第7話「銀の仮面と迷子の地図」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
広場へ戻ると、巻き図の青年が膝をついていた。裂けた紙を石畳に並べ、その端を湿らせた布で押さえている。頭上の古い看板は、風が通るたびに鈍い音を立てた。
「助けてくれて、ありがとう」
巻き図の青年が、京介に頭を下げた。
「こっちの二人にも。まいが図を拾って、シェリルも一緒に引っ張ったんだ」
「二人も、ありがとう」
まいは巻き図を押しつけた。
「次は、足より短くたたんでから広げなさい」
「はい……」
青年は素直に頷いた。
京介は裂けた端を拾って渡した。下の目盛りが途中で切れている。青年はそこを指でなぞり、薄い紙を裏から当てた。
「後で修理代を出すって、あの眼鏡の人が」
「出してもらえよ。さっき、名前も係に書いてた」
「うん。でも、これは祖父の図だから」
京介は黙り、風で持ち上がりかけた端を押さえた。指先の下で、細い道の線が続いている。紙をずらすと、いま歩いてきた市場の門が現れた。
「これ、いま持ってる地図と、道の線が違うな」
「祖父が使ってたものなんだ。店がまだあったころの写しらしい」
青年は大切そうに紙をなでた。
京介は勝手に覗き込んだことに気付き、手を止めた。
「そのへん、見せてもらっていいか?」
「見るのは、かまわないよ。この辺りは読めるから」
青年は裂けていない側を京介へ向けた。
「礼を言われるより、そっちの方が助かる」
言ってから、京介は言葉を飲み込みかけた。だが青年は笑って、紙を押さえる石を一つ渡してくれた。
まいがその石を先に取った。
「じゃ、あたしも見せてもらう」
「おい」
「図を拾ったお礼、って言ったのはあんたよ」
京介は石をもう一つ探し、反対側へ置いた。まいが覗く前に、門から北へ続く線を、自分の地図の余白へ写す。
まいが隣へしゃがんだ。肩越しに覗くシェリルの本が、京介の背中へ軽く当たる。マリアは柱のそばで荷を降ろしたが、そのまま抱え直した。どこへ寄れば同じ図が見えるか迷っているようで、京介が声をかけようとしたときだった。
その頭上で、何かが、みしりと鳴った。
京介が顔を上げる。
木の看板だ。さっきからくりが横を通ったとき、支えの縄を引っかけたのだろう。二本のうち一本が切れ、厚い板が片側へ傾いていた。
「マリア、離れろ!」
彼女はすぐ柱から離れた。
柱の向こうから、木箱を抱えた参加者が出てくる。箱で上が見えない。マリアが腕を伸ばしたが届かず、最後の縄が乾いた音で裂けた。
京介は走りかけた。
自分の足が着くより早く、頭上に青白い輪が結ばれた。
輪は二つ。中央で細く絞られ、蝶結びの形になっている。看板がそこへ落ち、布に受け止められたように、柔らかく一度揺れた。
「そこから下がってもらおう」
柱の影から男が出てきた。
深青のマント。首元から覗く栗色の髪。そして、目と額を覆う銀の仮面。
昼の市場にふさわしいかと言えば、かなり議論の余地がある姿だった。
男は指先を二度、小さく曲げた。続けて掌を上に向ける。青白い蝶結びが少し下がり、看板もゆっくり地面へ降りた。
魔法だ。
看板の角が敷石へ触れ、古い釘が一本跳ねた。木箱を抱えた参加者は膝を曲げたまま動けずにいたが、やがて何度も頭を下げた。男は口の中で何か呟き、片手をマントの下へ戻した。
京介は男の顔を見た。仮面のせいで、顔の半分しか見えない。見えている口元は、笑っているようでもあった。
「助かった。あんた、参加者か?」
「私の名はヤシロ。宝の呼ぶ声に導かれ、ここへ参った」
まいが小声で言った。
「宝って、けっこう長い挨拶するのね」
ヤシロは聞こえなかったことにしたらしい。胸元からサイコロ型の参加証を出した。
「大会の一員であることは、これが示す」
「仮面のままで受けつけてくれたのか?」
「身元は受付に届けてある。顔まで競技に参加させる必要はなかろう」
「まあ、顔で宝掘るわけじゃないけど」
京介は納得しかけ、仮面をもう一度見た。
銀色の表面には、余計な模様がない。目の周囲が深く、表情を読み取りづらくしている。それでも妙に落ち着いた立ち方と、看板を下ろす手の動きは、誰かを驚かせるためだけのものではなさそうだった。
シェリルが一歩前へ出た。京介は彼女の目が仮面より、空中に残る光の細い結び目へ向いていることに気付いた。
「わたし、シェリルといいます。助けてくださって、ありがとうございます。今の結界……」
「結びを細くすれば、板のような長い物も受けやすい」
ヤシロの声が、わずかに自然になった。
そして、すぐに咳払いが入った。
「……古き技の、ささやかなる応用にすぎぬ」
「はい。あの、教科書で見た形と、似ていたので」
「よく勉強しているのだな、シェリル」
彼女の名前は、迷いなく呼ばれた。
少女は本の表紙を両手で押さえた。
「あの、今の結界なら、荷車も……」
言いかけて、目を伏せる。
京介には昨日の荷車が見えた気がした。重さに耐えるシェリルの肩。水筒の蓋を回せず、隠した指。いま看板は、この男の指先で揺れたあと、音もなく下りた。
「物の形によって、結び方が変わる」
ヤシロは言った。
「同じようにすればよい、とは限らぬ」
シェリルは頷いた。それでも光の結び目から、目を離さなかった。京介は何か言えないかと考えたが、昨日と同じ余計なことを言いそうで黙った。
まいが看板をつついた。
「それで、ここで何を探してたの? 宝の声を聞きに来ただけじゃないんでしょ」
「古い道を」
ヤシロは今度は短く答えた。
「地図にあるはずなのに、歩くと見つからない道がある」
京介は、橋のたもとの石を思い出した。
「そういうの、ここらじゃ珍しくないよ。木が育って埋まったり、雨で崩れたりするからな」
「北の床へ行くなら、端が一枚沈んでいる。石の継ぎ目を見なさい」
男の指が、二度動いた。
消えかけていた結界が、蝶の羽根のようにほどける。
シェリルが、その指先をじっと見ていた。
*
市場跡の北側には、石の床が残っていた。
色の違う小石を埋め込んだ床で、曲がる線と丸い印が、四角い部屋の跡いっぱいに広がっていた。日向の端に膝をついているのは、ハリナだった。
細い糸を床の上へ張り、図面の角と比べている。髪を首元で結んだ黒い房が、肩越しに前へ落ちていた。
「もう来たの」
まいが言った。
「サキトは?」
「先の方。車輪を止めたあと、道を見に行った」
ハリナは立たず、ひとつ目盛りを書いた。
京介は床の中央へ足を向けたが、張られた糸の前で止まった。紙を載せた薄い板が、一番くっきりした線を隠している。
「そこ、見たいんだ」
「いま取ってる。端から見て」
「広い床を二人で使うのか?」
「私一人。二人目は、さっきまで働いてたでしょう」
京介の頬が熱くなった。縄を掛けたサキトの背中を思い出すと、紙をどかせとは言いにくい。
まいはハリナの糸をまたがず、陽の当たる側へ回った。琥珀の目は、小石の間を走る濃い線へ吸い寄せられている。
「これ、海の絵?」
扇子を閉じ、しゃがんで線をたどる。
京介は外周を歩いた。南の端に丸いくぼみがあり、そこから太い線が二本延びる。片方は途中で消え、もう片方は床の北へ抜けていた。
「水路じゃないかな。さっきの橋へつながってたやつだ」
「でも、店の床に、水路の絵を?」
シェリルは本を開いた。
「市場なら、どこから荷物が来るかを描いていても、おかしくないと思います」
「宝の届け先だったら、最高なんだけど」
まいはベルトから真鍮の小さな望遠鏡を取り出した。
ミエールくんだ。
ぜんまいを巻く音が、ちりちりと鳴った。まいは日光の差す側へ移動し、石の床を覗いた。
京介も横から覗き込もうとした。
「邪魔。光をふさいでる」
「向こうの線、見えるか?」
「あんたがどけば見えるわ」
京介は一歩退いた。
まいの視線が床の上をゆっくり動く。古い石の表面で反射が変わり、肉眼では同じ灰色に見えた溝の端が、彼女には明瞭に見えるらしい。
「太い線の横に、小さな印がある。三つ……四つかな。全部、片側に寄ってる」
「矢印か?」
「今の矢印とは違う。魚の尾みたいな形」
十呼吸で歯車の音が弱まった。まいは望遠鏡を離し、熱の残る筒を布に載せる。
屋根の跡から伸びる影が、その小さな布を横切った。
「あと一回、あの端を見たいんだけど」
まいはハリナの板を指した。
「光があるうちに」
「こちらも同じ。あと二本」
ハリナの手は速かった。まいは扇子を開いたまま、あおぐのを忘れている。
京介は二人の間にしゃがんだ。目の前で他人の鉛筆だけが進むのを見ているのは、もう嫌だった。床へ顔を近づけ、まいが指した溝を地図の余白へ写す。魚の尾にも、二本の葉にも見える印だ。
紙の上へ移すと、急に意味がなくなったように見えた。
「絵だけあっても、分からないな」
「古い道の位置も、合っていません」
シェリルが呟いた。
彼女の本にある水路、京介が青年の図から写した市場の道、自分の地形図。方角の印を同じ方へ向けるほど、曲がる線は離れてしまう。
「測り違いじゃない」
ハリナが言った。紙の上には、床の幅まで細かく入っている。
「形は取れた。でも、いまの岸線へ合わせると、ここが余る」
「その余る線、どれだ?」
京介が顔を上げると、彼女は紙を板から外した。
「私が欲しい答えまで、代わりに出してくれる?」
「出せるかもしれないだろ」
「なら、そっちの図も見せて」
京介は、自分の地図の端を握った。ハリナはその手を見て、返事を待つのをやめた。
まいが銅貨を出しかけ、やめた。
京介も、手元の図をすぐ畳もうとした。
相手に見せれば、何か分かるかもしれない。だが、自分の手掛かりで相手が先に宝へ着いたら、どうする。
誰も紙を広げきらなかった。床には一本につながっている線が、それぞれの手元では切れていた。
マリアが床の南へ歩いた。
それから振り向き、逆さになった絵を見た。
「こちらからでも、線はつながる」
「そりゃ、絵を逆にしても線は切れないけど」
「どこを上にして描いたのか、まだ知らない」
京介の指が止まった。マリアの立っている側から見ると、丸いくぼみが手前へ来る。荷を下ろす人が、そこに立ったとしたら。
紙を回しかけたところで、マリアが自分の袖をつかんだ。
「わたしの紙も、似ていた」
「どこが?」
「波。……いまは、それだけ」
帯の内側へ伸びた手が止まる。京介は続きをせかしかけ、床へ視線を落とした。
考えかけたところへ、ヤシロの声がした。
「見えた答えを急ぐより先に、足場を見なさい」
シェリルが、はっと顔を上げた。
京介も足元を見た。
まいの右のブーツが、周囲より新しい石へ乗りかけている。その石の端から、細い紐が覗いていた。
「まい、止まれ」
「分かってる」
まいは重心を後ろへ戻した。
新しい石の先には、枯れ枝を組んだ小さな棚がある。棚の上には、透明な粒を張りつけた箱が置かれていた。
いかにも宝箱という顔だ。
「こんなところに急に置かれてる宝は、だいたい、置いた人が近くにいるのよ」
まいはしゃがみ、見慣れない細い紐を扇子の先で追った。
さらに視線を動かし、木の上で揺れる大きな袋を見つける。
「箱へ近づくと、上の袋が落ちる。たぶん木の実の殻か、紙くず」
「どうして分かる?」
「重い物なら、あの細い枝じゃもたないもの。それに、袋の口から赤い紙が出てる」
京介は上を見た。
たしかに、赤い切れ端が覗いていた。
まいは箱から離れ、細い紐を踏まない位置へ足を戻した。
「そこ、通らない方が早いわよ」
「お宝かもしれないぞ」
「こんなに宝石を外側に貼る箱、持って逃げるとき重たいだけじゃない。あたしなら中に入れる」
小さなため息とともに、サキトが木陰から出てきた。青糸の帽子を持ち上げ、手元の紐を緩める。
「早かったな、見つけるの」
「誰に当てるつもりだった?」
京介は木に下がる袋を見上げた。
「この箱へ来るやつ。俺が見てる間だけだ」
「魚、一口もらった礼がこれかよ」
「魚は木の実と替えた。車輪は一緒に止めた」
サキトの口元から笑いが消えた。
「この先まで、譲るとは言ってない」
言われなくても分かる。そう言い返したかったのに、京介には声が出なかった。自分の顔に出ている怒りを、相手は正確に見ている気がした。
「紙が落ちたら、あの線が見えなくなる」
シェリルが口を挟んだ。
「読む人が、困ります」
「だから床の外に置いた。この木まで、近寄ってもらえばよかった」
サキトの背後で、ハリナが糸を巻き終えた。最後の一本を帽子の青い縫い目へ引っかけ、ほどいて袋へ戻す。
「三分あればいいって言った。もう足りたよ」
「ああ」
京介は振り返った。日向だった床の北端へ、壁の長い影が入っている。まいが立っていたところも、灰色に沈み始めていた。
「話してる間に、か」
まいの声が冷たかった。
「袋なんか、落ちなくてもよかったわけね」
サキトは答えず、木から袋を下ろした。中で乾いた殻が鳴る。箱を脇へ抱えた彼へ、ハリナは図面を見せずに言った。
「次は、道を歩く時間を取って。細工で三分、こっちが先に使った」
「元は取れたろ」
「まだ」
二人は北の通りへ歩き出した。角へ消える直前、サキトが石の割れ目を指す。
「右、踏むと沈むぞ」
その忠告まで、京介の耳には腹立たしく届いた。
まいは床へ戻ると、冷えた望遠鏡のぜんまいを巻いた。京介も並びかけたが、彼女は首を横に振った。
「あたしが見てる間、影を作らないで」
残っている日向は細い。京介は自分の地図を畳み、まいの足元から荷をどけた。彼女が何を読めたのか尋ねるのは、歯車が止まるまで待った。
「太い線の端に、波と二つの点」
「向きは?」
「まだ」
まいは短く答え、写した紙を自分の袋へ入れた。京介も尋ね直さなかった。日陰になった床の線を、靴先でなぞる。小石は、紙へ写したよりずっと複雑に曲がっていた。
市場を離れるとき、ヤシロが後ろから歩いてきた。
シェリルは男を見上げ、ためらいながら尋ねた。
「ヤシロさん。先ほどの言葉を、どこで……」
「どの言葉だろう」
「足場を、先に見る、という」
仮面の下の口元が止まった。
ほんの一瞬だったが、京介にも分かった。
「私だけの言葉でもあるまい。君の教本にも、あるだろう」
「そう、ですね」
シェリルは本を抱え直した。
返事はしたが、納得しきってはいない顔だった。
ヤシロは床の印をもう一度見て、それ以上は何も教えず、古い店並みの向こうへ歩いていった。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




