第3話 猿猴(えんこう)
「いいか、あんた。必ず、御足をもらってくるんだよ」
「志津、分かってるよ」
そう言った留吉は、月に一度開かれる品田町にたつ市に、牛を売りに行くことになった。長い間よく働いてくれた牛を、売るようになったのはそれなりの理由があった。新しい若い牛を志津の実家からもらったのだが、牛二頭分の餌を用意できるほど、留吉の周りに草地はなかったからだ。
夫の留吉は、駆け引きができない。相手に言われれば、言われたとおりにしてしまう。夫の素直さに、志津は、内心、苦々しく思っていた。
夕暮れに留吉が帰ってきた。
やはり、志津の不安は的中することになった。市から戻ってきた留吉は、御足を持っていなかったのだ。そのかわり、一羽の鶏をだいていた。
「あんた、売りにいった牛は、年をとっていても、まだまだ働ける牛だよ」
「鶏二羽でどうだと言われたんだ。一頭と二羽では鶏の方が数は多いだろう」
「あんた、だけど一羽しか持っていないじゃないか?」
「商売が成立したんで、祝いをしてきたんだよ。向こうがネギをだすから鶏を出せと言われたので、わしは鶏を一羽だして一緒に鍋を食べてきたよ」
「あんた〜」志津は悲鳴をあげた。もし、志津のからわらに出刃があったら、留吉に向かってふりあげていたに違いなかった。
だが、志津の気持ちを知らない留吉は、その晩のうちに鳥小屋を作って鶏を入れていた。
鶏は卵をよく産む鳥だった。卵からかえったヒヨコはすぐに親鳥になり、いつのまにか親鳥と一緒になって卵を産みだしていた。おかげで、市の立つころには、籠いっぱいの卵を市で売ることができるようになっていた。しかし、卵は志津が自分で売りに行った。留吉を信用していなかったからだ。牛を売って儲けていれば、何度も卵など売りにいく必要はなかったはずだ。ともかく、牛で損をした分をとりもどさなければならない。そう思うたびに、市に行く途中で、志津は「ちくしょう」と声をだしていた。
その頃、留吉たちが住む戸部村に猿猴が山からおりてくるようになった。始めは村の畑に生えている物だけをとっていたのだが、田をあらしだし、倉に入っている備蓄米まで狙うようになっていった。
猿猴は、不思議な生き物だ。体中が毛でおおわれ、河童のように水の中に住むこともできる。磯井山の谷間に住み、川魚などを食べていた。山向こうの品田村では山地に瀬棚をつくり、川をせき止めてそちらへ水を流し出したのだ。とうぜん、川の水量は減り、魚がとれなくなっていった。
だが、戸部村の人たちは、そんなことに気づきもしない。猿猴に襲われることだけが、村人たちには問題だった。村から申し出があったので、領主も番所の侍たちに猿猴退治を命じた。しかし、番所の侍たちは、すでに何度か猿猴とであい、そのすばしこさと賢さを知っている。猿猴を切りすてようとして、反対に腕にかみつかれ、剣を持てなくなった者もいた。
そこで、番所の侍は、村から猿猴退治の手伝いをしてくれる者を出してくれるように頼み込んできた。できれば、村人たちだけで猿猴退治を終わらしたかったのだ。猿猴退治は村から申し出たことだ。番所からの申し出を断ることはできない。
庄屋は年寄、百姓代、村の三役で顔を突き合わせて相談を始めた。
「庄屋どん、十人をだせはないだろう」と百姓代が声をあげた。
「じゃ、どうすれがいいのかのう」と言って、庄屋は腕を組んだ。
「じゃ、田吾作でどうだろう」と、年寄が声をだした。
「たしかに、身寄りもない。それに六十をすぎているが、元気じゃ。だが、一人しか出さないというわけにはいかんな」
庄屋は、顔をあげて、年寄を見つめた。
「無理な話を、百姓たちには、できんぞ」と、百姓代は声を大きくした。
「うむ、困ったのう」と、庄屋はふたたび腕を組んでいた。
「いうことを聞いてくれそうな奴と言えば」
年寄が、そういいだすと、庄屋は顔をあげた。
「やはり、留吉しかいなかろう。しかし、志津がなんというか?」
次の日、庄屋は留吉の家を訪ねた。庄屋は猿猴が村をおそい、退治をしなければならない話をして、「行ってくれるのは、留吉、あんたしかいない」と、話を終えた。
「そうかのう?志津はどう思う」
「あんた、村のお役にたつんだから、行ってやればいいんじゃないの」
志津は、笑っていた。留吉は野良仕事はやってくれるが、強いわけではない。秋祭りに行う相撲でも、いつも他の村人たちから投げ飛ばされていた。猿猴とであったら、生きて帰ることはできないかもしれない。志津はそう思っていた。
「志津も、賛成してくれるか」
庄屋は笑顔で帰っていった。
ついに、猿猴退治に行く日がきた。いつも奇妙な運を夫が持っているように思えた。だから、志津は朝早くから起きて、飯をたき、昼食と夕食の二食分の握り飯をつくり中にトリカブトの根を混ぜたのだった。それを食べれば、いくら運のある夫でも死んでしまうはずだ。
村はずれで番所の侍たちと待ち合わせをし、顔をあわせると番所の侍たちを先頭に、田吾作と留吉は後ろについていった。山をのぼり川が流れる谷間に入ると、猿猴たちが現れたのだ。侍たちは声をあげて、すぐに逃げ出していった。
留吉が振り向くと田吾作はその年から考えられない速さで侍たちと一緒に走っていた。前を向き直すと留吉は五体の猿猴に囲まれていた。猿猴たちはクンクンと鼻をならした。背中にしょってきた握り飯の匂いをかぎあてたのだ。
「食べたいのか?おらの女房が握ったものだが」
そういって、留吉が背中から袋を下ろした。中から握り飯をとり出すと、包んでいた笹の葉を開いて猿猴たちに差し出した。猿猴たちは握り飯をつかむと、むさぼるように食べだした。だが、トリカブトが梅の実と一緒に入っている。猿猴たち苦しみだし、次から次へと留吉の周りに倒れていった。
「猿猴、どうした。どうした?」
留吉が声をかけても、猿猴たちは声をだすことはなかった。
夕刻、田吾作がやってきて、言いにくそうに猿猴に襲われたので逃げてきた話をした。
「うちの人は、どうなったべか?」
「分からんな。きっと食われてしもうたかもしれんぞ」
それを聞いた志津は、思わず顔をさげて、口を押えた。こみ上げる笑いで声が出そうになったからだ。田吾作は、志津が悲しみで涙をこらえるために、顔を下げたと思っていた。
「気を落とすんじゃないぞ」
そういった田吾作は、志津の肩を軽くたたいて、帰っていった。
やがて、空に昼間と思われるような明るすぎる月が出てきたころ、 留吉が戻ってきたのだ。
「あんた、どうして?」
「へへへ」と声をだして留吉は笑い、頭をかいて見せた。
「猿猴はどうしたのよ?」
「分からんな?突然苦しんで死んでしまった。きっと寿命が尽きたんだべ」
志津は何かを言わなければと思いながら、言葉が浮かんでこない。
「志津、なぜだべ、腹が減っている」
そう言って、留吉は志津の方を振り返っていた。




