第26話:王女個体、適合率
地下へ下りてすぐ、俺たちは巨大な空間の縁へ立っていた。
見上げるほど高い天井。
石で組まれた壁。
そのはずなのに、ところどころを走る光の筋が、生き物の血管みたいに脈打っている。古い遺跡の内側へ、見たこともない別の理が無理やり根を張っているような光景だった。
石柱もあった。金属の支柱もあった。風化した装飾の残る壁のすぐ横へ、比較的新しい継ぎ目が食い込んでいる。何世代も前の建造物と、つい最近作られた施設とが、喧嘩したまま一つの空間を保っていた。
その中心に、光があった。
塊、と呼ぶのが一番近い。
ただし、固定された形は持たない。ゆっくりと膨らみ、縮み、輪郭を曖昧に揺らしながら、内側から別の色を滲ませている。白に近い時もあれば、薄い緑が混ざる時もある。金のようにも、青のようにも見えた。
街の灯りを一箇所へ集めて、無理やり凝縮したら、こんなものになるのかもしれない。
俺は思わず足を止めた。
その光を、直視したくない気持ちになる。
隣へ、ネリュアが静かに並ぶ。
ネリュア「……これが、核か」
愛斗「核って……何のだよ」
ネリュア「歪みそのものじゃ。世界の継ぎ目へ、無理やり理を流し込み、形を持たせておる」
声は落ち着いていた。だが、落ち着いているのに、どこか硬い。
ネリュア「精霊の気配もある。じゃが、ここまで濃いと、もはやただの精霊術とは言えぬ」
言葉が、そのまま胸へ落ちてくる。
これは、俺たちの知っている範囲を、もう越えている。
アズは俺の少し後ろで、小剣を握りしめていた。震えているのに、目だけは細く光の中心を見据えている。彼女には彼女なりに、俺たちとは違う何かが見えているのかもしれなかった。
地下空間は広かった。
中心の光の周囲へ、いくつもの回廊が伸びている。石造りのものもあれば、途中から金属の床へ変わっているものもある。どれも同じ場所に作られたはずがないのに、無理やり同じ地下に繋げられていた。
俺たちは、いちばん手前の回廊へ足を踏み入れた。
壁には絵が描かれていた。
古い壁画だ。色は薄れているのに、構図だけは妙にはっきり残っている。大勢の人間が輪を作り、その中心に何かが浮かんでいる。戦いにも見えるし、儀式にも見える。そこへ、今の時代にはありえない細い光の筋が何本も入り込み、絵そのものへ命を与えているみたいだった。
よく見ると、その中心の“何か”は、さっき見た光の核と少し似ている。
ぞくりとした。
ただの昔話じゃない。
これは、ずっと前からあった構図なのかもしれない。
その壁画のすぐ横に、太い配管が走っていた。
鉄とも石ともつかない黒い管だ。継ぎ目には金属製の接手が噛み合っていて、まるで現代日本の地下インフラの一部が、そのまま地中から顔を出したみたいだった。
しかも、配管だけじゃない。
少し先には、ガラスケースのようなものが据えられている。中へ収められているのは、緑色に発光する細長い管。液体のようでもあり、気体のようでもあるものが、均一な明るさで内部を満たしていた。
それを見た瞬間、頭の中で何かが繋がる。
異世界で見た街灯。
魔力を灯りへ変える、あの管だ。
なぜ、こんな地下施設に同じものがある。
俺は無意識に一歩近づき、ケース越しに管へ触れた。
ガラスは冷たい。
なのに、その向こうにある魔力だけが、生きた体温みたいにわずかに手のひらへ返ってくる。
その時だった。
回廊の先で、金属の触れ合う小さな音がした。
反射的にしゃがむ。
手で合図して、三人を壁際へ寄せた。ネリュアがすぐ呼吸を殺し、アズが小剣を引き寄せる。瑠香も息を呑んで、ドレスの裾を押さえた。
気配が近づいてくる。
一人じゃない。
靴音が複数ある。石の床へ硬く返る音と、その奥にもっと乾いた、金属の節が動くような音も混ざっていた。
やがて、先頭の人物が姿を見せる。
黒いローブ。
深く被ったフードで、顔はほとんど見えない。手には薄い金属板を持っていた。その表面には淡い術式が流れていて、光の線がいくつも走り、何かを探っているように見える。
その後ろを、鎧姿の者たちが続いていた。
見た目だけなら衛兵だ。
けれど、歩き方が違う。生きた人間の揺れがない。無駄がなく、あまりにも一定だ。腰のあたりからは細い管が伸びていて、背中の装置らしきものと繋がっている。
あれが何なのかは分からない。
ただ、見た瞬間に嫌だと思った。
普通の兵じゃない。
そいつらは俺たちに気づかず、地下の中心へ向かって進んでいった。
気配が通り過ぎる。
俺たちは呼吸を止めたまま、それを待った。
やがて足音が遠ざかると、俺は合図し、反対方向へ身を滑らせる。
さらに奥へ進むと、回廊の先で空間がまた広がった。
そこは地下のはずなのに、天井の一部が抜けているように見えた。いや、実際に抜けているわけじゃない。青白い光が上から降ってきているのだ。夜空でもないのに、星みたいな粒が幾つも瞬きながら、地下の中心へ吸い込まれていく。
俺は思わず立ち止まった。
見覚えがある。
あれは異世界の王都で見た灯りだ。街路を照らしていた魔力灯。その光だけが切り取られて、星の雨みたいにここへ落ちてきている。
ネリュアが、俺の隣で低く呟く。
ネリュア「世界と世界が……繋がっておる」
その言葉で、ようやく理解した。
この核は、ただの精霊の塊じゃない。
継ぎ目そのものだ。
世界と世界の境目を、無理やり現実へ引きずり出して、どこかへ繋ぎ止めている。
さらに奥には、巨大な石板が立っていた。
壁一面を覆うほどの大きさだ。刻まれているのは知らない文字と幾何学模様。けれど、その並びは呪文というより設計図に近い。複雑に折れ、交わり、環状に巡る線が、どうしても回路図を連想させた。
その横には、もっと異様なものがあった。
幾つもの環が重なった機械。
細い針がその間をせわしなく往復し、中心で何かを測っている。祈祷具にも見えるし、観測装置にも見える。古代の祭具と未来の計測器を混ぜて、そのまま動かしたような姿だった。
その機械の脇に、一枚の紙が貼られている。
俺は近づき、目を凝らした。
『継界演算』
聞いたことのない言葉だった。
意味は分からない。
なのに、嫌な響きだけが残る。
さらに、その下へ小さな字が並んでいた。
『王女個体 適合率』
背筋が凍る。
王女個体。
その単語が意味するものは一つしかない。
俺は反射的に振り向いた。
マントの影から覗く瑠香の顔は、もう驚きの段階を越えていた。青ざめているのに、声も出ない、そんな表情だった。
愛斗「……まさか」
瑠香は首を振る。
否定じゃない。
分からない、という動きだった。
だが、その仕組みのどこかに瑠香が組み込まれている。少なくとも、こいつらはそういうふうに扱っている。
その時、地下の奥で低い音が鳴った。
ごう、と腹の底へ響くような振動。
壁が震える。
石板へ刻まれた文字が、内側から青白く光り始めた。
さらに、その脇の別の板へ新しい文字が浮かび上がる。
『予測機関 起動準備』
俺は咄嗟に皆を引き寄せた。
愛斗「逃げるぞ!」
返事を待たず、走り出す。
背後で、光の核が脈打つように明滅した。空気が歪む。壁の配管が低く唸る。地下空間そのものが、一つの巨大な装置として目を覚まし始めていた。
ネリュアが走りながら、苦く呟く。
ネリュア「……自然に生じた歪みではない」
その言葉が、やけにはっきり耳へ残った。
そうだ。
これは、勝手に起きた崩れじゃない。
誰かが、仕組んでいる。




