第38話:命の代わりに記録が動く街
街の中は、思ったより明るかった。
暗い場所がない、という意味ではない。
むしろ足元には、壊れた建物の影が深く落ちている。崩れた壁の隙間や、路地の奥には、夜そのものを押し固めたみたいな暗がりが残っていた。
けれど空には、光の帯が幾重にも広がっている。
赤黒い夜空を切り分けるように、青白い光が弧を描いている。まるで巨大なイルミネーションだ。ただし、そこに人のための優しさはなかった。
暖かさがない。
眩しさだけがある。
色彩だけが、冷たく浮かんでいる。
建物の側面にも、薄い膜のような光が流れていた。これもたぶん、照明の一種なのだろう。けれど、街灯の明かりとは違う。人の目を休ませるための光じゃない。
ただ、暗さという状態を物理的に消しているだけの光だった。
俺たちは、その中を歩いた。
ロボットたちが行き交っている。
二本足で歩くもの。
車輪で滑るもの。
空中を浮遊するもの。
箱みたいな胴体から、細い腕だけが何本も伸びているもの。
頭部がなく、胸の部分に光る円盤を持つもの。
大きさも形もばらばらなのに、彼らの動きには妙な統一感があった。ぶつからない。迷わない。立ち止まる時も、歩き出す時も、まるで見えない信号に従っているみたいに正確だった。
空中ではドローンが巡回している。
低い振動を残しながら、一定の軌道をなぞるように飛んでいる。
時折、短い音声が上から降ってきた。
けれど、それは人間へ向けた案内というより、機械同士の確認信号に近かった。
この街には、人間の気配がない。
見える範囲では、ロボットだけだった。
ネリュアが、俺の背中で微かに息をつく。
ネリュア「……緑の気配が、ほとんどない。じゃが、何かが動いておる」
愛斗「何かって?」
ネリュア「分からぬ。生命の形をしておらぬ。それでも、確かに動いておる」
それは、この街を歩くロボットたちのことだろうか。
彼らは人間のように動いている。
人間のように働き、人間のように立ち止まり、人間のように誰かと何かをやり取りしている。
けれど、ネリュアの感覚には“生き物”としては映らないらしい。
生きていないのに動いている。
動いているのに、生きていない。
言葉にすると簡単だが、目の前にすると、これが思ったより気持ち悪い。
俺たちは少し歩いた。
道沿いには店のような場所がいくつも並んでいた。
ただし、その中に食料は置かれていない。
透明なケースに入った機械部品。
液体の満ちた瓶。
細い光る棒。
薄い金属板。
小型の歯車。
用途の分からない黒い箱。
それらが整然と陳列されている。
店員もロボットで、客もロボットだった。
金のやり取りはない。
客らしきロボットが光を点滅させる。
店員ロボットが短い音声を返す。
それだけで、棚から部品が取り出され、受け渡しが終わる。
買い物、なのだろうか。
少なくとも、俺たちの知っている買い物とは違った。
瑠香が辺りを見回しながら呟く。
瑠香「お店はあるんだね」
愛斗「見えるだけでも、かなりあるな」
瑠香「コンビニみたいなのは?」
愛斗「コンビニって、この世界にあるのか?」
瑠香「異世界にロボットがあるんだから、コンビニくらいあってもいいじゃん」
愛斗「理屈が雑すぎる」
瑠香「雑でもいいから、おにぎりが欲しい」
その気持ちは分かる。
というか、今の俺もかなり欲しい。
おにぎり。
水。
できれば味噌汁。
異世界で味噌汁を求めるのは贅沢かもしれないが、欲しいものは欲しい。人間、世界がどれだけ変わっても、腹が減れば食べ物のことを考えるらしい。
瑠香はしばらく店を探し回った。
そして見つけてきたのは、看板に『補給ステーション』と表示された場所だった。
文字は読めないはずなのに、意味だけが頭に流れ込んでくるような妙な感覚がある。門の文字とは違う。こちらは、ロボットが俺たちに分かる形へ変換しているのかもしれない。
中に入ると、やはり並んでいるのはロボット用のものばかりだった。
飲み物らしきものはある。
ただし水ではない。
透明な容器に満たされた、青い液体。
瓶の内側で、淡く光っている。
冷却液、という言葉が真っ先に浮かんだ。
食べ物らしきものもあるにはあったが、それは人工物めいた粒状の塊で、人間が口に入れていいものには見えない。
俺たちは、その前で立ち尽くした。
ここに、人間の食べ物はない。
その事実を理解した途端、空腹が急に輪郭を持った。
胃が縮む。
喉が渇く。
舌の奥がざらつく。
そういえば、王都から逃げ出してから、まともに食べていない。飲み物も、途中で口にしたわずかな水くらいだ。
今までは緊張で誤魔化せていた。
けれど、誤魔化せていただけだった。
俺はロボット店員に声をかける。
愛斗「……人間が食べられるものはないのか?」
ロボット店員の頭部が、わずかに傾いた。
ロボット店員「登録外種族の需要は確認されていません」
愛斗「登録外種族って、俺たちのことか?」
ロボット店員「その通り」
愛斗「じゃあ、この街に人間はいないのか?」
ロボット店員「第七管理区の登録住民に、人間種は含まれていません」
それが答えだった。
含まれていない。
要するに、いない。
瑠香が棚の前で、青い液体の容器を手に取っていた。
愛斗「瑠香。それはたぶん冷却液だ」
瑠香「もっと早く止めてよ!」
愛斗「まさか飲もうとするとは思わないだろ」
瑠香「飲もうとしてないし。確認しようとしただけだし」
愛斗「口元に近づける確認方法は、かなり飲む側の確認だぞ」
瑠香は慌てて容器を棚に戻した。
その横で、アズが小さく呟く。
アズ「……おなか、すいた」
その声は、いつも以上に細かった。
俺もそうだ。
瑠香も、たぶん同じ。
ネリュアは背中で黙っているが、消耗している分、俺たちよりずっと辛いはずだ。
このまま何も食べられないとなると、まずい。
かなりまずい。
戦う以前に、歩けなくなる。
少し考える。
水。
食料。
情報。
どれも必要だ。
けれど、その中で最初に手に入れなければならないのは情報だった。
この街に何があり、何がなく、どこへ行けば人間の食べ物があるのか。
それが分からないと、どうしようもない。
俺は三人に向き直る。
愛斗「情報を探そう」
瑠香「情報って、どこで?」
愛斗「こういう街なら、管理してる場所があるはずだ。たぶん」
瑠香「たぶんで動くの、そろそろ怖いんだけど」
愛斗「確実なことが一個もないから、たぶんの中で一番ましなやつを選ぶしかない」
瑠香「それ、言い方は冷静なのに中身はかなりひどいね」
事実だから仕方ない。
俺はロボット店員に尋ねる。
愛斗「この街を管理している場所はどこだ?」
ロボット店員は何も言わず、店の外へ向かって右を指さした。
質問には答えた。
親切なのか不親切なのか分かりにくい。
俺たちは、その指示に従った。
硬い舗装の上を歩く。
足音が、やけに薄く響いた。
周囲を行き交うロボットたちの音が少なすぎるせいだろう。車輪の回る音も、関節の軋む音も、ほとんど聞こえない。代わりに、どこか遠くで低い振動だけが鳴り続けている。
街そのものが、巨大な機械みたいだった。
しばらく進むと、大きな塔が見えてきた。
周囲の建物よりも高い。
外壁は黒に近い金属で覆われ、そこへ青白い線が縦に走っている。
塔の上部は半分ほど崩れていたが、それでも内部の機能は生きているらしい。割れた部分から、光の粒が霧のように漏れていた。
俺たちは、その建物に入った。
中は広い。
天井が高く、壁一面が光っている。
そこには、数字や図形、地図のようなものが絶えず流れていた。
意味は分からない。
けれど、流れている情報量だけは分かる。
この塔はまだ生きている。
街が半分死んでいても、管理する仕組みだけは動き続けている。
中央には、大きな端末があった。
俺が近づくと、端末の表面に光が灯る。
そして、声がした。
端末「第七管理区にようこそ。必要な情報を選択してください」
俺たちはその前で立ち止まる。
ネリュアが、ぼそりと呟いた。
ネリュア「……命の匂いが、薄すぎる。ここは、死に近い」
愛斗「人間がいないから、なのか?」
ネリュア「人間がおらぬ場所でも、草木があればここまで薄くはならぬ。虫がいれば、獣がいれば、水が流れていれば、命の気配は残る。じゃが、ここは違う」
愛斗「違う?」
ネリュア「命の代わりに、記録が動いておる」
記録が動いている。
ネリュアらしい、分かるようで分からない言い方だった。
けれど、不思議と今の街には合っていた。
暮らしではなく、暮らしの記録だけが動いている街。
人ではなく、人が作った仕組みだけが続いている街。
そう考えると、目の前の光る壁も、行き交うロボットも、急に墓標の一部に見えてくる。




