第37話:観察対象の街
門の表面には、何かが書かれていた。
文字だ。
けれど、読めない。
アルファベットに似ている。
記号にも見える。
幾何学模様のようにも見える。
俺がそれを眺めていると、ロボットがまた話しかけてきた。
ロボット「第七管理区。夜間巡回中。質問があれば、照会してください」
愛斗「……巡回って、俺たちのことか?」
ロボット「その通り」
愛斗「俺たちは何に見えてる?」
ロボット「登録外生命体」
愛斗「それ以外だと?」
ロボット「照合不能」
話が通じているようで、通じていない。
通じていないようで、最低限は通じている。
会話としては、なかなか不安定だ。人間相手でもたまにこういうことはあるが、ロボット相手だと冗談にならない。
瑠香が、小さな声で俺に尋ねる。
瑠香「……あれ、何?」
愛斗「見たままだとロボット。見たまま以上のことは分からない」
瑠香「異世界に来たんだよね?」
愛斗「たぶん」
瑠香「剣と魔法の異世界じゃなかったの?」
愛斗「今回は機械と砂漠の異世界らしい」
瑠香「そんな日替わり定食みたいに言わないでよ」
気持ちは分かる。
剣と魔法の異世界。
現代日本が王都に書き換えられた世界。
そして今度は、機械と廃墟の異世界。
異世界という言葉が便利すぎて、逆に何も説明してくれない。
俺はもう一度、門の文字を見る。
読めない。
日本語でもない。
英語でもない。
ラトガリアで見た文字とも違う。
少なくとも、俺にはそう見えた。
けれど、アズがマントの裾を握りながら、小さく呟いた。
アズ「……ふぇ、読める」
愛斗「読めるのか?」
アズ「……全部じゃない。でも、少し。古い文字に、似てる」
アズの声は、不安げだった。
読めることが嬉しいというより、読めてしまうことが怖い、という響きだった。
俺の背中にいるネリュアも、目を細めて門の文字を見つめている。
ネリュア「……少々、見覚えがないこともないのぉ」
愛斗「どういう意味だ?」
ネリュア「分からぬ。じゃが、まったく知らぬ理ではない。森の記憶の底に沈んだ、古い残滓に似ておる」
また分からない言葉が増えた。
分からないことが増えるのは、つまり情報が増えているということなのかもしれない。
ただし、情報というものは整理できて初めて役に立つ。
今の俺の頭の中では、増えた情報が全部、未整理の荷物みたいに積み上がっているだけだった。
とりあえず、疑問は脇に置く。
脇に置いた疑問が多すぎて、そろそろ脇腹が痛い気もするが、今は門の中に入るしかない。
俺たちは、門をくぐった。
その先には、街があった。
ただし、俺たちの知っている街じゃない。
電柱みたいな柱が等間隔に並び、その間を光の管が血管みたいに巡っている。
建物は半分崩れているのに、内部の照明は点いている。
壁面には、意味の分からない文字と図形が浮かび、時折それが砂嵐みたいに乱れては元に戻る。
道は広い。
舗装もされている。
けれど、ところどころがひび割れ、そこから金属の根みたいなものが伸びていた。
街路樹はない。
代わりに、枝のように分岐した金属柱が立っている。
その先端で、小さな灯りが脈打っていた。
電子樹。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
そして、その街を歩いているのは人間じゃない。
全員、ロボットだった。
二本足で歩くもの。
車輪で滑るもの。
小さな箱のようなもの。
腕だけがやたら長いもの。
宙に浮いているもの。
様々な形のロボットが、まるで人間みたいに生活している。
道を歩き、荷物を運び、店のような場所で立ち止まり、互いに光を点滅させる。
会話しているのだろうか。
けれど、その会話は言葉ではない。
短い音声。
電子音。
光の明滅。
それだけで、彼らは何かをやり取りしている。
人間の声がない。
笑い声がない。
怒鳴り声も、泣き声も、足音すら薄い。
街なのに、静かすぎる。
静かな街というより、音を忘れた街だった。
瑠香が、俺の袖を掴んだ。
瑠香「……ねえ」
愛斗「うん」
瑠香「本当に、人いないの?」
答えられなかった。
俺にも分からない。
分からないが、少なくとも見える範囲に人間はいない。
ネリュアが、俺の背中でかすかに息を呑む。
ネリュア「命の匂いが、薄い」
愛斗「ロボットは命じゃないってことか?」
ネリュア「分からぬ。ただ、森の理で測れる命ではない」
アズが、小剣を抱えたまま呟く。
アズ「……街なのに、こわい」
その言葉が、一番しっくりきた。
街なのに、怖い。
人がいるはずの場所に、人がいない。
暮らしがあるはずの場所に、暮らしの形だけが残っている。
それは廃墟よりも、ずっと不気味だった。
廃墟なら、終わったものだと分かる。
けれどこの街は、終わっているのに動いている。
死んでいるのに、歩いている。
そんな矛盾した気配があった。
俺は背中のネリュアを支え直し、周囲を見回す。
ここはどこなんだろう。
俺たちは、どうしてここに来たんだろう。
王都になった現代日本から逃げた先が、なぜこんな未来都市の残骸なのか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
この街には、登録という概念がある。
俺たちは登録外生命体と呼ばれた。
つまり、登録されているものがある。
生命体と呼ぶものがある。
そして、門の文字をアズとネリュアは少し読めた。
この世界は、まったく無関係な場所じゃない。
俺たちの知らないどこかで、ラトガリアとも、現代日本とも、何かが繋がっている。
たぶん。
いや、たぶんじゃない。
そうでなければ、ここに来た意味がない。
意味がないことなんて、世界にはいくらでもある。
けれど、この一連の出来事が全部ただの偶然だと考えるには、俺たちはもう遠くまで来すぎていた。
俺は足元の砂を払う。
そして、前を見る。
二つの月が見下ろす、赤い空の下。
人間のいない街の中を、俺たちは歩き出した。
その時の俺はまだ気づいていなかった。
門に刻まれていた文字の一部が、俺たちの世界の文字にひどく似ていたことに。
そして、その街が俺たちを受け入れたのではなく、ただ観察対象として中に入れただけだったことに。




