第9話「地図を囲んで仮同盟」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
朝になっても、地図は地図のままだった。
夜のうちに親切な妖精が現れて、『ここがお宝です』と丸をつけてくれることはなかった。焚き火跡には白い灰が残り、丸太の上では京介のジャケットが朝露を吸っていた。
その上に、一枚の紙が載っている。
『情報』
まいが、わざわざ大きな字で書いた紙だった。
「で、何が分かったの」
「情報って字は読めた」
「朝一番に報告することがそれ?」
京介は紙を持ったまま首をかしげた。
島で暮らした十八年を頼りに地図を広げても、二百年前の海賊の足跡までは浮かんでこない。昨日見た北道の通過記録に、青針組の名が先に書かれていたことだけは、嫌にはっきり思い出せた。
「昨日、情報を並べるって言っただろ。まだ並べる台ができてない」
「台ならあるじゃない」
まいは平たい切り株を叩いた。そこにはシェリルが広げた朝食の布がある。
硬めのパン。薄く切った干し肉。昨夜の残りを温めた干し野菜の汁。木の匙が四本。
「食事と地図を同じところに置くと、道が野菜で埋まります」
シェリルはまじめな顔で言った。
「それは困るな。昨日も現実の道がいろいろ埋まってた」
「先に食べましょう。あの、温かいうちに」
亜麻色の髪がローブの前へこぼれた。教本は湿り気を避け、足元の包みの上に置かれている。
京介がパンへ手を伸ばすより早く、まいは木の匙を布の端にそろえた。柄の向きまで、きっちり四本とも同じだった。
「匙まで、きれいに並べるんだな」
「取りやすい方に置いただけよ」
まいはすました顔で汁を飲んだ。枝の間から射した朝日が、ベルトの丸いバックルに跳ねる。
マリアは二つに割ったパンへ、同じ量の干し肉を載せた。
「同じ物を二つ作って、何を比べるんだ?」
「先に食べたものと、後に食べたもの」
「なるほど。結果は?」
「後に食べる方は、まだ分からない」
食べ終わると、京介が鍋を洗い、まいが食器を布にくるんだ。切り株へ敷いた乾いた布が、ようやく地図を広げる台になる。
京介は自分の地形図を広げる。まいは小さな銅貨を置いた。シェリルは六つの点のある表紙を開き、マリアは折り目のついた救護所の紙を出した。
「よし。誰の情報が一番役に立つか、勝負だ」
「あんた、何でも勝負にしないと起きていられないの?」
まいは銅貨から指を離さなかった。京介の地形図の上へ置きはしたが、刻印は指の腹の下に隠れている。
「全部教えて、先に取られたら困るもの」
「サキトたちはもう北だぞ。道も読めずに、ここで睨み合うか?」
シェリルが開いた教本に目を落とした。親指で隠していた頁の端が、そろそろと切り株の中央へ寄ってくる。
「わたしの図だけでは、昨日も進めませんでした。まいさんの銅貨を見たいです」
まいは朝日を避けるように銅貨を傾け、ようやく指をどけた。
「その代わり、読めたことはあたしにも教えて。あんただけこっそり先へ行くの、なしよ」
「オレ、こっそり歩くのは得意じゃないぞ」
「昨日、足音で島じゅうに知らせていた」
マリアの静かな声に、シェリルが吹き出した。京介は反論の代わりに、地形図の余白を三人の方へ押した。
*
まず京介の地形図だった。
南に港、西に学校、東に王城。北へ進む道は、広葉樹の林を通り、古い市場跡をかすめ、断崖の上へ続いている。
「この細い横線が、昔の道だ。こっちに今の道」
「昔の方は、崖の下なの?」
「昔は。今は潮が高いと消える。島の北側を船で回る漁師も、あそこはあんまり近づかない。風が強いと、波が壁から戻ってぶつかるんだ」
京介は、地図の北端を爪でなぞった。
細い入り江が二つ。片方は丸く、片方は折れた指のように曲がっている。
「地上の道からだと、この間の尾根にぶつかる。昨日、地図の通りなのに妙に遠回りになった理由も、それだ」
次に、シェリルが教本を回した。
古代航路図の写しは、京介の図と似ているようで似ていなかった。曲がった線がいくつも走り、丸と三角が交互に並ぶ。片隅に波の印。そのそばに、小さな星。
「この図を写した方は、陸の輪郭が欠けていたと書いています。残っていた水路と、進む順番を写したみたいです」
「進む順番?」
「ここです。同じ形の線でも、端に点が一つ、二つ、三つとあります」
京介は点を追い、首をかしげた。
図の上を北だと思えば、進路は海から山へ、山から海へ戻ってしまう。
図を逆さにする。今度は島の東西が合わない。
まいが半分だけ回してみせる。それでも、丸い入り江と曲がった入り江が重ならなかった。
「昨日もここで止まったのよ。古代人、道案内が下手だったんじゃない?」
「使った人が出入りできていたなら、読み方があるはずです。ルーク先生も、そうおっしゃっていました」
シェリルは頁の隅にある書き込みを、指で押さえた。
まいは銅貨をひっくり返した。表にはすり減った横顔。裏には、教本の図にもある波の刻印だ。
ただし波の下には、二本の短い線があった。
「ガッポリーノの寄港地で使われた銅貨よ。すごい値段の品じゃないけど、あの海賊を追っているなら、持っていて損はない」
「そんなちっこい傷が手がかりになるのか?」
「傷じゃないの。ほら、端にも同じ線がある」
真鍮のミエールくんが、まいの手の中で短く鳴った。
朝日の当たる角度に銅貨を置く。ぜんまいが動く間、まいは片目をつむり、残った彫り跡を確かめた。
「上が波の山。下が波のくぼみ。二本の線は――矢印じゃない。こっちへ線が細くなってる」
京介に渡す前に、ぜんまいが止まった。
「あっ、オレも見たかった」
「冷めるまで待って。この子、働かせすぎると肝心なところで何も言わなくなるの」
「最初からしゃべってないけどな」
「道具の気持ちを分からない人ね」
マリアが救護所の紙を開いた。
そこには『賢者の石』という言葉と、波に星を重ねた印が写されていた。
「この印を、わたしは口で説明したらしい」
「目が覚めたとき?」
「たぶん。そのときのことは、よく覚えていない。紙を渡されたあとは覚えている」
マリアは、自分の水晶玉を見なかった。
代わりに、紙に描かれた波を指した。
「この波だけ、向きがない」
「あるじゃない。ほら、尖ってる方が――」
まいが言いかけて、銅貨と教本を見比べる。
教本の波は尖った側が右。救護所の紙では左。銅貨には両方あった。
その場に風が通った。
紙の隅がめくれ、京介は小石を置くため手を伸ばした。そこで、教本の航路図に走る二本の線を見た。
一方は太く始まって細く終わる。もう一方は、その逆。
「これ、方向じゃなくて、動きか?」
京介は立ち上がった。
「北が上じゃないんだ。海から入ってくる水を先に読んでる」
「潮?」
「そうだ。満ちる潮と、引く潮。島の北の入り江、満ちると東から水が巻いてくるんだ。引くときは西の浅瀬へ抜ける。水路の線が逆になって当然なんだよ!」
まいが冷めたミエールくんのぜんまいを巻き、今度は京介へ渡した。銅貨の端を見る。細い線の中に、小さなへこみがある。
点だ。
教本にあった、一つ、二つ、三つの点。
「同じだ。銅貨に、図の読み始めがある」
シェリルが教本の書き込みを探した。何度も使われたらしい頁の角が、丸くなっている。
「ありました。『航海の図は、いつも空の北を上に置くとは限らない。水を迎える側を前とする例もある』」
「水を迎える側なら、オレには分かる」
京介は地形図を横にずらした。
「その知識と、この島の水の流れを合わせるんだ」
京介が押さえた崖の輪郭へ、シェリルが水路を指で描く。まいは銅貨の細い方を海へ向けた。紙が足りず、マリアの救護所の印は切り株の端へ半分はみ出す。京介は自分の膝を台にして、その先にも線を引いた。
「この丸は、町じゃないな」
「水がたまる場所かもしれません」
「じゃあ、この三角は山じゃなくて、流れの分かれ目?」
「そこは岩が出てる。今の地形図にもあるぞ」
「最後の星は、空ではなく、印のある扉」
マリアが紙を置いたところで、京介の指が止まった。
北の断崖。曲がった入り江の奥。
地上の道からは見えない位置に、四つの資料が一点で重なった。
「……あった」
京介の声は、今度は静かだった。
たった爪一枚分の余白へ、四人の顔が寄った。
まいが、ゆっくり口の端を上げる。
「これなら、行く値打ちがあるわね」
シェリルは両手を胸の前で合わせた。
マリアは『情報』と書かれた紙を裏返し、空いた側を京介へ向けた。
「道を描くなら、ここが使える」
朝一番には何も分からなかった紙に、京介は最初の線を引いた。
*
地図を巻くより先に京介が荷を担ぐと、まいも手早く食器をしまった。先頭を取るつもりで、二人が同時に木立の出口へ顔を向ける。
「島の道ならオレだろ」
「古い罠があったら、ちゃんと止まってよね」
まいが地図を巻きかけると、シェリルが小さく手を上げた。
「あの。道を進む前に、決めた方がいいことがあると思います」
京介は振り返った。
シェリルは上げた手を下ろさず、まいの銅貨と京介の地図を交互に見た。
「お宝を持ち帰ったあと、皆さんはどうしたいんですか」
まいが巻きかけの地図を戻した。
京介も腰を下ろす。
「オレは優勝だ」
京介は真っ先に言った。
「優勝して、島中に、いや、大陸の人にも名前を覚えてもらう。公認の探検家になって、地図の空いてるところへ行く」
まいは笑い、それから銅貨を指先でつまんだ。
「あたしはガッポリーノの財宝。ずっと追ってたの。大陸の港でこの銅貨を手に入れたとき、やっと島までつながった」
「どうしてガッポリーノなんだ?」
「きらきらしたものを、とびきり変な場所へ隠したらしいから」
「変な場所?」
「普通の金庫なら、鍵を開けたら終わりでしょ。どんな景色の奥に置いたのか、自分の目で見たかったのよ」
まいは銅貨を指先で返し、すぐに付け足した。
「あと、きっとでっかい。ここは大事」
「わたしも、ガッポリーノの財宝です」
シェリルは教本を膝へ載せた。
「魔法の勉強で、大陸の村へ行きました。井戸の綱が傷んでいるのに、直す費用がなくて。子どもたちが、水をくむだけで、朝の長い時間を使っていたんです」
「わたしの灯りの魔法では、井戸は直りませんでした。力を使えば桶は持てます。でも、わたしが学校へ戻ったら、また同じです」
シェリルの指が、本の角を包む。
「だから、続けて役に立つものが欲しいんです。道具を直すお金とか、食べるものとか。財宝があれば、そういうことができると思って」
京介は、すぐにいいことだと言いそうになった。だが、シェリルの話を聞いているまいの指は、さっきから銅貨の縁を回している。
「あたしは、自分が欲しいものを取りに来たわ。それは変えない」
「……全部、まいさんのおうちに飾るんですか」
シェリルが尋ねると、銅貨が止まった。
「家に持ち帰るとも言ってない。あたしの欲しい物を、あたしが選びたいの」
「でも、同じお金で井戸が直るなら」
「そう言われたら、あたしが欲しがるのは悪いことになるでしょ」
栗色のポニーテールが肩から払われた。シェリルは慌てて首を振ったが、開きかけた口から次の言葉が出てこない。
京介は地図を畳む手を止めた。井戸を直す方が立派だろう。だが、もし賞が今この切り株の上にあったら、シェリルへ差し出せるか。頭の中で掲げた優勝杯は、なかなか下へ降りなかった。
「オレも、自分の名前を売りたいんだぞ」
「金貨を積んだ井戸より、京介って名前の書いてある看板の方が先に浮かぶ。今は」
「看板だけでも、ずいぶん場所を取りそうね」
まいの返事は早かった。シェリルの口元が一瞬緩んだが、彼女はすぐに膝の本を抱き直した。
「わたしは、財宝を村へ持っていきたいです。だから……わたしも勝つつもりです」
細い声の最後だけが、驚くほどまっすぐ届いた。
京介は教本からシェリルの目へ視線を上げた。先に逸らすのが惜しくなった。
「そっか。じゃあ、負けないぞ」
「はい。わたしも」
まいは銅貨を自分の袋へしまった。シェリルの願いに反対はしなかったが、うまく仲直りする台詞も言わなかった。
マリアが救護所の紙を折り直す音がした。
「わたしは、賢者の石」
その指は紙の角をぴたりと合わせ、また開いた。
「どこから来たのか。何をしに来たのか。誰に帰ると言ったのか。思い出したい」
「石があれば、思い出せるのか?」
「必要だと、この紙にある。ほかの方法は知らない」
「治療に必要な物なら、大会の宝には入らないわね」
まいが受付で聞いた規則を口にする。京介は頷きかけた。
「じゃあ、その石はマリアに――」
「探す時間も、欲しい」
マリアに遮られ、京介の顎は途中で止まった。
「石へ行く道と、財宝へ行く道が分かれたら。わたしは、石を探す」
「そこまで行ってから考えようぜ。同じ遺跡なんだし」
「今、言っておきたい」
眠そうに見える紫灰の目が、京介から動かなかった。
今日中なのか、七日目を過ぎるのか。京介の指は、自分が引いた線の上で止まった。
「あたしは最後まで付き合うとは約束しないわ」
まいが言った。
「ここで全部いいって言う方が、あとで揉めるでしょ。ただ、手がかりが出たのに見せずに行くのはしない」
「わたしも、どれぐらい時間がかかるか知りたいです」
シェリルは膝へ視線を落としたまま続けた。
「一緒に探したいです。でも、村のことも……忘れたくありません」
マリアは紙を袋へしまった。返事をするまでの間が、京介には長かった。
「うん。そのときは、わたしが頼む」
京介は自分の胸を指で叩いた。
「オレ、道は探す。途中で別れたくはないけど、マリアの欲しい物まで勝手に決められないからな」
「占う場所も、わたしが選ぶ」
「え?」
「地図の代わりには、ならない」
京介は少し気まずく鼻をかいた。三時間先に宝庫にいるところを見られないかと、一度も考えなかった顔はできそうにない。
「分かった。それは頼むときに聞く」
まいが地図を中央へ戻した。
「じゃあ、道を開けるところまでは一緒。王様に見せるお宝は、自分で選ぶ。一位はあたし」
「最後だけ相談してないだろ!」
京介は『情報』の紙の隅へ短い約束を書いた。知っている危険は伝える。発見した物と発見者を残す。誰かを置き去りにして帰らない。
まいが最後の行を爪で叩いた。
「それ、締切ぎりぎりでもよ」
「分かってる」
京介は最後の約束の下へ、自分の名前を書いた。
京介が手を出す。
まいはその手を見て、いったん扇子を載せようとした。
「本人の手で頼む」
「注文が多いわね」
四人の手が重なった。
まいの指先には銅貨を押さえていた跡がついていた。シェリルの手は意外に冷たく、マリアの手は最後に、空いていたところへ静かに重なった。
「仮同盟、成立だ!」
「仮よ。そこ、忘れないで」
「分かってるって。仮に負けても文句なしだ」
「今、あたしが負ける方に置いたでしょ」
まいがさっさと手を離したので、京介の腕が切り株へ落ちた。出発前から負けたようで悔しい。彼は地図をひと息に巻き、三人より先に立ち上がった。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
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