十三間川
住吉大社の南には細井川という川が流れている。
とっても細い川だ。西に住吉公園もすぎ、26号線の下を流れてまた姿を現わし、もう少し西の阪神高速の下で十三間川に注ぐ。
十三間川は南北に流れるすごく短い川だ。北にはあとほんの少しだけ伸びて、そこから西に流れる住吉川に注ぐ。南には親水公園のようになっているけれど、すぐの長居公園通で終了。
親水公園が高速下にあるので、暑い日の散歩にはうってつけで何度か通い、十三間川って変な川だなあと思っていた。高速の下のこんな短い川って、なんなのかな。
当時、浮浪者っぽい人が大量の缶をつぶしていたり、タオルをせせらぎの水で洗っていたりして、おしっこ臭くもあって、あまり人気の散歩コースではなかった。夏休みには子どもがサンダルをはいて遊んでいたり、ときどきは犬も散歩しているけれど、きれい好きは眉をしかめる感じ。
後になって知ったことには、大阪は水都と呼ばれるくらい川の多いところだったけれど、どんどん埋めたてていって今に至る。昔に開かれた大阪万博の前にも、交通の便をよくするために、多くの川を埋めたてて阪神高速がつくられたそうだ。
ここにもかつてはもっと普通に長い十三間川が流れていたのだって。
26号線の住吉公園前交差点には高灯篭があって、そこを西に進むと阪神高速に出るのだけれど、その手前、左手になんだか浮いている一帯があった。なんだか川辺の宿屋みたいな風情で建っている建物が何軒かあるな、と違和感を感じていた。
本当にそこは川辺だったんだろうな。
十三間川は、元は津守新田を開墾した地主たちがお金を出しあってつくった川だった。
元は26号線の西は海辺だったのだけれど、どんどん埋め立てて田んぼにしていった。住吉大社の西には加賀屋新田、その北には津守新田。
津守新田の人たちは、木津川から住吉まで川を掘って、農業用水にした。あと、こやし船も通ったのだって。江戸時代、長屋に住む人々の糞は肥料としてけっこういい値で売れて、それは大家に認められた収入源の1つだったそうだ。
川幅が十三間(23.7m)もあったので、十三間堀川とか十三間川とか呼ばれていた。その後、大和川が付け替えられてこの南を流れるようになると、十三間川は大和川まで延長された。
川沿いには松や柳が植えられ、明治時代の頃、風光明媚な土手道は人気の散歩コースだったそうだ。住吉詣での人々も、この川沿いを行くのが定番。旦那衆が妾を連れて遊びに行くお決まりコースでもあったんだって。市内からでも船に乗って十三間川を行き、高灯篭(現在地より西、高速そばにあった)のあたり(出見浜)で下船して、松林を進んで住吉大社に詣でる感じかな。
帝塚山が船場のお金持ちたちに風光明媚な田園地帯の邸宅地として人気だったという時代ね。
川や道にもいろんな歴史があるんだなあと思った。
ちなみに細井川は、遣隋使とかの時代には住吉津だったとかいうあたりだ。一寸法師は細井川をさかのぼって京に行き、大活躍したという話になっている。
大きな寺社には人が集まるから、風俗的なお店も江戸時代の頃には開かれていたそうで、住吉大社の周りにも点在。紀州街道の住吉新家と呼ばれたあたりが特に賑わっていて、坂本龍馬ややじさんきたさんもやってきたというくらい。その後電車が通るようになると、住吉公園あたりに茶屋や料亭などが林立。
健全な町にするためには一か所にまとめた方がいいというので、大正11年、細江川の南1万坪の中に集められ、住吉新地ができた。
その後、やっぱり公園に近くてよろしくないというので、昭和9年、十三間川の西側の4万坪の中に移転。そこは新名月って名の遊園地だったそうだ。遊園地といっても菖蒲園。その頃、遊園地というのは金持ちの遊ぶ風光明媚なところだったみたい。遊びは金持ちの旦那のものだったのかな。
移転前の住吉新地のあたりも、移転後の住吉新地のあたりも散歩してみたことがある。移転後のほうは、思いきり当時のものらしき建物が残っていてすごみがあった。
けれどどんどん廃れていき、戦争も始まった。終戦後には売春を公認しているとは、と世界から非難されて、遊郭などは廃止になり、女性は開放された。
それでも本当になくなったわけではなく、黙認された地区があったそうだ。警察はその地区を地図上で赤線で囲い、その中では売春を黙認していたので「赤線」と呼ばれた。菖蒲園だったところも赤線となっていたそうだ。他、大阪では、飛田、松島、港、今里などに赤線があった。
戦後、赤線にはタイル敷きのカフェーなどが建ち並んでいたそうだ。カフェーって、純喫茶ではない喫茶。衛生的だっていうので銭湯やカフェーにはタイルが推奨されたのだって。赤線跡を散歩してみると、地元では有名なレストランも、一階の床は豆タイルでびっしりだったりした。
今ではほぼ普通の住宅街だけれど、住吉大社の夏越の祓いのポスターでいっぱいだった。夏越の祓いは住吉大社の無形文化財の神事で、夏越女や稚児たちが茅の輪くぐりをするのだって。
住吉大社の神事は花街と関係が深いらしく、夏越女をやっていたのは住吉新地の芸妓さんたちだったそうだ。今は夏越女保存会のみなさんがやっているみたいだった。
住吉大社の御田植神事を見たことがある。住吉大社に田んぼがあって、そこに田植え歌を歌いながら黒牛と一緒に田植えがされていくのだけれど、その間、田んぼの周りを行列が練り歩く。武士だったり、足軽だったり、いろいろ。そのときも芸妓さん風の人も練り歩いていた。元は堺の乳守遊郭がスポンサーとなり、出演もしていたそうだ。乳守遊郭がすたれると大阪の新町遊郭が。それから住吉新地の芸子さんが。その名残で今も芸妓さんの装いの人が練り歩くのかな。
時代は変わっていき、十三間川も、昭和の時代には流れも滞り、悪臭を放つようになっていたそうだ。高速になるっていうので消えることになっても、喜ばれるくらいだったのかな。
一部、十三間川のせせらぎを復活させた親水公園がつくられた。
大和川に近い北島のあたりにも十三間川の親水公園があるらしくて、そこにも行ってみた。
殺風景な26号線を南下していくと、北島交差点で高速と交差して、ここから阪神高速の下を歩いていくと、高架下が親水公園になっていた。
なかなかに素敵なところだった。せせらぎは細く、殺菌されているので入ってはいけないって。わたしはそれを水とは認識もしなかった。のどが乾いても、川の泥水は飲んでもこれはダメ。
けれどそこにたくさんの木々が植えられ、石がいい感じに配置されて、それがけっこう長く続いていて、なかなかにいい感じだった。モミジに、いろいろな野の花に。
ただ一部バリケードがはられているところがあったりした。塀で隔たれてはいるけれどそばを26号線が走り、大型トラックがごうごうと走る音がかなり響いた。
親水公園が終わると大和川の土手で、土手に上がっていった。大和川に下りて行くと、中高年の人が歩いたり、走ったり、楽器を演奏したり。小さな魚がいっぱい泳いでいて、亀もけっこういた。50cmくらいの体長の魚が行き場を失ったか、浅いところで横たわって死んでいた。
オナモミがいっぱいで閉口したけれど、楽しかった。
帰り、26号線じゃなくずっと高速下を歩いてみたら、とぎれつつも親水公園が続いていた。
バリケード的なものはあちこちにあった。「ここに寝泊まりしないでください」とか「ここに住み着かないでください」とか書かれていた。楽しそうな児童公園は「当分の間封鎖します」。
う~ん、大阪の残念なところかな。




