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大阪を歩く犬  作者: ぽちでわん
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紀州街道を天神ノ森へ

熊野街道歩きがなかなかに楽しかったから、紀州街道も知らない北に向かって歩いてみようと思った。

紀州街道は江戸時代、参勤交代にも使われた道。当時のメインストリート。海沿いにあって、波音を耳にしながら、海と松林を眺めて歩くような道だったのだって。

住吉大社の西側(海側)を通り、浜寺、二色の浜、樽井なんていう海水浴場や元・海水浴場を通って紀州へ行けたわけね。

昔は大阪の人が海水浴場に行くと言ったら住吉で、それから住吉の海がだめになると浜寺で、浜寺も埋めたてられると二色浜に。

元はみんなきれいな浜辺だったのだって。今ではちょっと信じがたいけれど。


住吉大社の西側は今やチン電の走る広い通りになっていて、そこを北上。

住吉大社は海の神さまだから、大鳥居が海に向かって西にあって、その前をチン電が走っている。元は参道だったところは住吉公園になって、チン電通りで分断されている。

今、公園になっているあたりには、かつて茶屋や料亭旅館なんかがいっぱいあったのだって。初代春団治も一時滞在していたらしい。

近くには住吉新地もあって、住吉大社に参るっていうのは、大手を振って新地遊びもできる、男の人たちの愉しみでもあったんだって。今も住吉公園の南の出口には細江川にかかる江川橋があるけれど、これは南にあった新地に江川さんが自費でかけた橋だったそうだ。

住吉公園に残る参道の向こうには、26号線を隔てて高灯篭がある。元はもう少し西側の高速道路の下あたりに高灯篭はあり、その向こうは海だった。

今では海はまだ遠い。江戸時代に埋めたてられて新田になり、今ではそこに住宅地や工場地帯が長く続いている。


大鳥居の前の「鳥居前停留所」から北に向かった。

チン電は上町線(上町台地を走る)と阪堺線(台地の西の低地を走る)に分かれていく。上町線は熊野街道で、阪堺線のほうを進むのが紀州街道。

阪堺線沿いに進むと、すぐに住吉警察がある。このあたりが坂本龍馬も遊んだっていう料亭があったところね。


それから住吉大社の門前町として栄えたという粉浜。

浜辺だったところで、平安時代、保元の乱に敗れて落ちのびてきた8人の源氏が家族ら70人ほどと住み着いたのに始まる村なのだって。その8人を祀る祠が粉浜の氏神である生根神社の中にある。

チン電通りの少し東には「六道の辻」があって、紀州街道がメインストリートだった時代、このあたりも多くの人々が行き来していたんだそうだ。

もう少し北に進むと東の高台(上町台地)に小学校があって、ここは土佐藩の陣屋があったところ。ここに坂本龍馬が知人を訪ねてきて料亭で遊んだというわけ。

陣屋の門は紀州街道に面していたそうだ。

もう少し行くと高台に帝塚山古墳・・・。


今となれば知識も増えて、いろいろ説明もできるけれど、当時は「海辺の風光明媚な道だったって言われてもな・・・」と、あまりに変わった、ただの住宅密集地の中の交通量の多い道路をただてくてく進んだ。

道沿いにはときどき古そうな建物などもあったけれど、まあほぼほぼ灰色の町の中。

南港通りを過ぎ、大きな交差点になっている角に粉浜墓地があるのに気づいて驚き、東玉出あたりはなんだか独特だなあと思い(西成の芦屋と呼ばれていたと後で知った)、現れた玉出変電所がレトロな古いレンガ造りなのにちょっと驚き、けれどほぼほぼ面白みのない「ただの市街地」に感じられた。

チン電は道路を離れていき、南海高野線の高架が上を通っていた。

そのまま北上を続けると、散歩には面白くない町の中、唐突な感じで天神森天満宮が現れた。


犬のわたしに予備知識はまったくなくて、天満宮が菅原道真を祀る神社だということも分かっていなかった。

紀州街道沿いには小さな鳥居の幅の分くらいだけ面したその天満宮は、中はけっこう広がりを見せて、緑も多かった。

菅原道真は平安時代の高官で、けれど他の貴族たちに疎まれたかで左遷になり、九州の太宰府へ赴くことに。船などを使って太宰府に向かったそうだ。

その途中で立ち寄ったとされるところがあちこちにあり、そこが天満宮になっている。

ここもその1つ。伝えられることには菅原道真は太宰府に向かう途中に住吉大社にも参り、その途中、この地にも立ち寄ったのだって。そこに後の室町時代、天満宮として神社が創建されたんだそうだ。

それから戦国の世になると、千利休の師匠・武野紹鴎なる人が晩年にここにあった森に住んだ。森に湧く水にほれ込んだのだそうだ。

わたしは途方に暮れた。こんな西成区の緑も珍しいくらいの住宅密集地でそんなこと言われてもな・・・。

信じがたいおとぎ話をまた聞いた気分で西の鳥居を出ると、前方にこのあたりでは珍しい緑がもう1つ見えた。

行ってみると「天下茶屋跡」だった。

今は少しきれいになっている。小さな公園も併設されていて。

けれどその当時、となりには廃屋などあって、落書きやゴミの目立つ、なんのありがたみもないような所だった。一部にバリケードがはられていて、その中にまでゴミが散乱していた。

おそるおそる高台になった小さな旧跡に上ると説明が書かれていた。

このあたりにスケールの大きな茶屋があったのだって。大規模な日本庭園やらもあるような茶屋だったのだろうな。住吉大社に参る途中の豊臣秀吉も立ち寄って、この地の水でお供していた千利休にお茶をたてさせたのだって。

そしてその美味しさに感服。「天下茶屋」という地名の由来になったそうだ。

わたしは再び途方に暮れた。そしてゴミを避けながら高台から小さな階段を下っていった。


今は分かる。

ここは谷もある、上町台地の中でもけっこう急峻な山を裏山にもっていて、きっと緑豊かな、苔むした沢のいくつも流れるようなところだったのだろう。

水は滴り、清水が湧く。

武野紹鴎が愛し、後には楠木正成の末裔だという芽木さんが茶屋を開いた。そこで秀吉が千利休の茶を飲んだ。「天下の茶屋なり!」

そんな、風光明媚でありながら、紀州街道とあって人もよく通る素敵なところだったんだろう。


最後にいいところにたどり着けたな、と満足しつつおうちに帰った。

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