第27話:予測通りの屋上
誰かがこの核を使い、世界を書き換えている。
そのために瑠香が必要だとしたら――。
考えるだけで、胃のあたりが冷えた。
だが、立ち止まる暇はない。
今はまず、ここから抜けるしかない。
俺たちは回廊を駆け戻った。
石の床を蹴る音が、後ろから来る振動に掻き消される。光の筋が壁の中で脈打ち、配管の奥から低い唸りが返る。この地下全体が、巨大な生き物みたいに動き始めていた。
元の入り口へ辿り着いた時、俺たちはまた別の異常へぶつかった。
道が、塞がれている。
扉じゃない。
石でも、金属でもない。
何も見えない空間の向こうで、空気だけが不自然に揺れていた。近づくと肌がひりつく。そこに何かがあると、身体の方が先に理解した。
結界だ。
ネリュアがすぐ前へ出る。
指先を見えない壁へ当てた瞬間、琥珀色の瞳がわずかに険しくなった。
ネリュア「……術式が絡み合っておる。単純な鍵では開かぬ」
愛斗「壊せるか」
ネリュア「正面からは難しい。広げるより先に、こちらが捕まる」
俺は辺りを見回した。
別の道はない。
ここで足止めされる。
そう確信した瞬間、隣から小さな声がした。
アズ「……こわせる」
振り向く。
アズは小剣を握りしめたまま、見えない壁の一点をじっと見つめていた。怯えは残っている。けれど、その目だけは冴えている。
愛斗「見えるのか」
アズが頷く。
アズ「ここ……つなぎめ、ある」
ネリュアが息を呑んだ。
ネリュア「なるほどの。構造ごと断つ気か」
アズは何も言わない。
ただ、一歩前へ出た。
俺は道を空ける。
愛斗「いけ」
アズは小さく頷くと、床を蹴った。
一瞬で間合いが消える。
小柄な身体が跳ね、剣先が空中の何もない一点へ触れた。
甲高い音が鳴る。
何もないはずの場所へ、細い亀裂みたいな光が走った。
アズは迷わず、その裂け目へ剣を差し込む。
小さな身体からは想像できない鋭さだった。押すでもなく、叩くでもなく、ただ“そこが壊れる場所”を正確に通している。
結界が揺らぐ。
空間そのものが、歪むみたいに震えた。
アズ「……いま!」
俺は走り出した。
裂け目は広くない。肩が擦れれば閉じそうなほど細い。だが、通れない幅じゃない。
俺が先に飛び込み、ネリュアが続き、瑠香が裾を押さえて滑り抜ける。
最後にアズが剣を引き抜き、そのまま身を翻した。
結界は、彼女の背中が抜けた直後に閉じた。
音もなく。
何事もなかったみたいに。
だが、助かったわけじゃない。
すぐ後ろから足音が来る。
さっきの黒ローブたちか、あるいは別の何かか。確かめる時間はない。
俺たちは隠し道へ戻り、そのまま走った。
狭い通路を、肩をぶつけ合いながら進む。息が乱れる。石壁が近すぎて、ひどく息苦しい。けれど城の中へ戻るよりはましだった。
愛斗「出口は?」
瑠香が息を切らしながら答える。
瑠香「屋上……! 外へ抜けるなら、たぶんそこが一番近い!」
愛斗「行けるのか」
瑠香「王族用の通路がある……たぶん、まだ」
たぶん、で走るしかなかった。
俺たちは隠し道を抜け、城の内側へ躍り出た。
夜の廊下は静かだ。だが静かすぎる。その静けさの中に、いつ崩れてもおかしくない緊張が張っていた。
衛兵はいた。
けれど数は多くない。地下の異常に、まだ全体が追いついていないのかもしれない。あるいは、追いついているからこそ別の場所へ戦力を割いているのか。
どちらにしても、今は好都合だった。
俺たちは物陰を縫い、一気に走る。
敵とまともに戦う気はない。今の目的は勝つことじゃなく、抜けることだ。
階段を上がる。
廊下を曲がる。
瑠香が迷わず道を示し、ネリュアが後方の気配を読み、アズが曲がり角の先へ耳を澄ます。四人の動きが、ようやく一つに噛み合い始めていた。
やがて、重たい扉へ辿り着く。
屋上への出口だ。
瑠香が息を整える間もなく、俺は扉へ手をかけた。
鍵はない。
押し開く。
冷たい夜気が一気に流れ込んできた。
月が高い。
雲はない。
空気が澄みすぎていて、舞台装置みたいな夜だった。
だが、その屋上の景色を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
周囲に、光の檻が張り巡らされている。
透明な柱みたいなものが幾重にも立ち、その間を薄い膜が繋いでいた。見えそうで見えない、けれど近づけばたしかに焼かれそうな圧がある。
ネリュアが低く言う。
ネリュア「結界……じゃが、地下のものと同系統じゃ」
その時、背後の扉が開いた。
振り向く。
立っていたのは、さっき地下で見た黒ローブの男だった。
フードで顔は隠れている。だが、声は驚くほど静かだった。
ローブの男「予測通りです、瑠香姫」
その一言に、瑠香の肩が強張る。
男は続ける。
ローブの男「あなたは、ここへ至る」
瑠香「……何、言ってるの」
ローブの男は答えない。
ただ手の中の金属板をわずかに傾ける。表面を走る術式が明るさを増し、それに呼応するように屋上の結界も脈打った。
こいつが地下の装置と繋がっている。
そう思った瞬間、瑠香が懐から魔道具を取り出していた。キュベリエから託された即応用のそれを、震える手で、それでもちゃんと構える。
瑠香「あなたたちは……何なの」
答えはない。
代わりに、男の周囲の空気が冷えた。
ネリュアが一歩前へ出る。
ネリュア「問答の相手ではない。愛斗、合わせよ」
次の瞬間、ネリュアの掌へ光が集まった。
緑と金の混じる細い光。
それが結界の一角へ叩きつけられ、小さな裂け目を作る。
ネリュア「今じゃ!」
愛斗「行くぞ!」
俺たちは一斉に走った。
だが、裂け目は狭い。人が通るには足りない。ネリュアがさらに術を押し込もうとするが、結界の再生の方が速い。
その時、アズが前へ出た。
躊躇いはなかった。
小剣が閃く。
裂け目の縁を、正確に斬り抜く。
光の膜が左右へ引き裂かれ、一瞬だけ人ひとり分の幅が生まれた。
俺が先に飛び込む。
瑠香の腕を掴み、引く。
ネリュアが続き、最後にアズが身体を滑らせた。
その直後、足元が消えた。
落下感。
風が耳を裂く。
屋上の外は、そのまま城壁脇の広場へ落ちる高さだった。だが、ネリュアが咄嗟に風の流れを曲げ、落下をわずかに殺す。
それでも衝撃は強かった。
石畳へ着地し、膝に鈍い痛みが走る。瑠香が体勢を崩し、俺が支える。アズは転がるように着地し、すぐ立ち上がった。
周囲には、まだ結界の残滓みたいな光が舞っていた。
俺は息を整えながら、城を振り仰ぐ。
屋上に、もうローブの男の姿は見えなかった。
その代わり――城全体が、一度だけ大きく脈打った。
地面の奥から、ごう、と低い音が響く。
空気が揺れる。
月明かりの下で、城の影が不自然に伸びた。まるで、見えない何かが城へ触れ、その輪郭を引っ張ったみたいだった。
ぞっとする。
あれは、ただの建物じゃない。
何かが、あの城を通してこの街へ手を伸ばしている。
俺は仲間たちを見た。
全員無事だ。
それだけは確認できた。
でも、何も終わっていない。
むしろ、ようやく始まったばかりだ。
この街は何なんだ。
なぜ、俺たちの世界がこんなふうに書き換えられている。
どうして、そんなことが可能なのか。
分かっていることより、分からないことの方が圧倒的に多い。
それでも、一つだけはっきりしていた。
俺たちは、ここで止まれない。
この歪みを、放っておくわけにはいかない。
愛斗「……行くぞ」
短く言う。
瑠香が頷く。
ネリュアが静かに目を細め、アズが小剣を握り直す。
俺たちは城壁の影へ身を滑らせ、そのまま夜の街へ駆け出した。
※
その頃、城の屋上では、騎士団長レオヴァルトが一人で夜を見下ろしていた。
手の甲に刻まれた印が、まだかすかに熱を持っている。先ほど地下で起きた異常も、屋上の結界の破断も、その印はすべて伝えてきていた。
レオヴァルトは目を伏せ、小さく呟く。
レオヴァルト「……予測が、少し外れたか」
責める響きはなかった。
失望もない。
ただ、ずれを確認し、次へ繋げる声音だった。
彼はゆっくり踵を返す。
階段へ向かう背中で、大剣が鈍く光った。
レオヴァルト「鼠が」
低い声が、夜の空気へ沈む。
レオヴァルト「どこまでも追ってやろう」
王都の夜は、まだ深かった。




