第10話「親切すぎる道しるべ」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
北の断崖へ向かう前に、四人は大会の小さな補給所へ寄った。
木の屋根。樽二つ。荷を量る秤。見張り台の上では、黄色い旗が海風にはためいている。
京介は水筒をまとめて差し出しかけ、まいに一本戻された。
「一本ずつ。四本まとめて受け取るの、大変でしょ」
そのくせ彼女は、係が差し出した木の札を受け取るときだけ、背筋を伸ばして両手を添えた。まるで立派な広間で招待状を受け取るように。
京介が何か言う前に、まいは札を彼の鼻先へ突き出した。
「ほら、帰りに返すもの。なくさない」
「分かったって。三日目でなくしたら、残り四日ずっと叱られる」
「今日を入れて五日よ。七日目の日没には王城。帰り道の分も残しておいて」
買い足す食料は相談して決めた。
日持ちする薄焼きパン。干し肉。乾燥豆。小さな塩の包み。シェリルのために、力を使ったあと食べやすい甘い菓子も少し。
「わたしだけ、いいんですか?」
「重いものを動かしてもらうかもしれないだろ。先に燃料だ」
「人を荷車みたいに言わないの」
まいが菓子をもう一つ、シェリルの荷に入れた。
マリアは菓子の包みを見てから、塩の包みを見た。
「別々に運ぶと、味を自分で決められる」
「いっぺんに食うのか?」
「まだ決めていない」
係の机に積まれた報告札には、倒木と水場の場所が記されていた。京介も一枚もらう。
京介は昨日通った道の状態を書いた。
まいはその横から、彼の指す枝道に短い線を足す。
「ここ、下草の奥に石段があった。雨のあと滑るって書いて」
京介は自分の地図と同じ記号を描き、まいが引いた線のそばへ注意を添えた。
シェリルが、補給所の係に尋ねる。
「北の入り江へ向かった方は、戻ってきましたか?」
「青針組が、ついさっき。今も裏で荷を量っていますよ」
係の指した秤の向こうで、二つの革帽子が動いた。青い縫い目まで塩を吹き、帽子のつばから落ちたしずくが板床に丸い跡を作っている。
サキトの短い焦げ茶髪は片側だけ潰れていた。ハリナは首元で結んだ黒髪を背へ払い、量り皿から荷袋を引き上げる。
「もう戻ってきたのか、サキト」
「入り口だけは見た。舟のある扉だ」
京介は受け取った木札を落としそうになった。
「外の見張り道から回った。扉の下に輪が四つ。そこからは、まだ」
ハリナが机へ報告札を置いた。途中の石段に欠けがある場所と、膝まで泥に沈んだ箇所が細い字で記されている。京介の地図にない印が、二つあった。
「王城の調査も同じところで止まっているそうよ。開いたかどうかは、伝言を待つより行った方が早い」
「だから、朝に行って、朝に帰ってきたのか」
「昼に出れば、帰りは夕方よ」
ハリナの返事に、京介は自分の荷袋の口を強く引いた。
ハリナの手元に、もう一枚の紙がある。大きな丸と、いくつかの短い線。京介が首を伸ばすと、紙は二つに折られた。
「扉の写し?」
「私の仕事」
「ちょっとぐらい見せたって」
「こっちは、ちょっとぐらいじゃ写せなかったのよ」
まいが横から京介の地図を巻いた。朝と同じ指で、今度は彼の地図を隠す。
「それなら、こっちの手も見せない。扉の向こうで会いましょ」
「いいな。それは楽しみだ」
サキトは笑い、縄束を肩に掛けた。片眉にある古い傷が、つばの影から覗く。
「帰りに使う道を測り直してくる。潮が上がってから、取った宝を抱えて立ち往生はしたくないんでね」
「まだ取ってないだろ」
「袋は空けてある」
サキトが叩いた袋は、確かに薄かった。自信満々の返事より、その空き方の方が京介には気になった。自分の荷袋には、いつ使うか分からない物まで詰まっている。
ハリナは補給係へ礼を言い、サキトより先に道へ出た。机に残した札だけが、風にめくれる。
京介は欠けた段の印を写し、自分たちが通るつもりの潮の道へ目を移す。うまく水が引けば、こちらの方が短い。朝に並べた四つの手がかりまで無駄だったとは思いたくなかった。
係に礼を言って歩き出すと、頭上で羽音がした。
見張り台の鳥籠から、一羽の鳩が放たれる。足に短い筒をつけ、王城のある東の丘へ向かっていった。
「王様、今ごろ何してるのかな」
「退屈してるんじゃない?」
まいは水筒の重さを確かめながら言った。
「大会を開いておいて?」
「自分で走り回らないと物足りない人、いるでしょ」
彼女の琥珀色の目が京介を向く。
「なんでオレを見るんだ」
「分かりやすい見本だから」
京介は言い返そうとして、北から届く潮の匂いを吸い込んだ。
木々の間が明るくなっている。
海は、もうすぐだった。
*
海が見えた瞬間、京介は叫びかけた。
木々の切れ目の向こうで、青い水がいくつもの帯になっていた。濃いところは深く、白くほどけているところは浅い。崖の壁にぶつかった波が、曲がった入り江へ吸い込まれていく。
「そこで止まって」
まいの声に、京介は片足を上げたまま固まる。
「な、何だ。罠か?」
「あんたの足元。花」
小さな白い花が、岩の割れ目から咲いていた。
「踏んだら、靴の裏に花粉がつくでしょ。そっちの石へ置きなさいよ」
京介は靴の位置を変えた。
まいは満足そうに扇子を閉じた。白い花は、割れ目の中でまた海風に揺れた。
シェリルが息を弾ませて追いつく。マリアはその一歩後ろで、水筒のふたを締めていた。
断崖は、まっすぐ落ちているわけではなかった。
ところどころに細い段があり、低い草が根を張っている。だが潮の道へ降りる階段は、地形図に書かれた位置では途切れていた。去年の大雨で表土が流れたらしい。
京介はしゃがみ、土の色と石の角を見た。
「こっちは新しく崩れたところだ。上から見ると道に見えるけど、下が浮いてる」
「まっすぐ下りるのは、なしね」
「ああ。東へ回る」
彼は断崖の上を歩き、二本並んだ低い木を指した。
「海風を正面から受ける木は、枝が陸側へ倒れる。あそこの二本だけ、向きが違うだろ。風が横から抜ける谷があるんだ。古い道はそこを使ったはずだ」
朝に四人で作った紙へ、京介は迂回の線を加えた。
海側の高い道には、青い縫い目の革帽子が二つ見え隠れしていた。ハリナが伸ばした紐の端をサキトが受け、岩の出っ張りまで歩いていく。二人が引いた線の先に、京介の知らない帰り道ができていく。
谷へ向かう道の途中に、立派な案内板が出てきた。
『ガッポリーノの秘宝へ、最短一直線!』
京介は眉を寄せた。大きすぎる文字も、黄色い矢印も、あまり信用できる顔をしていない。
だが矢印の向きは、彼が探していた谷と同じだった。先にもう一枚、その先にも一枚。木の間を抜ける乾いた道が続いている。
「道は合ってる。見張り道から下りるやつより、早いぞ」
「あんた、さっきから早いばっかりね」
まいは看板へ疑い深い目を向けたまま、ついてきた。
曲がり角の三枚目で、矢印が葉陰へ向く。京介は岩壁に沿って進み、倒れた木をくぐった。シェリルのローブの裾が引っ掛かり、一度止まる。汗を拭って顔を上げたとき、マリアが道の端を指した。
「白い花」
「さっきもあったな」
「同じ花だと思う」
同じ割れ目だった。海風が上り返してきた坂の汗を冷やす。高い道には、もう革帽子が見えなかった。
「……一直線って書いてあっただろ」
「輪をほどけばね」
まいが息を整え、最初の看板へ戻った。矢印は初めと違う向きに曲がっている。その先に並んだ黄色い石だけが、日差しを受けて、やけにきらきらしていた。
まいの足が一歩出た。
京介は、その一歩を見逃さなかった。
「おい、今――」
「違うわよ。石の並びを調べるだけ」
まいはしゃがみ、最初の一個へ小枝を近づけた。
石は、ころんと転がった。半分に丸く削った黄色いガラスだ。下の面に、まだ乾ききっていない糊がついている。
京介は案内板の裏へ回った。
そこには歯車が二つと、折り畳み式の小さな軸がある。矢印は、遠くからひもを引くと回せる仕掛けだった。
「……ずいぶん親切な古代人だな」
「それはどうも!」
茂みから、高らかな声が返ってきた。
えんじの羽根帽子。紫の上着。立ち上がったサタンジョの横で、プレスケがひもを抱えていた。さらに後ろには、縞シャツ姿のロクシロウ。
隠れていた三人が、一人ずつ立つ。
最後に立ったロクシロウの肩から、草で編んだ偽の茂みがずり落ちた。
「派手に登場、手ぶらで――」
「一周させてから出てくるな!」
「口を挟まない!」
サタンジョが扇のように手を広げる。
「道案内をして差し上げましたの。楽しいお散歩だったでしょう?」
「あの坂を二回歩かせて、楽しくなると思ったのか?」
「言葉の余韻をもっと楽しみなさい」
プレスケは丸眼鏡を押し上げた。
「本日の自信作、矢印くるりん回り道式でございます。順に矢印を回し、皆さんを元の位置までご案内します」
「手口を説明してどうするの、プレスケ!」
「完成度を知っていただかないと悔しくて」
京介は看板の軸を見た。一本のひもで、三つ先の矢印まで回していたらしい。茂みを踏み分けてひもを外す間、シェリルは坂の下で肩を落として休んでいた。
「そこへ載せてある木札、大会の支給品じゃないか」
看板の土台へ、元から立っていた小さな道標が伏せてあった。
「無骨すぎるので、少々、飾りつけを」
プレスケが言いかけたところで、京介は札をひっくり返した。正しい谷の名前と矢印が出てくる。
「これで帰ってくる人もいるんだぞ。どかすな」
ロクシロウが伸ばしていた手を止めた。
「アネゴ。あれ、戻す約束だったろ」
「後から戻すつもりだったのよ! プレスケ、荷車を出しなさい!」
サタンジョは京介の目を避け、荷車の方へ帽子を向けた。
「偽物の石まで撒いて、念入りね」
まいが黄色い欠片を掲げると、プレスケは眼鏡を押し上げた。
「宝石好きのお嬢さんを、見事に一歩動かしましたので」
「調べるための一歩よ!」
サタンジョは口元をつり上げた。
「おあいにくさま。あたくしたちには本当の近道もありますの。あんたたちが石ころを調べている間に、お先へ失礼!」
ロクシロウが茂みから小さな荷車を押し出した。
四輪の前後に、長い板が畳まれている。小さな段差へ板を倒し、橋にしながら進むからくりらしい。
プレスケがハンドルを回すと、板がガタンと前へ伸び、足元の溝をまたいだ。
サタンジョが一番高い座席に乗り、ロクシロウが後ろから押す。三人は黄色いガラスとは反対の枝道へ進んでいった。
「その先、石が泥へ沈んでるぞ!」
京介の声に、ロクシロウだけが片手を上げた。からくりの板が乾いた音を立て、サタンジョの笑い声は曲がり角の先へ消えていった。
京介は地図を見下ろす。あの道は大きな入り江を回り、同じ扉へ出る。遠回りだが、自分たちも三人を笑えるほどの時間を残していなかった。
「シェリルとマリアは、先へ行ってていいぞ。オレたちで片づける」
「看板を起こす人と、下のガラスを取る人と、ひもを巻く人。四人でやった方が早いわ」
まいは荷を下ろしていた。シェリルも休んでいた石から立ち上がり、取り外したひもの端を受け取る。
京介たちは偽の案内板を横へ倒し、『矢印は誤り』と書いた紙を結んだ。ガラスはまいが布へ集める。最後に三人組へ返すためだ。
ガラスは日の光をよく弾いたが、まいは自分の袋へ入れなかった。包みを締める結び目にだけ、腹立ちをたっぷり残した。
ようやく出発できたときには、京介の喉はもう乾いていた。補給所で満たした水筒を、予定より早く傾けることになった。
*
昼の休憩は、風の弱い窪地で取った。
京介はパンの欠片を地形図の重しに使おうとして、シェリルに小石へ交換された。
「あとで食べるものですから」
「この地図、そんなに汚くないぞ」
「地図を食べる予定もありませんから」
まいが吹き出した。
マリアは干し肉を一口分に分け、残りを丁寧に包んでいる。水晶玉の袋は、体の近くへ置いていた。
「占ってみるか?」
京介が水晶玉の袋を見て言った。
「扉が開くところが見えたら、迷わず行けるだろ」
「わたしが、どこにいるか分からない」
マリアは干し肉の包みを膝へ置いた。
「もし三時間以内に座ってパンを食べているわたしが見えたら、それでも京介は開けに行く?」
「行く。昼飯を二回食う理由ができるかもしれないし」
「わたしは、一回で足りている」
マリアは水晶玉を出さなかった。京介は袋から目を離し、入り江へ膝を向けた。
入り江の水位は、朝より下がっていた。海へ向かう白い泡が、ゆっくりと曲がった岩の外側を回っている。
波が来るたびに逆向きに揺れるが、少し待つと、泡は同じ方向へ戻った。
京介は自分のパンを食べ終えてから、地図に矢印を加える。
「来た波の向きと、潮が引く向きは違う。これを一緒にしたら、朝の図も間違えて読むところだった」
「急いで見た一回だけだと、騙されるのね」
まいは扇子で頬をあおいだ。
「海に騙す気はないけどな」
「親切に説明する気もないでしょ」
食後、四人は谷の石段を下りた。
上からは見えなかった段が、木の根の下に残っていた。京介が踏み面を確かめ、まいが曲がり角を先に覗く。シェリルは教本を濡らさないよう、布の内側へ包み直した。
マリアは急な段で一度足を止めたが、差し出された京介の手をすぐには取らなかった。
自分の足を半歩ずらし、安定する場所を探す。
それから、必要なぶんだけ彼の手を借りた。
「手は助かる」
マリアは言って、下り終えたところで離した。京介は次の足場へ先に降りた。
谷の出口まで来ると、古い道の跡がはっきりした。
苔むした石の側面に、波形の刻みがある。銅貨の裏にあるものと、よく似ていた。
まいは日光のあるうちにミエールくんを使う。
「点は二つ。朝の図の、二つ目ね」
「すると次は、曲がった岩の内側です」
シェリルが教本をめくる。
京介は実際の入り江と見比べた。
内側は水が深そうに見える。だが流れを見ていると、そこだけ泡が途切れていた。浅い段が水の下に隠れているのだ。
「道は残ってる。潮がもう少し下がれば見えるぞ」
京介は紙の余白へ、石段の数を書き込んだ。看板を置かれた場所には、大きなばつを打った。
待つ間に、四人は少し高い岩棚へ移った。
まいが濡れた石を避け、大きく回り道をしてついてくる。京介は黙っていた。今度こそ短い道が出てくれと願い、水面を睨む。
西からの光が崖を斜めに照らし始めたころ、波の向こうに扉が見えた。
岩の模様だと思っていた縦線が、人工の継ぎ目へ変わる。
丸い縁。中央の舟。上に刻まれた星。
京介は、朝に描いた地図を取り出した。
紙の線の先に、本当の扉があった。
「着いたぞ」
「まだ向こう岸よ」
まいはそう言ったが、目は輝いていた。
海の表面にも、扉にも、彼女の小さな耳飾りにも、夕方の光がきらきらしている。
その足元を、黒っぽい緑のものが、ゆっくり揺れた。
まいの笑顔が止まった。
「……待って」
「どうした?」
「その、扉の手前の道」
「ああ、古い水路だな」
「水路ということは」
京介は、湿った石の上に広がるものを見た。
厚い苔だった。何年もかけて育てたらしい、実に立派な苔だった。
「これ、全部、ぬめぬめしてるの?」
財宝に向けるときとはまったく違う震えが、まいの声に混じった。
京介は、答えに困った。
たぶん、という言葉をつければ許されるだろうか。
目の前の苔は、許してくれそうになかった。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




