七管理区の東側に広がる、瓦礫地帯を抜けた先にある場所だ。
本来なら、そこへ向かう最短ルートは地上を直進することだった。
地図上では、そう見えた。
ただし、地図上で近いことと、実際に歩いて近いことは別問題だ。地図上では一本の線で済む場所も、現実では崩れたビルと、折れた鉄骨と、落ちた高速道路と、いつ動き出すか分からない機械の残骸で構成されていたりする。
要するに、地図は嘘をつかないが、地図は苦労も背負ってくれない。
目の前の廃墟は、想像していたよりもずっと巨大だった。
半壊した建物が、山脈みたいに地平を覆っている。
倒れた塔が別の建物に寄りかかり、そこへさらに道路らしき構造物が斜めに突き刺さっている。折れた柱が獣の牙みたいに並び、剥き出しの配管が風に揺れている。
そこに道らしい道はなかった。
あったとしても、それは道の形をした罠だ。
端末が示した地上ルートの危険度は、かなり高かった。
崩落の危険性。
倒壊の危険性。
保存不良の機械部品による事故。
構造材の落下。
未確認の暴走型ロボットの出現。
瓦礫下の空洞。
放射性物質、という文字も一瞬見えた気がしたが、俺は見なかったことにした。見なかったことにしたからといって消えるわけではないが、今の俺には抱えられる不安の容量というものがある。
限界は近い。
いや、わりと最初から超えている。
地下ルートにも危険はある。
保守機体の暴走。
排水経路の一部崩落。
未登録生体の消失事例。
どっちを選んでも嫌な言葉が並ぶなら、せめて瓦礫の山を登らなくて済む方を選びたい。
そういう、消極的な選択だった。
俺は廃墟を見上げる。
もし俺一人なら、【暁光翔歩】でいくつかの瓦礫を越えられたかもしれない。
けれど、それは俺一人なら、の話だ。
ネリュアは【時緑詠環】の反動で消耗しきっている。
瑠香も、アズもいる。
三人を抱えて飛び越えるなんて、今の俺には無理だ。
最強だの、チートだの、そういう便利な言葉で片づけられない場面がある。
俺は強くなった。
けれど、万能になったわけじゃない。
だから俺たちは、地下へ降りることにした。
第七管理区の外れ。
道路が大きく陥没した場所に、その入り口はあった。
地面に開いた巨大な穴。
周囲には、錆びた鉄骨が獣の肋骨みたいに突き出ている。
その下に、黒い口が開いていた。
まるで街そのものが、俺たちを飲み込もうとしているみたいだった。
穴の奥から、妙な匂いが漂ってくる。
汚水の匂いではない。
腐敗臭でもない。
錆びた金属。
焦げた配線。
冷えた油。
そして、どこか薬品めいた刺激臭。
鼻の奥がつんとする。
瑠香が、露骨に顔をしかめた。
瑠香「……ここ、入るの?」
愛斗「入りたいか入りたくないかで言えば、入りたくない」
瑠香「じゃあやめようよ」
愛斗「やめた場合、あの瓦礫山を登ることになる」
瑠香は廃墟を見上げた。
しばらく黙る。
そして、すごく嫌そうな顔で穴を見る。
瑠香「……下で」
愛斗「だよな」
アズは鼻を押さえながらも、穴の中をじっと見ている。
怖がっている。
けれど、逃げようとはしない。
ネリュアは俺の背中から降りようとしたが、足元がふらついた。
俺は慌てて支える。
愛斗「無理するな」
ネリュア「……無理ではない。少し、世界が揺れただけじゃ」
愛斗「それを無理って言うんだよ」
ネリュアは返事の代わりに、薄く笑った。
笑っている場合じゃない。
けれど、笑えるならまだ大丈夫なのかもしれない。
いや、そう思いたいだけか。
俺は穴の縁に膝をつき、中を覗き込んだ。
通路は思ったより広い。
高さも幅も、三メートルほどはある。
壁はコンクリートに似た灰色の素材でできていて、そこへ無数の配管とケーブルが張り巡らされている。床はわずかに傾斜しており、中央に細い溝が走っていた。
完全な下水道というより、都市の内臓だ。
水や油や情報や熱を流すための、巨大な管路。
そういう印象だった。
俺が先に降りる。
足が床に触れた瞬間、壁に青白い光が灯った。
眠っていた通路が、俺たちの存在を感知したみたいだった。
壁面に文字が浮かぶ。
『保守用地下管路』
今回は読めた。
というより、読める形に変換された。
第七管理区の管理システムが、まだ俺たちを観察しているのかもしれない。
歓迎されているのか。
監視されているのか。
その違いは分からない。
分からない時は、だいたい悪い方も考えておいた方がいい。
俺は上にいる三人へ手を伸ばす。
愛斗「……おいで」
最初に降りてきたのはアズだった。
小さな身体で、縁に手をかける。
俺が支えると、彼女は音もなく床に着地した。
アズ「……つめたい」
愛斗「床か?」
アズ「……うん。あと、におい」
次に瑠香が降りてくる。
瑠香は穴の縁でしばらく固まってから、覚悟を決めたように目を閉じた。
瑠香「異世界にまで来て下水って、冒険の華やかさはどこ行っちゃったの?」
愛斗「さっきの廃墟にでも埋まってるんじゃないか」
瑠香「発掘したら出てくる?」
愛斗「たぶん危険度高めの華やかさが出てくる」
瑠香「いらない」
俺は瑠香の手を取って、下へ降ろす。
彼女は床に足をつけた瞬間、すぐに顔をしかめた。
瑠香「うわ、足元ぬるい」
愛斗「表現が嫌だな」
瑠香「事実だもん」
最後にネリュアを降ろす。
彼女はマントで口元を覆いながら、通路の奥を見つめた。
ネリュア「……ここは、ただの下水ではないの」
愛斗「分かるのか?」
ネリュア「水だけではない。熱、光、記録、命ではない流れ。色々なものが同じ腹の中を通っておる」
腹。
確かに、ここは街の腹の中みたいだった。
上の街が骨と皮だけの廃墟なら、この地下にはまだ血管が残っている。
血ではなく、冷却液と電流とデータが流れる血管。
そう考えると、ますます気味が悪い。
俺たちは地下管路を進み始めた。




