第8話「四人分のパンと星空」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
午後の給水所では、掲示板の前に人が集まっていた。
京介は参加証を外す手を止め、紙の一番下を読んだ。北へ向かう石段の欠けた箇所、その先の分岐。短い報告の最後に、サキトとハリナの名前がある。
「二日目、昼過ぎ。北道へ」
まいが隣で読み上げた。
「もう、こんなところまで来てたのね」
「通ったってだけだろ」
「それでも、あたしたちより先」
彼女の指が、張り替えられたばかりの紙の端を押さえた。京介が係へ自分の地図を見せようとしたところで、人垣の向こうから聞き覚えのある声がした。
「うむ。ところで、屋根の上へは上がれるのか?」
王様だった。
付き添いの係は水袋を運び、副官トトノエは書類を片手に、予定表の一行を指で押さえている。
「陛下。屋根へ上がる予定はありません。次は北側の補給路です」
「では、あの丘の向こうは開けておるか」
「展望所があります」
「夜空も見えるであろうなあ」
「見上げながら歩かないでください」
京介は足を止めた。
ワクワーク五世は、丸い顔を輝かせていた。短いひげを指でつまみ、折りたたんだ紙を空へ向けている。紙には丸と線が描かれていたが、京介のいる場所からは細かく見えない。
星柄のマントの裏地が、風でちらりと見えた。
「ワクワーク!」
京介が声をかけると、近くの係が少し驚いた。
王様の方は気にしなかった。
「おお、元気な声よ。宝は見つかったか?」
「見つかりそうなものはあった。でも、まだ意味が分からない」
「それはよい!」
「分からないのが?」
「分かったものを眺めるだけでは、驚きが減るであろう」
王様は紙を畳み、マントの内側へしまった。
「ワクワークが一番すごいと思うものって、どんなものなの?」
まいが尋ねると、王様は胸を張った。
「すごいものじゃ」
「説明が、まるいわね……」
トトノエが一歩前へ出る。
「現時点で、特定の品に有利な条件はお伝えできません。発見場所と経緯を、きちんと記録してください」
「それなら、オレの地図は更新中だ」
京介は胸を張った。
「川の橋、今朝は修理してた。板を運んで、通れるようになったところも書いた。市場の北の床も写したぞ」
「その情報は、後続の参加者にも必要ですね。橋については、こちらでも掲示を更新します」
トトノエは係にひと言伝えた。
係が地図の橋の箇所を写し取った。掲示板にもう一枚の紙が増え、青針組の名前の下へ京介の名が入る。
彼はその二枚を見比べた。向こうは北へ進んだ記録。こちらは後ろに残った橋を直した記録。
「ワクワーク、ここの道、去年より――」
顔を上げると、王様は既に丘を見ていた。京介の示した紙へ、丸い目は戻ってこなかった。
「北の空は広いか?」
「島なんだから、空はどこも広いだろ」
「そうではなくて、上まで、まっすぐというか」
「上?」
京介も見上げた。
「木がなければ、よく見えるぜ。断崖の手前なら、海まで見渡せる。夜は足元が危ないから、崖の端には行くなよ」
「うむ」
王様は頷いたが、目はまだ上を向いていた。
トトノエの視線が、少しだけ厳しくなった。
「陛下。見学されるのであれば、私どもの確認後に」
「分かっておる、分かっておる。余は今日は見るだけじゃ」
京介は、折り畳んだ紙より王の顔を見ていた。橋の話には上がらなかった眉が、空のことになると高くなる。どうすれば、あの目をこちらへ向けられるのか。
腰のポーチが、歩くたびに鳴った。
「そうだ。すごいものっていうなら、品物だけじゃなくてもいいんだろ?」
京介はポーチに手を当てた。
「オレの骨能力も、けっこう――」
「ここは人が通ります。実演なら、あちらへ」
トトノエが空き地を指した。京介がそちらを見ると、低い石の台の周りには何もなかった。
「ただし、今日の実演を採点はしません」
「審査じゃなくても、挨拶にはなるだろ?」
まいがあきれた顔をした。
「あんた、自分でも何が起きるか分からない挨拶するのね」
給水所から離れた空き地で、京介は荷物を下ろした。
低い石の台へサイコロを置くと、係が五歩ぶん離れるよう見物人へ声をかけた。王様は輪の外で腕を組んだ。ようやく、その目が京介だけに向いた。
京介はサイコロWを掌で転がした。
市場で浮かんだ三秒間には、王様がいなかった。サキトに縄を引いてもらわずとも、目を奪うことくらいできる。白い二個を握ると、そんな考えが胸いっぱいに広がった。
「いくぜ!」
二個が跳ねる。
一と六。
合計七。
京介が片足を踏み出した。
ドン。
太鼓の音がした。
もう片方の足を出す。
ドドン。
王様が目を丸くした。
まいは口元を扇子で隠した。隠した肩が震えている。
京介は考えた。
三秒しかない。ここで止まったら、ただ二回、変な音を出しただけになる。
なら、進む。
右、左、右、左。
ドンドコドドン。
最後に両足をそろえ、胸を張る。
ドンッ。
音が終わった。
しばらく静かになったあと、王様が手を叩いた。
「おお! 一人で行進と楽隊を兼ねるとは!」
「そういう能力じゃないんだけど!」
まいが笑いをこらえきれなくなった。
「自己紹介は完璧だったわ。とにかく騒がしいって、よく伝わったもの」
「次はもっと違うのが出るんだ!」
「いまの三秒も、よかった」
マリアが言った。
京介は彼女を見た。からかわれているのかと思ったが、マリアは本気の顔だった。
シェリルは笑いすぎないように両手を口へ当てていた。それでも緑の目が楽しそうに細くなる。
京介はサイコロを拾った。王様はまだ笑っている。係も、三人も。
ポーチへ二個とも戻すと、まいが口元から扇子を下ろした。
「あと、一回ね。今日は」
「分かってる」
返事だけが思ったより硬く出た。
まいは何も足さなかった。京介はポーチを叩き、王様へ向き直った。笑わせたかったわけではない、と言うには、いまも嬉しそうな丸顔が近すぎた。
王様は笑い終えると、少しだけ真面目な顔になった。
「いまのは面白かったぞ。余も、まだ誰も見たことのないものを見せたいものじゃ」
「何を?」
「上へ行けば、分かるのかもしれぬ」
王様は誰へともなく言った。
トトノエが予定表を持ち上げる。
「丘ならこちらです、陛下」
「……うむ」
王様一行は、丘の展望所へ続く整備された道を進んでいった。
京介は見送ったあと、荷物を背負い直した。
「さて。オレたちは北だ」
「その前に食糧よ」
まいが補給の札を指した。
「魚で人を集めたせいで、昼の分、少し軽かったんだから」
「今度はちゃんと四人分あるってことだな」
四人分、と口にしたところで、まいと目が合った。彼女は先に視線をそらし、売り台のパンを一つ持ち上げた。
「買うお金は各自よ」
そう言って、先に歩いていった。
*
市場跡の北を出るころ、木の影は長くなっていた。
買い足した堅焼きパンと干し野菜、それに夕食用の煮豆を、荷へ詰め直す。京介が大きな包みを全部引き寄せると、まいに半分持っていかれた。
「明日の朝まで、あんたに預けるのは不安」
「夜中に食うと思ってるのか」
「味見って言えば、食べたうちに入らない人でしょ」
京介は抗議しようとしたが、煮豆の甘いにおいに目が落ちたせいで機会を逃した。
シェリルは教本を背へ入れ、空いた腕に自分の食料を下げた。マリアもパンを一つ受け取る。四人それぞれの袋に、明日までの重さが加わった。
道の両側で幅広い葉が夕風に揺れ、奥の枝へ移った鳥と入れ替わりに、虫の音が増えてきた。
京介は分かれ道で止まった。
正面には、地図どおりの道がある。左にも、よく踏まれた跡が続いている。ただし左の道は、低い藪へ消えていた。
「左の方が、たくさん通ってるみたいね」
まいが言う。
京介はしゃがみ、土を見た。
丸いくぼみが幾つも並び、その間に蹄の形がある。人の靴跡は、端に少しだけだ。
「荷を運ぶ獣の水飲み場だ。人の道じゃない」
少し先に、かすかな水音がした。
地図には載っていない。京介は余白に印をつけた。
「水筒は満たした。こっちへ行こう」
京介は正面を指した。地図の線は、藪の先にある切れ目まで続いている。
「どれくらいかかる?」
「日が沈む前に、断崖の手前。途中で北の尾根が見えるはずだ」
まいは一度だけ藪へ目をやり、京介の後ろへ回った。
正面の道を少し進むと、斜めに張り出した根が道をふさいでいた。京介は手をかけ、越えようとして、すぐ止まった。
根の上が、湿って光っている。
まいが先に乾いた石を探した。ブーツの底で確かめ、片足を置く。
「こっち。体をひねれば、裾もつかない」
シェリルが教わったとおりに足を運んだ。長いローブが根へ触れずに通り抜ける。
次にマリア。最後に京介。
日が傾くにつれて、まいは何度か歩調を上げた。曲がり角で三人が追いつくと、靴紐を直していたふりをして立つ。
シェリルは気付いていた。追う足が速くなり、息が短くなる。京介はその前へ出て、地図を開く。
「ここから登りだ。明るいうちに抜けよう」
まいが先へ出る前に、彼は坂へ踏み込んだ。自分も急ぎたい。そのつもりで歩き出したのに、背後から聞こえる呼吸に合わせていると、足は勝手に遅くなった。
やがて木々の間が明るくなった。
北の空が、大きく開く。
遠くで海が光っていた。手前には何段もの緑の尾根があり、その向こうに、白っぽい断崖の縁が見えた。
シェリルが、小さく息をのむ。
「広い……」
「だろ」
京介は胸を張り、地図を閉じて、まいが後ろから出てくるだけの場所を空けた。
まいは風で乱れた前髪を押さえ、目を細めている。夕日が金の耳飾りへ当たり、短く光った。
彼女の目は、その光ではなく、何層にも重なる尾根の方へ向いていた。
マリアはしばらく黙って景色を見ていた。
「いま見えたものは、覚えていられる」
誰にともなく、彼女は言った。
京介はすぐ返事をしなかった。
風が通り、草が同じ向きへ倒れる。その向こうで海の色が少し変わった。
「だったら、もう少し見とこうぜ」
京介は言った。
もう少しだけ、誰も歩きださなかった。
*
寝る場所は、崖へ出る分かれ道をひとつ戻った木立にあった。石を並べた古い焚き場には、今日誰かが置いたらしい枝が残っている。
その脇の土へ、尖った靴底の跡が二つ並んでいた。京介は片方の踵に刻まれた細い線を見た。サキトが車輪を止めたとき、同じ跡が石の粉に残っていた。
「ここは、通り過ぎたみたいね」
まいが言った。
「炭、冷たいもの」
京介は跡をまたいで、荷を下ろした。ここから先へ行けば、夕景の見えた尾根で夜になる。二人がどこまで進んだのかは、もう見えなかった。
まいは草の上へ寝袋を置きかけ、動いたものを見て素早く引き上げた。隣へ場所を変える手つきだけが忙しい。
シェリルが煮豆と干し野菜を鍋へ入れ、マリアはパンを割った。まいは火に近い場所へ座ったが、京介の地図が広がると、膝が触れない分だけ横へずれた。
京介はその空いた幅へ、杯を四つ並べた。
火を囲むころには、空は深い青になっていた。
「今日、宝を見つけた方が勝ちだったよな」
京介が言った。
まいはパンの端をかじった。
「勝負の途中よ」
「二日目、もう終わるぞ。七日目の日没まで、あと五日だ」
「分かってる。だから、先にあの床を見たかったのよ」
京介はパンを口へ運びかけて止まった。
「オレが、機械を止めてたからか」
「あたしも巻き図を拾ってたでしょ」
「じゃあ――」
「分かってるわよ。拾わないで行けばよかったなんて、言ってない」
まいはパンを割った。硬い皮が乾いた音を立てる。
「ただ、サキトたちは、その間にも進んでる。あんたと二人で勝った負けたって言ってるうちに、どっちも負けるのは嫌なの」
京介は火へ目を落とした。薪の奥で、細い芯だけが赤く残っている。勝つ、という言葉なら何度も口にした。それを言うだけなら、歩かなくてもできた。
シェリルが膝の本を開いた。
「わたし、今日の床の印を、もう少し調べたいです。渡し場の図と似ているのに、向きだけが……」
彼女は言いかけて、まいと京介を見た。
マリアは帯の内側から、折った紙の端を出した。
「わたしの紙にも、水みたいな線がある」
「救護所でもらったやつか?」
京介が尋ねると、マリアは頷いた。
紙の端に星の印が覗いた。マリアは広げかけ、火の粉が上がるとすぐ胸へ戻した。
まいは銅貨の入った袋を押さえた。
京介は自分の地図を見た。
「その星、どこで――」
京介が身を乗り出すと、マリアの指が紙を包んだ。
「わたしの探している石に、つながっている」
「分かってる。道が同じなら、一緒に見れば」
「わたしの道を、先に決めないで」
返事は静かだった。京介は前へ出した膝を戻した。マリアは紙を帯の内側へしまい、代わりに杯を両手で持つ。
まいは黙っていた。親指で、銅貨の入った袋の口をなぞっている。
「本は、わたしが持ちます」
シェリルも言った。
「読めるところは、お伝えしたいです。でも、全部分かるわけではありません」
「貸せって言ったんじゃ……」
京介は言葉を切った。似たようなことを、ハリナの紙を前にして考えた気がした。全員のものが手元へ揃えば、自分が先頭を歩ける。そこまでを口にはしていなかっただけだ。
鍋が小さく鳴った。シェリルが火から離し、煮詰まりかけた豆の汁を分ける。京介は器を受け取り、何も言わずひと口飲んだ。昼の魚より塩が薄い。もう一口飲むと、野菜の甘さが戻ってきた。
京介はパンの最後の一口を食べた。
「明日は、情報を並べてみよう」
まいが顔を上げる。
「見せるだけ?」
「まずはな。並べるだけなら、誰のものもなくならない」
「……それなら、考えておく」
まいは銅貨の袋を離した。
シェリルは頁に細いしおりを挟んだ。どこまで見せるか決めるように指を止め、それから革紐をかける。
「明るくなってからの方が、線も見やすいですね」
「今日は、目を休める」
マリアが言った。
京介は火へ細い枝を一本くべた。
「ヤシロにも、何か分かったのかな」
シェリルの手が、革紐の上で止まる。
「……あの方の魔法、少し見覚えがありました」
「学校で習うやつか?」
「形は、教わります。でも、指の動かし方が」
彼女は自分の指を二度動かし、掌を上へ向けた。
何も光らなかった。
シェリルは少し恥ずかしそうに手を下ろした。
「聞きたいんです。でも、答えてもらえなかったら……」
「向こうが答えるまで、何回でも聞くか?」
京介が言うと、シェリルは少し笑った。
「京介さんなら、そうしそうです」
「一回で答えてくれる方が楽だけどな」
京介は空を見上げた。
星が一つ、木の枝の間に見えていた。
王様も今ごろ、どこかで同じ空を見ているのだろうか。上まで、まっすぐ。あの妙な言い方を思い出して、京介は星から地面へ視線を戻した。
火の近くに四足分の靴がある。
明日、その靴がどこへ向かうのかは、まだ決まっていない。
マリアが小さくあくびをした。まいもつられかけ、扇子で口元を隠した。シェリルは本を枕元へ置く場所を、真剣に選んでいる。
京介は寝袋を広げた。
「朝の場所取りは、なしだぞ」
「あんたが転がってこなければ、平和なのよ」
「オレ、そんな転がらないって」
マリアが焚き火越しに、静かに言った。
「サイコロと似ている」
「どこが!」
「止まるまで、行き先が分からない」
まいが吹き出した。
シェリルも、今度は口元を隠すのを忘れて笑った。
京介は言い返しかけ、寝袋の片側へ荷物を積んだ。
「これで、止まる場所は決まったぞ」
「半分、荷物の上に乗ってる」
マリアが指す。背中の下から硬いパンの包みを引き抜くと、まいはまた笑った。
火の向こうで、シェリルが蓋をした鍋を朝食用に寄せた。まいは銅貨の袋を寝袋の内側へ入れ、マリアも紙を帯から離さない。京介は三人を一度見てから、自分の地図を枕元へ畳んだ。
青針組の靴跡は、その先へ伸びていた。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




